学位論文要旨



No 111041
著者(漢字) 頼藤,徹也
著者(英字)
著者(カナ) ヨリフジ,テツヤ
標題(和) 出芽酵母を用いた細胞の極性成長機構の解析 : 突起形成不能株の生理学的、分子遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 111041
報告番号 甲11041
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2954号
研究科 理学系研究科
専攻 植物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 大隅,良典
 東京大学 教授 安楽,泰宏
 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京大学 助教授 大矢,禎一
 東京大学 助教授 馳澤,盛一郎
内容要旨

 地球上には多様な種が存在し、各々の生物は様々な形態をしている。細胞レベルの形態形成は、個々の細胞の極性確立、その極性に沿った成長によって行われる。最近、細胞レベルでの極性確立についてはさまざまな生物においてRho-type GTPaseの関与が示され解析されてきた。しかしながら、極性成長についてはその過程にかかわる物質レベルの知見は乏しく、簡単なモデルすら提出できていない。私は、この極性成長機構を解明するためには、その過程に関わる因子を一つでも多く同定することが重要と考え、表現形の解析が遺伝子レベルの解析に比較的結び付けやすい出芽酵母(S.cerevisiae)の突起形成過程に注目した。

 出芽酵母MATa細胞は低濃度(5×10-9M以下)のファクターの作用によりその細胞周期をG1期後期に停止し伸長成長する。高濃度のファクターが作用すると極性成長が誘導され鋭い突起が形成される。この突起形成は増殖に必須ではないため、また接合型に特異的であり遺伝解析が困難なためその機構の解析は立ち後れている。私は修士課程において、高濃度のファクター存在下においても突起を形成せず伸長成長する変異株を単離し、この突起形成過程には少なくとも三つの遺伝子(PPF1,PPF2,PPF3)が関与していることを示した。

 私は、博士課程において、さらに多数の突起形成不能株を直接顕微鏡下で単離した。次にPPF遺伝子産物の生理的機能を明らかにするために,ppf変異による機能欠損を詳細に解析した。さらにこれら遺伝子の塩基配列を決定し遺伝子破壊株と多量発現株の表現形について解析を行った。

1新たな突起形成不能株の探索

 私は修士課程において顕微鏡下で高濃度ファクター存在下でも突起を形成せずに伸長成長する変異株を5株取得しPPF1,PPF2,PPF3を同定した。しかし突起形成過程にはより多数の遺伝子が関与していると想定し、同様の方法でさらに変異株単離を徹底的に進めた。得られた変異株32株中のその表現形が核性の単一の遺伝子変異による27株と既知のppf変異について相補性試験を行った。得られた変異はすべてPPF1,PPF2,PPF3に起きていた(表1)。従ってこの形態的指標に基づく変異株単離はほぼ飽和していると結論した。またそれらの変異の大半はPPF1またはPPF3に集中して起こっていた。後に示すようにPPF1,PPF3は巨大なタンパク質をコードしており、その機能を不活化する変異が比較的入りやすいのかもしれない。

表1.新たな突起形成不能株の相補性試験

 次に各PPF遺伝子と既知の突起形成関連遺伝子BEM1,SSP31/SLK1/BCK1,SPA2,SST2,STE2との相補性試験を行った。その結果PPF1はSPA2と同一の遺伝子であることがわかった。その他の遺伝子が今回の変異株単離で同定されなかった理由としては特殊な変異座のみ突起形成不能を示す(BEM1,SST2,STE2)、またはその変異株は突起形成不能ではあるが明確な伸長成長を示さない(SSP31,SST2)ためスクリーニングにかからなかったものと思われる。

2ppf変異株の解析

 次にppf2-1,ppf3-1変異株の解析を行った。変異株単離は34℃で行ったため以下の解析はすべて34℃で行った。

 MATa細胞に対する低濃度ファクターの作用としては増殖のG1期停止、一群の接合に関連した遺伝子の発現の誘導がある。ppf変異の低濃度ファクターの作用に与える影響についてこの両観点から調べてみたところ、野生株と変異株との間には顕著な差が見られなかった(図1)。このことはppf変異株においては低濃度ファクター作用で働く信号伝達経路は正常であることを示している。

図1.ファクターに対するMATa ppf細胞の反応性様々な濃度のファクターで34℃90分処理した後未出芽細胞の割合、およびFUS1遺伝子の発現の誘導を大腸菌lacZ遺伝子をレポーター遺伝子として用いることにより調べた。□PPF,○ppf2-1,ppf3-1.

 MATa細胞はファクターが作用し続けると適応を起こし遺伝子発現を停止し増殖停止から復帰するが、ppf変異株では明らかに適応開始時間が早まっていることが分かった(図2)。この適応反応の早まりは外部のファクター濃度の低下の違いによるものではなかった。このことはPPF遺伝子産物は内的な適応反応に関与していることを示している。

 次に、ppf2-1,ppf3-1変異の増殖期に与える影響について調べてみた。いずれの株も富栄養培地中では特に目立った増殖遅延は見られなかった。しかしながらppf3-1変異株は細胞質分裂に異常を示し超音波処理しても分離しない出芽を2つ以上持っている細胞が見られ、また出芽痕の直径が比較的大きなものも存在していた。このことからPPF3遺伝子産物はbud neck形成にも関与していると予想される。次に出芽パターンについて調べてみた。ppf3-1変異株では細胞質分裂異常のため母細胞と娘細胞との分離が不完全で凝集塊を成している細胞群が見られ正確な出芽パターンの解析は困難であった。そこで、遊離型の出芽を持つ2細胞のクラスターについてその出芽パターンを調べた。その結果ppf3-1変異株においてはMATa,MAT,MATa/MATすべてで出芽パターンに異常が見られた(図3)。このことはPPF3遺伝子は出芽位置決定にも関与していることを示している。

3PPF遺伝子のクローニングとその塩基配列の決定

 PPF2及びPPF3遺伝子のクローニングを行った。ppf変異株の示す形態的な特徴によりPPF2,PPF3遺伝子をクローニングできるか検討してみた。34℃で150分間高濃度ファクター処理したppf変異株は全体の5%程度の細胞が突起形成をしていた(図4)。従ってこの方法では相補する遺伝子のクローニングはバックグラウンドが高く困難であると考えられる。一方ppf3-1変異株は合成培地中では野生株に比べて増殖速度が低下する。この形質を利用しppf3-1細胞を酵母ゲノムライブラリーで形質転換後、合成培地で増殖させることによりPPF3遺伝子を持つと考えられる細胞を濃縮し、顕微鏡下で突起形成能を回復した形質転換体を単離した。得られたDNA断片の最小相補領域の塩基配列を決定した結果、PPF3遺伝子は1953アミノ酸残基からなる親水性タンパク質をコードしていることが明らかになった。

 次にPPF2遺伝子のクローニングを試み、顕微鏡下で突起形成能を回復していると思われるライブラリープラスミドを導入した細胞を多数(〜2000)単離した。PPF2遺伝子を含むDNA断片を保持していたプラスミドが1つ得られ、その最小相補領域の塩基配列を決定したところ、PPF2遺伝子は420アミノ酸残基からなる親水性のタンパク質をコードしている新規の遺伝子であることが分かった。C末端付近にcoiled-coil構造をとると推定される領域が見いだされた(図5)ことから細胞内では二量体の形成または他のcoiled-coil構造を持つ蛋白質との相互作用が予想される。

4PPF遺伝子産物の機能の解析

 PPF2,PPF3遺伝子破壊株の表現形はそれぞれppf2-1,ppf3-1変異株とほぼ同一であった。またファクターに対する適応開始時間の異常は34℃で観察されたが30℃では起こらないことが分かった。このことはPPF産物が欠損したときに、適応過程においてその機能が温度感受性となる因子の存在を示唆している。

 MATa,MAT細胞は接合時、相手の分泌する接合フェロモンの濃度勾配を認識して多量のフェロモンを分泌する相手を選び接合することが知られている。この接合相手の選択には高濃度フェロモンを関知する能力が必要であると考えられている。ppf破壊株は接合相手を選択する能力は正常であったことから(表2)、接合相手の選択に必要な極性は正常に確立されており、PPF破壊株は高濃度フェロモンの認識とその情報の伝達は正常であると考えられる。

 次に出芽パターンについて詳細に解析を行った。PPF3破壊株もppf3-1変異株同様細胞質分裂異常を示し、出芽を持つ2細胞のクラスターについて出芽パターンを調べたところPPF3遺伝子破壊株はppf3-1変異株と同様に出芽パターンに異常が見られた。次に単一の出芽痕を持ちかつ1つだけ芽を出している細胞の出芽パターンを調べたところPPF3破壊株においてもそのパターンは全く正常であった。このことはPPF3破壊株においても細胞質分裂を正常に完了した比較的若い細胞の出芽位置決定は正常であることを示している。

 さらにPPF産物の機能を調べるためPPF2,PPF3を細胞内で多量発現させその影響を調べた。PPF2遺伝子を多コピーベクターで発現させたが特に影響は見られなかった。さらにPPF2プロモーターをGAL1プロモーターに取り替え強制発現させてそみたが特に影響は見られなかった。野生株においてPPF3を多コピーベクターで発現させたところ出芽パターンに若干の異常が起きた。顕著な異常はファクター処理時の突起形成に見られ、ファクター処理後突起形成不能細胞が25%程度現れたがその形態変化はPPF破壊株に見られる伸長成長と同一の形態のみではなく多様であった(図6)。これはPPF3の多量発現により極性が乱れたことを示唆しておりPPF3は極性確立に、または確立した極性を極性成長につなげる働きをしていることを示している。

図表図2.ファクターによる増殖停止からの復帰 10-7Mファクター存在下(34℃)での増殖復帰を調べた。-galactosidaseは細胞中では比較的安定なため、その活性低下はlacZ遺伝子を発現していない細胞の増加によるものと考えられる。□PPF,○ppf2-1,△ppf3-1. / 図3.ppf変異株の出芽パターン イラストで示したように2細胞2出芽のクラスターについてその位置関係により分類した。ppf3株は若干の細胞質分裂異常を示すため、大きなクラスター中の細胞の出芽パターンはこのデータに入っていない。 / 図4.ファクターによる形態変化 高濃度(10-7M)ファクターで34℃150分処理した後その形態を4つに分類した。PPF株については低濃度(5×10-9M)ファクター処理時のデータも示した。 / 図5.PPF2遺伝子産物中に見いだされた7残基リビートa及びdの位置に疎水性のアミノ残基が繰り返し高頻度で現れその部位はcoiled-coil形成時の相手タンパク質との接触部になると考えられる。 / 表2.PPF2、PPF3破壊株の接合相手選択能力 / 図6.PPF3多量発現の突起形成に与える影響10-7Mのファクターで30℃6時間処理した。(左)ベクター,(右)ベクタ-+PPF3.
まとめ

 これまでにいくつかの突起形成過程に関与している遺伝子が同定されてきたが、それらはすべて他の表現形に基づいて得られ、その解析の過程を通じて突起形成に対する関与が示されてきた。本研究で私は直接形態形成異常を指針として32個もの突起形成不能株の単離に成功したが、今後新たな突起形成不能株の単離にはその親株にPPF1及びPPF3遺伝子を複数コピー持たせるなどの工夫が必要であることが今回の多数の突起形成不能株単離により明らかになった。またPPF遺伝子、特にPPF2遺伝子のクローニングの成功により、多少の困難を伴うにしても出芽酵母がこれまでの増殖に必須な過程の解析に加え先端成長過程解析のモデル系になりうることを実験的に示した。本研究をさらに進めることにより極性成長過程の一般的な機構が明らかになっていくものと期待される。PPF2及びPPF3遺伝子産物の機能について今回以下の点が明らかになった。

 (1)ファクターに対する反応性及び接合相手の選択能についての解析からPPF2及びPPF3遺伝子産物はファクター作用時に働く信号伝達系には関与していないことが示唆された。特にPPF3遺伝子産物に関してはその栄養増殖期における変異形質から極性成長そのものに関与していることが予想される。

 (2)ppf3変異株の解析から細胞質分裂、出芽位置決定、ファクター作用時の突起形成が一部共通な遺伝子産物によって担われていることが明らかになった。

 (3)PPF2,PPF3遺伝子産物はファクター作用による増殖停止からの復帰過程に関与していることが明らかになった。突起形成と適応反応が何らかの機構で結びついていることを今回初めて見いだした。

審査要旨

 細胞外刺激により誘導される細胞レベルでの極性確立及びそれに続く極性成長は、単細胞生物での化学走性時や多細胞生物の胚発生時にみられる興味深くかつ基礎的な現象の一つである。極性確立については近年分子レベルでの解析が急速に進み、異なる生物間においても相同のメカニズムの存在が示されている。これに対し極性成長そのものの分子レベルでの解析は遅れている。論文提出者は遺伝学的及び分子生物学的解析が比較的容易である出芽酵母Saccharomyces cerevisiaeの接合過程にみられる突起形成に着目し生理学的分子遺伝学的解析を行った。出芽酵母MATa細胞は性フェロモンファクターの作用により極性成長を示し突起を形成する。提出者は、突起形成不能株を単離解析することにより極性成長に必須な因子の生理学的機能を明らかにした。

 本論文は4章からなり、第1章では本研究の基礎となる出芽酵母MATa細胞のファクター作用時の形態変化の観察及び突起形成不能株の単離の結果について、第2章では前章で明らかになった突起形成に関与する遺伝子のクローニング及びその塩基配列の決定、各遺伝子及び遺伝子産物間の関係について、第3章では突起形成不能株の生理学的解析を行うことにより突起形成時の各遺伝子産物の機能について、第4章では増殖期におけるそれら遺伝子産物の機能について述べられている。

 第1章で提出者は様々な遺伝学的背景を持つMATa細胞の突起形成時の形態観察を行い、変異株単離にもっとも適した株を選定し、突起形成不能株の単離解析を行っている。単離の方法は顕微鏡下で直接、変異形質を示す細胞を選択するという独自の方法であり、その結果この突起形成過程には少なくとも3つの遺伝子PPF1,PPF2,PPF3が関与していることが明らかになった。更に遺伝学的解析からPPF1は紡錘体の機能解析途上で同定されたSPA2遺伝子と同一であることが示された。

 第2章では更に解析を進めるためPPF2,PPF3遺伝子のクローニング及びその塩基配列の決定を行いその破壊株を作製している。その結果PPF2は新規の遺伝子であることがまたPPF3はBNI1と同一の遺伝子であることが明らかになった。BNI1遺伝子については論文として発表されておらずその詳細は不明であるが出芽酵母の10-nmフィラメントの機能に何らかの関与をしているらしい。PPF2,PPF3遺伝子破壊株は単離された変異株と相同な形質、突起形成不能を示し、PPF3破壊株は増殖期においても弱い細胞質分裂異常を示した。更にPPF2遺伝子産物に対する抗体を作製精製し、ウェスタンブロット解析を行ったところ、MAT細胞のみならず接合能を持たないMATa/MAT細胞においてもPPF2は発現していることが明らかになった。またPPF1/SPA2,PPF3破壊株においてPPF2の発現を調べたところPPF1/SPA2破壊株においてはPPF2の発現が大幅に低下していることが明らかとなりPPF1/SPA2の突起形成に対する関与はPPF2を通した間接的なものであることが示唆された。これまで他の研究者らによって得られた知見と総合することによりPPF1/SPA2,PPF2,PPF3/BNI1は遺伝学的生化学的に相互作用していることが推定された。

 第3章ではPPF2,PPF3遺伝子産物の突起形成における生理学的機能の解析を行っている。MATa細胞に対するファクターの作用には低濃度及び高濃度作用の2種類の存在が歴史的に知られており突起形成を正常に行うためにはこの両作用に対し正常に反応することが必要である。そこでこの2つの作用に対するPPF2及びPPF3遺伝子破壊株の反応を調べることによりPPF2,PPF3遺伝子産物の生理学的機能を調べた。細胞周期の停止及びFUS1遺伝子の発現の誘導が正常だったことからこれら遺伝子産物はファクター低濃度作用に対する反応には関与していないことが分かった。次にF-actinの分布の変化及び接合相手決定能を調べることによりPPF2,PPF3産物は極性確立後の極性成長そのものに関与していることが明らかになった。

 第4章では増殖期におけるPPF3遺伝子産物の役割について解析している。PPF3破壊株は増殖期において弱い細胞質分裂異常及び出芽位置決定の乱れを示すことを見出し解析を加えた。その結果この両者の異常を結びつけることにより、PPF3産物は細胞質分裂装置の正常な局在に関与しておりその局在が乱れたため上記2つの異常が起こると結論した。またサイトキネシスタグモデルに基づきMATa/MAT細胞の母細胞に見られる出芽位置決定の異常について考察を行った。また変異株及び破壊株のファクターに対する適応反応の異常を見出し解析を加えた。

 以上、提出者は本研究において突起形成過程に関与する遺伝子及びその産物の解析を行いその結果それらの相互作用及び生理学的機能を明らかにした。分子レベルでの極性成長過程の解析は新たに拓かれつつある分野であり本研究で得られた結果は基礎的でありかつ多くの新しい知見を含み高く評価できる。本研究は大隅良典氏との共同研究であるが、何れの場合も提出者が主体となって研究を進めており、また同意承諾書も完備している。以上を総合して、提出者は博士(理学)の学位の授与に値すると認める。

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