学位論文要旨



No 111044
著者(漢字) 數藤,由美子
著者(英字)
著者(カナ) スウトウ,ユミコ
標題(和) 蛍光in situハイブリダイゼーション法による高等霊長類の染色体比較研究
標題(洋) A Comparative Study of Higher Primate Chromosomes by Fluorescence In Situ Hybridization(FISH)
報告番号 111044
報告番号 甲11044
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2957号
研究科 理学系研究科
専攻 人類学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平井,百樹
 東京大学 教授 守,隆夫
 東京大学 助教授 石田,貴文
 東京大学 助教授 植田,信太郎
 東京大学 助教授 河野,重行
内容要旨

 哺乳類では核内DNA量に大差はなく、近縁種間の染色体構成の違いは主としてDNAの染色体への配分の多様性に対応することとなる。このことから、基本的には祖型染色体が再配列を繰り返して核型進化が起こり、それが種分化に大きな役割を果たしてきたであろうと考えられている。霊長類の核型進化はこれまで染色体分染パターンの比較や体細胞遺伝学的手法による遺伝子マップの比較により検証されてきた。しかし近年、蛍光in situハイブリダイゼーション(FISH)法が確立され、染色体上への遺伝子やDNAフラグメントの迅速で正確な直接的位置づけが行われるようになり、ヒト物理的染色体地図の作成のみならず、霊長類の染色体進化研究の強力な技法ともなっている。これは、クローン化した遺伝子やDNAフラグメントをビオチンやディゴキシジェニンなどで標識したものをプローブとし、変性させた染色体DNAの塩基配列の相同部位にハイブリダイズさせ、それを免疫化学的手法で蛍光シグナルとして検出する方法である。その際、ゲノム中の反復配列による非特異的ハイブリダイズはヒトCot-1 DNAといったコンペティターを同時に用いることで抑制される。現在ヒトで次々とクローン化されているプローブDNAは霊長類各種の染色体の相同部分にもハイブリダイズすることから、各種間の染色体の対応関係の把握に非常に有用なのである。

 そこで本研究では、ヒト(Homo sapiens,HSA,2n=46)とは異なる染色体数をもつ4種の旧世界ザル、チンパンジー(Pan troglodytes,PTR,2n=48)、マントヒヒ(Papio hamadryas,PHA,2n=42)、カニクイザル(Macaca fascicularis,MFA,2n=42)、アフリカミドリザル(Cercopithecus aethiops,CAE,2n=60)について、末梢血リンパ球から染色体標本を作製し、種々のヒトDNAプローブを用いたFISHによる各種間比較マッピングを行うことで、高等霊長類の進化の過程で生じた染色体のダイナミックな構造変化を調べることを目的とした。

 まず第一に、フローサイトメトリーによって分取された13種のヒト各染色体特異的DNAライブラリーを用い、新たに確立した蛍光G-バンド・染色体ペインティングにより、霊長類各種間の染色体の大まかな対応関係(相同性)を調べた。用いたプローブはヒト第1〜12番までの常染色体およびX染色体のペインティング・プローブ(市販)で、合わせると全ゲノムの70%以上に相当する。それぞれのプローブはヒトの特定染色体全体を標識するが、本方法では染色体標本として、リンパ球培養中のDNA複製前期にブロモデオキシウリジン(BrdU)を取り込ませ、後にその部分を光崩壊させたものを用いた。これによって蛍光顕微鏡下でフィルターの簡単な交換によって同一細胞で染色体のプローブによる標識を検出し、その部分を蛍光G-バンドによって同定することができる。従来霊長類の標準核型は主にG-バンドに基づいて調べられてきたため、これまでFISHによって標識された染色体部分の同定には先にトリプシンG-バンドを出し、写真撮影後脱色し、FISHを行って同一細胞の写真を再度撮り比較するという方法が採られてきた。今回の改良によってその煩雑さが解消され、同定の精度が上がった。

 染色体ペインティングによる染色体相同性分析の結果、各染色体特異的プローブは全てヒヒやアフリカミドリザルの染色体1対または2対のほぼ全体にハイブリダイズし、3種以上の染色体を含む複雑な転座は見出されなかった。プローブはセントロメア領域にはハイブリダイズしなかったが、これはこの領域の進化速度が速いためと思われる。チンパンジー、マカクについても同様な傾向が既に報告されており、高等霊長類において染色体レベルで高度に保存されていることが明らかとなった。その他のヒト染色体についても、アフリカミドリザル染色体各1対とヒヒ染色体1または2対に対応すると推測され、おそらくヒトのA-C群の比較的大きい染色体は進化の過程で2対の祖型染色体の融合によって生じ、その結果染色体数が減少した可能性がある。

 本研究では、従来報告されていたヒト第6番染色体とヒヒ第6番染色体、ヒト第7番染色体とアフリカミドリザルの2対の染色体(第5番と第29番)の相同関係を否定する新知見を得た。このほか、ヒヒとマカクの染色体対応関係がほぼ一致することが明らかとなり、この2つの属間の高い近縁性が示唆された。また、ヒト第2番染色体はヒト以外の高等霊長類では全て2対の染色体が対応し、この染色体上に連鎖して存在するシンテニー遺伝子群の構成が高等霊長類の中で特異的であることが示された。

 ペインティング法では逆位をはじめとする染色体内での構造変化が検出できないので、つづいて次の方法でヒト第6番染色体をモデルにさらに詳細な染色体の対応関係を調べた。ヒト第6番染色体上に位置づけられたコスミド・クローンから、この染色体の各バンドを複数標識できるよう38個を、また遺伝子としてはクローン化されたヒト主要組織適合抗原系(MHC)領域の遺伝子3個(HLA-B、HLA-DQ、補体C4;いずれもヒト6p21.3にマップされている)を選び、前述のコンペティターを用いた厳しいハイブリダイゼーション条件下で、これらを各種霊長類の染色体上にマップした。必要に応じて2色標識FISHによる近接クローン間の配列順序決定も行った。

 その結果、全てのクローンは染色体ペインティングで示されたヒト第6番染色体と対応する染色体(チンパンジー第5番、ヒヒ第5番、マカク第5番、アフリカミドリザル第16・21番染色体)上にマップされた。クローンの配列を比較すると、チンパンジー第5番染色体とヒト第6番染色体の間では著しい一致がみられ、全クローンが完全に両染色体の対応するバンド上にマップされた。同様な傾向はヒヒとマカクの間にもみられた。これらの結果はそれぞれの属間の高い近縁性を示唆するものと思われる。これに対し、ヒトとヒヒやマカク、アフリカミドリザルとの間の対応関係は複雑で、特にヒト染色体の長腕に当たる部分で複数の逆位が存在することが明らかとなった。さらにMHC領域の3遺伝子は各々の対応する染色体サブバンド上にマップされたものの、その配列順序がヒト上科とオナガザル上科で異なることがわかった。これらの知見は従来の方法では検出されなかったもので、ヒト第6番染色体は非常に保存的で、霊長類の染色体進化の過程でわずか1回の腕間逆位が生じたとするこれまでの推測を完全に否定した。

 今回調べた全ての種で完全に順序が決定された24個のクローンの配列に基づいてより詳しく比較してみたところ、ヒト第6番染色体は複数のサブバンドからなる幾つかの領域に分けられ、それぞれは一つの群としてのまとまりをもつことがわかる。個々の領域とヒト・マウス間のシンテニー遺伝子群との強い相関は特にみられないので、少なくとも高等霊長類の段階において保存されているのであろう。ヒヒ第5番とヒト第6番染色体の対応は4回の逆位で、アフリカミドリザル第16・21番とヒト第6番染色体では1回の染色体融合(または開裂)と4回の逆位で説明される。アフリカミドリザルとヒヒでは1回の融合(または開裂)と7回の逆位で説明される。最大節約的にいって、ヒト第6番を最も祖型染色体に近いものと考えることができる。しかし従来の進化的研究や病理学的研究による知見に基づいて、染色体融合によるモデルを打ち立てることも十分可能である。

 これに関連して、各種間の染色体再配列に伴うセントロメアの位置の違いについて、染色体融合に伴うセントロメアの不活性化が関与している可能性を考えた。そこでヒトのセントロメア近傍とテロメアにみられるコンセンサス・シークエンスをプローブとして低いハイブリダイゼーション条件下でFISHを行い、進化の過程で染色体融合が生じた場合に潜在的に残りうる染色体上の類似配列の検出を試みた。しかし、セントロメアやテロメア以外の特異的ハイブリダイズはヒト第2番染色体長腕上にみられたのみで、ヒト第6番その他の染色体やサル類の染色体には観察されなかった。前述の通り、ヒト第2番はヒトではじめて融合したユニークな染色体であって、これより古い染色体融合の形跡はこの方法では検出できなかったものとも思われる。融合か開裂か、という問題を含むセントロメアの位置変化の解明には、今後より多くのより離れた種に及ぶ比較研究が必要である。

 いずれにせよ、ヒト第6番染色体は、霊長類の進化の過程で、全体的には保存され、その内部でダイナミックな構造変化を繰り返しつつ構成されてきたといえる。他の染色体もまた、ペインティングによって見出されたその全体的保存性から、同じような内的変化を生じつつ構成されてきたものと思われる。こういった再配列の切断点は、その部位のゲノムの不安定性を反映するものと推測できる。また、こうして生じた新たな染色体構成をもつ個体群の確立が種分化をもたらす大きな要因になるであろう。

 本研究において示されたように、クローン化された遺伝子から染色体特異的DNAライブラリーに及ぶ様々なDNA配列のプローブを用いたFISHによる比較マッピングは、霊長類の核型進化のプロセスと進化そのものに果たしてきた役割を解明する上で重要な情報をもたらすといえる。

審査要旨

 哺乳類では核内DNA量に大差はなく、近縁種間の染色体構成の違いは主としてDNAの染色体への配分の多様性に対応することとなる。このことから、基本的には祖型染色体が再配列を繰り返して核型進化が起こり、それが種分化に大きな役割を果たしてきたであろうと考えられている。霊長類の核型進化はこれまで染色体分染パターンの比較や体細胞遺伝学的手法による遺伝子マップの比較により検証されてきた。しかし近年、蛍光in situハイブリダイゼーション(FISH)法が確立され、染色体上への遺伝子やDNAフラグメントの迅速で正確な直接的位置づけが行われるようになり、ヒト物理的染色体地図の作成のみならず、霊長類の染色体進化研究の強力な技法ともなっている。現在ヒトで次々とクローン化されているプローブDNAは霊長類各種の染色体の相同部分にもハイブリダイズすることから、各種間の染色体の対応関係の把握に非常に有用なのである。

 そこで本研究では、ヒト(Homosapiens,HSA,2n=46)とは異なる染色体数をもつ4種の旧世界ザル、チンパンジー(Pan troglodytes,PTR,2n=48)、マントヒヒ(Papio hamadryas,PHA,2n=42)、カニクイザル(Macaca fascicularis,MFA,2n=42)、アフリカミドリザル(Cercopithecusaethiops,CAE,2n=60)について、末梢血リンパ球から染色体標本を作製し、種々のヒトDNAプローブを用いたFISHによる各種間比較マッピングを行うことで、高等霊長類の進化の過程で生じた染色体のダイナミックな構造変化を調べることを目的とした。

 まず第一に、13種(ヒト第1-12番ならびにX)染色体特異的DNAライブラリーを用い、新たに確立した蛍光G-バンド・染色体ペインティングにより、霊長類各種間の染色体の大まかな対応関係(相同性)を調べた。本方法では染色体標本として、リンパ球培養中のDNA複製前期にブロモデオキシウリジン(BrdU)を取り込ませ、後にその部分を光崩壊させたものを用いた。これによって蛍光顕微鏡下でフィルターの簡単な交換によって同一細胞で染色体のプローブによる標識を検出し、その部分を蛍光G-バンドによって同定することができる。染色体ペインティングによる染色体相同性分析の結果、各染色体特異的プローブは全てヒヒやアフリカミドリザルの染色体1対または2対のほぼ全体にハイブリダイズし、3種以上の染色体を含む複雑な転座は見出されなかった。チンパンジー、マカクについても同様な傾向が既に報告されており、高等霊長類において染色体レベルで高度に保存されていることが明らかとなった。本研究では、従来報告されていたヒト第6番染色体とヒヒ第6番染色体、ヒト第7番染色体とアフリカミドリザルの2対の染色体(第5番と第29番)の相同関係を否定する新知見を得た。このほか、ヒヒとマカクの染色体対応関係がほぼ一致することが明らかとなり、この2つの属間の高い近縁性が示唆された。また、ヒト第2番染色体はヒト以外の高等霊長類では全て2対の染色体が対応し、この染色体上に連鎖して存在するシンテニー遺伝子群の構成が高等霊長類の中で特異的であることが示された。

 ペインティング法では逆位をはじめとする染色体内での構造変化が検出できないので、つづいて次の方法でヒト第6番染色体をモデルにさらに詳細な染色体の対応関係を調べた。ヒト第6番染色体上に位置づけられたコスミド・クローンから、この染色体の各バンドを複数標識できるよう38個を、また遺伝子としてはクローン化されたヒト主要組織適合抗原系(MHC)領域の遺伝子3個を選び、これらを各種霊長類の染色体上にマップした。必要に応じて2色標識FISHによる近接クローン間の配列順序決定も行った。その結果、全てのクローンは染色体ペインティングで示されたヒト第6番染色体と対応する染色体(チンパンジー第5番、ヒヒ第5番、マカク第5番、アフリカミドリザル第16・21番染色体)上にマップされた。クローンの配列を比較すると、チンパンジー第5番染色体とヒト第6番染色体の間では著しい一致がみられ、全クローンが完全に両染色体の対応するバンド上にマップされた。同様な傾向はヒヒとマカクの間にもみられた。これらの結果はそれぞれの属間の高い近縁性を示唆するものと思われる。これに対し、ヒトとヒヒやマカク、アフリカミドリザルとの間の対応関係は複雑で、特にヒト染色体の長腕に当たる部分で複数の逆位が存在することが明らかとなった。さらにMHC領域の3遺伝子は各々の対応する染色体サブバンド上にマップされたものの、その配列順序がヒト上科とオナガザル上科で異なることがわかった。これらの知見は従来の方法では検出されなかったもので、ヒト第6番染色体は非常に保存的で、霊長類の染色体進化の過程でわずか1回の腕間逆位が生じたとするこれまでの推測を完全に否定した。

 今回調べた全ての種で完全に順序が決定された24個のクローンの配列に基づいてより詳しく比較してみたところ、ヒト第6番染色体は複数のサブバンドからなる幾つかの領域に分けられ、それぞれは一つの群としてのまとまりをもつことがわかる。個々の領域とヒト・マウス間のシンテニー遺伝子群との強い相関は特にみられないので、少なくとも高等霊長類の段階において保存されているのであろう。ヒヒ第5番とヒト第6番染色体の対応は4回の逆位で、アフリカミドリザル第16・21番とヒト第6番染色体では1回の染色体融合(または開裂)と4回の逆位で説明される。アフリカミドリザルとヒヒでは1回の融合(または開裂)と7回の逆位で説明される。

 このように、本論文では、ヒト第6番染色体が、霊長類の進化の過程で、全体的には保存され、その内部でダイナミックな構造変化を繰り返しつつ構成されてきたことを示唆する重要な新知見をもたらした。他の染色体もまた同じような内的変化を生じつつ構成されてきたものと思われる。こういった再配列の切断点は、その部位のゲノムの不安定性を反映するものと推測できる。また、こうして生じた新たな染色体構成をもつ個体群の確立が種分化をもたらす大きな要因になるであろう。クローン化された遺伝子から染色体特異的DNAライブラリーに及ぶ様々なDNA配列のプローブを用いたFISHによる比較マッピングは、霊長類の核型進化のプロセスと進化そのものに果たしてきた役割を解明する上で重要な情報をもたらすといえる。本論文は、新たな手法を駆使して比較マッピングに基づく霊長類の染色体進化を論じており、審査委員全員が博士(理学)の学位論文として認められると判定した。

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