No | 111045 | |
著者(漢字) | 杉浦,秀樹 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | スギウラ,ヒデキ | |
標題(和) | ニホンザルのクー・コールに鳴き交わしにおける時間及び音響的特徴の可塑性 | |
標題(洋) | Temporal and acoustic flexibility in vocal exchanges of coo calls in Japanese macaques | |
報告番号 | 111045 | |
報告番号 | 甲11045 | |
学位授与日 | 1995.03.29 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第2958号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 人類学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | この20年の間にヒト以外の霊長類の音声コミュニケーションの研究は大きく進み、これまでヒトの音声言語にのみ見られると考えられてきた特徴が、実はヒト以外の霊長類の音声行動にも見られることが分かってきた。しかし、霊長類の発声行動がどのように発達の過程で獲得され、またその行動にどの程度可塑性が見られるのかといったことについてはよく分かっていない。本研究はニホンザルのクー・コールと呼ばれる音声について、その発声行動にどの程度柔軟性があるかを調べるために行われた。この音声は群のメンバー同士で鳴き交わされ、群のまとまりを保つという機能を持っていると考えられている。 対象集団は屋久島に野性状態で生息する屋久島P群と、約30年前に屋久島で捕獲され、その後本土で飼育されてきた放飼場集団である大平山群である。この2つの集団は生息環境は異なるものの、遺伝的には大きく分化していないと考えられる。屋久島P群からは5頭、大平山群からは8頭の3歳以上のメスを対象個体として選び、それぞれの対象個体について個体追跡法を用いて自然な状態での発声行動を観察した。観察中は対象個体の発した音声及び周囲の他個体の発した音声をできるだけ録音し、誰が発声したかを記録した。録音した音声はソナグラフを用いて分析し、クー・コールの発せられるタイミングと音声の基本周波数の音響的特徴を計測した。 この音声が鳴き交わしの時にどのようなタイミングで発せられるかを調べるために、前後して発せられた2つのコールについて1番目の音声の終わりから2番目の音声が始まるまでの時間間隔を測定した。このコールとコールの時間間隔は次のように分類した。 (1)先行するクー・コールの後に他個体が引き続いて発声した場合。 (2)先行するクー・コールの後に他個体が発声することなく同一個体が引き続いて発声した場合。それぞれの場合における時間間隔の頻度分布を図1に示す。他個体が引き続いて発声した場合、どちらの集団でも2番目の音声の多くは先行する音声に続いて約1秒以内に発せられていた。一方、同一個体によって2つの音声が引き続いて発せられた場合、2番目の音声は0.7秒以内にはほとんど起こらず、大部分の発声はそれ以上経ってから起こっていた。これらの結果からニホンザルは決してランダムに発声しているのではなく、他個体の発声に続いてすぐに発声しており、明らかに先行する他個体の音声に対して応答しているといえる。同一個体が引き続いて発声した場合を見ると、自分が一度鳴いた後、群のメンバーからの応答の期待されるしばらくの間は発声をせず、応答がないときに初めて更にもう一度発声していると考えられる。 次に他個体が引き続いて発声した場合のクー・コール音響的性質について調べた。他個体が引き続き発声した場合の音声が先行する音声に対する応答であるならば、先行する音声と音響的に似ている可能性が考えられる。そこで9つの音響的変数について1番目の音声と2番目の音声の間で相関分析を行った(表1)。同一個体が引き続いて発声した場合の時間間隔の中央値は1.1秒だったので、先行する音声に続いて1.1秒以内に発せられた音声と1.1秒以上経って発声された音声に分けて分析した。先行する音声に続いて1.1秒以内に発せられた応答と考えられる音声ではいくつかの音響的パラメーターにおいて先行する音声と有意な正の相関が見られた。しかし1.1秒以上経って発声された音声ではこのような正の相関は見られず、逆に負の相関が見られた。この結果から、ニホンザルは応答するときはいくつかの音響的要素に関して、先行する音声とよく似た音声で応答しているということが考えられる。 次にこのような発声行動が成長に従って発達していくかどうかを調べるために、2番目の発声者が6歳以上の個体であった場合と6歳以下の個体であった場合に分けて同様の分析を行った(表2)。1.1秒以内に6歳以上の成熟した個体が応答した場合の音声は、先行する音声と音響的特徴が似ていた。しかし6歳以下の未成熟個体の個体が発声した場合、このような音声の類似は見られなかった。この結果は応答の音声を似せるという行動が段階的な発達をしている可能性を示唆している。 自然な状態での発声行動の観察から、クー・コールによる応答の音声は先行するクー・コールと音響的に似ているという結果が得られた。しかし先行する音声以外にも応答の音声に影響を与えている要因があるかもしれない。そこでこのような応答の場面を条件をコントロールして再現するために、大平山群で再生実験を行った。同じ集団のメスから録音した合計14個のクー・コールを刺激音として用意し、集団内の個体に向けてスピーカーから再生した。刺激音の再生の前5秒以内にほかのサルの音声がないようにし、刺激音の提示後4秒以内に発声があった場合の試行について分析した。その結果、刺激音が提示されてから1.1秒以内によく発声しており、しかもその場合、刺激音と応答の音声の音響的性質には有意な正の相関が見られた(表3)。このことからニホンザルの応答の音声は先行する音声と似ていることが実験的にも示された。 この結果に対して2つの説明が考えられる。1つはそれぞれの個体が先行する他個体の音声に合わせて自分の音声を変化させている可能性がある。しかし、この実験では応答した個体を特定していないので、別の説明として刺激音とよく似た音響的特徴の個体がより応答していることも考えられる。 このことを確かめるために、さらに個体レベルでの再生実験を行った。これまでの結果から、周波数の変調幅及び最大値に関する2つのパラメーターについて有意な正の相関があったので、周波数の最大値及び変調幅の異なる刺激音を提示し、応答の音声の音響的性質が刺激音によって変化するかどうかを調べた。調査対象は屋久島G群で、4頭の成体メスを対象個体とした。それぞれの対象個体に対して、同じ群れの成体メスの録音状態のよいクー・コールの中から6〜7種類を刺激音として選んだ。あらかじめ決めておいた被験体から約15mの位置にスピーカー隠し、実験者はスピーカーから約10m離れ立ち、再生前5秒以内にサルの音声が起こらないように刺激音を再生し、被験体の応答音を録音した。再生後4秒以内に初めて起こった音声が被験体によるクー・コールであった場合について分析を行った。 刺激音に続いて1.1秒以内に発声された音声について対象個体ごとに分析を行った。刺激音の各音響的パラメーターを独立変数、応答音の各音響的パラメーターを従属変数として回帰分析を行った。それぞれの分析は刺激音と応答音の同じパラメーターを用いて行った(表4)。回帰分析の結果、オトナメスでは4頭中3頭で応答音のMax freqに対して有意な刺激音の効果があった。また全てのオトナメスの応答音のMax-min freq,Max-onset freqについて有意な刺激音の効果があった(図2)。すなわち刺激音の周波数の変調幅が大きくなるに従って、応答の音声の周波数の変調幅も大きくなることが示された。 この結果からニホンザルは鳴き交わしの際、先行する他個体の音声の特徴に合わせて自分の音声を変化させることができることが示された。また応答のタイミングについても、他個体の発声行動に合わせて適切に変化させていると考えられる。本研究によって、ニホンザルの発声行動が従来考えられていたよりもずっと柔軟性に富んでいることが示された。 | |
審査要旨 | ヒトの音声言語を特徴づけるとされていた規則性や可塑性が、実はヒト以外の霊長類の音声行動にもみられることが、この20年間の研究によって分かってきた。本論文は、ニホンザルのクー・コールによる鳴き交わしにも、時間的な規則性が存在することを初めて明かにした。さらに、ニホンザルが応答するとき、いくつかの音響的要素に関して先行する音声とよく似た音声で応答していることを再生実験によって示している。この可塑性の発見は、ヒト以外の霊長類では初めての報告である。分野からすれば霊長類生態学の範疇に入るが、ヒトの音声言語の進化に対する示唆も多く、人類学への貢献が認められる。 本論文は6章からなり、第1章が序論、第5章が討論、第6章がまとめである。第2章は、クー・コールによる鳴き交わしの自然状態での観察結果を紹介している。自然観察から得られたデータの分析から、鳴き交わしの規則性と可塑性についていくつかの新しい仮説をたてている。これらの仮説を検証するために行った再生実験の結果が、第3章、第4章に詳述されている。 第2章は、自然状態のクー・コールの鳴き交わしに、規則性と可塑性があることを示している。ニホンザルの亜種であるヤクザル2集団(大平山群、屋久島P群)について観察を行い、音声を録音、分析した。ニホンザルは他個体の発声に続いてすぐに発声することが多く、このような音声は先行する他個体の音声に対する応答であると考えられる。また、自分が発声した後、群のメンバーからの発声が無く、同じ個体がもう一度続けて発声することもよくあった。この場合の発声間隔を見ると、自分が一度発声した後に群のメンバーからの応答のよく起こるしばらくの間はほとんど発声せず、その時間が過ぎても応答が無いとき初めてもう一度発声することが多かった。このことも、他個体の音声に続いてすぐに発せられた音声が応答であるという考えを支持する。 次に他個体が引き続いて発声した場合のクー・コールの音響的性質について調べるために、9つの音響的変数について1番目の音声と2番目の音声の間で相関分析を行った。先行する音声に続いてすぐ(1.1秒以内)に発せられた、応答と考えられる音声では、いくつかの音響的パラメーターにおいて先行する音声と有意な正の相関が見られた。しかし、しばらく経って(1.1秒以上)から発声きれた音声ではこのような正の相関は見られなかった。この結果から、ニホンザルは応答するときはいくつかの音響的要素に関して、先行する音声とよく似た音声で応答しているということが示唆された。なお、ここで域値として用いた1.1秒は、同一個体が続けて発声した場合の間隔の中央値である。 第3章は、大平山群でグループを対象として行った再生実験について述べている。自然な状態での観察から得られた結果を確かめるために、グループ全体を対象とした実験を行った。同じ集団の雌からあらかじめ録音した合計14個のクー・コールを刺激音として用意し、集団内の個体に向けてスピーカーから再生し、それに対する応答の音声を分析した。まず、時間間隔の分布は、自然状態で観察されたものに酷似していた。次に、刺激音が提示されてから1.1秒以内に発声があった場合、刺激音と応答の音声の音響的性質には有意な正の相関が見られた。このことからニホンザルの応答の音声は先行する音声と似ていることが実験的に示された。 第4章は、屋久島G群で個体を対象として行った再生実験について述べている。第2章、第3章で用いた方法では、応答したニホンザルの個体差が十分考慮されていなかった。そこで、ニホンザルが個体レベルで、応答の音声を先行する音声と似せていることを確かめるために、個体を特定して再生実験を行った。その結果、刺激音の周波数の最大値及び変調幅が変わると、それに対応して応答の音声の特徴が変化することが分かった。 第2章の一部、及び3章の全部は、単著論文として既に発表済みである。第4章の一部は、正高信男氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び分析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 | |
UTokyo Repositoryリンク | http://hdl.handle.net/2261/53841 |