学位論文要旨



No 111107
著者(漢字) 大森,拓也
著者(英字)
著者(カナ) オオモリ,タクヤ
標題(和) 計算流体力学的手法による船体操縦シミュレーション
標題(洋)
報告番号 111107
報告番号 甲11107
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3351号
研究科 工学系研究科
専攻 船舶海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮田,秀明
 東京大学 教授 加藤,洋治
 東京大学 教授 藤野,正隆
 東京大学 助教授 大和,裕幸
 東京大学 助教授 山口,一
内容要旨

 近年、相次ぐタンカーの海難事故による環境への影響が問題としてクローズアップさたことは記憶に新しいが、このような事故の原因の一つとして船舶の操縦性能の欠如が指摘され、国際海事機関は船舶の操縦性に関する基準を決議した。建造される船舶がこうした基準を満足するには、設計段階で十分な精度で操縦性能を推定することが重要である。従来も種々の方法により操縦性能の推定が行われてきたが、その推定精度を向上させる必要がある。このような状況を背景とし、船舶操縦性能研究のさらなる進展のために、これまで抵抗推進の分野で発達してきたNavier-Stokes方程式の数値解法による船体まわり流場の計算法をベースとした数値流体力学的手法の船舶操縦性能の研究の分野への応用の可能性を示すことを本研究の目的とした。

 現在使われている船舶の操縦性能の推定法としては、次のような方法が挙げられる。

 1.データベースによる操縦性能推定法

 2.数学モデルによる操縦性能推定法

 (a)応答モデルによる方法

 (b)流体力モデルによる方法

 3.自航模型試験による方法

 データベースによる推定法は、過去に建造した実船の操縦性能データベースから、計画船の操縦性能を推定するものである。類似船が存在する場合の推定には簡便であるが、船型の情報を取り入れる範囲に限界があり、新船型を設計する場合や肥大船のように微妙な船型の違いが問題となる場合には必ずしも有効な手段ではない。

 現在主として用いられているのは操縦運動を記述する数学モデルによる方法である。この方法は、利用するモデルによって大別できる。

 まず、応答モデルによる方法は、操舵と運動の応答モデルによって操縦運動を記述するものである。この方法はモデルが単純である反面、設計パラメータとモデルのパラメータの関係が複雑であり、部分的な設計変更の影響などを評価する際に問題を生じることから、次に述べる流体力モデルが主流となっていった。

 一方の流体力モデルによる方法は、船体の操縦運動を記述する水平面上の船体運動方程式を解くことによって船体の運動を求めようというものである。この場合、流体力による外力項の表現が問題となる。古くは流体力を船体運動のパラメータについてテイラー展開したAbkowitz型のモデルが用いられたが、現在広く使われているのは流体力を主船体・舵・プロペラそれぞれの要素に働く力及びそれらの干渉成分として記述するMMG型の数学モデルである。この方式によれば、部分的な設計変更の問題もより合理的に取り扱える。また、主船体・プロペラ・舵それぞれに理論的背景を持った取り扱いが可能である。MMG型の流体力モデルによる操縦性能推定の能力は、個々の要素に働く流体力の推定及びそれらの干渉要素の推定の能力によって決定される。個々の要素に働く流体力の理論的推定法としては、舵に働く流体力の推定法が早くから進んでいるが、主船体流体力の推定については、その流れ場の複雑さから理論的な流体力推定法は精度面で問題を抱えており、主船体流体力を求める手法としては拘束模型試験により流体力を求める方法が一般的である。拘束模型試験にはCMTとPMM試験の二つの方法があり、CMTは旋回角速度と横流れ角をパラメータとし、定常旋回運動を拘束模型によって行わせるものである。一方のPMM試験は、正弦関数の形で周期的な非定常運動を強制的に与える。

 一方、自航模型試験によって操縦運動を行い、操縦性指標を直接的に求める方法がある。この方法は、操縦性能が直接的に得られるが、計測精度や外乱の除去の問題・そして実船と模型船の尺度影響の問題などが残っている。

 数学モデルによる推定法が主流である現状に鑑み、主船体流体力の推定精度の向上は操縦性能の推定能力の向上にとって非常に重要なパートである。ところで、操縦運動中の主船体流体力に関する理論的研究としては、これまでのところ、斜航する主船体についての研究が主となっている。斜航する船体に働く流体力は、従来、非線形揚力面理論あるいは細長体理論による取り扱いによってきた。しかしながら、経験的なパラメータが必要なことや船型の表現能力が問題点であり、操縦運動中の主船体流体力の理論的推定の手法は依然として実用的な精度を備えるには至っていない。

 近年、抵抗の分野では一般的に用いられるようになってきた数値流体力学の手法は、人為的な仮定をあまり必要とせず、加えて船体形状の表現においても非常に優れている。粘性流場の数値計算の最大の欠点は計算時間がかかることであるが、近年の計算機の発達によりその欠点も克服されつつあるかにみえる。従って、主船体流体力の推定精度向上のために最も有力な手法は数値流体力学的手法であると考えられる。

 さらに、不明瞭な干渉係数などを排した、操縦数学モデルに頼らない操縦性能推定の可能性として、自航模型試験の数値シミュレーションが考えられる。数値流体力学の手法の応用性の広さはこのような非定常問題を取り扱うことも原理的には可能としている。

 以上のように、数値流体力学的な手法こそが船舶の操縦性能推定の精度の向上の目的で研究を進める上で最も適した手法であるということができる。そこで、本研究では、有限体積法に基づく非圧縮性非定常乱流の数値計算コードを用いて、計算流体力学的手法の船体操縦問題への応用の可能性を示すことをその主たる目的とする。抵抗・推進の分野で発達してきた数値流体力学の手法を船舶操縦運動問題に応用するためには、定常な拘束模型試験のみならず、非定常な船体運動を伴う問題への対応が不可欠である。この点を鑑み、定常問題と非定常問題それぞれに適した数値的手法を選択して使用することにした。

 また、操縦運動中の主船体回り流場の特質を明らかにし、船型と流体力の関係についての知見を得ることも本研究の重要な目的のひとつである。

 最初に、船体の様々な操縦状態を、定常問題と非定常問題の二つに大きく分類し、それぞれに適した手法を選択した結果、定常な操縦運動問題に対しては、船体固定座標系上で固定した計算格子において数値シミュレーションを行う方法を選んだ。一方、非定常な操縦運動問題に対しては、船体運動を移動格子・移動境界によって表現する手法を採用した。以下に述べる本文の内容は4つの問題に分かれているが、第一・第二の問題は定常問題であるので前者の方法を、第三・第四の問題には非定常問題であるので後者の方法を採ることとした。

 第一に、定常な拘束斜航試験の数値シミュレーション手法を開発し、主要目あるいはフレームライン形状の異なる各種の船型に対してその手法を適用し、斜航する主船体まわり流場や流体力・横力の分布(図1)を主要目の異なる場合からフレームライン影響のような細かな船型要素も含めて精度よく推定できることを示した。また、数値シミュレーションにより斜航時主船体まわり流場の特質や船型と流場および流体力の関係を明らかにした。加えて、自由表面適合格子によって自由表面を導入し、斜航時流場への自由表面影響について検証した。

 第二に、定常旋回問題の数値シミュレーション手法を開発した。船体固定座標系上の計算格子と、旋回運動による遠心力を表現するbody forceのNavier-Stokes方程式外力項への導入によって定常旋回状態を表現し、2隻の肥大船について旋回半径と横流れ角を変えてシミュレーションを行うことによってこの手法の有効性を検証した。その結果、各試験パラメータに対する流体力・横力分布(図2)の変化を定性的なレベルではあるが数値シミュレーションによって捉えることができることを示した。また、この数値シミュレーション手法によって、旋回時の肥大船主船体まわり流場の特質についてもある程度解明することができた。

 第三のステップとして、本計算法の非定常な物体運動を伴う問題に対する応用の有効性を検証するため、船体の非定常な強制運動を扱う数値シミュレーション手法を開発した。船体運動を移動格子による物体境界の移動によって表現する(図3)ことによって非定常な物体運動を伴う問題を取り扱う手法を用いた。この手法の検証のために非定常な拘束模型試験であるPMM試験combined motion testの数値シミュレーションを行った。その結果、回頭モーメントの推定精度には検討の余地を残しているが、横力については高い精度で非定常な流体力の変化を推定できる(図4)ことを示し、本手法の非定常問題への適用の能力を示すことができた。また、PMM試験を行う非定常な船体まわり流場の特質についての知見が得られ、実験的な調査が難しいこのような非定常問題には本研究で示したような数値的手法が有効であることを示すことができた。

 そして第四のステップとしては、自由航走を行う船体の操縦運動のシミュレーション手法を開発した。船体の非定常運動の取り扱いは強制運動を与える場合と同様であるが、強制運動を与える代りに、船体に働く流体力及びその他の外力から平面運動の運動方程式を解き、それによって船体の運動を与える手法を採った。外力としては推力と舵力を単純なモデル化によって導入し、Z試験の数値シミュレーション(図5)を行ってこの手法の有効性を検討した。流場がHPR干渉の自航状態でない点をはじめ、数多くの問題を抱えてはいるが、運動方程式と流場の数値計算を組み合わせたこの手法によって船体の操縦運動の数値シミュレーションを行えることを示すことができた。

 以上のように、船舶操縦性研究の様々な局面で現われる各種の操縦運動状態に対して、数値流体力学的手法による船体操縦運動の数値シミュレーション手法を開発し、流体力推定や流場推定、そして船型要素と流場・流体力の対応などの解析面で、あるいは自由航走状態の船体運動の直接的な数値シミュレーションによる船舶操縦性能推定の可能性を示すことによって、その有効性を提示することができた。

図表図1 船尾形状の異なる2隻の肥大船の斜航時の横力分布の計算値と実験値の比較 / 図2 船尾形状の異なる2隻の肥大船の定常旋回時の横力分布の計算値と実験値の比較 / 図3 船体運動に伴う格子変形の様子 / 図4 PMM試験の方位角と流体力の時間変化(上:実験値、下:計算値) / 図5 Z試験の数値シミュレーションにおける舵角と船体運動の時刻歴

 本研究は、これまで主として理論的な手法によってきた船舶操縦性能研究の分野に、数値流体力学的手法を導入し、その手法の有効性を示すことによって、船舶の操縦性能推定法のさらなる近代化の礎を築いたものであると位置付けることができよう。

審査要旨

 本論文は、計算流体力学的手法による船体操縦シミュレーションと題し、7章より構成されている。船舶の流体運動のかなりの部分は非定常な運動で、船体の運動とそれによる非定常流体力が船の運動性能の理解と評価に大変重要な意味を持つ場合が多い。本論文は、主に操縦運動時を対象とし、このようなシミュレーションを新しい計算流体力学技術によって説明することを可能にし、この技術の有用性をいくつかの応用例によって、明らかにすることを目的としている。

 第1章では、研究の背景と目的が述べられている。近年、海難事故の原因の一つとして船舶の操縦性能の欠如が指摘され、国際海事機関は船舶の操縦性に関する基準を決議した。これらの基準を満足するには、設計段階での操縦性能の推定精度を向上させる必要がある。そこで、これまで抵抗推進の分野で発達してきたナビエ・ストークス方程式の数値解法による船体まわり流場の計算法をベースとした計算流体力学的手法の船舶操縦性能研究への応用の可能性を示すことがこの研究の目的となっている。

 第2章では、この研究に用いられる計算コードについて述べられている。有限体積法に基づく非圧縮性非定常乱流の数値計算コードを用いている。船舶操縦運動問題を扱うには、定常問題のみならず、非定常な船体運動を伴う問題への対応が不可欠であるため、船体の様々な操縦状態を、定常問題と非定常問題に大きく分類し、それぞれに適した手法を選択した結果、定常な操縦運動問題に対しては、船体固定座標系上で固定した計算格子において数値シミュレーションを行い、一方、非定常な操縦運動問題に対しては、船体運動を移動格子・移動境界によって表現する手法を採用している。

 第3章では、定常な拘束斜航試験の数値シミュレーション手法について扱っている。主要目あるいはフレームライン形状の異なる各種の船型に対してこの手法を適用し、斜航する主船体まわり流場や流体力の分布を、主要目の異なる場合からフレームライン影響のような細かな船型要素も含めて精度よく推定できることが示されている。また、数値シミュレーションにより斜航時主船体まわり流場の特質や船型と流場および流体力の関係が明らかにされた。加えて、自由表面適合格子によって自由表面を導入し、斜航時流場への自由表面影響について検証している。

 第4章では、定常旋回問題の数値シミュレーション手法が扱われている。船体固定座標系上の計算格子と、旋回運動による遠心力を表現する体積力のナビエ・ストークス方程式外力項への導入によって定常旋回状態を表現し、2隻の肥大船について旋回半径と横流れ角を変えてシミュレーションを行うことによってこの手法の有効性を検証している。その結果、各試験パラメータに対する流体力・横力分布の変化を定性的なレベルではあるが数値シミュレーションによって捉えられることが示されている。また、この数値シミュレーション手法によって、旋回時の肥大船主船体まわり流場の特質についてもある程度解明できることが示されている。

 第5章では、この計算法の非定常な物体運動を伴う問題に対する有効性を検証するため、船体の非定常な強制運動を扱う数値シミュレーション手法が示されている。船体運動を移動格子による物体境界の移動によって表現することによって非定常な物体運動を伴う問題を取り扱う手法を用いている。非定常な拘束模型試験であるPMM試験combined motion testの数値シミュレーションを行い、その結果、高い精度で非定常な流体力の変化を推定できることを示し、この手法の非定常問題に対する適用性が示されている。また、PMM試験を行う非定常な船体まわり流場の特質についての知見が得られ、実験的な調査が難しい非定常問題に対する数値的手法の有効性が示されている。

 第6章では、自由航走を行う船体の操縦運動のシミュレーション手法を扱っている。船体の非定常運動の取り扱いは強制運動を与える場合と同様であるが、強制運動を与える代りに、船体に働く流体力及びその他の外力から平面運動の運動方程式を解き、それによって船体の運動を与える手法を採っている。外力としては推力と舵力を単純なモデル化によって導入し、Z試験の数値シミュレーションを行ってこの手法の有効性を検討している。流場自体は舵・プロペラを考慮した自航状態でなく、本格的な操縦シミュレーションとしては未だ問題を抱えてはいるが、運動方程式と流場の数値計算を組み合わせたこの手法による船体の操縦シミュレーションの可能性を示している。

 最後に、第7章で結論が述べられている。

 以上要するに、本論文は移動格子系を用いた有限体積法により操縦時の流れのシミュレーションを可能にした新しい数値解析法を開発し、いくつかの船舶の操縦に関連した運動に応用し、実験結果と比較考察し、本法の有用性と多方面への応用可能性を示したものであり、船舶工学と流体力学の発展に寄与することが大きい。従って、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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