学位論文要旨



No 111042
著者(漢字) 斉藤,千映美
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,チエミ
標題(和) ベローシファカ(Propithecus verreauxi)の季節的環境への適応 : エナジュティクスと採食戦略
標題(洋)
報告番号 111042
報告番号 甲11042
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2955号
研究科 理学系研究科
専攻 人類学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 青木,健一
 東京大学 教授 赤澤,威
 東京大学 教授 平井,百樹
 東京大学 助教授 諏訪,元
 京都大学 教授 西田,利貞
内容要旨

 食物を巡る競合の種類や強さは、動物の生態に影響を与える大きな要因である。霊長類についても、多様な社会生態が食性や採食競合の種類と強く関わることがこれまでの研究から示唆されている。マダガスカルに生息するレムール類は、性比が1であること、メスがオスより順位が高いことをはじめ、他の霊長類に見られない社会生態の特徴を備えることが近年明らかになり、これらのユニークな社会生態を社会生態学のこれまでの理論で説明できるかどうか興味がもたれている。本研究は、ベレンティ保護区に生息するレムールの一種であるPropithecus verreauxiを対象に、その食性、群れ内の採食競合の質と社会構造の特徴との関係を明らかにしようと試みたものである。中でも、メスがオスより順位が高いのは、レムールのメスの繁殖コストが他の霊長類と比べて特別高いため、オスにとっては自分の交尾相手に食物をゆずり、究極的に自分の繁殖成功度を上げようとする適応的意義を持つという説がある。この説を検証するために、繁殖期にメスとオスの食物必要量がどの程度変化するかを推定し、他の霊長類と比較した。結果は以下の通りである。

 2群のP.verreauxiの食性は、食物の利用可能度の変化に対応して季節変動した(図1)。果実、新葉類の少ない寒-乾季は、食物の大半を占めるのは成熟葉であったが、暑-雨季には成熟葉が依然存在しているにも関わらず、果実と新葉類を選択的に採食した。P.verreauxiの食性は従来opportunisticと表現されていたが、果実、未成熟葉を好んで採食し、それが不可能な季節に成熟葉に依存していると考える方が妥当である。

図1 採食時間にしめる各食物タイプの割合(上)と、その地域のタイプ別の食物利用可能度(下)

 採食の通貨を明らかにするために、より長距離を探索し、すなわちより長時間を探索に費やしてより多くの食物と遭遇した時に、どのような食物を選択しているか調べた。葉食期と果実採食期の2カ月間について、その日の遊動距離と採食成功度を示すいくつかの指標の関係を調べたところ、葉食期に2群のうち1群では、遊動距離が長い日には、食物に占める繊維分が低かった。しかし、採食時間長、採食量、平均採食速度、粗タンパク質含有率は、いずれの群でも遊動距離とは関係がなかった。

 一方、果実食期には、長距離遊動した日には、摂取エネルギー量が多くなる傾向があり、平均採食速度が高くなった。しかし、採食量(g)、採食時間長、粗繊維含有率、粗タンパク含有率には、遊動距離との関係は見られなかった(図2)。このことは、P.verreauxiが、葉食期には繊維分の多い食物を避ける傾向、果実食期には摂取エネルギー量を最大化しようとする戦略を採っていたことを示唆している。

図2 一日の遊動距離と採食成功度の関係

 次に、レムールのメスは他の霊長類に比べとりわけ高い繁殖のコストを背負っているという仮説を検証するため、メスの繁殖のコストが最も高くなる、授乳期の採食量を推定し、非授乳中のメス、オスのそれと比較した。雨期に当たる授乳期の後半にメスの採食量は最も高くなり、非授乳メス、オスとの差は最大1.5約倍であった(図3)。

図3 性、繁殖状態と栄養摂取量

 この数値は、他の霊長類で推定されたものより大きいとは言えず、この点で特別レムールメスの繁殖コストが大きいと考えることはできない。ただし、レムールは体の大きさに性的2型がない。従って、観察されたオスとの採食量の差、最大1.5倍は、性的二型のある霊長類に比べれば大きいといえる。したがって、オスとメスのあいだに、この時期、食物資源を巡る利得の非対称性が存在するという仮説は支持された。

 3つめに、群の中での順位と採食成功度の関係を調べた。この結果は、2つの疑問に対する答えである。ひとつは、メスがオスより優位であることにより、本当に採食上の利益を被っているか。ふたつめに、葉食性霊長類では群の中で順位による採食成功度の差はないと予想されているが、事実はどうか、ということである。3つの群のうち乾燥林に生息する1群では寒-乾季と暑-雨季に、河辺林に生息する2群のうち1群で暑-雨季に、順位の高い個体の採食効率は高かった(図4)。この結果は、順位と採食成功度の関係は必ずしも常には存在しないが、食物の質や量によっては明らかになることを示している。食物を巡る直接的な敵対的交渉の頻度はそれ以外の時に比べ高かった。また、日中約80%という非常に長い時間を、ある個体は他個体から半径5m以内で過ごし、この傾向は採食中でも見られた。群としての広がりが狭いことも、採食成功度の順位差を生む要因であると考えられる。

図4 群れ内順位と採食成功度(雨季)

 季節的な環境変動に対するP.verreauxiの採食戦略は、果実や新葉の少ない非活動的な寒-乾季には成熟葉を少量採食すること、そして暑-雨季には果実類と新葉を大量に採食し、活動性を高めることである。メスの採食量が最も多くなる育児期後半と、果実・新葉の利用可能度が高い時期は一致している。従って、繁殖期の強い季節性は、このような食物環境の季節変動と大きく関わっていると考えられる。さらに、1群のオトナの数が5頭を越える群では、少なくとも暑-雨季には群の中で食物を巡る競合が起きている。子育て期であるこの時期、順位の高いメスは、順位の低いオスより高い採食成功度を上げることができるといえることが分かった。

審査要旨

 霊長類の社会構造を決定している要因は、食物を巡る雌間の争い、および雌を巡る雄間の争いであると考えられている。さらに、性淘汰の対象となる雄が、雌よりも大きくかつ優位になるのが普通であると考えられている。しかし、マダガスカルに生息するレムール類では、体重に性差が見られず、雌が雄より優位である。本論文は、レムールの一種であるベローシファカ(Propithecus verreauxi)の採食戦略を研究することにより、優位性「逆転」の要因の一つについて初めて明らかにした。分野からすれば霊長類生態学の範疇に入るが、初期人類の社会進化に対する示唆も多く、人類学への貢献が認められる。

 本論文は6章からなり、第1章は序論、第2章は延べ20カ月以上に亘る野外調査で用いた研究方法を総括して記述している。第3章から第5章までは、それぞれが関連し合う、3つのテーマについての研究を個別にまとめている。これらの研究の総合的な討論が第6章でなされている。研究の中心である第3章から第5章までの要旨は次の通りである。

 第3章の目的は、P.verreauxiの2つの群で、採食活動の季節性を明らかにすること、また、最適採食理論の立場から食物選択の基準を明らかにするために、食物探索のコストを払ったときにどのような食物を選択しているか調べることである。一日の遊動距離、個体ごとのその日の摂取食物などを調査した結果、従来葉食性と考えられているP.verreauxiが、果実、未成熟葉を好んで採食すること、果実が利用不可能な季節に成熟葉に依存していることが分かった。一日の遊動距離と選択された食物の性質の相関から、P.verreauxiが葉食期には繊維分の多い食物を避ける傾向、果実食期には摂取エネルギー量を最大化しようとする戦略を採っていたことが示唆された。

 第4章では、レムールの雌が育児期に非常に高い繁殖のコストを背負うという仮説を検証するため、授乳期の採食量を推定し、非授乳中の雌、雄のそれと比較した。雨期に当たる授乳期の後半に雌の採食量は最も高くなり、非授乳雌、雄との差は最大約1.5倍であった。この比率は、他の霊長類で推定された授乳雌と非授乳雌との違い(他の霊長類では雄との比較はされていない)より大きいとは言えず、この点で特別レムール雌の繁殖コストが大きいと考えることはできない。ただし、観察された雄との採食量の差、最大1.5倍は、絶対値に換算し、体重に性差がないことを考慮すれば、利得の雌雄非対称性の存在を示していると言えよう。雌の採食量が最も多くなる育児期後半と、果実・新葉の利用可能度が高い時期は一致し、このことは、繁殖期の強い季節性と食物環境の季節変動の関連を示唆している。

 食物を巡る競合の様々な研究は、葉食性霊長類では群の中で順位による採食成功度の差はないと予想している。第5章の目的は、P.verreauxiの群内での食物競合の有無を調べることであった。結果として、食物を巡る競合は群の大きさ、食物の質や量に影響され、季節的な食物変動が競合の強さに影響を与えることが示唆された。

 レムール類のように雌が雄より順位が高いのは、他の霊長類で見られない社会生態学的特徴である。このような関係が進化した究極要因についての主な仮説は、(1)繁殖ストレス仮説、(2)雌雄の利得の非対称性仮説、(3)系統発生上の慣性仮説である。このうち(3)については本論文では比較が行われていないが、(1)の仮説の前提であるレムール雌の繁殖コストが他の霊長類に比べ特別高いという仮定を棄却した。また、(2)について、この仮説が前提とする食物資源を巡る利得の雌雄非対称性については、その存在を明らかにすることができた。また、季節繁殖を行う霊長類で、より好ましい食物(果実・新葉)の生産期が雌の出産・育児に関わるコストが最大になる時期と重なることを定量的に示した。

 したがって、本論文は、博士(理学)の学位を受けるにふさわしいものであると判断した。

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