本研究は、中国雲南省西双版納タイ族自治州を事例として多民族居住地域における先住民族の居住空間が地域開発とともにどのように変容してきたか、またそうした地域における地域開発のプロセスがどのようなものであるかを実地調査をもとに実証的に顕彰したものである。特に辺境開発の名のもとに少数民族の居住地に多数の漢民族が流入したことによって発生した多民族混住状態が、どのような経緯を経て現状に至り、民族紛争を起こさずに維持されているかを地域開発の側面から分析し、近代化政策のもとに急激な変化にさらされている少数民族の居住環境の変化のメカニズムを地域・都市・集落・住居の各レベルで空間変容と社会変容の両面から分析している。 広域的視点から見ると、漢族の移住は次の3段階に分けることが出来る。すなわち、新中国成立以降の国営農場建設に伴う漢族移住、文化大革命期の「下放」による漢族移住、そして改革開放政策以降の農村の余剰労働人口の流動化に伴う漢族移住の三段階である。これら漢族の流入が目立った民族対立を引き起こさなかった理由は、第一に国営農場が建設されたことによって農業技術や医療技術の面で少数民族にも恩恵が大きかったこと、平地民族と山岳民族の居住地域の中間地帯に漢族が戦略的に進出したこと、流入した漢族も農民であったため先住民族と搾取・被搾取の関係にならなかったこと、漢族の支配は点と線の緩やかな地域支配にとどまったこと、などがあげられるとしている。 都市および集落のスケールにおいては漢族都市の成長は点の支配期、線の支配期、自然放任期、漢族都市の完成期の四段階に分類でき、次第にタイ族集落が漢族都市のなかに包接されてゆく一定のプロセスがあることが明らかにされている。 集落および住居のスケールにおいてはタイ族集落と漢族集落とが次第に接触するようになり、流入する漢族が急増した段階で、タイ族の高床式住居の床下に漢族が居住を開始し、タイ族の借家経営がタイ族自身の生活形態を変容させている現状を明らかにしている。 とりわけ、タイ族住居内に見られる家具類を1989年・1991年・1993年の3段階で詳細に観察した結果、物質的世界の急激な変化のみならず民族的習慣・嗜好ならびに風土的要因に関する形態の緩やかな変化、宗教的形態に特徴的に見られる精神世界の遡及的変化の3つの類型的な変化が観察されることを明らかにしている。 続いて集落における社会生態系の物質循環について調査をおこない、かつてのほぼ閉じた物質循環システムの全容を明らかにし、その後の都市化の進行による生活様式の変化により、外部に対して開いた社会生態系へと変化していることを実証的に明らかにしている。 最後に都市計画的な視点から現在進行中の民族混住化の傾向について、先住民族のいびつな富裕化と漢族の土地利用面積の増大による将来の力関係の変化の可能性を予見し、先住民族の文化と民族的アイデンティティを保持するために都市における土地利用システムへの都市計画的なコントロールの必要性を強調している。 以上のように本論文は3度にわたる中国雲南省西双版納地区への長期間の現地調査を踏まえ、辺境貿易で急激に変容しつつある地域を先住民族と漢民族との混住のもたらす問題としてとらえ、地域・都市・集落・住居の各レベルで変容のメカニズムを多数の聞き取り調査をもとに実証的に明らかにしようとしたものであり、その意図は十分実現されているといえる。都市計画の方針や土地利用規制の実情など、公的な情報が著しく欠落しており、地方政府の協力を得ることも困難な状況のなかで、実地踏査と広範な聞き取りをもとに地域変容の実体を明らかにした業績は評価できる。さらに、実態報告にとどまらず、多民族の共生すべき地域環境・地域開発のあり方について示唆を与えているといえる。こうした視点は冷戦後、民族間の紛争が多発している世界状況にとって有益な視点であるといえる。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |