学位論文要旨



No 111072
著者(漢字) 富永,禎秀
著者(英字)
著者(カナ) トミナガ,ヨシヒデ
標題(和) LESによる建物周辺の流れ場・拡散場の高精度予測手法の開発
標題(洋)
報告番号 111072
報告番号 甲11072
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3316号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 加藤,信介
 東京大学 教授 村上,周三
 東京大学 教授 松尾,陽
 東京大学 教授 小林,敏雄
 東京大学 講師 持田,灯
内容要旨

 建物周辺の流れ場を高精度に予測する技術の開発は、高層建物周辺で発生する強風、建物の換気・通風、煙突や自動車からの排ガス等の汚染物の拡散等の建築・都市環境工学に関連する諸問題から、建物に作用する風荷重の評価や風による建物の振動等の建築構造工学に関連する諸問題まで、多くの問題の解析の基礎となるものであり、極めて重要性の高いテーマの一つであると考えられる。

 これらの流れ場の再現、予測手段の一つとして、従来より実験的手法が用いられてきた。実験的手法には既に多くの優れた研究の蓄積があり、その成果は広く利用されている。しかし、空間的、時間的に大きく変動する流れ場全体の性状を、実験により得られる限られた断面の計測データのみから理解するのは多くの場合困難である。また建築物の複雑化、多様化により実験に莫大な費用と労力がかかる場合や、実験そのものが不可能な場合も現れてきている。

 一方、近年の計算機の目覚ましい発達により、流れの数値シミュレーションによる予測手法が注目を集め、最近では多くの優れた研究成果が蓄積されてきている。数値シミュレーション手法は、流れの非定常性や3次元構造の詳細な解析が可能となるほか、風洞実験でしばしば直面する相似則上の制約から解放される等の点で実験的手法にはみられない多くの利点を有している。

 しかしながら、建物周辺に現れる流れはほとんどの場合、乱流であり、その数値シミュレーション手法の選択には充分な注意が必要とされる。乱流の数値解析手法には大きく分けて3種類あり、それぞれDNS(Direct Numerical Simulation)、RANS(Reynolds Averaged Navier-Stokes Simulation)、LES(Large Eddy Simulation)と呼ばれる。DNSは流体の支配方程式であるNavier-Stokes方程式(N-S方程式)をモデル化なしに解くものであるが、一般にDNSで必要とされるグリッド数はレイノルズ数(Re)の9/4乗と言われている。実際の建物周辺流れでは、レイノルズ数は106以上になることを考えると、必要なグリッド数は1013〜1014以上となり、DNSの利用は将来的にも困難であると考えられる。RANSはレイノルズ平均(アンサンブル平均あるいは時間平均)を施したN-S方程式を解くものであり、レイノルズストレスもしくはその輸送方程式中に現われる高次相関項に対してモデル化を行う。代表的なものはk-型2方程式モデル(k-モデル)と呼ばれるものであり、モデルの明快さや計算上の安定性などから多くの流れ場に適用されてきた。しかし、一般に用いられている標準型のk-モデルを建物周辺等の乱れの非等方性の強い流れ場に適用した場合、多くの欠点を有することが既往の研究により明らかになっている。またRANSでは全てのスケールの乱れがモデル化の対象となるため、レイノルズストレスの輸送方程式を解く応力方程式モデル(DSM)等の高精度のモデルを用いたとしても、普遍性のあるモデルを得ることは難しいものと考えられる。

 これに対してLESでは、N-S方程式に空間的な平均化操作を行い、流れ場をグリッドで解像できる成分は直接計算し、グリッド以下(Subgrid scale)の成分の乱れのみがモデル化される。従って、瞬時瞬時にその様相が大きく変化する現象もLESでは予想、解析することが可能である。またグリッドのスケール以下の乱れの構造は等方的とみなせることが多く、モデル化の影響は相対的に小さいものと考えられる。このような特徴により、LESは、高レイノルズ数の乱流場を高精度に予測、解析する手法として注目され、より複雑な流れ場への適用が課題となっている。

 従来のLESでは、Subgrid scale(SGS)のモデル化として、主にSmagorinskyモデルと呼ばれる単純なモデルが用いられてきた。既往の研究において、比較的単純な流れ場においては、Smagorinskyモデルを用いた場合でも、RANSで最も高精度とされるDSMより妥当な解が得られることが確認されている。しかしながら、近年、より工学的で複雑な流れ場にLESを適用しようとする要求が高まるにつれ、従来から用いられてきたSmagorinskyモデルの持つ幾つかの欠点が指摘されるようになった。すなわち、(1)流れ場の性状によって数値定数を最適化しなければならない、(2)壁面近傍あるいは低Reynolds数による乱れの減衰効果を表現できない、(3)SGSのエネルギーにおける移流・拡散・浮力等の効果が陽にモデルに現れない、等といった点である。

 建物周辺の流れ場は、前面のstagnation、コーナー部のseparation、屋上面・側面のreattachment、後方のrecirculation等を伴い、極めて複雑である。このような流れ場をLESによって、より高精度に予測しようとした場合、上述のSmagorinskyモデルの持つ欠点は、大きな傷害となるものと予想される。

 本研究は、建物モデル周辺の流れ場,拡散場を対象として、従来のSmagorinskyモデルに基づくLESの欠点を明らかにし、その欠点を克服する高精度のSGSモデルの有効性、問題点について、実験結果との比較から、流れ場の構造と関連づけて詳細に検討したものである。

 本論文は8つの章より構成されており、各章の内容は以下に示す通りである。

 第1章では、まず序論として本研究の目的と内容が述べられている。

 第2章では、LESにおけるSubgrid-scaleモデリングの概説している。まずLESの概念について解説するとともに、従来、代表的なSGSモデルとしてよく用いられてきたSmagorinskyモデルを複雑流れ場に適用する際の問題点を明らかにしている。また機械工学、気象学等の分野で提案されている種々のSubgrid scaleモデルについて、既往の研究結果を整理し、建築・都市環境工学の分野に適用する際の問題点を指摘している。更に従来、気象分野以外ではあまり問題にされていなかった浮力の作用する流れ場のSubgrid scaleモデルについても、既往の研究結果を整理している。

 第3章では、建築・都市環境工学の分野にLESを適用する際の、数値計算手法上の問題を、境界条件、離散化手法、データ処理等の面から整理するとともに、本研究での取り扱いを述べている。

 第4章では、解強制置換法による構造格子系の複合グリッドシステムを用いたLES計算手法の開発を行っている。これにより、複雑形状に対しても、比較的少ないグリッド数で、効率的に細かいメッシュ分割が可能となり、また任意風向に適応することも可能となる。ここでは解強制置換法による複合グリッドシステムの構築方法について解説し、層流及び乱流の2次元角柱周辺流れに適用した結果を示している。

 第5章では、Smagoriskyモデルの欠点を克服する可能性を持つ高精度のSGSモデルとして提案されたdynamic SGSモデルを一様流中の2次元角柱周辺流れに適用し、従来のSmagorinskyモデル及び実験との比較から、その有効性、問題点を検討している。両者の差異は、平均流の予測精度にも大きく現れ、dynamic SGSモデルはSmagorinskyモデルに比べて実験結果と極めてよく一致することを実証している。これは角柱側面での剥離性状をSmagorinskyモデルでは正確に再現されていないためであると考えられる。またこのような流れ場では、機械分野で提案されたdynamic SGSモデルをそのまま使用した場合、計算不能となる領域があり、これに関する対策が必要であることを指摘している。

 第6章では、第5章で検討を行ったdynamic SGSモデルを接地境界層中の立方体周辺流れに適用し、従来のSmagorinskyモデルの結果及び実験結果との比較から、その有効性、問題点を検討している。その結果は、従来のSmagorinskyモデルによる解析で問題となっていた立方体後方で乱流エネルギーkが大きめに評価される傾向に関して、かなりの改善が見られるほか、平均流、風圧係数に関しても全体に実験との対応が向上することを確認している。

 第7章では、高精度のSGSモデルを用いた建物モデル周辺のガス拡散の解析を行い、風洞実験結果との比較から、その有効性、問題点を検討している。前半部では浮力のあるガスの拡散を対象として、SGSモデルへの浮力効果の組み込みに関して基礎的な検討を行っている。ここでは、SGSモデルに浮力効果を組み込むことにより、乱流エネルギーや濃度分布に顕著な差が現れ、実験結果との対応が向上することを明らかにしている。後半部では、空気と等密度のガスの拡散を対象として、複合グリッドシステムを用いた、より詳細な解析を行い、dynamic SGSモデルの拡散場に対する有効性を検討している。複合グリッドシステムを用いた解析は、Smagorinskyモデルを用いた場合でも、同程度の格子点数の計算で、従来の単一グリッドによる結果から大きく改善され、ガス排出口近傍のメッシュ分割の粗密が予測精度に大きな影響を与えることを示している。また、この詳細なメッシュ分割を用いてdynamic SGSモデルを適用した結果は、同じ複合グリッドシステムを用いたSmagorinskyモデルによる解析に比べて、さらに実験との対応が向上し、速度場ばかりでなく拡散場の予測に対してもdynamic SGSモデルが極めて有効であることが示されている。

 第8章は、本論文全体のまとめであり、本研究で得られた結論と今後の研究課題を総括している。

審査要旨

 本論文は、建物周辺の3次元で複雑な流れ場・拡散場に対して適用可能な高精度のLarge Eddy Simulation(LES)による予測手法を開発し、その有効性を実験結果との比較から詳細に検証したものである。

 数値シミュレーションにより、建物周辺の流れ場・拡散場を高精度に予測しようとした場合、主として2つの困難に直面する。一つは、流れ場を支配する建物のスケールと拡散場を支配する排出口のスケールのオーダーに大きな差があり、いわゆる構造格子系の単一のグリッドでは十分なメッシュ分割を行うことが困難な点である。もう一つは、非常に複雑な3次元乱流現象を対象としているため、乱流モデルの適否が予測精度に大きな影響を及ぼし、乱流モデルの選択が非常に重要である点である。本研究で採用されているLESと呼ばれる計算手法は、既往の研究により他のRANS(Reynolds Averaged Navier-Stokes)系の乱流モデルより優れていることが確認されている。しかし、従来のLESではSubgrid-scale(SGS)のモデルとして、Smagorinskyモデルと呼ばれる単純なモデルが主として用いられており、建物周辺気流のような複雑な流れ場では実験結果との間で無視し得ぬ差の現れることが指摘されていた。

 本論文は、グリッド分割の問題に対しては、構造格子系の欠点を緩和させる複合グリッドシステムに基づくLES計算手法を開発し、SGSモデルの問題に対してはより高精度なSGSモデルの開発を行い、建物周辺の流れ場・拡散場に適用可能なLES計算手法を構築し、その有効性を検証するとともに、適用限界や今後の行うべき研究の方向について、詳細に考察している。

 論文の構成は第1章の序論以下、次の6章よりなる。

 第2章では、LESにおけるSubgrid-scaleのモデリングを概説している。まず従来、代表的なSGSモデルとしてよく用いられてきたSmagorinskyモデルを複雑流れ場に適用する際の問題点を明らかにしている。また機械工学、気象学等の分野で提案されている種々のSubgrid scaleモデルについて、既往の研究結果を整理し、建築・都市環境工学の分野に適用する際の問題点を指摘している。

 第3章では、建築・都市環境工学の分野にLESを適用する際の、数値計算手法上の問題を整理するとともに、本研究での取り扱いを述べている。

 第4章では、解強制置換法による構造格子系の複合グリッドシステムを用いたLES計算手法の開発を行っている。ここでは複合グリッドシステムの構築方法について解説し、2次元角柱周辺流れに適用した結果を示している。

 第5章では、Smagoriskyモデルの欠点を克服する可能性を持つ高精度のSGSモデルとして提案されたdynamic SGSモデルを2次元角柱周辺の乱流渦放出流れに適用し、従来のSmagorinskyモデル及び実験との比較から、その有効性、問題点を検討している。ここでは2種類のdynamic SGSモデル、すなわちdynamic Smagorinskyモデルとdynamic mixed SGSモデルを比較し、dynamic mixed SGSモデルの方が実験との対応がよく、しかも計算が安定し計算時間が半減する等、dynamic mixed SGSモデルが特に有効であることを明らかにしている。またこのような流れ場では、機械分野で提案されたdynamic SGSモデルをそのまま使用した場合、計算不能となる領域があり、これに関する対策が必要であることを指摘している。

 第6章では、第5章で検討を行ったdynamic mixed SGSモデルを接地境界層中の立方体周辺流れに適用している。その結果は、立方体後方で乱流エネルギーの分布にかなりの改善が見られるほか、全体に実験との対応が向上することを示している。

 第7章前半部では、浮力のあるガスの拡散を対象として、SGSモデルへの浮力効果の組み込みに関して基礎的な検討を行っている。ここでは、SGSモデルに浮力効果を組み込むことにより、乱流エネルギーや濃度分布に顕著な差が現れ、実験結果との対応が向上することを明らかにしている。第7章後半部では、第4章で開発した複合グリッドシステムと第5章、第6章で開発したdynamic mixed SGSモデルの両者を用いた総合的解析手法を構築し、これを空気と等密度のガスの拡散に適用し、その精度を検証している。複合グリッドシステムを用いた解析は、Smagorinskyモデルを用いた場合でも、同程度の格子点数の計算で従来の単一グリッドによる結果から大きく改善され、建物周辺のガス拡散の問題に対する複合グリッドシステムの有効性が示されている。また、複合グリッドシステムに加えてdynamic mixed SGSモデルを適用した結果は、同じ複合グリッドシステムによるSmagorinskyモデルによる解析結果に比べて、さらに実験との対応が向上し、本研究で構築したLESによる建物周辺の流れ場・拡散場の予測手法が極めて有効であることが示されている。

 以上を要約するに、本論文は、複合グリッドシステムに基づくLES計算手法の開発とSmagorinskyモデルの欠点を克服する高精度のSGSモデルの開発によって、建物周辺の流れ場・拡散場に適用可能な高精度のLES計算手法を構築し、その有効性や適用限界等について、実験結果との比較から詳細に検証したものである。本論文には、LESによって建物周辺の流れ場・拡散場を精度よく予測する上で極めて重要かつ有益と考えられる数多くの結果が呈示されており、建築・都市環境工学に寄与すること大であると考えられる。

 よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54447