学位論文要旨



No 111075
著者(漢字) 宮崎,賢一
著者(英字)
著者(カナ) ミヤサキ,ケンイチ
標題(和) 不安定構造物の動的性質に関する解析的研究
標題(洋)
報告番号 111075
報告番号 甲11075
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3319号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 半谷,裕彦
 東京大学 教授 高梨,晃一
 東京大学 教授 秋山,宏
 東京大学 助教授 大井,謙一
 東京大学 講師 川口,健一
内容要旨

 膜材やケーブル材は軽量かつ柔軟であり、従来の鋼材やコンクリートに比して大規模な空間構造物の主要な構造部材に適している。膜、ケーブル材の柔軟性は引張剛性に比較して曲げ剛性がきわめて小さいことに因っており、部材自身の自重に対して形状を保持できない、部材の伸びを伴わないまま大変位が可能である、という点で剛な構造材とは性質を異にしている。

 本論文では、膜、ケーブルの持つこのような"柔軟性"に着目し、同様な性質を持つ構造システムを総称して"不安定構造物"と呼ぶ。ここでは不安定構造物の定義を、"構造内部にある機構や部材の柔軟性によって、部材に歪を生じないまま変位が可能な構造物"とした。定義における部材に歪を伴わない変位を"伸びなし変位"と呼び、不安定構造物は伸びなし変位を生じる構造物であるとすることもできる。不安定構造物は任意の形状において、伸びなし変位の存在によって外力にしたがって形状を変化させる、すなわち静的に不安定であり、一般的に有限範囲の大変位が可能であるという特徴を持っている。不安定構造物の有している有限範囲の伸びなし変位は、実構造物の設計の際には構造不安定の原因、あるいは使用に支障をきたす変位成分として制限を加えられ、構造物の安定化が図られる。一方で、膜・ケーブル構造物の施工時においては、膜材やケーブル材の柔軟性を施工方法、構造物の変形機能や安全機構の一部として設計に取り込むなどがなされており、施工の能率化や膜・ケーブル構造の架設、展開、収納などの機能化に貢献している。このように、膜・ケーブル構造における伸びなし変位の存在は相反する2つの重要な意味を持っている。

 構造物が静的に不安定な状態にあるとき、構造物には運動が生じる。外力を受ける不安定構造物は、静的つりあい形状を除く任意の状態において、静的に不安定であるため常に運動を伴っている。したがって、変位挙動の性質を把握するには幾何学的な考察のみではなく、動的力学的な立場から考察を進める必要がある。膜・ケーブル構造物の施工では、地上や吊り下げた安定形状で組み上げたケーブルや膜をリフトアップやインフレートによって所定の形状に変位させる方法がとられることがある。また、展開構造物や形態可変構造物ではあらかじめ構造物の機能として伸びなし変位の自由度が組み込まれている。これらの施工、構造システムでは構造物の伸びなし変位による運動を予測、あるいは制御する必要が生じる。

 これまでに、多くの研究において形態解析、応答解析、座屈解析を中心に、膜・ケーブル構造物の安定形状近傍における安定性、伸びなし変位の性質が論じられてきた。しかし、膜やケーブル材、あるいは多数のリンクで構成される不安定構造物一般の伸びなし変位に関して、有限範囲まで統一的に述べた研究事例は少ない。施工時や崩壊時など、構造物が静的に不安定な状態や、開、収納時などに生じる非常に大きな変位に関しては、有限変位とともに動的な考察が不可欠であると思われる。

 このような背景のもとに、本研究は動的な立場から不安定構造物に生じる伸びなし変位の一般的な性質を明らかにすることを目的としている。本論文の目的はつぎの2つからなる。

 1.不安定構造物の動的挙動に対する新しい数値解析方法を提案すること。

 2.既往の知見や新たな見識によって整理した基礎理論と数値解析を通して、不安定構造物の伸びなし変位による動的挙動の性質を解明すること。

 このための準備として、第2章では既往の研究のなかから不安定構造物の基礎現論を整備し、新たに不安定構造物の動的性質を解明するのに必要な理論を提案した。不安定構造物の動的問題は、一般にn個の運動方程式(1)と、速度xに対して線形化されたm個のnonholonomicな拘束条件式(2)に還元することができる。

 

 Hおよびbは1,2,…,n、tの関数である。拘束条件は部材サイズや接続関係などの構造物の幾何形状に相当する幾何学的拘束条件と、構造物の境界条件や指定速度などの運動学的拘束条件に分けて考えることができる。(2)式に対応して構造物の運動に拘束を与える力を拘束力と呼び、拘束を受けない変位成分が"伸びなし変位"である。(1)式はn個のとm個の拘束力を未知量に持つ。本論文では一般逆行列を応用することによって(1)式を独立な変数からなる方程式に変換し、伸びなし運動を表す運動方程式を導いた。この過程は次元の低減化と呼ばれ、多くの研究者によって様々な方法が提案されている。また、不安定構造物の幾何剛性を評価することによって、伸びなし変位を運動の自由度数に対応する有限個のモード(伸びなし変位モード)に分離できることを示した。本論文で提案した伸びなし変位モードは構造物が不安定な状態においても唯一に得ることが可能であり、つりあい形状では振動モードに一致する。

 不安定構造物の挙動は幾何学的非線形性が強く、また数値解析ではマトリクスの特異性の問題が不可避である。第3章ではこれらの問題点を考慮して、第2章で提案した解析的理論にもとづく新たな数値解析法を提案し、数値計算例を通して不安定構造物の動的挙動に特有ないくつかの現象を挙げた。ここでは長さ一定の部材が鎖状に連節した不安定リンク構造物を例に採り、不安定な初期形状からの自由運動解析、および伸びなし変位モードの追跡方法を提案した。

 第4章では、第2章、第3章に基づいて不安定構造物の動的挙動に特徴的な点を挙げ、解析理論と数値解析を通して、不安定構造物の動的性質に関して一般的な考察を加えた。ここでは、不安定構造物の準静的な変位経路と動的な変位経路の相違点、拘束力と幾何剛性の関係などについて解析的に論じた。また、不安定構造物の運動についてエネルギー面から論じ、幾何学的非線形性を伴うような大変位運動の周期性について考察を行った。

 本論文を通してつぎのような知見が得られた。

 1.解析理論を通して、拘束条件のHessianに基づく幾何剛性は不安定な状態にある不安定構造物の変位モードに力学的な意味を与えることを明らかにした(第2章)。

 2.本論文で整理した解析理論に基づく新しい数値解析法を提案し、その有効性を数値解析例を通して確認した(第3章)。本方法の特徴は、

 i).運動方程式の次元の低減化を行い、数値計算におけるマトリクスの特異性を回避した。また、次元の低減化は数値積分の安定性にも有効である。

 ii).変位の解析的表現を利用して、非線形項を導入することによって大変位問題に対して幾何学的拘束条件の良好な収束性を得た。したがって増分解析において収束計算を行わない。

 i)、ii)によって、ある程度計算機資源を節約することが可能である。また、幾何学的非線形性を伴う有限範囲の変位経路において伸びなし変位モードを同定することができるため、応答解析等必要に応じて低次の自由度のみを用いた計算を行うことができる。

 3.数値解析における計算の収束性、安定性について論じ、積分時間刻み(増分刻み)の自動決定方法を提案した。

 4.また、解析理論と数値解析を通して不安定構造物の動的性質について考察を行った(第4章)。ここでは次の結論を得た。

 i).不安定構造物の動的な変位経路と準静的な変位経路を解析的に比較し、一般的には両者は一致しないことを確認した。

 ii).幾何剛性を評価して得られる伸びなし変位モードは不安定な状態においても唯一に定めることが可能であり、静的つりあい形状においては振動モードに一致することが分かった。

 iii).不安定リンク構造においては、静的つりあい形状など部材軸力が均等に近い状態では、モードに対応する固有値の大きさとモードの波数の少ない順序は一致する傾向がある。しかし、不安定な状態では固有値の大きさとモードの波数の間に明らかな関係が見られず、変位に伴って、モードに対応した固有値の順序は入れ替わることが分かった。

 iv).振動状態にある不安定構造物の運動が折り返す条件およびその周期性について考察した。一般に不安定構造物の不安定状態からの自由運動は非周期的な運動になることが明らかとなった。ただし、変位に寄与する伸びなし変位モードの個数が1個であるときには周期運動を行う。

 本論文で用いた数値解析手法は、nonholonomicな拘束を受ける構造物の場合や境界に変動外力をうける構造物の場合に対してそのままの形で適用することは不可能である。また、2次元ケーブルネットのような大自由度構造物等の解析に本理論を適用することによって、新たな知見が得られることが期待される。特に、幾何剛性による伸びなし変位モードを利用することによって、より大自由度の問題に対して精度の高い計算を行うことが可能であると思われる。

 不安定構造物の動的挙動に関する研究は、1.膜・ケーブル構造物のリフトアップ、インフレート・デフレート機構の制御や安全性評価、あるいは2.膜・ケーブル構造物の破断等による崩壊過程など、不安定な状態の構造物の挙動の予測に対して応用可能である。また、膜・ケーブル構造物や形態可変構造物の有している伸びなし変位の予測(受動的制御)および変位や形態の制御(能動的制御)方法の開発に有効な手段を提供しうると考えられる。

審査要旨

 膜材やケーブル材は軽量かつ柔軟であるため、従来の鋼材やコンクリートに比して大規模な空間構造物の主要な構造部材に応用されることが多い。膜、ケーブル材は引張剛性に比較して曲げ剛性がきわめて小さいため、部材自身の自重に対して形状を保持できない、部材の伸びを伴わないまま大変位が可能である、など剛な構造部材とは性質を異にしている。また膜・ケーブル構造物は形態によって荷重に抵抗する構造システムであり、構造物の形態と構造安定性の間に密接な相関がある。これらは柔軟な部材で構成された空間構造物の安全性評価上、重要な問題点の一つとなっている。

 本論文は膜、ケーブルの持つ柔軟性に着目し、同様な性質を持つ構造システムの動的性質に関して解析的に論じたものである。部材に伸びを伴わない変位、すなわち伸びなし変位を有するこのような構造システムは不安定構造物と呼ばれる。不安定構造物は任意の形状において静的に不安定であり、一般に有限範囲の大変位が可能であるという特徴を持っている。有限範囲の伸びなし変位は、構造物の設計の際に構造不安定の原因、あるいは使用に支障をきたす変位として制限を加えられ、構造物の安定化が図られる。一方で膜・ケーブル構造物の施工時においては、膜材やケーブル材の柔軟性を施工方法、構造物の変形機能や安全機構の一部として設計に取り込むなどがなされており、施工の能率化や膜・ケーブル構造物の仮設性、展開・収納などの機能化に貢献している。このように膜・ケーブル構造物における伸びなし変位の存在は相反する2つの重要な意味を持っている。

 構造物が静的に不安定な状態にあるとき、構造物に運動が生じる。外力を受ける不安定構造物は、静的つりあい形状を除く任意の状態において、静的に不安定であるため常に運動を伴っている。したがって、構造物の挙動を把握するには動力学的な立場から考察を進める必要がある。膜・ケーブル構造物の施工では、地上や吊り下げた安定形状で組み上げたケーブルや膜をリフトアップやインフレートによって所定の形状に変位させる方法が採られることがある。また、宇宙構造物や地上構造物としての形態可変構造物では、予め構造物の機能として伸びなし変位の自由度を組み込むものが考えられている。このような施工方法、構造システムでは構造物の伸びなし変位による運動を予測、あるいは制御する必要が生じる。

 本論文は不安定構造物に生じる有限範囲の伸びなし変位に関して、動的な立場から解析を行ったものであり、従来、幾何学的な研究が主流であった不安定構造物の研究において独自の提案を行っている。既往の研究について概説を述べた第1章では、膜・ケーブル構造物としての不安定構造物の研究の流れとともに、航空力学・機械工学における多体機構の研究についても触れ、広い視野から不安定構造物の動的研究について概説している。第2章では既往の研究による幾何学的な理論を整理すると共に、新しく増分つりあい式を用いた力学的な理論を提案し、本論文の基礎理論をまとめている。幾何学的理論によると、不安定構造物の伸びなし変位は構造物の自由度数に対応した独立なモードに分離可能であるが、モードの選び方には任意性がある。しかし本論文で提案する力学的理論では、不安定構造物の幾何剛性を評価することによって、不安定な状態におけるモードを唯一に決定できることを示している。ここで得られるモードは、つりあい形状において振動モードに一致する。このことを利用して、動的に大変位を生じる不安定構造物において、変位モードの大域的な変化を追跡することが可能であることを示している。これはケーブルネットのような大自由度問題において、有限範囲における支配的なモードを選択することを可能にするものである。この論文が対象とする大変位、多自由度問題では強い幾何学的非線形性と共に数値解析におけるマトリクスの特異性の問題が発生する。本論文では先に挙げた理論をもとに、不安定構造物の動的挙動に対する新たな数値計算法を提案している。この方法では一般逆行列を用いることに因ってマトリクスの特異性を回避し、数値計算の安定性が図られている。また、変位に高次項を導入することによって幾何学的非線形性に対処し、収束計算なしに高精度を得ることが可能となっている。応用例としてリンクで構成される不安定構造物を挙げ、数値解析方法の妥当性を示すと共に、不安定構造物の動的挙動に特徴的ないくつかの現象を挙げている。それに対して、第2章で整備した基礎理論を基に、不安定構造物の運動の安定性、周期性、伸びなし変位モードの変化などについで解析的に論じており、不安定構造物の動的性質を明らかにしている。

 不安定構造物に関して動的な立場から論じた研究事例は数少なく、動的理論の提案、および動的な考察によって不安定構造物の諸現象を解析している点で、本論文の内容は構造工学において高く評価できる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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