学位論文要旨



No 111137
著者(漢字) 多久島,裕一
著者(英字)
著者(カナ) タクシマ,ユウイチ
標題(和) 光ファイバ通信におけるスペクトル拡散技術とその応用
標題(洋)
報告番号 111137
報告番号 甲11137
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3381号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菊池,和朗
 東京大学 教授 藤井,陽一
 東京大学 教授 神谷,武志
 東京大学 教授 保立,和夫
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 助教授 中野,義昭
内容要旨

 光ファイバ通信は、低損失・広帯域・電磁誘導に対して強いといった特徴を有し、大容量・長距離伝送という点ではこれまでの電気通信に対して圧倒的な優位性を確立している。国内では既に数Gbit/secの基幹回線網が都市間を結び、国際通信においても無再生で太平洋を横断する光通信システムの計画が進められている。このように急速に発展してきた光ファイバ通信であるが、伝達網という視点からみると単に伝送という分野にしか貢献していない。広帯域通信網を実現するためには、光のままで多対多の通信を行う技術が必要であり、現在のところ光交換や光クロスコネクトといった分野の研究がはじめられている所である。

 一対一から多対多へと形態を発展させるにあたり、研究の歴史の古い電気無線通信の分野から学ぶべき所は多い。本論文で取り扱うスペクトル拡散技術も、1950年代から無線通信の分野で培われてきた技術である。どのような技術かというと、信号をそのまま送るのではなく、拡散符号という特別な符号を用いてもう一度変調し、受信側では同じ符号を用いて逆に復調するという操作を行う。これにより秘話性・秘匿性・符号によるランダムアクセスといった従来の通信方式にはない特徴を持ち、移動体通信や軍用通信など様々な応用が試みられている。光の分野にスペクトル拡散を持ち込む最も大きな魅力は、「符号を用いた非同期ランダムアクセス」(光CDMA:Optical Code-Division Multiple Access)である。これにより従来から提案されている周波数・時間を用いた多元化技術とは別の次元を与えるものであり、周波数共用できる点や局間の同期を必要としない点は、システムを設計する上で大きな自由度を与える可能性がある。以上のような利点を求めてスペクトル拡散の光通信への応用が研究されている。

 本論文では、まずこれまでの光スペクトル拡散技術を概観し、そのほとんどがスペクトルを操作するという意味ではなく、単に符号の直交性を利用して多元接続を行っている点を指摘した。つまり、光スペクトル拡散と光CDMAは同義ではない。そして、システムとしての性能(周波数占有帯域、チャネル数、通信品質など)を考慮した場合には、光のスペクトルを直接操作する方式が最も優れる可能性があることを述べ、このために必要なスペクトル拡散法について議論した。光の場合は、外部位相変調器を利用することができ、離散符号だけではなく連続的な波形でも位相変調することができ、さらには多数の光信号を一括して変調できるなど、多くの利点を持つ。また半導体レーザの直接周波数変調なども利用することが可能で、この場合は数十GHzに及ぶ拡散帯域を容易に得ることができるといった特徴を持つ。両方の場合において、各種変調波形による拡散帯域幅とシステムへの応用についての議論を行い、光スペクトル拡散の基礎とした。

 次に光通信システムへの応用について検討している。まず符号による非同期ランダムアクセスという特徴を生かし、通信システムではなく交換システムへの応用について検討した。これは従来、スペクトル拡散通信システムで、送信機・受信機が有していた拡散・逆拡散の機能をそれぞれから分離し、一箇所に集約することにより交換機として動作させようというものである。スペクトル拡散システムとして見た場合、拡散符号に関する要求が緩和されろ、拡散符号間の同期が基本的に不必要になるなどの特徴を持つ。また光交換機としては、1対多・多対1などの柔軟な機能が実現でき、光学系の変更無しにそれらの機能を混在できるという長所を持つ。

 交換機としての性能は、チャネル数、クロストークにより評価されるが、本方式の場合はクロストークの代わりに接続されない入力からの信号がS/N比を劣化させる要因になり、これにより拡散できる帯域幅とチャネル数が独立なパラメータでなくなる。チャネル数を増加させるためには、拡散帯域幅を大きくしなければならないが、従来用いられてきた2進拡散符号では、拡散帯域幅は位相変調器の帯域幅で制限されてしまい十分な性能が得られない。そこで、本論文ではガウス雑音のようなアナログ波形を拡散符号の代わりに用いることを提案した。これにより、拡散帯域幅を位相変調の帯域と深さにより制御できるようになり、rad程度の位相回転で約8dB(6倍)のS/N比の改善が実現できることを理論的に明らかにした。

 さらに原理確認のために2×1交換システムを試作した。まず拡散符号として2進ランダム符号とガウス雑音の2種類で実験を行い、拡散符号を切り換えることにより信号の切り換えが可能であることを示した。さらに、交換システムの前後に送受信機を配置し、符号誤り率測定を行い、通信品質の劣化を定量的に把握した。この実験により、チャネル数と符号誤り率の関係を確認し、理論値を支持する結果を得た。また、交換システム構築にあたっての問題点として、不完全な逆拡散の影響を挙げ、これについても検討を行った。

 次にスペクトル拡散技術の別の応用として、狭帯域性の非線形光学効果の抑制を行った。これは、スペクトル電力密度を操作することによる新しい応用であり、無線通信のスペクトル拡散には対応するものはない。光ファイバは、細径で損失が低いため、高い電力密度の光が狭いところに集中し、しかも相互作用長が長くとれることになるためバルクよりもはるかに低い閾値パワーで非線形光学効果が発生する。単色性のよい光源を用いた場合には誘導ブリユアン散乱がわずか数mWで発生し、実質的な送信パワー上限が制限されてしまう。このため、受動分配器を用いた光分配システムや長距離無中継伝送システムにとってはシステム設計上著しく自由度が減少することになり、誘導ブリユアン散乱を抑制する必要がある。

 ここではスペクトル拡散を用いて光源のスペクトル電力密度を下げることにより、誘導ブリユアン散乱の抑制を行った。拡散方法としては、搬送波周波数を掃引するのが最も簡単で有効であることを示し、抑制効果が拡散帯域幅とブリユアン利得帯域幅の比で決まることを明らかにした。また本手法を取り入れた伝送システムを構築し、誘導ブリユアン散乱閾値パワーをはるかにこえた送信パワーでの伝送を、符号誤り率の劣化無しに行った。

 また本実験中に拡散のための掃引周波数が特定の値で伝送路がモードロックレーザ化する現象を発見し、これを手がかりに誘導ブリユアン散乱の動的性質を解析した。ブリユアン散乱自体は、均一なスペクトル広がりを持つ効果だと考えられていたが、空間的な相互作用を考慮すると不均一広がりをもつ効果として捉えることができ、条件次第では変調不安定を引き起こすことを理論的に予言した。そして、本解析を基礎として、これまでに確認されているブリユアンレーザの動作やブリユアン散乱発生時の挙動のすべてが説明できることを示した。

審査要旨

 本論文は、"光ファイバ通信におけるスペクトル拡散技術とその応用"と題し、スペクトル拡散技術の光ファイバ通信システムへの適用性を体系化し、その特徴を生かした新しい応用を論じたものであり、5章から構成されている。

 第1章は"緒論"であり、本研究の背景と目的について述べている。すなわち、無線通信で開発されたスペクトル拡散技術を光ファイバ通信システムに導入することの意義を論じ、研究の背景を明らかにするとともに、論文の構成を示している。

 第2章は、"光ファイバ通信システムにおけるスペクトル拡散技術"と題し、スペクトル拡散を光領域で行うための方法に関して、(1)多元接続を行うためのスペクトル拡散と(2)スペクトル電力密度を下げるためのスペクトル拡散という2つの視点から、検討を行っている。

 光領域におけるスペクトル拡散技術を分類・整理し、その中で、コヒーレント方式の優位性を示したのち、各種スペクトル拡散手法について、拡散スペクトル電力密度の解析を行った。単にスペクトルを広げるという意味では、ガウス雑音によって周波数・位相変調するのが最も簡便であるが、拡散・逆拡散による多元接続には不向きであり、この場合には、2進ランダム符号による位相変調が有効であることを示した。

 第3章は"スペクトル拡散技術を用いた光交換"と題し、スペクトル拡散のもつ多元接続性に着目した光交換システムへの応用について論じている。

 まず、新たに提案された光交換システムの基本性能について検討した。従来のスペクトル拡散通信で用いられている2進ランダム符号を用いるよりも、ガウス雑音のようなアナログ雑音を用いた方が、許容チャンネル数が多くなることを示した。さらに、基本性能を確認する目的で、2×1スペクトル拡散光交換機を構築し、ガウス雑音を用いた拡散・逆拡散によって、複数の入力信号をスイッチングできることを確認した。また、交換機の入出力端に送受信器を配置し、符号誤り率の測定を行った。チャンネル数と符号誤り率の関係を求め、理論の検証を行った。

 最後に、本システムの応用について検討し、空間スイッチとしてだけではなく、時分割・周波数分割スイッチにもなり得ることを示した。さらに、この検討に基づき、本システムのパス網・回線網、ATM網への適用可能性を論じた。

 第4章は、"スペクトル拡散を用いた誘導ブリユアン散乱の抑圧"と題し、スペクトル拡散を行ってスペクトル電力密度を下げることにより、ファイバ中の誘導ブリユアン散乱の発生を抑制する方法について検討を行っている。

 ブリユアン利得帯域はファイバ中の音響波の緩和時間で決まるため、約100MHzと非常に狭い。このため、スペクトル拡散によって信号スペクトルを広げることにより、誘導ブリユアン散乱の抑制が可能であることを示した。スペクトルを拡散する方法として、半導体レーザの注入電流に正弦波を重畳する方法を取り上げ、抑制効果を実験・理論両面から確認した。本手法を取り入れた伝送システムを構築し、誘導ブリユアン散乱閾値をはるかに越える信号光パワーでの伝送を、符号誤り率の劣化なしに実現した。

 またこのとき、変調周波数が、ファイバを光が往復する時間の逆数に等しくなると、ブリユアン散乱抑制効果が失われ、ブリユアン散乱光がパルス化する現象を見いだした。ブリユアン利得の理論解析を行い、利得スペクトルにホールバーニングと変調不安定が現れることを発見し、ブリユアン散乱光のパルス化は、この変調不安定とファイバの端面反射の複合効果として理解できることを示した。また、これまで報告されているブリユアンレーザや増幅器の不安定現象が、ほとんど全て、利得スペクトルのホールバーニングと変調不安定により説明できることを示した。

 第5章は本論文の"結論"であり、本論文の成果と意義をまとめている。

 以上を要約すると、本研究は、スペクトル拡散技術の光ファイバ通信システムへの適用性について体系的に論じ、スペクトル拡散のもつ多元接続性に着目した光交換システムへの応用、および電力スペクトル密度の低減に基づく光伝送システムにおける誘導ブリユアン散乱抑制への応用の検討を行ったもので、電子工学への貢献が大きい。

 よって著者は、東京大学大学院工学系研究科における博士の学位論文審査に合格したものと認める。

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