学位論文要旨



No 111076
著者(漢字) 李,賢姫
著者(英字) LEE,HYUN-HEE
著者(カナ) イ,ヒョンヒ
標題(和) 韓国の「日式住宅」に見る住文化の持続と変容 : 日本の長屋との比較文化的考察
標題(洋)
報告番号 111076
報告番号 甲11076
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3320号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 香山,寿夫
 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 助教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 伊藤,毅
内容要旨

 開港(1876)、開放(終戦、1945)、韓国戦争(1950)などの大事変を含む韓国の近代期は、社会的には急変期であった。その間、住居の近代化に係わる価値観は西欧と日本の影響を受け、それを韓国の近代住居観と見なしてきたように思える。日本時代には、韓半島に移住した日本人向けの「日式住宅」が数多く建てられ、韓国の住文化の中に日本の住文化が入り込んだ。さらに、解放と同時に、その日式住宅の住まい手が韓国人に替わり、また韓国自身も近代化や住様式の多様化が進んだため、日式住宅の住空間は実に様々な変化をみせている。そこで韓国の住文化の中に移植された日式住宅に見られる住文化の持続と変容の特徴、韓国の住文化の受容の特徴を明らかにすることによって、韓国住文化の現在を解釈し、今後の住居計画のあり方を展望しようとするものである。

 即ち、ある住文化と衝突した異国の住文化がどのように持続と変容を逐げたか、また元の住文化は異国の住文化をどのように受容して自らの住文化を持続し、あるいは変容したかを明らかにすることを通じて、住居の発展における他国との文化的あり方と自らの住居計画のあり方を考察することを目的としている。具体的には、日本の住文化が異文化として移植され、現在も残存している韓国における「日式住宅」を対象にして、その日式住宅の持続と変容の実体を捉え、究極的には現代韓国における住文化の持続と変容を解釈した。

 研究方法としては、韓国に残存している日式住宅の住み方調査を通じて、韓国の住様式と日式住宅の住空間との衝突・葛藤・適応・反発などの因果関係を分析した。それと同時に、類似な背景を持つ日本の長屋を対象にしてそれらの持続と変容を参考にして、日式住宅の持続と変容の姿を解釈した。

 現代の韓国住居の変容には日式住宅に起因すると思われることがある。日本式の意匠や構成要素が形を変えて取り入れられている。例えば、ガラスの引き戸は、マダンとマルの一体感は保持しながらマルを内部空間に、さらに家族生活の中心空間に変容するのに取り入れられている。その変化に続いて、玄関が設置けられ、マルはコシルへ、中庭のマダンは外庭の「庭園」へ、中庭の配置から外庭の配置へ、マダンを囲む住空間の配置からコシルを囲む個室の配置へ、などと、様々な変容を見せている。それの以外にも、アンバンと台所の関係の変化、水周り空間の変化、多用途室の出現、接客様式の変化、等々、必ずしも日式住宅の影響とは言えない、むしろ、集合住宅の影響で現れたものと認めた方がよい変化の流れがある。

 韓国の現代住居の動向と深い関わりを持つ外来住文化には、日本時代の日本の住文化と、韓国戦争後のアメリカの住文化の、二つを挙げることができる。

 日式住宅は、鎖国政策の後、間もなくの時期に流入した侵略者の住まい・日本人向けに建てられた外来の住まいで、それに対する反発も激しかった。しかし、日式住宅は半世紀以上にわたって韓半島の全域に存在したので、韓国人には知らず知らずのうちに見慣れた存在になったであろうことは想像に難くない。しかも支配層の住まい、上流の住宅として、あこがれにも似た気持で眺めた韓国人も多かったであろう。結局、日本時代の日式住宅は、知らず知らず韓国人の意識の中に深く浸透したといえよう。

 一方、集合住宅の形で導入されたアメリカの住文化は、先進友邦国のものであり、無条件に真似したい、いわゆる「近代的住まい」として受容された。最初はアメリカ人向けの住まいとして建設が始まったが、まもなく一般の韓国人を対象にして供給された点も、日式住宅の事情とは異なる。

 アメリカの住文化の導入後の韓国住居の近代化は、きわめて激しいもので、これまでの韓国住居の伝統をほとんど覆すほどのものであった。しかし、その近代化の過程を辿ってみると、その中には日式住宅の影響とそれに伴う韓国人の住意識の変化が絡み合って存在している。即ち、韓国における「近代化」は、アメリカの住文化と、日本時代に潜在した日本の住文化の影響と、韓国住文化の自体の持続と変容が、一気に噴出したことであり、アメリカの住文化は、その契機となったのである。

 日本の住文化とアメリカの住文化の影響は、ほとんど時差を置かず重なり合って現れたにも関わらず、今日、韓国の「伝統的住まい」と「現代の住まい」をまったく別ものと感じさせるほどの大きな変容は、主にアメリカの影響と見られている。しかしそれをはらんだのは日式住宅である。さらに日本の影響をと、アメリカの影響、また韓国の住意識の変化が明確に区別されず、相互に絡み合って、韓国の住文化を変容させているのである。韓国の住文化の持続と変容の姿を[近代化=西欧化]の一辺倒で見ている偏見が、韓国の現代住居に存在する大きな歪みの正体であろう。

 一見、断絶されているようにも見える「伝統的住まい」と「現代の住まい」を、日式住宅を通じて住文化の持続と変容の観点から辿ると、その両者の関係、いわば韓国住居の動向が明確に解釈できる。それと同時に、韓国の住文化と韓半島に流入した外来の住文化との反発、葛藤、融合、適応、調和などの、住文化の持続と変容の軌跡を注視すると、その流れの中には依然として続けられている持続の部分がある。その持続は、ある部分では空間様式として、ある部分では生活様式として、韓国の現代住居を支えている。

 韓国住居の動向は、韓国の伝統に深く根を下ろしつつも近代化の住要求に対処してきた韓国住文化の姿である。日式住宅の今日の姿も、韓国の住様式そのものの持続と変容の過程を、最も端的に表しているとみることができよう。

審査要旨

 本論文は1910年から1946年までに日本人向けに建設され、韓国に残存する「日式住宅」と呼ばれる住宅ならびに現代日本の長屋の住まい方調査を通して、韓国と日本の住様式について比較文化的な視点から分析を行ない、住文化における持続と変容について考察したものである。論文は序章と4章からなる。

 序章では、研究の背景となる問題意識が記述されている。1976年の開港、1945年の太平洋戦争終戦による開放、1950年の南北の戦争といった大事変を含む韓国の近代期の中で、これまで韓国の住居は大きく変貌してきた。すなわち、中庭(マダン)を持ち、土地に密着した閉鎖的平屋の伝統的住居から、土地と離れた積層型近代住居への変化である。このような変化は主に西欧の影響であると考えられるが、一方、その間に35年に及ぶ日本による支配下での影響があったことも事実である。しかし、これまで、研究の対象として日式住居を扱うこと自体がはばかられる状況も韓国には存在したため、この日本の住様式がどのようにどの程度の影響を与えたのかについては、客観的な評価がなされていないことを指摘している。

 第1章では、序章で述べられた流れの中で韓国における住居研究が伝統的住居と現代的住居との隔絶を強調するのみである点にふれ、伝統的住文化が現代の住居の中でどのように持続しているかという点を考察するための好例として日式住宅を調査分析することの有効性、また現代日本の長屋を対象として同様な調査分析を行なうことにより日式住宅での変化の解釈を補完することがある程度可能であるといった研究対象の選択と研究方法についての検討を行なっている。

 第2章では、韓国の日式住宅の調査を扱っている。1991年から1993年にかけてソウル、木浦、鎮海などの8都市で行なった実態調査の概要が報告されている。すなわち、約200戸の戸建と長屋の日式住宅の残存状況、住宅地構成の特徴と変化、各住宅ならびに周辺の実測と住み手の交代による異文化の衝突、住み方の変化、そしてそれに伴う住居の原型とその変化の状況、などである。

 第3章では、日本での長屋住宅の調査を扱っている。1993年から1994年にかけて東京の月島長屋と大阪の阪南長屋て行なった同様の実態調査の概要、すなわち、居住者の特性、住宅地、住空間、住様式の持続と変容に関する報告がなされている。

 第4章では、前2つの章の実態調査から得られたいくつかの特徴的な事象の分析を行なっている。日式住宅の屋内については、最も広く日当りの良い中心となる部屋が「アンバン」、すなわち伝統的韓国住宅での夫婦寝室、主婦室、家族室となる傾向、ダイニングキッチンや居間を設ける傾向、特に日式住宅での応接間、縁側や座敷を縁側まで拡げた形、すなわち伝統的住宅での「マル」や「コシル」を居間にあてる傾向、襖による柔軟な屋内空間を壁により個室化する傾向、一方で2室を統合して「アンバン」にする統合化の傾向などを指摘している。屋外については、日式住宅と庭と縁側が韓国伝統住宅の中庭「マダン」と板の間「マル」に代わる傾向、これが見る庭から通る、使う庭への変化を呼び、玄関の機能の変化、消滅、さらに住宅の「オモテ」と「ウラ」の逆転や混在をもたらしたことを指摘している。日本の長屋住宅においては「オモテ」と「ウラ」の使い分けが「オモテ」だけに変化する傾向、プライバシー確保の個室化傾向、茶の間の家族室としての性格の持続などを指摘している。

 第5章は、住文化の持続と変容に関する総合的な考察と結論である。「マダン」と「マル」の間にガラス戸を置くことによって、「マダン」機能を「マル」に取り込むといった柔軟な空間利用の手法や玄関の導入による「マダン」の鑑賞庭機能への変化など韓国住居の間取りの中に日式住宅からの少なからぬ影響が見られることを指摘している。一見単純なアメリカ的住文化の採用と思われがちな韓国現代住宅への視点に潜在的ながら明らかな日本からの影響が存在することを述べている。

 以上、本論文は、二つの国の異なる住文化が、ある状況において葛藤し調和を見出し、かつ相互に影響を及ぼしていく様子を、具体的な実態調査に基づいて考察し、その持続と変容の容態を検証したものである。これは建築計画学の中で、大きな位置を占める住居論において、基礎的な知見を得たものとして有用であり、広範囲の適用性が認められる。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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