学位論文要旨



No 111065
著者(漢字) 大橋,竜太
著者(英字)
著者(カナ) オオハシ,リュウタ
標題(和) 中世イングランドにおけるホール・ハウスの展開に関する研究
標題(洋)
報告番号 111065
報告番号 甲11065
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3309号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 横山,正
 東京大学 助教授 藤森,照信
 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 助教授 伊藤,毅
内容要旨 I.はじめに

 中世イングランド住宅の中心空間は、ホールであった。これは上層住宅においても民家においても変わりない原則である。中世においてホールとは、あらゆる行為が行なわれる多目的空間であり、住宅はホールに諸室が付加されることによって成立していた。そのため、中世イングランド住宅に関して、ホールと諸室との関係の考察が重要となる。中世のホールは、室内で火が焚かれていたために天井高が十分にとられるオープン・ホール(open-hall)であった。しかし、他の居室では、それほど高い天井高は必要とせず、2階建の居室棟がホールに隣接して建てられ、一体となるのが一般的であった。その結果、生じたのが「ホール・ハウス(hall-house)」である。ホール・ハウスとは、ホールに上・下の関係が明確にあって、上座、下座側のそれぞれに2階建居室棟が隣接し、上座側は主人の居室、下座側はサービス空間となり、ホールは住宅のエントランスとなって各室につながった住宅平面である。この構成は、上層住宅でも民家でも見られ、中世を通して住宅の階層を超越し流布していた。しかし、これまでの研究では、上層住宅は建築史の分野で様式史的観点からなされ、民家は考古学の分野で架構法の発展や年代判定を中心に行なわれてきたため、ホール・ハウスの展開および上層住宅と民家の平面の関連性に関してはあまり明らかとはなっていない。本論文では、これらをすべてを「ホール・ハウス」という観点で同時に扱うことにより、中世住宅の典型的形態であるホール・ハウスが、どのように各種の住宅で応用されていったかを明らかにすることを目的とした。そのため、中世のあらゆる住宅に関して、それぞれの平面の比較検討を行なった。イングランドでは、中世住宅が多数現存し、これらの実測図面が各種学術雑誌等に報告されているため、これを分析の対象とし、現地見学を加えて考察を行なった。

 本論文では、中世住宅を「上層住宅」 「民家」「町屋」の3つに分類した。これは所有者の社会的階級による分類で、上層住宅とは支配者階級の住宅、民家とは農家などを指すが、必ずしもこの分類があてはまらない場合もあり、実際には住宅の規模で分類した。すなわち、住宅の中心空間であるホールが3ベイ以上のもの、もしくは側廊がつきその規模が3ベイ以上の住宅に準ずるものを上層住宅、ホールが2ベイ以下のものを民家として扱った。また、民家と町屋を区別して扱ったが、町屋とは敷地割が平面に影響を与えていた住宅と定義した。本論文はこの分類にしたがって構成され、以下、各部ごとに要約してゆく。

II.上層住宅

 中世の上層階級の住宅は、単に住居としてばかりではなく、裁判、会合といった政治的行為や人々が集って様々な儀式が行なわれる空間であった。これはアングロ・サクソン時代からの伝統で、その時代のイングランド住宅は、大ホールを中心とするものであり、ホールは中央に炉床をもち、間仕切はほとんどなかった。ノルマン・コンクェスト後、2階にホールがある上階ホール平面(first-floor hall plan)がイングランドにもたらされ、上層住宅の平面では、元来のオープン・ホールと2階建建築が合体したエンド・ホール・プラン(end-hall plan)*1が生じた。ホールでの儀式は、ますます重要となり、これが盛大であればあるほど所有者の富と権力を誇示することができ、住宅ではこれら儀式に対応して空間に法則が生じた。特に、食事は重要な儀式であり、下座側はサービス空間として確立し、上座側は社会的地位が高い人のために舖設られた。さらに上座側では主人の居室との動線が重要視されるようになり、主人の居室が隣接されるようになった。その結果、13世紀末から14世紀初頭にかけて、上層住宅の平面形態としてホール・ハウス平面が誕生した。ホール・ハウス平面が誕生した直後に、ホールの重要性が低下し、個室に重点が置かれた平面に変化するが、ホール・ハウスの構成は中世を通じて住宅の中心部分に用いられていた。また、この構成は、下級貴族などの住宅にも用いられ、石造、木造といった構造にも関わらず応用された。

III.民家

 中世住宅に用いられた構法の地域性に関して考察すると、上層住宅ではほとんど確認できなかったが、民家では顕著に見られた。構法の地域性は、地誌的な分類と一致する。イングランドは南西から北西に連なるジュラ系石灰岩帯(Jurassic Limestone Belt)によって二分され、その南東部分はロウランド地方、北西部分はハイランド地方と呼ばれる。ロウランド地方では、柱と梁の構法のボックス・フレーム架構が用いられ、ハイランド地方では、地面から棟までのびた合掌からなるクラック構法が主流であった。また、屋根架構などの他の構法もこれとほぼ同一の分布を示している。

 民家に応用されたホール・ハウスは、上層住宅のホール・ハウス平面を縮小したものであった。完成されたホール・ハウス民家は、上座と下座の両方に2階建ウイングがつくが、小規模なものでは、ベイの数が減らされるとともに、しばしば上座側が省略されて2部構成となった。ホール・ハウス民家の地域性もまた、構法の地域性に一致する。ロウランド地方では、「ウィールデン・ハウス(Wealden House)」という流行のスタイルも発生し、完成されたホール・ハウス民家が多数あった。他方、ハイランド地方では、ホール・ハウス民家は少なく、あったとしても構成要素が省略された小規模なものがほとんどで、完成されたホール・ハウス民家は、マナー・ハウスなど、ロウランド地方と比べ社会的身分の高い人々の住宅となっている。また、建設年代に関しても、ロウランド地方では1350年頃から見られるが、ハイランド地方では1500年頃以降にならないと一般化しないという相違があった。

 ホール・ハウス民家は、上層住宅の平面構成を受け継ぐものであったが、さらに下層の住居のコテジと比較すると、伝統的な形態に影響される点も多かった。たとえば、エントランスから住宅の裏まで通り抜けできるクロス・パッセージは、初期の上層住宅ではほとんど見られず、ホール・ハウス民家に特有のものであるが、これは中世以前の民家にすでに見られた特徴である。

IV.町屋

 中世にはすでに町の敷地割は確立されており、町屋はこの制約を大きく受けていた。しかし、町屋にもイングランド住宅の伝統形態であるホール・ハウスは、様々な工夫によって応用された。町屋の平面は、ホールと前面道路の関係から分類することができる。これに関しては、パンティンによる分類法があるが*2、本論文ではその欠点および不足部分を補い修正した。町屋では店舗など商業に必要な空間があり、その道路面での有効利用のためホール・ハウスが変化していった。大規模な町屋では、敷地いっぱいに建物が建てられ、中庭を囲んで配置されることが多いが、道路面はテナントに貸されるのが一般的であった。ホール・ハウス町屋では、ホールが前面道路と平行な「平行型」と垂直な「垂直型」に分けられる。平行型では、横方向に縮小される手法が考案され、垂直型では、配置に大きな工夫が見られた。町屋では、空間の有効利用のため、多層化がいち早く行なわれ、ホール・ハウスの構成が崩れるのが早かった。

 中世には、投機目的の長屋もあり、この場合も町屋で見られた工夫が応用され、このような最小規模の住宅にもホール・ハウスの影響が大きかった。

V.結論

 本論文では、ホール・ハウスの平面構成が中世を通じて各種住宅に応用されていった過程を明らかとした。これらの流布には社会背景も密接に関わっていた。ホール・ハウスが完成・流布したのは、ちょうど封建社会の変動の時期で、封建社会の上層階級の生活様式にしたがって完成された平面が、その衰退期に新興勢力が台頭してくると同時に、下層階級に伝わった。そのため、中世イングランドの住宅は、種類、階層を問わず、同一構成をとったと考えられる。

 ホール・ハウスは、中世後期以降、他の形態に取って代わられる。その要因は住宅の種類によって異なっており、その後、それぞれ独自の発展を遂げる。上層住宅では個室の整備による機能の分化のため、民家では暖炉の一般化によってオープン・ホールの必要性がなくなってホール・ハウスは終焉を迎える。また、町屋では敷地の重要性から多層化が進んだことが、ホール・ハウスの衰退に結び付いた。しかし、中世以降の住宅平面も、すべてホール・ハウスからの発展であり、そのためイングランド住宅史上、ホール・ハウスは重要な位置を占めるのである。

【註】

 RE:1)P.A.Faulkner,"Domestic Planning from the Twelfth to the Fourteenth Centuries",Archaeological Journal 115,1958,pp.150-83

 エンド・ホール・プランとは、フォークナーが中世の住宅平面として挙げた2つの代表形態のうちのひとつで、ホールに2階建居室が隣接する平面であるが、民家へ流布した平面という観点からは、空間に法則がないものまで含んでいるため、本論文ではホール・ハウス平面とは区分した。

 RE:2)W.A.Pantin,"Medieval Town-House Plans",Medieval Archaeology 6-7,1962-3,pp.202-39

審査要旨

 本論文は、中世イングランドの住宅の中心をなすホール・ハウスに着目し、その形成過程を、上層住宅、民家、町屋の三類型ごとに明らかにしたものである。

 ホール・ハウスを定義すると、「ホールには上座・下座の関係が明確にあり、上座、下座側のそれぞれに2階建居室棟が隣接し、上座側は主人の居室、下座側はサービス空間となり、ホールは住宅のエントランスとなって各室につながった住宅」となる。この用語は、本来は民家に用いられる用語であるが、本論文では、この平面構成が各種の住宅に応用される過程を考察したため、上層住宅では「ホール・ハウス平面」、民家では「ホール・ハウス民家」、町屋では「ホール・ハウス町屋」という用語を用いている。

 本論文は、上記の三類型の建築に対応して、三部からなっており、そこに序と結論が加えられて全体を構成している。

 第1部は上層住宅を扱っている。上層住宅では、所有者が自らの富と権力を誇示するために、盛大な儀式ができるホールが必要となった。そのため、ホールが大規模になるとともに、住宅は儀式に対応した形態となっていった。その変化は、まずは、エンド・ホール・プランの下座側で起こった。下座側居室棟1階部分は、セントラル・パッセージと呼ばれる厨房につながった通路によって2部屋に分割された。この部屋は、後にバタリーとパントリーとして知られるサービス空間として確立される。

 他方、上座側では、主人の居室でそれまでホールで行なわれていたことがなされるようになるとともに、ホールと主人の居室の動線が重要となり、主人の居室が隣接して建てられるようになる。

 このようにして、13世紀末から14世紀にかけて、上層住宅の平面としてホール・ハウス平面が完成された。

 第2部は民家について、構法を論じたあと、ホール・ハウスに論点を絞る。民家に応用されたホール・ハウスは、上層住宅のホール・ハウスを縮小したものであった。完成されたホール・ハウスは、上座と下座の両側に2階建のウイングがつく3部構成となったが、小規模なものではベイの数が減らされるとともに、上座側のウイングが省略されて2部構成となった。ホール・ハウスの地域性もまた、構法の地域性と一致する。ロウランド地方では、「ウィールデン・ハウス」と呼ばれる流行のスタイルも発生し、完成されたホール・ハウス民家が多数建てられた。他方、ハイランド地方では、ホール・ハウス民家は少なく、あったとしても構成要素が省略された小規模なものがほとんどで、完成されたホール・ハウス民家は、マナー・ハウスなどロウランド地方と比べて社会的身分の高い人々の住宅となっている。また、建設年代に関しても、ロウランド地方では1350年頃から見られるが、ハイランド地方では1500年頃にならないと一般化しないという違いもあった。

 第3部は町屋におけるホール・ハウスの応用を論ずる。町屋では店舗など商業に必要な空間があり、この道路面での有効利用のためホール・ハウスが変化していった。大規模な町屋では、敷地いっぱいに建物が建てられ、中庭を構成するのが、一般的であった。これは地方に建つ上層住宅でも見られた特徴であるが、大規模な町屋の場合、道路面は店舗としてテナントに貸されるといった違いがあった。ホール・ハウス町屋では、ホールが前面道路と平行な「平行型」と垂直な「垂直型」に分けられる。平行型では、横方向に縮小される手法が考案される。一方、垂直型では、配置に大きな工夫が見られる。町屋では空間の有効利用のため、多層化がいち早く行なわれ、ホール・ハウスの構成が崩れるのが早かった。

 以上の三部によって中世イングランドの各種の住宅平面が検討され、上層住宅で成立したホール・ハウスの形式があらゆる住宅で応用された事実を明らかにした。その背後には、封建社会の最盛期に成立したホール・ハウスが、その衰退期につぎの新興勢力にうけつがれ、それがさらに下層の住宅にも及んだという社会背景があったことが指摘されている。

 以上、本論文は中世イングランドの住宅史を対象として、はじめてその体系的検討を行なったものであり、これによって、西洋住宅史研究は大きく拡がった。この成果は日本における西洋建築史の深化に資するところ極めて大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53843