学位論文要旨



No 111080
著者(漢字) ファトエルバリ ラァファト エルシャフィ
著者(英字) Raafat El-Shafei Fat-Helbary
著者(カナ) ファトエルバリ ラァファト エルシャフィ
標題(和) エジプトアスワン地域の地震発生危険度と被災危険度の評価
標題(洋) Assessment of Seismic Hazard and Risk in Aswan Azrea,EGYPT
報告番号 111080
報告番号 甲11080
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3324号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,裕
 東京大学 教授 秋山,宏
 東京大学 教授 小谷,俊介
 東京大学 教授 岡田,恒男
 東京大学 教授 南,忠夫
 東京大学 助教授 工藤,一嘉
内容要旨 要旨

 エジプト南部において1970年代にAswan High Damが建設され、新しい居住区が作られたことにより、その周辺地域の人口は急激に増加した。また1981年11月14日には、ダム建設以前には決してみることがなかったM5.6という地震が発生し、1985年以降、この地域における地震危険度研究の重要性が認識されている。特にAswan High Damはエジプト経済や社会に大きな影響を持っており、ダム自体やその付属構造物の危険度評価、地震時の安定性などは考慮されるようになってきた。本研究は、Aswan地域における種々の地震動レベルに対する確率を評価するとともに、構造物の耐久性として要求される地震動とは何かを考察することを目的とする。

 ダム建設に伴うAswan地域の急激な人口増加は、居住域を東(Nasriya,El-syeal)や南(Sheikh Harun,Kima)あるいは南西(Nasser City,Sadat road City,Sahari City,etc.)の方向に拡大させる結果となった。最近Aswan県庁は、ダム完成後の当該地域に関する総合的な開発計画を発表した。この計画はstructural plan,complementary sector planやland use planを含んでいるが、南に60km離れたKalabsha地域に最近、地震活動が見られたにもかかわらず、地震活動度のレベルをチェックすることなしに計画は作られている。

 アスワン地域におけるこれまでの地震危険度評価は先に述べたように、Aswan High Dam自体やその付属構造物の危険度評価、地震時の安定性評価に限られており、ダムの周辺地域まで考慮されることはなかった。結果として本研究が初めて、アスワン地域全体の地震危険度を評価することになるであろう。本研究の主要な目的は 1)土木技術者に地盤加速度の期待値や加速度レベルごとの出現確率を提供すること、および2)地域プランナーたちが建築政策を立てる上で必要な定量的な裏付けを提供することである。

 本論文の構成は以下の通りである。まず第2章でアスワン地域に対する潜在的な地震源を評価するため、この地域に影響を及ぼすであろう各地域のテクトニクスや地質構造、地震活動度をレビューする。特に潜在的な地震源を特定することは、アスワン地域の地質の変成学的、構造学的あるいは層序学的特徴を調査・吟味することにより行われた。また、対象地域を囲む広い領域のテクトニクスの状況や主要な地質要素の相互関係なども調査された。

 次に第3章では、エジプトにおける地震動の減衰特性を表すものとして、ふたつのモデルを提案する。まずエジプト各地で発生した12地震の震度(MSK震度)データを解析し、震度の距離減衰についての経験的な関係式を求めた。報告された最大震度をチェックした後、グラフィカルな方法で震度、震央距離を再評価していろいろ地震の震央における震度を推定した。さらに逐次、最小自乗法を適用して震度の距離減衰式を得ると同時に、より改善された震央震度(Io)を求めた。多くの地震の等震度曲線は円形と言うにはほど遠く、ローカルな地質や断層構造などの方向に引き延ばされた楕円形の形状を示す。そのため震央距離の計算には円形震度分布に置き換えた場合の半径(Rc)と、実際の震度分布の主軸に平行な半径(Rp)を考え、それぞれに対して減衰曲線

 

 を得た。このほか10地震のデータから、実体波マグニチュード(mb)と震央震度(Io)の関係式を求めた。この関係式から歴史地震の実体波マグニチュードが算出されるとともに、実体波マグニチュードを含んだ最終的な震度の距離減衰式

 

 が得られた。マグニチュード6の地震に対する関係式(1)〜(4)はFigure1にプロットされているが、それぞれの間は距離200kmまでよく一致している。また改善されたIoを用いて、震度V以上の領域面積(ArV)に関する関係式

 

 も求められた。

 一方、Aswan地震ネットワークによる多数の短周期地震計のデジタル記録を用いて、周波数範囲1〜6Hzでの最大加速度(A)と実体波マグニチュード(mb)、震源距離()の間の関係式も次のように推定された。

 

 いろいろなマグニチュードに対する(6)式の関係はFigure2に示されている。以上ようなふたつの異なった手法による減衰モデルは、以下の章でAswan地域の地震危険度を評価するために用いられる。

図表Fig.1 Comparison of attenuation for eqs.1,2(denoted as M1),3,4(denoted as M2) / Fig.2 Variation of maximum acceleration with magnitude and distance

 4章では、Aswan地域における確率論的地震危険度評価が詳細に行われた。本章の目的はいろいろな地震動レベルを越える確率を評価することにあるが、地震動のソースとなる地震としては通常の自然地震だけではなく、Aswan High Dam貯水池をトリガーとする地震も対象にしている。また震源の表現として面震源モデル(ASM)と線震源モデル(LSM)を考え、貯水池トリガーの地震にはASMを、5本の活断層沿いに発生が想定されている自然地震にはLSMを用いた。確率論的評価には震源モデル選択に関するlogic treeやrecurrence rates、最大マグニチュード、減衰に関する関係式なとが含まれている。本研究では、いろいろな年数の間に90地震動レベル(あるいは10地震動予測値として用いた。その結果、最大の予測値はKalabsha地域(Aswan High Damの60km南方)で得られ、また自然地震とトリガー地震を比較すると、トリガー地震の方が高い予測値を与えることがわかった。1年間を想定した最大加速度の予測値ではトリガー地震は自然地震のほぼ6倍の予測値を与え、20年、50年あるいは100年のスパンでもそれぞれ2.5倍、1.9倍、1.6倍の予測値が得られた。Figure3および4はそれぞれ、トリガー地震と自然地震に対する100年スパンの最大加速度の予測値(gal)を示している。

図表Fig.3 Peak ground acceleration(gals)from RIS with 90% probability of not exceeded in 100 years / Fig.4 Peak ground acceleration(gals)from non-RIS with 90% probability of not exceeded in 100 years.

 Aswan townは625km2の広さがあり、Aswan High Damのすぐ南から25km北までの領域をカバーしている。この町を1km×1kmのセグメントに分割し、各セグメントにおける地盤増幅率を、地質条件に対応させたS波速度から求めた。さらにトリガー地震を想定して基盤への入力地震動を計算し、これに求められた増幅率をかけ合わせることでAswan townの最大地表加速度に関するmicrozoning mapが得られる。100年スパンの例をFigure5に示した。

Fig.5 Surface acceleration for expected value in 100 years.

 5章ではこれまでの結果を用いて、Aswan townにおける地震時vulnerabilityを考察した。vulnerability関数の導出は基本的に過去の地震被害のデータに基づいて行うべきであるが、Aswan地域にはそうしたデータがないため、イタリアで得られたvulnerability functionにエジプトの建築事情を考慮した修正を施して用いた。また、異なった構造物のvulnerability indexを算出するため、vulnerabilityに関係する要素の中なら8つの項目を選び出した。選び出しの基準は、目視など簡単な調査方法でわかるか否かであり、建物へ入り込んでの調査や図面の調査を必要としないことを前提とした。対象構造物のそれぞれの項目についてclass1(score0,low vulnerability),class2(score10,medium vulnerability),class3(maximum score20,high vulnerability)の中からひとつのクラスが与えられ、同時に重みも考慮される。vulnerability indexはこれらscoreと重みの積を加え合わせたものである。Aswan townは東、西および南地区に分かれているが、住宅のタイプは地区ごとに異なる。そこで住宅をその建築材料からReinforced concrete(RC),Brick masonry(BM),Stone masonry(SM)およびMixed(MIX、前3種のうち2種以上の組み合わせ)の4タイプに分類した。vulnerability surveyは4箇所のlocal sectorからサンプルを抽出して行い、その結果をもってAswan地域全体を代表させた。vulnerability indexの計算と、最終的な損失を求めるためにvulnerability functionと地震危険度曲線を組み合わせる作業には、計算機プログラムSRAを用いた。各sectorごとあるいは地域全体についてそれぞれの震度ごとに、平均vulnerability indexとその標準偏差、および平均被害を推定した。当然のことながら、抽出したサンプルのうちもっとも高いvulnerabilityを示したのは、非専門家が設計しlocalな材料で作られた建物である。建物タイプごとのdamage probability matrixも、被害建物の総面積に対するそのタイプの建物の被害面積の割合から求められた。Figure6はSM造のdamage probability matrixを示す。vulnerabilityと1年スパンの地震危険度の組み合わせから、25〜400galの地震動に対して求められたRC,BM,SMおよびMix建物の損失度(specific risk)の期待値はそれぞれ0.002,0.0064,0.006,0.009である。また、可能性のあるすべての地震を考慮して算出した各建物タイプごとの損失期待値をFigure7に示した。

Fig.6 Damage Probability Matrix for SM BuildingsFig.7 Specfic Risk for Building typs in Aswan Town

 本研究は、当該地域に予想される地震が建物タイプごとにどのような結果をもたらすかを示している。1年スパンの損失期待値だけでなく、震度ごとに予想される人的、経済的損失も求めた。効果的な要素を選び出していろいろな手法を適用することにより、被害確率がどう変化するかも見積もった。これらの知識は地域プランナーが新しい建築政策を立案する上で役立つであろうし、年平均の推定損失は保険料率を決定する際に利用できるであろう。本研究の結論とrecommendationは6章に要約されている。

審査要旨

 本論文はAssessmcnt of Seismic Hazard and Risk in Aswan Area.Egypt(エジプトアスワン地域の地震発生危険度と被災危険度の評価)と題し,全6章で構成される.

 第1章においては,本研究を企図した背景・動機について述べている.すなわち,1970年代にAswan High Dam(大ダム)が建設され,それに伴って周辺地域の人口増が進み,経済活動も盛んになり,エジプトにおける主要地域の一つとなってきた.この地域の地震活動は一般にがなり低いとされ,従来は地震防災についても特に大きな課題ではなかった.しかし,1981年にダム建設以前にはみることがなかったM=5.6の地震が発生し,以後この地域における地震危険度研究の必要性が次第に認識されるようになってきた.本研究は,このような事情を背景にして始まっている.したがって,主要な目的は1)この地域の地震発生危険度について定量的評価を行うこと,およびその自然の延長として,2)地域がもつ地震による被災の危険度を評価することにあり,両者を総合することで地域の地震防災計画に合理的基礎を与えるための知的資源を整備することにおいている.

 第2章は,地質テクトニックス的観点からアスワン地域活断層を含む地質構造,地質活動等について,また過去数1,000年にわたる歴史地震資料を文献的に整理して,本研究を下支えとなる系統的を得ている.

 第3章は地震発生危険度の評価の際,基本となる地震動強度(震度,加速度)に関する距離減衰特性関数を導いている.資料はエジプト全域の歴史上の主要地震12個を使い,まず震度の距離減衰式を得た.次いで,先の地震以後設置されたアスワン地域地震観測ネットによる記録資料にもとづき加速度(の最大値)の距離減衰式を地震の規模をパラメー夕として導出している.これらは世界の他の地域での既往実験式と比較することでその妥当性を検証している.

 第4章では,地震発生に関する危険度を確率的に評価するための種々の工夫が述べられている.当該地域の場合,本来的意味での,自然の地震活動に加えて大ダムの建設が地域の応力場を変えることが原因で起こる誘導性の地震活動がある.前者については地域の活断層調査にもとづく「線震源モデル」 (Linear Source Model)により,後者については地震観測を資料として得られる地域地震活動度を「面状震源モデル」(Areal Source Model)を当て,地震の発生危険度を反復期間20年,50年,100年のそれぞれについて震度および加速度の期待値として求めでいる.特に,アスワン市については1km×1kmのセグメントに分け,地震動入力期待値のマイクロゾーニングマップを作成している.

 第5章は,アスワン市を主対象に建物等がもつバルナラビリテイ(脆弱)特性について資料収集と整理を行い,地域の地震被災危険度評価を試みている.まず,建物については[鉄筋構造,組積造および混合型造]の主要3種類とし,現地調査を経て現有建物のバルナラビリテイを1,2,3(弱い-強い)に区分した.これに前章までに得られた地震発生の危険度(具体的には地域への入力強震動強さの期待値)を作用させることによって地域がもつ被災危険度が評価できるとし,これを行っている.最終的に出力される数値は種々の反復期間における建物種別毎の損失度(Specific Risk)の期待値である.

 第6章は終章であり,以上の成果をとりまとめるとともに,本研究成果の地震防災(長期)計画における活用の在り方について述べている.

 以上,本論文は途上国という困難な環境にあって,かつ大型ダム建設という人間の営みが地域の地震活動に影響し,誘導的に地震活動の活発化を招いた特異な状況下における地震発生危険度評価の在り方およびそれに伴う被災危険度の評価手法をエジプトアスワン地域という実際事例として研究開発し,地震防災の長期計画立案に基礎を与える重要な知見を提示し,知的資源の蓄積に成功している.研究の直接の成果が当該地域に有用となることは勿論であるが,同時に人間の営みが,この事例のように,結果として地震工学上の新たな課題を作り出すという状況は今後さらに増えるものと思われる.本論文は,このような新しい問題を考究するための道筋を開拓した先駆的研究でもある.よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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