学位論文要旨



No 111077
著者(漢字) 金,栄爽
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヨンソク
標題(和) 「都市共住体」の環境行動デザイン試論
標題(洋)
報告番号 111077
報告番号 甲11077
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3321号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 大野,秀敏
 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 助教授 松村,秀一
内容要旨

 本研究は既成の町や居住形式がもっている建築および外部空間の維持調整機能や隣り近所の社会関係に注目し,これまで形成されてきた町の仕組みを生かした都市居住形式のデザインコンセプトを得ることを目的とした基礎的研究である。

 【第1章 序論】では,まず研究の目的を設定し,既往の研究・理論の検討を通して本研究の位置付けを行った上,本研究が目標とする都市居住形式を「都市共住体」と名付け,その概念を論じる。また,密集住宅地の建て替えに伴う問題点を指摘した上,新しい都市居住形式の必要性と,その居住形式として提案・実践されている都市型集合住宅の評価の必要性について論じる。その際,現在の密集住宅地の実態から問題を捉え,住戸まわり空間に関する研究課題を明らかにした。

 次に,住宅地の外部空間に対してスケール・形態・用途などにより一般的な分類を行い,その際,普段の生活では無関心となりやすい小さいスケールの隙間・路地・小さい共用空間などの住戸まわり空間を本研究の課題とし,そこでの生活行動の徹底的な分析・考察が重要であることを論じる。それを基に研究対象地域として,密集住宅地の典型地域として東京都文京区の根津の一区画と,都市型集合住宅として計画意図や工夫が見られる4つの事例を選定した。また,本研究の目標を達成するための分析の枠組として,研究方法や調査方法を論じる。

 【第2章 密集住宅地の構築環境における生活行動の考察】では,まず研究対象地域の調査・分析を通して,敷地割りを基にした建物の配置や地域構造の変化の流れにより,路地を中心とした住戸群が成立していることを把握し,その地域を建て替えていくときの居住形式の単位となり得る住戸のかたまりとして住戸群を抽出した。その際,住戸群を構成している住戸まわり空間として路地や隙間に注目し,形態的特徴を把握しるとともに,その役割の仮説を論じる。一方,住戸まわり空間での生活行動の発生原因を明らかにすることにより,その価値が明確されるという認識から,構築環境における生活行動の関係を論じる。

 密集住宅地での路地や隙間の役割として,以下のことが明らかになった。

 (1)家と家との間に場所と空気があることによって,個々の家の独立感・アイデンティティが得られる。空間があることによって隣の音や振動などに対する遮音性能が高くなるという一面と,離れていることによってプライバシーがある程度確保できるという側面もある。

 (2)路地や隙間は外部空間のネットワークの一部となり,連続した路地は住戸の裏口のアプローチとして利用することもでき,また近隣の半公的な通り道として,あるいは道の選択性を広げることにも有効であり,避難路としても利用される。

 (3)路地と隙間が連続して筋をつくっていることにより,各住戸の通風効果を増すことと,窓から間接光はもちろん直接光が入る可能性が生まれる。

 また,環境と行動との相互浸透関係に働きかける役割として,以下のことが明らかになった。

 (1)住戸と住戸の間に路地と隙間があることによって誘発される挨拶や会話などのコミュニケーションがある。それは,次の行動へ発展するきっかけにもなる。対面する窓や住戸の中どうしでは,視線を避け合うルールがある一方で,どちらかが路地や隙間などの構築環境に出ることによってコンタクトが生じる場合もある。

 (2)路地や隙間に置いてあるものや物干し台を介した行動によって,路地や隙間のアクティビティを増やす社会行動が発生することもある。

 (3)視線が透る路地や隙間などの外部空間に,洗濯や作業などのために使う小さな自分の場を持つことは,近隣とのコミュニケーションを助ける。

 【第3章 都市型集合住宅の構築環境における生活行動の考察】では,都市型集合住宅の共用空間まわりの構築環境での生活行動についてアンケート調査や行動観察調査により,生活行動のきっかけとなる構築環境の特徴を論じる。また,生活行動の発生要因のひとつである社会的環境が生活行動に働きかける実態を通して,環境と行動との関係を論じる。以下では,考察結果をまとめる。

 共用空間まわりの構築環境は「場所」と「モノ」に分けられ,そこで行われる生活行動はバルコニー,物干し台などの場所と関連する「場所的行動」,植木鉢,ベンチなどのモノと関連する「モノ的行動」,2人以上の行動として会話,挨拶などの「社会的行動」に分類できた。また,ある行動を期待してつくられた構築環境での生活行動は,期待した通りの行動,期待した以外の行動,居住者が見出した行動などが行われている反面,生活に望ましくない影響を与えていることもあった。

 生活行動のきっかけとなる構築環境は,生活にサポートできる機能を与えることにより,居住者はその場所で行われる行動が多くなり,さらに隣りや対面する場所で行われている他人の行動と接触することによって,社会的行動への進展もあり得ることを明らかにした。なお,バルコニー・玄関先などの構築環境を設ける場合,同じ機能をになう空間を対面させるより,バルコニー対玄関先のように異なった機能をになう空間が水平に対面するか,あるいは斜めか上下に対面した方が行動発生の可能性を広げることが明らかになった。

 構築環境での行動は,居住者の近隣意識や価値観などの社会的環境により行われる頻度も変わり,また共用空間を挟んで構築環境を配置することにより行動の発生も多くなることが分かった。

 【第4章 「都市共住体」における社会的環境の考察】では,第3章で明らかしたように,生活行動の発生原因は構築環境のみにあるわけではなく,居住者の社会的環境も重要な原因であるため,共に住むひとつの小規模集団として住戸群と都市型集合住宅を取り上げ,居住者の社会的環境と生活行動との関係を論じる。

 社会的環境として,まず居住者の年齢・家族構成・子供や老人の同居有無などにより世帯属性を分類し,居住歴・所有形態・生活経験・職業などの住まい方の構造を把握した。そして,分類された世帯属性や住まい方の構造別に住戸まわり領域の認識範囲,隣近所の近隣意識,あるいは同じ住戸群に住んでいる人々との近所づきあい範囲により,小集団での近隣関係の構造を論じる。また共に住む中で常職的に守っている,隣近所の約束事や決まりとして存在する生活規範を把握し,それと生活行動との関係を論じる。以下に,考察結果をまとめる。

 「都市共住体」における住戸まわり領域の認識範囲は,住戸群の場合,自分の玄関先や住戸まわりに限定されていることが多く,都市型集合住宅の場合,共用空間を私的な住戸まわり領域として認識することはめったになかった。近隣に対する意識は,住戸群の場合,路地の開放性や世帯属性により差は見られるが,居住者の属性によって様々な意識を持っていることが分かった。都市型集合住宅に比べると住戸群の方が路地を中心とした近所づきあいの範囲が広く,居住者属性,特に住まい方の特徴によって範囲が異なっており,また住戸の正面の向きに従って路地,または街路に集中することがあった。都市型集合住宅では,一部の限定された住戸どうしの近所づきあいが一般的であった。結局,住戸群は,路地全体がひとつの近隣関係の単位であるとはいい難く,逆に居住者の生活の都市への拡張,閉鎖的な私的生活領域の増大により,路地での近隣関係の範囲は縮小しつつあることが明らかになった。

 「都市共住体」における生活の規範は明文化されていないことが多く,暗黙の決まりや約束事によって高密な共住生活を維持・管理しており,生活の規範が他人より決められることに関しては,否定的であることが分かった。

 【第5章 「都市共住体」の環境行動デザインのモデル試案】では,前章までに検討した環境と行動との相互浸透関係を用いて,構築環境と生活行動,生活行動と社会的環境との間での因果関係の構造を解明し,環境と行動との相互浸透関係を論じる。また,ここまでの分析・考察を基に,路地や隙間の価値,構築環境のあり方,小規模集団での社会的環境の構造を「都市共住体」の環境行動デザインの基本コンセプトとして抽出した。

 以上の本論の分析・考察を含めて,環境と行動の相互浸透関係の概念を基に,「都市共住体」の4つのモデル試案を提示した。モデル試案の特性として,以下のことがあげられる。

 (1)居住者の近隣関係の構造は,消極的(個別的),積極的(共同的),相互的(協調的),相互浸透的(選択的)。

 (2)配置の形式により,住戸のアプローチや生活の向きは,街路指向,中庭指向,路地や街路の両方指向,あるいはいずれかに選択できる選択指向。

 (3)外部空間の捉え方により,裏路地型,中庭型,路地型,折衷型。

 なお,モデル試案の特性を分節・結合できる相互浸透ゾーンを提示した。相互浸透ゾーンは,公私領域の媒介ゾーン,内外空間の緩衝ゾーン,自然環境の調節ゾーンなどの概念を含めており,環境と行動とが因果関係を持ち,能動的に役割を果たしながら価値を生かせる相互浸透関係のきっかけとなる装置であることを強調している。

 モデル試案のケーススタディにおいては,環境と行動との相互浸透関係を持ちつつ,連続的に更新できる可能性を念頭に,「相互浸透ゾーンの確保」,「自然環境・視線・人の通り抜け」,「路地や隙間による外部空間のネットワーク」,「世帯属性の混住と住まい方の複合性」などといったデザインコンセプトを論じる。

 【第6章 まとめおよび今後の課題】では,各章のまとめの整理と,新しい都市居住形式として提示した「都市共住体」のモデル試案の,隙間的空間の環境的,社会・行動的な機能の検証,また現実的な設計へむけての,法規,防災,計画プロセスなどの今後の課題を論じる。

審査要旨

 本論文は、関東大震災・第二次大戦の大火から免れた東京下町・根津地域の密集住宅地の綿密なフィールド・サーベイ・居住者への調査に基づいて、その地域に存在する路地や隙間が、まちや住戸の物理的環境や社会的環境保全において果たしている役割を明らかにし、次に近年つくられた中庭や隙間を持った高密度の隙間型集合住宅に対しても同様の調査を行い、環境形成過程の異なる集住形式のへ比較検討を通して、「都市共住体」という新しい集住形式の概念を論じたものである。

 論文は6章からなる。

 第1章では研究の背景・目的を述べて、更に既往研究のレビューを行っている。過去に集住に関する研究は数多く実施されているが、理論的枠組の提示にとどまっているものが多く、本研究は、この限界を乗り越えるために、実態調査を踏まえた上で「都市共住体」のモデルを提案した実践的理論として位置付けられることを指摘している。更に東京の既成住宅地や近年建設されている新しい提案を含んだ集合住宅の事例を丹念に収集した結果から、調査対象地域を選定した根拠並びに当該地区の特性を記している。最後に論文全体の構成を示し、本研究で用いる独自の用語に定義を与えている。

 第2章は下町の典型的密集住宅地である根津地区を対象とした綿密な調査の内容と分析を示している。具体的には現地を訪れ、実測調査によって路地など空間形態を表す図面を作成し、住民の行動観察調査、留置式アンケート、それに続くデプス・インタビューの結果を論じている。それによって、住戸へのアプローチの形式から住戸群の類型を4つ指摘し、更に住戸の周辺に存在している空地が、「路地」、「表隙間」、「脇隙間」、「裏隙間]に分類できることを示している。それらの隙間の役割として(1)各住宅の独立性や環境調整、(2)地域の歩行空間のネットワーク、(3)住民相互の社会的コンタクトの場所などの機能を保持していることを明らかにしている。

 これらの知見は、都市の自動車交通や防災・避難の点から否定的に扱われてきた路地や隙間に、まちの社会的環境の観点からは評価しうる側面があることを実証したもので、後に続く章での現代集合住宅の批判や新しい形式の提案に直接結びつく成果として注目される。

 第3章では、これまでのステレオタイプ的な住棟形式への反省から、近年建設された隙間的な共用空間によって集合を成立させている4つの集合住宅に対するアンケート、ヒアリング、行動観察調査に基づいて隙間的共用空間の役割を評価している。その結果、隙間的空間は各住宅の内部環境の改善には役立っているものの、住民の社会的コンタクトの点からは必ずしも成功していないことを見出している。その解決案として、住戸と隙間的共用空間との境界に人びとが滞留して、一時を過ごしたり、植物を育てるなどの中間領域としての空間が必要であり、それらが立体的にずれた位置で対面することによって、社会的コンタクトの機会が増えるであろうと推測している。一方隙間的空間は高密度住居集合にあって、各住戸の開口部がとれる面の数が増えることで、居室の開放感、通風・採光に役立っていることを指摘している。

 第4章は、2・3章で考察した各住宅地の居住者の属性や居住年数、あるいは日常生活における近隣関係、生活規範などの社会的環境の分析を展開している。下町の密集住宅地では高齢化が進行しているものの、若年・中年の単身・複数所帯が混住しており、核家族主体の隙間型集合住宅とは異なった社会集団が形成されている。そのため夫々で生活上の規範については前者には暗黙の約束事が形成されているが、隙間型集合住宅では他の家族への配慮から過度の干渉的行動を慎むなどの傾向があることを見出している。しかし、総じて希薄になっている近隣関係は下町の隙間におけるように、各住宅への経路に選択性を持たせることによってある程度解消できる、という示唆に富む結論を導いている。

 第5章は、前章までの考察を都市共住体の環境行動デザインのモデルに発展させ、実践的理論を提案している。居住者と集住環境とが相互に影響を及ぼし、時間と共に生活行動を生起させ、共住体が形成されるという相互浸透モデル(トランザクショナリズム)が成立する集合住宅の概念を述べている。その計画理論の骨子は、路地・隙間による種々の通り抜け、歩行経路のネットワーク並びに選択性の確保、相互浸透ゾーンの確保であるとしている。なおこの理論に基づいた空間形式の具体例を参考資料に掲載している。

 以上、要するに本論文は、時間をかけて形成されてきたわが国の既成の都市住宅の環境の質を継承した、新しい集合住宅計画の実践的理論を提案したもので、わが国の今後の住宅計画に対して貴重な指針を与えるものである。また建築計画学のなかで、主要な役割をもつ住居計画の発展に貢献するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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