学位論文要旨



No 111136
著者(漢字) 杉浦,政幸
著者(英字)
著者(カナ) スギウラ,マサユキ
標題(和) レーザラマン分光法による気相成長半導体のその場観察
標題(洋)
報告番号 111136
報告番号 甲11136
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3380号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 河東田,隆
 東京大学 教授 神谷,武志
 東京大学 教授 鳳,紘一郎
 東京大学 教授 榊,裕之
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 助教授 中野,義昭
内容要旨

 今日の高度に発達した結晶成長法によって、近年、成長層の品質は格段に向上した。その成果の一つとして大きな格子不整合を持った物質における高品質のヘテロ構造の作成が可能になった事が挙げられる。しかし、このような格子不整合系には臨界膜厚と呼ばれるものが存在する事が知られている。膜厚が厚くなるにつれて格子不整合によって歪エネルギーが蓄積し、ついには、臨界膜厚において歪を緩和するための転位が成長層中に発生してしまう現象である。このように発生した転位は成長層の品質を劣化させ、ひいては、成長層に形成するデバイスの性能の劣化につながることは容易に想像できる。従って、結晶成長時に成長層中に蓄積する歪を正確に把握し、その動的な挙動を明確にする事は非常に重要である。この意味で、結晶の成長過程の動的な取扱いを含めて、"その場観察"は非常に重要な役割を持っていると言える。

 このような中で、今日広く利用されているその場観察技術の代表的なものとしては、Reflection High Energy Electron Diffraction(RHEED)がよく知られている。事実、この回折像から得られる情報によって今日のMolecular Beam Epitaxy(MBE)法は成り立っていると言っても過言では無い。しかし、RHEEDの様な電子線を用いた評価法ではその応用範囲が高真空中に限られるという欠点がある。これに対し、工業的な立場からは、MBE法よりも結晶成長技術としては生産性が高く大面積にも応用が容易にできる化学気相堆積(CVD)法の方が有利であるということも考え合わせると、低真空中、あるいは、大気圧中でも応用が可能なその場観察技術が期待される。

 ラマン分光法は光をプローブとして用いているため、装置内への光の導入方法、散乱光の集光方法に若干の工夫が必要であるが、雰囲気に対する制限が殆ど無いのは当然のこと、測定対象も幅広いという特徴を備えている。さらに、原理的にはラマン分光法によってStokes光とanti-Stokes光との比による試料温度の見積もり、成長層からのラマン光の強度による成長層の膜厚測定、半値幅による結晶性の評価といった半導体の多くの特性を知る事ができる事を考えると、CVD法のような低真空あるいは大気圧中における成長法のその場観察の手段として非常に有用であると考えられる。

 本論文では、CVD法のような低真空あるいは大気圧のような雰囲気における成長方法に対して適用できるその場観察の手段としてラマン分光法を提案し、その手法及び実験について述べている。

 前半では、本実験で用いたラマン分光法を用いたその場観察装置の具体的な構成について述べるとともに、ラマン分光法を用いてその場観察を行う際の問題点及びその解決方法について述べた。

 ラマン分光法を用いてその場観察を行う際の問題点には、石英からのラマン散乱光、高温の炉からの熱の問題、測定用窓の確保の問題があげられる。本論文では、それぞれの問題についての対処方法について次のような方法を具体例として述べた。

 ・石英からのラマン散乱光

 →入射光に対して直角の偏光成分のみを分光し、石英からのラマン散乱光を除去する。

 ・高温の炉からの熱の問題

 →Ar+レーザの488.0nm線を使用する。

 →長焦点距離のレンズを使用し高温部との距離をとる。

 ・測定用窓の確保

 →測定用の窓部分の温度を適当な温度に制御し反応生成物の付着を防ぐ。

 そのほかに、後に述べる成長層中の歪の評価において測定精度を向上させるために試料温度のふらつきを±2℃以下に抑え、温度の再現性を高めるといったことにも留意する必要があること、入射光の入射方法の改善についても述べた。また、実際にその場観察をラマン分光法を用いて行った結果について述べ、その結果から以下のような結論を導きだした。

 ・700℃でSi基板上に成長させた厚さ300nmのGaP薄膜において薄膜中の格子不整合歪の蓄積を観察した結果、GaPとSiの格子定数差から予想される大きさのおよそ4割程度の歪しか蓄積しておらず、格子定数差から発生する歪の多くが成長直後に既に緩和していることを明らかにした。一方、厚さ1mのGaPにおいては格子不整合歪は完全に緩和していることが観察され、膜中に蓄積する歪は成長中に膜厚が厚くなるのに従って徐々に緩和して行くことを示した。このことは、GaPとSiのような熱膨張係数差の大きい物質では室温における観察からは結論しがたい現象であり、それをとらえられるのは本実験装置の大きな特徴である。

 ・厚さ1mの試料については、熱膨張係数差から発生すると考えられる熱歪の変化を観察するため、成長後から100℃毎の歪を測定した。その結果、bi-metal modelから予想される歪から見積もられるフォノンの波数シフト量に良く一致したシフトが観測され、成長後の降温過程において、GaP/Siの系では熱歪は高温でもほとんど緩和せず、冷却直後から徐々に蓄積していることが確認された。

 後半においては、ラマン分光法による高温での歪の評価の際に問題となる変形ポテンシャル定数の温度依存性について実験的、理論的に検討を行った。

 まず、はじめに実験的に変形ポテンシャル定数の温度依存性を求める方法を提案し、その原理と結果について述べた。その方法とは試料に機械的に歪を発生させ、歪によるフォノンの周波数の変化量の温度依存性を測定するというものである。この場合、フォノンの周波数の変化量は歪量と変形ポテンシャル定数の積に比例することから歪を一定に保ちさえすればフォノンの周波数の変化量の温度依存性は変形ポテンシャル定数の温度依存性に等しくなるという原理を利用している。しかし、先の実験と合わせて、本来ならば試料としてはGaPを用いるべきなのであるが、GaAs、GaPをはじめとするIII-V族化合物半導体のようなもろい材料には、この方法を適用することは事実上不可能であった。そこで広く半導体として用いられ、その物性定数もよく調べられているSiを試料として実験を行った。その結果、変形ポテンシャル定数は温度の上昇に従って徐々に増加する傾向を有することが示された。

 またさらに、実験によって得られた変形ポテンシャル定数の温度依存性についてquasi-harmonic近似を用いて理論的な検討を行った。格子を形成する原子が感じるポテンシャルを4次の項まで考慮して計算を行った結果、実験結果で得られたような温度依存性をもつことを定性的に示すことができた。また、温度依存性の目安としては熱膨張で表される熱的歪の大きさが重要な役割を持つことが示された。つまり、熱的歪の小さい領域ではほとんど温度依存性は無視できるが、熱的歪の大きい領域つまり高温領域では無視できないことが示されたのである。

 この結果に基づけば、先のその場観察によって観察された高温における歪量は多少大きく見積もられたことになる。論文ではこの点を克服する実験の可能性を述べ、実際にGaP/GaAs構造を用いてGaPの持つ変形ポテンシャル定数の温度依存性を見積もった。

 具体的には、GaP/GaAs構造における降温過程における波数のシフトを測定し、その結果と格子定数まで考慮したbi-metalモデルから予想される歪量を用いてGaPの変形ポテンシャル定数の温度依存性を求めた。その結果をその場観察の実験結果に応用した結果を図1に示す。これによりこれまでの変形ポテンシャル定数の温度依存性を無視したモデルでは説明のつかなかった高温領域での波数シフトの異常な振る舞いを、温度依存性を考慮することによってかなり良く説明できることがわかる。この結果、その場観察においては温度依存性を考慮する必要性があることが理解されたわけであるが、低温領域においては、残念ながら補正項が過大評価されているために生じる誤差も指摘できる。その意味では、より高次の温度依存性を考慮した正確な温度依存性の測定が今後の課題であり、また必要であると結論できる。

図1:実験結果(□印)とbi-metalモデルを用いて見積もった波数のシフト量。破線は変形ポテンシャル定数の温度依存性を無視した場合、実線は変形ポテンシャル定数の温度依存性を考慮して計算した場合を示す。

 最後にラマン分光法は原理的にも半導体の様々な特性を評価することができ、なおかつ、雰囲気にほとんど制限されないその場観察が可能という非常に優れた評価手法であると言える。近年の結晶成長技術の発達によって、ラマン分光法よりも優れた評価手法が登場し、決して万能という訳にはいかないが、本実験のようにラマン分光法ならでは分野の開拓によってその役割はまだまだ重要な位置を占めてゆくものと予想される。その意味で、本研究が今後の評価手法の一つの足がかりとして役立つことを期待したい。

審査要旨

 本論文はレーザラマン分光法により、気相成長中の半導体結晶をその場観察する手法及び装置を開発し、その装置を用いて評価したガリウムリン(GaP)結晶層中の歪について、評価結果の妥当性を、理論的かつ実験的に明らかにしたもので、7章から成る。

 第1章は序論であって、本研究の背景、本研究の目的と意義、及び本論文の構成について、述べている。

 第2章は、本研究に用いられた評価手法と題し、本研究で用いたレーザラマン分光法及びX線回折法について、解説している。前者については、特に半導体結晶中の歪の評価に関し、原理、計算方法及び評価の際注意すべき点を述べている。また、本章では評価法のほか、評価を適用したGaPのクロライド系気相エピタキシーに関しても、その原理を説明している。

 第3章は、ラマン分光法を用いたその場観察装置と題し、本研究で開発したレーザラマン分光法による気相成長中の半導体結晶のその場観察の手法及び装置について、述べている。ラマン分光法を用いてその場観察を行う際の第1の問題点は、気相成長に用いる高温の石英からのラマン散乱光と、評価すべき半導体からのラマン光との分離で、その解決法としては、入射光に対して直角の偏光成分のみを分光する対策をとった。第2の問題点は、高温の炉からの熱に対する対策で、そのためには、アルゴンイオンレーザのより短波長の光、488nm線を使用するとともに、長焦点距離のレンズを使用し、高温部との距離をとったことを述べている。また、第3の問題点は、気相成長で発生する反応生成物により、測定用窓が汚染されることにあり、そのためには、測定用の窓部分の温度を制御する方法をとった。そのほか、試料温度のふらつきを±2℃以下に抑え、温度の再現性を高めたり、雑音の軽減策をとったことなどについても述べている。

 第4章は、ヘテロ成長層中の歪のその場観察と題し、本研究で開発したレーザラマン分光法によるその場観察装置を用い、気相成長中の半導体中の歪を評価した結果について、述べている。半導体としては、シリコン(Sl)基板上へのGaPのヘテロ接合構造を、また気相成長としては、ガリウム(Ga)及び三塩化リン(PCl3)を原料とし、水素をキャリヤガスとするクロライド気相成長法を採用した。その場観察装置により測定されたGaPからの横モード光学(TO)フォノンの波数のシフトから、GaP中の歪の大きさを評価した。評価は700℃の成長温度から、室温までの冷却過程で行った。その結果、700℃においては厚さ300nmのGaP薄膜中の歪の大きさは、GaPとSlの格子定数差から予想される値の約40%であり、格子定数差から発生する歪の多くが、成長直後に緩和していることが、明らかになった。一方、厚さ1mのGaPにおいては、格子不整合による歪は、完全に緩和されていた。これらのことから、GaP薄膜中に蓄積する歪は、薄膜が厚くなるにつれ、徐々に緩和することが、明らかになった。また、厚さ1mのGaP薄膜中には、冷却過程において、熱膨張係数差によると考えられる歪が発生した。その大きさは、バイメタル・モデルから計算される値と、ほぼ一致していることが明らかになった。

 第5章は、変形ポテンシャル定数の温度依存性と題し、ラマン分光によって高温における歪を評価する際に問題となる変形ポテンシャル定数の温度依存性について、実験的、理論的に検討した結果を述べている。まず、高温においても、試料に一定の歪を加えられる装置を開発し、それを用いて、ラマン分光法によりフォノンスペクトルの波数シフトを測定し、その結果から、変形ポテンシャル定数の温度依存性を求めた。変形ポテンシャル定数は温度の上昇とともに徐々に増加する傾向を示したが、その結果は理論的にも妥当であることが明らかになった。このことから、ラマン分光により、高温領域で半導体中の歪を評価する場合は、変形ポテンシャル定数の温度依存性を考慮すべきであると、指摘している。

 第6章は、その場観察への温度依存性の適用と題し、実験的に求めたGaP中の歪の値について、変形ポテンシャル定数の温度依存性を考慮して、説明した結果を述べている。変形ポテンシャル定数の温度依存性を無視したモデルでは説明のつかなかった高温領域でのフォノン波数の依存性が、温度依存性を考慮することによって、かなり良く説明できることが、示されている。

 第7章は総括であって、本研究の結論を述べている。

 以上これを要するに、本論文は気相成長中の半導体結晶を、レーザラマン分光法によりその場観察する手法を開発し、その手法を用いてシリコン基板上のガリウムリン薄膜中の応力を評価することによって有効性を示し、更に応力の起源について検討を加えたものであり、半導体プロセス技術の発展に寄与すること大であって、電子工学に貢献するところが大きい。

 よって著者は東京大学大学院工学系研究科電子工学専攻における博士の学位論文審査に合格したものと認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/1864