内容要旨 | | 都市が成長するとともに,都市内部の気候は,都市気候と呼ばれる都市の周辺とは異なった気候的な性質を有するようになる. 都市気候形成の根本的原因を一口でいえば,都市表面が人工的な被覆で覆われ構築物が存在すること,人的活動にともないエネルギーの消費が行なわれ熱が発生することであり,いずれも建築の存在や建築行為が深く関わっている.実際,今日の東京のような大都市では,地上付近の空間のかなりの部分が建築物で占められている.したがって,このような都市では,その気候自体が,建築が構築され,内部で人的活動がおこなわれることによって強く影響を受けていると推測される.一方で,都市気温の上昇(ヒートアイランド)が建築へ与える影響の方も当然生ずるわけであり,これに伴う弊害についての懸念は,例えば夏季冷房需要の増加などで,既に現実化し始めている. これらの意味するところは,建築を取り巻く環境に対して,建築の生み出す負荷は無視し得ない大きさに達してしまったということになろう.建築側でも都市気候を緩和するような取り組みが求められるともいえる. 従来,建築分野における環境への熱負荷問題への取り組みは,省エネルギーが中心であった.これは,負荷の総量を減らすという点で重要であるが,冷房需要増加へといたる熱現象を解明するためには,建築から都市への熱排出,さらに都市外部への輸送の過程を総合して取り扱わなければならない.ここで,建築伝熱と都市気候における伝熱が密接に関わってくる.しかし,これまで行なわれた研究をみると建築の伝熱問題と都市気候とは分離して扱われており,両者を総合して取り扱った研究例は極めて数少ない. 都市気候研究の歴史は古いが,研究が主として行なわれたのは地理学や気象分野であり,気象観測とこれに基づく気候の定性的な特徴の把握,現象の解明が行なわれた.しかし,研究の中心は都市大気に関する領域であり,この立場では建築を含む地表面付近の伝熱問題は,境界条件の一つに過ぎず,したがって,極めて簡略に扱われる場合がほとんどである. 一方建築や土木など都市開発に携わる工学領域で,開発に先立つアセスメントや工学的アプローチによって都市気候形成を緩和,調整しようとする発想のもとに研究が行なわれるようになったのは,比較的最近の動きである.これまで,建築分野の研究では,室内環境に関する理論が中心であり,ここでは都市気候は,建築へと作用する流入エネルギー源としての外界気象条件にすぎなかった.建築側の視点では,逆に都市気候が境界条件である. このような背景に立ち,この研究では,建築における伝熱と都市大気における熱輸送を総合的に扱うべく建築-都市伝熱に関する数値モデルを作成する.そして,両者の因果関係を示す伝熱過程を明らかにすることにより,建築の存在が都市環境へと及ぼす熱的インパクトに関して考察する.この作業を進めていくことで,都市気候ひいては地球環境問題において建築環境工学がなし得ることも明らかになっていくと期待される. 次に,第2章以下の各章で扱った内容について概要を述べ,論文全体の構成を示す. 第2章 第2章では,都市側から建築内部へと熱が流入し,再び都市へと熱が放散されるまでの伝熱過程を記述した.ここでは,建築の外表面を境界として,建築の外部空間としての都市と,建築内部という2つの空間を想定し,伝熱を考えている.建築と都市との間の伝熱の内,都市側から建築への熱の流れは,熱負荷計算法における伝熱そのものである.そこで,熱負荷計算法の代表例である動的熱負荷計算プログラムHASP/ACLDにおける伝熱モデルを基本に建築伝熱モデルを構築した.一方,建築から都市側へ熱の流れについては,負荷計算法においては,記述がないので拡張を施した.この両者を総合し,建築伝熱モデルを構成した.なおHASPのモデルは,応答係数法が用いられているので,ここで示される建築伝熱モデルは応答係数法に基づく記述である. モデルを構築した後,建築の都市側への熱応答の特徴を探るべくケーススタディを行なった.壁体の構造,窓の存在などの建築的要素が熱応答へどのよう影響するかが,分析の視点である.RC造建物を木造建物と比較した結果では,壁体熱容量の差が熱放散の時間遅れとして顕著に現れた.また,RC造建物で壁体の構造的条件である断熱材の配置を,都市側から室内側へ変えた場合にも熱放散の時間遅れがみられた.壁体全体の熱容量は,同じであっても,都市側からのみかけの熱容量は異なるわけである.これは,裏返せば建築の設計によって,熱放散を調整できることを意味し,興味深い結果である. 第3章 第3章では,建築からの熱放散,さらにこれが地表から上空へと輸送されるまでを一つの伝熱系として総合化する. 第2章では,建築から都市への放散熱量を得たが,都市気候問題の観点からは,この放散熱量の多寡ではなく,その影響の方に関心がある.そこで,伝熱を建築外表面のみで捉えるのではなく,都市大気側の伝熱とあわせ総合的に扱うことが必要となる.伝熱系の扱う都市の空間領域として,建築が直接接する気層である都市キャノピー層を想定した.この章では,建築や地面からキャノピー大気への熱の流入と,キャノピーから外部への輸送を記述することにより,都市キャノピーモデルを構築する.また,キャノピーの熱収支から成立するキャノピー気温を定義する.放散熱を都市環境への熱的インパクトとして評価する際には,このキャノピー気温がひとつの指標となる. 都市キャノピーモデルは,キャノピー層上部では接地層,下部では地面が接続する構成であり,上下方向には1次元熱収支モデルである.また,キャノピー層内部には建築伝熱を包含し,第2章の建築伝熱モデルは,都市キャノピーモデルを構成するサブモデルの一つとなる.さらに,キャノピーに特徴的な伝熱として都市キャニオンの多重反射,相互放射に関する伝熱系を加え,これを建築伝熱モデルと結び付ける.モデル全体は差分法により記述され,これにより建築モデルも差分法を用いて書き直すことにした. 第4章 第4章では,3章で構築された都市キャノピーモデルを用い,建築の熱応答とキャノピー気温に関する数値シミュレーションを行なう. まず最初に建築の存在が都市キャノピーへ与える影響に関してケーススタディを行なった.建築からの放散熱に分析の視点がおかれているのは,第2章で行なったケーススタディと共通であるが,放散熱は都市気候への熱的インパクトとして,都市キャノピーモデルで定義されたキャノピー気温を指標とし評価した.得られた結果自体は,従来から都市気候形成の要因として列挙されていた事項を裏付けるに留まったが,伝熱経路を明確にした物理モデルに基づいてこれを確認した点で意義があると考えられる. 次の分析の視点は,都市気候が建築へと与える影響に関するものである.キャノピー気温の上昇は,建築の存在によってもたらされたものであるので,建築が自ら作り出す再帰的な負荷の問題について扱うものである.建築からの放散熱が再び建築で取得され負荷となる現象を捉えるべく,ケーススタディを行なった.この負荷が,空調負荷全体に占める割合は小さなものであるが,放散熱が増大すると建築側へと戻る割合も大きくなる結果も同時に得られた.省エネルギー技術が進歩した結果,個々の機器の消費エネルギーは減少しているが,都市のエネルギー消費密度から見ると今後も増加の傾向にあるといわれる.したがって,ここで得られた結果は,多少懸念すべきものといえよう. 最後に,工学的なアプローチにより,都市気候を緩和する可能性について検討した.ここでは,都事キャノピー気温の低減に的を絞り,地表面を潜熱変換面とすること,あるいは,建築側に対策を施した効果を調べた.すべての対策を組み合わせた場合には,キャノピー気温に最大1.5℃の低下が見られ,現実の都市においても工学的な対策を積み重ねることで,キャノピー気温を低下させることは可能であると考えられる. 第5章 モデルの構築には,現実に生じている現象の理解とモデルで必要とするパラメータがデータとして得られていることが不可欠である.しかしながら,都市気候における実測は,現象の規模が大きいことや複雑なことにより測定に困難が伴い,精力的に研究が行なわれているにも関わらず,その知見は十分ではない.第3章のモデルで,重要であるが詳細が不明のパラメータの一つは,建築外表面における熱伝達率である.第5章ではこの実測結果を示した. 第6章 第6章では,本論文で得られた,都市気候の観点による建築からの熱排出に関する検討結果,新たな知見を整理した.また,論文で示したモデルおよび結果はごく基礎的なもので,今後の研究によって解決されなければならない課題も多く残されている.これらについて,まとめて総括した. 従来の都市気候モデルでも,本論文でいうキャノピー気温にあたる都市気温が定義されていたのであるが,極めて少数の伝熱パラメータによって表現されていた.したがって,都市を構成する建築壁面,窓,空調機器,地面,またこれらの間の位置や形態的関係など具体的な事物との関連づけがなされず,抽象的な温度に留まっていた.本論文のモデルでは,ここに建築伝熱モデルを持ち込むことにより,具体的事物との物理的な関係が明確な都市キャノピー気温を定義することができた.これがモデルの最大の特徴である.しかしながら,都市気候の実際の現象から見れば極めて簡略な伝熱系を構成したにすぎず,また,モデルを構成するパラメータの中には参照すべきデータが不十分なものもある.今後,この論文のモデルの検証を進める上で,実測による現象の把握と理解がさらに必要である. |