学位論文要旨



No 111043
著者(漢字) 近藤,恵
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,メグミ
標題(和) 多元素分析によるサンギラン人類化石の出土層準判定
標題(洋)
報告番号 111043
報告番号 甲11043
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2956号
研究科 理学系研究科
専攻 人類学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 諏訪,元
 東京大学 教授 遠藤,萬里
 東京大学 教授 赤澤,威
 東京大学 助教授 植田,信太郎
 お茶の水大学 助教授 松浦,秀治
内容要旨

 数百万年前にアフリカで誕生したと考えられる人類は,いつ頃からユーラシアへと進出したのか.また,それら分布を広げていった人類集団の進化の様相はどの樺であったのか.この問題を考察する上で,現在のところユーラシア最古の人類化石であるインドネシア,ジャワ島の原人資料はその要として重要視されている.特に,中部ジャワのサンギラン地域は,その中心的な化石産出地であり,当地域の地質学的調査も進んでいる.しかしながら,サンギラン地域出土の化石人類資料については,後述のようにその編年を困難にする深刻な問題が付随し,年代の未だ明瞭でない資料が多い.このことがジャワの古人類に関する進化系統論あるいは分類について様々な議論を生む一因となっている.

 化石の年代は,原則として出土層準の年代に従うのであるが,サンギラン地域の人類化石標本はほとんどすべて,現地の住民が地表で偶然に発見したもので,正確な出土層準が不明であるばかりでなく,発見地点の大まかな位置さえ不分明なことが多い.このような状況下では,骨そのものを直接の対象としてその絶対年代が測定されることが望ましいが,ジャワ原人の関与する年代範囲ついては,現在のところ,適当な方法は見出されていない.一方,サンギラン地域の堆積層の年代に関しては,フィッション・トラック法による凝灰岩やテクタイトの年代測定,古地磁気法による研究などがあり,層序の年代的枠組みはかなり解明されてきている.したがって,サンギラン人類の編年の精度は,人類化石標本の出土層準の判定を如何に精密に行えるかに依るといえる.従来,当地域の人類化石の出土層準を判定する手法として.骨が化石化する過程で骨中に蓄積されていく元素であるフッ素を指標とする相対年代判定法が用いられてきた.しかし,フッ素だけでは,ある程度の幅で産出層を判定することは可能であるが,更に細かく出土層準を特定するまでに至らないこともある.本研究は,フッ素以外の骨中少量・微量成分も含めて,成分元素含量を指標とした骨の相対年代判定法を発展させ,この課題を解決しようとするものである.

 骨中元素による人類化石の出土層準判定には,比較の基準となる分析データ群をあらかじめ作成しておくことが必要であり,この目的には,in situで得られた充分な数量の化石骨が不可欠の材料となる.本研究では,基準化石資料として,インドネシア-日本合同調査隊(1977-1979年)によってサンギラン地域の哺乳動物化石産出層計9層準から,組織的発掘によって収集された系統的化石標本169点が用いられ,出土層準判定の指標となる元素を選出するため,ICP発光分析によって,Na,Mg,Mn,Sr,Y,Ba,Ca,Pを,ICP質量分析によって,Cu,Zn,Zr,Mo,Cd,Pb,Uおよび希土類ランタノイドのLa,Ce,Pr,Nd,Sm,Eu,Gd,Tb,Dy,Ho,Er,Tm,Yb,Luを定量した.

 サンギラン地域に露出する鮮新統-更新統の地層は,下位からカリペン層,プチャンガン層,カブー層,ノトプロ層であるが,これらの4累層のうち,原人化石を産するのは,プチャンガン層とカブー層である.各元素の分析データの検討から,化石の出土層準を,プチャンガン層とカブー層との2つ,あるいはプチャンガン層,グレンツバンク(カブー層の基底部に位置し,化石を豊富に産する層準),グレンツバンク以外のカブー層,の3つに大まかに判別するには,比較的含量の多い(化石骨緻密質中に数十ppmから数千ppm程度含有されている)Na,Mg,Mn,Sr,Y,Baが有効な元素であり,それ以外の比較的少量含有される元素(希土類を除く)は,プチャンガン層内,カブー層内をさらに細分するのに有効であることが示された.しかしながら,いずれの元素についても,骨中含量が層準間でオーバーラップする部分がみられるため,一元素のみから出土層準の判定をするには限界のあることが窺えた.そこで,多元素を同時に用いた多変量による判別分析を行った.本研究においては,サンギラン地域の化石骨の出土層準判別を,まず,大きくプチャンガン層と,グレンツバンクと,それ以外のカブー層の3つに分け,次に,プチャンガン層内,カブー層内をそれぞれ細分する,というように,段階的に判別したが,いずれも的中率96%以上で判別可能であることが示された.

 相対年代判定のための基準分析データを作成する際には,一般に,動物骨化石の外表面から内表面に至る緻密質の横断片試料が採取される.本研究もこれを踏襲しているので,この様に試料採取方法がコントロールされた試料では,今回分析した元素のほとんどが判定に有効であると思われる.しかしながら,人骨については,試料採取において,制限を受けることが少なくないため,緻密質の横断片試料を採取することが難しいケースが多く,また,海綿質のように外来鉱物等の汚染を受けている部分がサンプル中に混入していることがしばしばあり,試料によって指標として使える元素が異なることが予想される.

 したがって,基準分析データと人骨の分析データを対照する前に,元素の緻密質内における変動を調べること,また,同じ化石標本における緻密質と海綿質との間で同じ基準で比較され得るかどうか(骨を構成するリン灰石の主要成分であるリンとの比を取ることによって外来鉱物等による影響を打ち消すという操作が,その元素に有効であるかどうか)の検討があらかじめ必要となる.すなわち,出土層準判定の指標として広く応用できる元素の条件としては,層準間で元素含量に差があることのほか,(1)周囲の他の鉱物と比べてリン灰石との親和性がより強く,その結果,地層内において,土壌中よりも骨中に高濃度に存在する元素であること,(2)骨緻密質中に比較的均一に分布していること,が重要であり,また,(3)生物種によって元素の取り込み方に大きな差がないこと,も必要な条件となる.この中で(2)を満足する元素は,従来の研究から既に確認されているF以外では,本研究の分析から判明したのは,Na,Sr,Baであり,さらに(1)を充分に満足する元素はF,Na,Srであると考えられた.(3)については,本研究では哺乳動物骨のほかに,カメ,鳥類,などの化石骨もいくつか分析されたが,哺乳動物骨の示す元素含量の範囲内であった。

 サンギラン地域出土の人類化石標本としては,今回7点が分析できたが,以上の検討に基づき,その出土層準の判定に用いるべき指標元素を選定し,基準データとの比軟から出土層準の判定を行った結果を右の図に示した.この図では,本研究で分析された人類化石7標本のほかに,サンギランの化石人骨の中で,従来のフッ素含量による方法から出土層準が判定・推定され,あるいは地質学的に考察された出土層準とフッ素のデータが矛盾しないとされている資料も含めて,その編年を示したが,これから,ほとんどの人類化石が,グレンツバンクから上のカブー層出土であることがわかる.これらの人骨のうち,Sa9108とPr9408については,重要な指標元素のひとつであるフッ素のデータがまだ得られていないことから,カブー層出土であるということ以上の細かな判定は今回差し控えられたが,その他の12標本についていえば,大きく2つのグループ,すなわち,プチャンガン層の上部からグレンツバンクにかけての,古地磁気層序でいうハラミヨ・イベント付近のものと,カブー層のMiddle Tuff付近の,古地磁気層序でいうブリュンヌ/松山境界に近いもの,の2つに区別できることが示唆される.

図.サンギラン人類化石の年代的位置

 サンギランの古人類資料は,PithecanthropusとMeganthropusの分類および人類進化史におけるそれらの位置などを含めて以前から様々な議論が繰り返されてきた.そうした議論の多くは,サンギラン人類の下顎骨標本の歯あるいは顎の大きさが示す変異をどう解釈するかに関与している.すなわち,ある研究者は.例えば臼歯のサイズにみられるばらつきをHomo erectus一種の変異として矛盾がないとし,ある研究者は一種の変異幅を超えると評価するのである.これに関して,今回の編年の成果を基に考察を行ったところ,こうした歯の大きさの違いは,系統差というよりは年代差,すなわちジャワ原人の進化傾向とみなすのが最も無理がないと示唆された.今後,人類化石から年代判定のための分析試料を得る際に,一定のコントロールされた条件で採取することができれば,本論文が提示した分析データに基づいて,サンギランの化石人類に関する年代学的情報がさらに充実されると思われる.

 本研究は,骨に含有される多くの少量・微量元素を分析し.それらの多元素データを化石骨の年代学的指標とする新たな相対年代判定法を,東アジアの初期人類の起源と進化を解明する上で要の位置を占めている,インドネシアのジャワ島,サンギラン地域の化石人類に応用したものである.本研究によって,サンギラン地域から出土した人類化石のうち,いくつかの標本について,その出土層準と層序関係がより明らかにされた.また,ジャワ原人の漸進的進化の様相に関する若干の示唆も得られた.

審査要旨

 インドネシアのジャワ島、サンギラン地区からは1930年代以来、40点以上の良好な人類化石が出土している。この標本群は人類進化の研究において一つの中心的な役割を果たしてきたが、各々の標本の年代が不明、と言う問題がある。こうした中で、日本人研究者を中心としたサンギラン地区の地質調査が1970年代末より進められ、各化石包含層の年代推定は整備されてきた。ところが、現地の実際的状況により、各人類化石の出土層準が不明であり、人類化石そのものの年代推定は難しい。このため、これまでは化石骨のフッ素含有量を用いた相対年代判定法により、人類化石の出土層準の可能範囲を決定し、年代推定が行われてきた。本論文は多元素を用いて、より正確な出土層準判定法を確立し、近年発見された人類化石にこの新判定法を応用するものである。

 本論文は9章からなり、第1章は緒言、第9章は総括である。第2章ではサンギランの地質、層序を概説し、人類化石を紹介している。第3章では化石中に存在する少量・微量元素を用いた出土層準判定法を概説し、第4章では判定基準を設けるために用いた出土層準既知の分析資料(発掘による)と、応用分析に用いた人類化石について記述している。第5章は化石中に存在する少量・微量用元素の定量方法(ICP発光分析、ICP質量分析)の概説および本研究の分析方法の記述である。

 第6章は本論文の中心となる一つの章であり、サンギランにおける出土層準判定に必要な基準データを導出し、提示している。具体的には9層準にわたる計169点の主として哺乳動物化石標本それぞれから約8mgの粉末化した骨資料を採集し、ICP発光分析によって、Na,Mg,Mn,Sr,Y,Ba,Ca,Pを、ICP質量分析によって、Cu,Zn,Zr,Mo,Cd,Pb,Uおよび希土類ランタノイドの14元素を定量し、各層準による元素含有量の異同を単元組ごと、あるいは多変量解析を用いて調べた。

 各元素の分析データの検討から以下の結果が得られた。化石の出土層準を、プチャンガン層(下位5層準)とカブー層(上位4層準)との2つ、あるいはプチャンガン層、グレンツバンク(カブー層の碁底部に位置し、化石を豊富に産する層準)、グレンツバンク以外のカブー層、の3つに判別するには、Na,Mg,Sr,Baなど比較的含量の多い元素が、フッ素と同様に、有効であることが示された。また、上記以外の元素については層準間差はより小さいが、平均値の有意差は多くの比較で検出され、それぞれの層準が独自のパターンを示す。このため、多変量解析によってプチャンガン層内、カブー層内をさらに細分するのに有効であることが予測され、実際、多元素を同時に用いた判別分析によると、各層準の出土化石が96%以上の割合で区別できる、との結果を得た。

 第7章では多元素分析法をサンギランの人類化石7点について応用した。化石人骨を破壊的にサンプルすることは極めて困難であり、理想的な分析資料(骨緻密質を柱状に切りとる)は通常得られない。そのため、海綿質など外来鉱物の汚染を受けやすい部分にも使用できる元素を選定する必要がある。このため、本論文では、緻密質内における各元素の均一性、および緻密質と海綿質との差異を検討した。後者については、骨を構成するリン灰石の主要成分であるリンと各元素との重量比による外来絋物の影響に対する補正を検討した。結果として、今回の人類化石資料に利用できる元素は、従来のフッ素の他、NaとSrあるいはBaであることが判明した。

 本論文の分析対象となった人類化石のうち、1点については12元素による多元素分析判定を実行し、他については主として2、あるいは3元素による判定がなされた。この新たな結果と従来のフッ素によるものをまとめると、サンギランの人類化石は大きく2つのグループ、すなわち、プチャンガン層の上部からグレンツバンクにかけての約90から100万年前の古いグループと、カブー層のMiddle Tuff付近の約73から80万年前の比較的新しいグループに分かれることが示された.また、この結果を踏まえ、臼歯の大きさのデータをまとめると、ジャワ原人に見られる歯の大きさの変異は一系統内の時代変化として解釈できると結論された。

 以上、本論文で提示された諸結果により、多元素を用いた出土層準判定法の有効性が確立された。また、比較的最近出土した人類化石の年代推定に成功し、ジャワ原人の研究に大きく貢献した。以上により、充分に博士論文としての価値を有すると判定された。

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