学位論文要旨



No 111124
著者(漢字) 小林,大
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ダイ
標題(和) マイクロトンネルユニットの製作、評価、応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 111124
報告番号 甲11124
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3368号
研究科 工学系研究科
専攻 電気工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,博之
 東京大学 教授 原島,文雄
 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 助教授 堀,洋一
 東京大学 助教授 平川,一彦
 東京大学 助教授 川勝,英樹
内容要旨

 走査トンネル顕微鏡(STM)はオングストローム以下の分解能を実現することができるが、従来その装置自体はセンチメートル以上の寸法を持つものであった。しかるにトンネル現象に関わる領域は非常に微小であるから、トンネル電流を制御する機構、すなわち探針と微動アクチュエータをもったユニットは従来よりはるかに小さく(例えばミリメートル以下に)できる可能性がある。STMにおいてそのような小型化が行われてこなかった背景には、任意の試料を取り付けて観察する必要があるため、極端に小型化しても操作性が悪化するという事情もあるが、むしろ実現する技術が熟していなかったと言える。本研究は、近年発達してきたマイクロマシニング技術を利用してマイクロトンネルユニットを製作し、実験に基づいて評価を行い、応用について実験、検討を行ったものである。

 マイクロトンネルユニットには以下のような利点がある。熱膨張による探針位置のドリフトや、環境から受ける振動の影響は、構造が小さいほど軽減される。マイクロマシニングを利用するので、トンネル電流アンプ等の電子回路との集積が比較的容易である。マイクロトンネルユニットは、上述の(試料の交換などの)理由で任意の試料を観察するには必ずしも適さないが、トンネルバリヤの厚さに対するトンネル電流の敏感な変化を利用して、微小構造の変位検出に使用できる。原子間力顕微鏡(AFM)のカンチレバーの変位を検出するセンサとして利用すれば、従来のAFM装置の大きさ、複雑さを改善し、検出感度を向上できる可能性がある。STMに複数の互いに接近した探針を持たせたいという要求があり、その解答としてマイクロトンネルユニットが有望である。また将来、STMによる原子操作で情報記録を行うディスク装置が開発されるとき、そのピックアップとして高密度に探針を集積することができる技術としてこの技術が利用できる可能性がある。

 マイクロアクチュエータは、小型化することによって発生力と剛性が低下することが、ある程度避けられない。トンネルユニットのアクチュエータとして、発生力と剛性が低いものを使用すると、トンネル電極(探針とその対向面)間に存在する原子間力などが無視できなくなってくる。マイクロマシニングを利用したトンネルユニットは、すでにいくつか発表されているが、その多くは比較的大きなマイクロアクチュエータを使用しており、そのため小型化が制限されているが、発生力が大きいため制御は容易である。

 逆に本研究では、極力小さい寸法を実現することにより上述したマイクロトンネルユニットの利点をストレートに具体化する設計を行った。探針を横向きに配置し、それを櫛形静電マイクロアクチュエータで駆動することにより、1枚の基板上の500m角程度の面積に製作できる。また、他の微小構造を集積することも容易であり、それの変位を直接検出することができる。従来で最も小型な設計となった反面、剛性と発生力が小さく制御は難しい。本研究で製作したユニットを、探針の方向が基板に水平であることからLTU(Lateral Tunneling Unit)と呼ぶ。

 LTUの製作には、シリコンをベースにした表面マイクロマシニングの技術を使用した。図1に、製作したLTUを示す。構造は厚さ4mのポリシリコンでできており、マイクロアクチュエータ、トンネル探針、およびトンネル電極のもう一方を構成する対向面が同一基板に集積されている。構造の表面は導電層で覆われている。対向面としてAFMカンチレバー等の微小構造物を、同一の製作プロセスで集積したデバイスも製作した。

図1 製作したマイクロトンネルユニット

 製作上新規な点として、探針の先端のみを等方性エッチングで尖らせ、アクチュエータ等の構造は異方性エッチングにより垂直な壁面を持つように製作する技術を開発した。導電層として表面に堆積させる金属の種類を検討した結果、白金が適することがわかった。その堆積法を改良し、さらに堆積した白金層が十分な純度を有することをマイクロオージェ分析により確認した。また、基板から可動部を分離する際、可動部が基板に再付着するという、表面マイクロマシニング一般に課題となっている付着問題に対し、簡便で効果的な技術を開発して対応した。フォトレジストによって臨時の支えを形成し、分離、洗浄および乾燥工程で微小構造の付着や機械的破壊を防止する。臨時の支えは最後にO2アッシングで除去する。この技術により、分離時の歩留りを10%程度から90%以上に向上させた。

 LTUのアクチュエータは、印加電圧で直接に決定されるのは変位ではなく発生力である。その発生力が、アクチュエータの支持梁の剛性(バネ定数)によって変位に変換される。剛性は標準的な設計で2.2N/mと低く、発生力も10-6Nのオーダである。そのため、原子間力やメニスカス力の影響が無視できない。またLTUの可動部の機械的特性、は振動系を形成している。

 従来のSTM微動アクチュエータである圧電素子は、発生変位が印加電圧に比例するという素直な特性と高い剛性のため、積分制御で十分に制御可能である。それに対し、上述したようにLTUの特性は複雑で、積分制御では不十分であるためPID制御を使用した。PIDパラメータの決定には、真鍋多項式を使用した。高速な制御を可能にするため、電子回路の内部構造に踏み込んで高速化の検討を行った。

 上述のデバイスと制御器を用い、LTUの変位検出能力を評価する実験を行った。探針が基板の外に突き出すような位置で基板を劈開し、対向面を外部の圧電素子に取り付けた。トンネル電流の値を一定に保つことでトンネルギャップが一定に保たれるよう、マイクロアクチュエータの駆動電圧を制御すれば、圧電素子の伸縮に追従してマイクロアクチュエータの駆動電圧が変化する。図2は圧電素子の発生した変位(下)と、アクチュエータ駆動電圧の変化(上)である。この結果からナノメートルオーダの変位が検出できることが確認された。この実験は外部に圧電素子を取り付け、除振装置は用いていないので、LTU自体の検出限界はもっと小さいと考えられる。同様の装置で、AFM探針の変位をLTUで検出する実験も行った。これは同一基板上の微小構造の変位を測定した、初のケースと思われる。以上の工学面からの評価の結果、集積可能な変位センサとしてのLTUの価値が明らかになった。

図2 マイクロトンネルユニットによる変位検出圧電素子による変位(下)に対応してアクチュエータの駆動電圧が変化している

 次に、対向面は固定した状態でトンネル電流の大きさを変化させたとき、アクチュエータの駆動電圧がどう変化するかを調べる実験を行った。空気中ではPIDではなく積分制御でもLTUは非常に安定であり、積分時定数を大きく変えても振動することはなかった。また探針が強い斥力を受けていることがわかった。

 この斥力と安定性の原因を特定するため極高真空で実験を行ったところ、電流が急激に変化するため制御が困難になる現象が見られた。これは、原子間力の引力領域で、探針が対向面に吸い付けられるためにおこるものと考えられる。動作波形から引力のおよその大きさを推定することができた。その値は10-7Nのオーダであり、アクチュエータの発生力の10%にも達する。乾燥窒素で1気圧にしても振動は止まらないので、不安定化の原因は圧力ではない。表面のコンタミナントが何らかの役割を果たしているらしい。

 ここでアクチュエータのバネ定数と発生力を大幅に向上し、しかしそれに伴ってあまり大型化しないよう、設計をみなおした。10個のアクチュエータを結合し、支持梁(バネ)を太くすることによって剛性を120N/m以上に上げた。同時に櫛歯のギャップを極力小さくして発生力を稼いだ。

 以上の改善により、極高真空中でも限られた条件のもとでは安定な制御が可能になった。その結果、真空中でも斥力を受けていることがわかった。斥力の原因は原子間力と推定される。トンネル電流を1桁弱変化させるために必要なアクチュエータの発生力は4×10-7N程度であった。これはAFMを利用した既存の研究と矛盾しない値である。

 剛性が低い場合に真空中で観察された不安定の原因は、本来斥力領域にある動作点から、振動によって引力領域にまで探針対向面の距離が離れることがあるため、AFMで見られる"飛び移り"の現象と同様のことが起こっているものと考えられる。LTUは機械的なダンピングが低いため、動作点まわりでの振動が十分抑えられないようである。空気中では、コンタミナント(水など)が機械的ダンピングを向上させるため、安定していたと説明できる。LTUのモデルに基づいて設計したPID制御器が、振動を完全に抑制できなかったのは、モデルに斥力の影響が考慮されていないためと考えられる。

 真空中で安定なようにLTUを改良する場合、さらに剛性を増大させるか、ダンピングを大きくするという方法が考えられる。剛性の増大と小型化は相いれない要求であり、極端な増大は不可能である。何らかのダンピングを導入する方が小型化との矛盾がなく、制御も容易であろう、と結論できる。

審査要旨

 本論文は「マイクロトンネルユニットの製作、評価、応用に関する研究」と題し、微小な変位により真空トンネル電流を制御するデバイス(トンネルユニット)を、半導体マイクロマシーニング技術により製作し、その特性と応用を論じたもので9章からなる。

 第1章は「本研究の背景と位置づけ」であり、走査プローブ顕微鏡とそれへのマイクロマシーニング技術の応用の歴史を概説し、本研究の位置付けとしてトンネル顕微鏡のマイクロ化の意義が述べられている。

 第2章は「マイクロトンネルユニットに要求される特性」であり、トンネルユニットを超小型化するときに要求される諸特性を定量的に検討している。

 第3章は「マイクロトンネルユニットの設計」であり、第2章の仕様を満たすマイクロトンネルユニットの設計と製作法を検討している。この結果、トンネル電流検出用の探針を基板と平行な方向に動かす構造とすると、半導体マイクロマシーニング技術により、静電アクチュエータ、探針を含む可動構造、探針と対向する面などを一括で製作でき、十分な特性を確保しつつ大量生産が可能になることが分かった。

 第4章は「マイクロトンネルユニットの製作」であり、第3章の設計に基くデバイスの製作プロセスおよび使用材料の詳細と、製作したデバイスが示されている。特に、このような複雑な構造を基板から分離して可動にする際に、歩留りを下げる主因である付着の問題を解決するプロセスを新たに考案している。

 第5章は「制御系の構成」であり、マイクロトンネルユニットにより安定にトンネル電流を制御するための制御系について検討している。本デバイスはダンピングの少ない振動系となるため、その数式モデルを用いたシミュレーションにより、安定な制御特性をしめすPID制御パラメータの決定と、外乱を除去するためのオブザーバの設計を行なった。さらに現実の回路素子の特性にまで踏み込み、性能の高い制御器を構成する方法を示した。

 第6章は「マイクロトンネルユニットの特性評価」であり、大気中と極高真空中でのデバイスの動作特性を実験的に明かにしている。この結果、大気中でトンネル電流を極めて安定に制御できること、対向面の変位や凹凸を検出できることが分かった。しかし極高真空中においては、動作が不安定になり振動が生じた。この原因が針に働く強い斥力にあり、大気中では表面の汚損層が振動の減衰に寄与して安定化されていたものが、真空中で汚損が除去されるため顕在化するとの考察を行なった。

 第7章は「デバイスの改良による特性改善」であり、設計を見直しバネ剛性を100倍硬くすると共に、アクチュエータの発生力を100倍程度増加させたデバイスを作り、極高真空中においてもトンネル電流を制御することに成功した。この実験結果と既知のトンネル物性を比較し、探針に働く斥力の大きさ、不安定性の生ずる機構などを半定量的に考察している。

 第8章は「マイクロトンネルユニットの性能向上のための基礎技術」であり、今後さらに実用的なデバイスを製作する場合に必要となる基礎技術についての実験的検討や提案を行なっている。

 第9章は「まとめ」であり、本論文で得られた知見をまとめている。

 以上を要するに、本論文は微小な変位により真空トンネル電流を制御するマイクロトンネルユニットについて、要求仕様を満たすデバイスと制御器の設計を行ない、半導体マイクロマシーニング技術により実デバイスを試作し、大気中及び極高真空中において実験的にその性能を確認したもので、電気工学上貢献するところが大きい。

 よって著者は東京大学大学院工学系研究科電気工学専攻における博士の学位論文審査に合格したものと認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/1812