学位論文要旨



No 111088
著者(漢字) 菅野,博貢
著者(英字)
著者(カナ) カンノ,ヒロツグ
標題(和) 開発途上国の多民族居住地域における地域開発と先住民族の居住環境の変容 : 中国雲南省西双版納タイ族自治州を事例として
標題(洋)
報告番号 111088
報告番号 甲11088
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3332号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 西村,幸夫
 東京大学 教授 太田,勝敏
 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 助教授 大西,隆
 東京大学 助教授 北脇,秀敏
内容要旨 1研究の背景と目的

 多くの発展途上国では経済的発展を遂げることが国是とされ、多くの場合政治的課題を抱えながらも一途に開発行為を突き進めている。しかし、このような開発を推進する国家の枠組みの中に自らの意志とは無関係に取り込まれてしまった少数派の民族は、往々にして強引な開発の陰で犠牲となりながら、時には反旗を翻して血で血を洗う紛争を引き起こしている。

 中国の少数民族居住地域においても、多数派民族である漢族との間で多くの軋轢を経験してきたが、本研究で対象とする雲南省西双版納タイ族自治州(以下西双版納と略す)では、わずか数百km離れたミャンマー国境でカチン族(中国側の呼称はジンポー族)が繰り広げているような悲惨な戦闘状態は発生していない。実際にミャンマー側と構成民族がかなり共通しているにも関わらず、中国側でこのような激しい民族的対立が発生していない背景には、何らかの理由があるのではないかという疑問が本研究を開始する発端でもあった。

 一方、1980年代に入って中央共産党政府が改革開放政策を強力に推進し、中国の辺境地域においても活発な経済活動が繰り広げられる中で、メコン河流域諸国への窓口としての西双版納も、他の発展途上国の都市開発に劣らないほどの激しい地域開発の波に晒されてきた。その結果州都の景洪は都市域を急速に拡大させ、量洪周辺に立地していた先住のタイ族集落は、あるものは消滅し、またあるものは都市に同化するなど、激しい変化に晒されている。また、都市に隣接しない集落でも住人の生活形態は都市化の影響を強く受けて変化しており、彼らが伝統的に有していた自然との共存関係を放棄することによって、新たな環境問題を引き起こしている。

 これらの現状を踏まえたうえで、(1)辺境開発の名のもとに少数民族の居住地域に多数の漢族が入り込んだことで発生した新たな多民族混住状態が、どのような経緯を経て現状に至り、また表立った民族紛争を起こさずに維持されているのかを地域開発の側面から分析すること、(2)近代化政策のもとに急激な変化に晒されている中国少数民族居住地域における居住環境の変化のメカニズムを地域、都市、集落から住居に至るレベルで空間変容と社会変容の両面から分析し、個々の事象の変化の連続性とそれらの背景にあるより大きなシステム自体の変化について検証すること、の二点を本研究の目的とし考察を加えた。

2多民族居住地域における漢族の移住とその影響

 本研究は1987年3月から1994年5月まで、西双版納タイ族自治州の州都景洪を中心に地域から都市・集落、住居のスケールにおいて、そこに見いだされる様々な変化を記録してきた。これら調査記録を空間的変容と社会的変容の両面から総体的に整理、分析し、目的(1)について考察する。

1)広域的視点から-地域開発のプロセスにおける国営農場と少数民族

 漢族が少数民族へ与えた影響は多方面にわたるが、それらの影響は時代と共に変化していると考えられ、漢族が少数民族居住地域に移住し、生活域を拡大していくプロセスと密接な関係をもつ。この漢族の移住については、次の三つの時期に分けて見ることができることを示した。

 第一期-新中国成立以降の国営農場建設に伴う漢族移住

 第二期-文化大革命期の「下放」による漢族移住

 第三期-改革開放政策以降の農村の余剰労働人口の流動化に伴う漢族移住

 また、このような漢族移住と地域開発のプロセスから次の三期に分けて考察を加えた。

 第一期-平地民族と山岳民族の間の緩衝地帯における漢族の国営農場の建設期

 第二期-地方行政府の建設と漢族都市の建設期

 第三期-国営農場と行政都布、及び周辺主要集落とのネットワーク完成期以降

 このような少数民族居住地域への漢族移住の過程で、目立った少数民族との紛争は起こらなかったが、その理由は、1)国営農場を建設した漢族と同等以上に、先住の少数民族にもたらされた利益(物質的なものから農業・医療技術に至るまで)が大きかったこと、2)平地民族と山岳民族の居住地域のはざまの緩衝地帯に漢族が流入したこと、3)入植した漢族も農民であったため、先住民族から搾取することがなかったこと、4)漢族が一見地域全体を支配しているかに見えて、実際には点と線による緩やかな地域支配にとどまっていること、5)漢族と西双版納の少数民族との交流が歴史的に非常に古い時代から続いており、新中国成立以降の漢族流入に対しても大きな拒否反応がなかったこと、の5点が考えられた。

2)都市〜集落のスケールにおいて-漢族都市の成長とタイ族集落

 都市の成長過程の分析では、州都の景洪と景洪の南約76kmに位置する景洪県第二の都市ダーモンロンの都市拡大の記録、及び集落住人への聞き取り調査から、次の様な都市建設のプロセスが浮かび上がってきた。

 第一段階 点の支配期-タイ族居住地区における中心的な位置に人民政府などの中心的機関を建設する。幹線道路の建設も平行して行なわれる。

 第二段階 線の支配期-幹線道路の布設により中心的機関と他都市との連絡路を確保するとともに、幹線にそって市場や集合住宅等の建設が進む。

 第三段階 自然放任期-国家管理機関の建設や集合住宅の建設の完了後、他地域からの人口流入により自然発生的にバラック立て住居等を含む戸立て住宅が増え、住宅密度の低い地区ではこれらが先住民の住居を駆逐していく。一方、住居密度の高い集落では集落周辺に頑丈な壁が巡らされる。

 第四段階 漢族都市の完成期-粗悪な住居が立て込んだ地区ではこれらの住居群が一掃され、その上に新たな集合住宅が建設される。他方、集落の周囲に塀を巡らせた集落では市街地の中に都市内集落として存続するが、集落拡張の余地がないために住宅密度は極度に高くなる。

 この過程の中でも、特に第三段階の「自然放任期」のタイ族に対する漢族の影響が最も大きい。少数民族優遇政策の中にあって、漢族の開発手法は比較的穏やかであるが、結果的に先住民の集落を駆逐することに成功している。だが、集落或いは住居群としては消滅しても、一戸の住宅の回りに煉瓦塀を巡らせ、漢族の集合住宅の中に孤立して存続するタイ族住居の例も見られる。

 先住民であるタイ族の土地が徐々に侵食されていくことに対して、タイ族の側にも不満は少なくないが、以上のような段階を経て進行する開発の過程が、タイ族と漢族の間に直接的な対立をもたらさない一つの要因なのではないかと考えられる。

3)集落〜住居のスケールにおいて

 集落〜住居のスケールにおいては、次のような漢族の段階的移住が明らかになった。

 第一期-新中国成立直後-タイ族集落と漢族居住地は相互に空間的に独立して存在する。

 第二期-文化大革命期-タイ族集落と漢族国家機関が隣接して存在する(タイ族集落の曼允と武装警察隊のような関係)。

 第三期-少数民族優遇政策開始(文革終了)以降-タイ族集落と漢族居住区が隣接して存在する(タイ族集落の曼蚌口と州立病院職員宿舎のような関係)。

 第四期(前期)-改革開放政策以降-流入する漢族が急増し、タイ族高床式住居の床下への漢族の居住がはじまる。それによってタイ族は賃貸収入を得るようになる。

 第四期(後期-1994年現在)-改革開放政策の爛熟期-土地の使用権の譲渡、タイ族のアパート建設、高床式住居の床上まで含めた漢族への賃貸が盛んになる。

 このような漢族農民の流入は1994年現在も激しさを増しており、既に対象地域の景洪においても余剰労働力化する面がみられる。その一方で先住タイ族は賃貸料収入によって圧倒的な経済力をつけると同時に、若者を中心とする遊休労働力を作り出しており、これは今後大きな社会問題となる可能性がある。

3物質循環と居住環境の変容

 次に目的(2)について考察する。

 かつての集落における社会生態系の物質循環は、現在でも比較的伝統的生活を守っている集落の調査から、次の図のようにほぼ完全に閉じた状態であると考えられた。また、同調査から社会生熊系の中における家畜の役割が、人間の排出するゴミや排泄物を処理するうえできわめて重要な役割を担っていることが明らかになった。

図3-1 伝統的集落の集落社会生態系における物質循環(出典 現地調査による資料の分析により作成)

 だが、その後の都市化の進行による都市、集落、住居の変化から次の図3-2〜3-3のように変化しているのではないかと考えられた。

図表図3-2 1991年の調査による景洪周辺集落に見る物質循環と住居・集落形熊の変化 (出典 現地調査の資料の分析により作成) / 図3-3 1993年の調査による景洪周辺集落に見る物質循環と住居・集落形熊の変化 (出典 現地調査の資料の分析により作成)

 これらの比較で最も大きな変化は、外部に対して閉じた社会生態系から開いた社会生態系への変化である。特に集落の市街地化と集落人口の急激な増加は、汚染物質の集落内での処理を困難にし、集落自体の衛生環境を悪化させているだけではなく、山林へのゴミ投棄やメコン河への汚水排出が広域的な汚染をまねく危険性をはらんでいる。

 本研究では都市化に伴う集落社会生態系の変化を明らかにすることを目的としてきたが、ここで提示した変化のモデルによって、集落環境の変化が極めて連鎖的現象として現われることを実証するとともに、複雑な民族的背景を持つ開発途上地域の開発計画において、考慮すべき枠組みの範囲を示すことができたのではないかと考える。

審査要旨

 本研究は、中国雲南省西双版納タイ族自治州を事例として多民族居住地域における先住民族の居住空間が地域開発とともにどのように変容してきたか、またそうした地域における地域開発のプロセスがどのようなものであるかを実地調査をもとに実証的に顕彰したものである。特に辺境開発の名のもとに少数民族の居住地に多数の漢民族が流入したことによって発生した多民族混住状態が、どのような経緯を経て現状に至り、民族紛争を起こさずに維持されているかを地域開発の側面から分析し、近代化政策のもとに急激な変化にさらされている少数民族の居住環境の変化のメカニズムを地域・都市・集落・住居の各レベルで空間変容と社会変容の両面から分析している。

 広域的視点から見ると、漢族の移住は次の3段階に分けることが出来る。すなわち、新中国成立以降の国営農場建設に伴う漢族移住、文化大革命期の「下放」による漢族移住、そして改革開放政策以降の農村の余剰労働人口の流動化に伴う漢族移住の三段階である。これら漢族の流入が目立った民族対立を引き起こさなかった理由は、第一に国営農場が建設されたことによって農業技術や医療技術の面で少数民族にも恩恵が大きかったこと、平地民族と山岳民族の居住地域の中間地帯に漢族が戦略的に進出したこと、流入した漢族も農民であったため先住民族と搾取・被搾取の関係にならなかったこと、漢族の支配は点と線の緩やかな地域支配にとどまったこと、などがあげられるとしている。

 都市および集落のスケールにおいては漢族都市の成長は点の支配期、線の支配期、自然放任期、漢族都市の完成期の四段階に分類でき、次第にタイ族集落が漢族都市のなかに包接されてゆく一定のプロセスがあることが明らかにされている。

 集落および住居のスケールにおいてはタイ族集落と漢族集落とが次第に接触するようになり、流入する漢族が急増した段階で、タイ族の高床式住居の床下に漢族が居住を開始し、タイ族の借家経営がタイ族自身の生活形態を変容させている現状を明らかにしている。

 とりわけ、タイ族住居内に見られる家具類を1989年・1991年・1993年の3段階で詳細に観察した結果、物質的世界の急激な変化のみならず民族的習慣・嗜好ならびに風土的要因に関する形態の緩やかな変化、宗教的形態に特徴的に見られる精神世界の遡及的変化の3つの類型的な変化が観察されることを明らかにしている。

 続いて集落における社会生態系の物質循環について調査をおこない、かつてのほぼ閉じた物質循環システムの全容を明らかにし、その後の都市化の進行による生活様式の変化により、外部に対して開いた社会生態系へと変化していることを実証的に明らかにしている。

 最後に都市計画的な視点から現在進行中の民族混住化の傾向について、先住民族のいびつな富裕化と漢族の土地利用面積の増大による将来の力関係の変化の可能性を予見し、先住民族の文化と民族的アイデンティティを保持するために都市における土地利用システムへの都市計画的なコントロールの必要性を強調している。

 以上のように本論文は3度にわたる中国雲南省西双版納地区への長期間の現地調査を踏まえ、辺境貿易で急激に変容しつつある地域を先住民族と漢民族との混住のもたらす問題としてとらえ、地域・都市・集落・住居の各レベルで変容のメカニズムを多数の聞き取り調査をもとに実証的に明らかにしようとしたものであり、その意図は十分実現されているといえる。都市計画の方針や土地利用規制の実情など、公的な情報が著しく欠落しており、地方政府の協力を得ることも困難な状況のなかで、実地踏査と広範な聞き取りをもとに地域変容の実体を明らかにした業績は評価できる。さらに、実態報告にとどまらず、多民族の共生すべき地域環境・地域開発のあり方について示唆を与えているといえる。こうした視点は冷戦後、民族間の紛争が多発している世界状況にとって有益な視点であるといえる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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