本論文は、半導体量子井戸を用いた導波路型光変調器の構造の改良により光変調特性を偏光無依存化する方法について、理論および実験的研究を行なった成果を、6章にわたり記述したものである。 第1章は序論であって、本研究の背景と目的および論文構成が述べられている。半導体量子井戸において、厚さ方向に電界を印加すると、光学遷移吸収端がエキシトン光吸収ピークを伴って低エネルギー側に大幅にシフトする量子閉じ込めシュタルク効果が生ずる。これにより吸収端付近の光波長域において大きな光吸収係数変化、屈折率変化が得られるので、導波路型の光変調器ならびに光スイッチにも応用され、それらの小型化、低電圧化、高速化に役立っている。しかしながら通常の矩形ポテンシャル分布量子井戸を用いた素子においては、光変調度は、TE(transverse electric)偏光モードに対しては大であるが、TM(transverse magnetic)偏光モードに対しては小であって、偏光依存性が大きい。光交換やある種の光波利用計測などの分野においては、上記の素子を偏光無依存化することが肝要であるが、詳しい研究は従来ほとんどなされていなかった。本研究の目的は、矩形分布以外の変形ポテンシャル分布構造を導入することにより量子井戸を用いた導波路型偏光無依存光変調器を実現すること、並行して、複雑な変形ポテンシャル量子井戸を理論的に簡便に取り扱う手法を提供すること、および作製誤差の影響を受けにくい変形ポテンシャル構造を探求することである。 第2章は「半導体量子井戸光変調器」と題し、本研究に用いた研究手法その他を記述している。すなわち、量子閉じ込めシュタルク効果とその解析方法、分子線エピタキシー法による量子井戸試料作製方法とそれにおけるRheed振動による成長レート測定結果、矩形ポテンシャル量子井戸光変調器の偏光依存性の実測結果等が要約されている。 第3章は「放物線量子井戸を用いた偏光無依存光変調」について論じている。矩形ポテンシャル量子井戸においては、シュタルリシフトエネルギーがキャリアの実効質量に比例するので、電子-軽い正孔遷移のシュタルクシフトは電子-重い正孔遷移のそれよりも小さく、これがTE光よりもTM光が光変調を受けにくいことの一大原因となっている。放物線ポテンシャル量子井戸を採用すれば、シュタルクシフトは実効質量に無依存となるので、偏光無依存化に有用である。実際のpin接合導波路型素子では、i型導波層に10組程度以上の量子井戸を積み重ねた多重量子井戸(MQW)を挿入する必要があり、各量子井戸の均一性が強く要求される。このことから、7個のGaAs極薄井戸が6枚のAl0.3Ga0.7Asトンネル障壁により結合された超格子列疑似放物線ポテンシャル構造を各量子井戸とするMQW試料を作製して実験した結果、光吸収変調および屈折率変調の偏光無依存化にある程度成功している。しかしこのような試料においても、フォトルミネッセンス、光吸収係数等の励起子ピークのブロードニングが顕著に生じていることを見出しており、ブロードニングは各量子井戸の中央付近にある2個の超薄膜障壁の厚さの不均一に起因していると推定できることを数値計算等により明らかにしている。 第4章では「井戸幅の相違を利用した偏光無依存光変調」と題し、重い正孔に対して実効的井戸幅が小、軽い正孔に対して大となるような新しい量子井戸構造を提案し、詳細に研究を行なっている。矩形ポテンシャル量子井戸におけるシュタルクシフトは実効質量と井戸幅の4乗との積に比例することに着目し、軽い正孔に対する実効的井戸幅を重い正孔に対するそれよりも大、例えばGaAs量子井戸では1.4倍程度にすれば、上記2種類の粒子のシュタルクシフトを一致させ得ると考えられる。具体的には、矩形ポテンシャル量子井戸に厚さ数モノレイヤー程度の薄い障壁を2枚挿入し、中央部の量子井戸1個と両側の小さな量子井戸2個とに分割する。重い正孔は中央部の量子井戸にほぼ閉し込められるのでその実効的井戸幅は小さく、軽い正孔は上記障壁をトンネルして外側の小さな量子井戸部分にまで広がるので、実効的井戸幅が大となる。これを障壁挿入の質量依存性井戸幅量子井戸と名付け、詳しい計算により設計指針を明らかにし、実験により確認している。その結果、長さ514mのAl0.3Ga0.7As/GaAsリッジ導波路型光変調器において、6Vの印加電圧で28nmの広い波長範囲にわたりTEモードTMモードとも-10dB以上の偏光無依存消光比を得ることに成功した。この新しい量子井戸構造の特長は、挿入した2枚の薄い障壁が量子井戸の中央部から離れているために、それらの厚さが少々不均一になっても励起子ピークのブロードニングは少なく、良好な偏光無依存光変調を可能にしていることである。換言すれば、前章の放物線ポテンシャル量子井戸に比べて、構造簡単で作製し易いだけでなく、作製誤差の影響が少なく光変調特性が良好となるように改良されている。 第5章は「実効的井戸幅近似」と題し、量子井戸の固有エネルギーを近似計算するための新しい方法を提案、展開している。この方法は変分法を用いて、任意の変形ポテンシャル量子井戸の固有エネルギー問題を、ある実効的井戸幅を持つ仮想的な無限障壁高さ矩形ポテンシャル量子井戸の問題に帰着させる方法であり、変分計算により固有エネルギーの近似値が、ならびに最適な変分パラメータとして実効的井戸幅が各々比較的簡便に算出される。本方法を有限障壁高さ矩形ポテンシャル量子井戸にまず適用して、固有エネルギーが近似誤差少なく算出でき実効的井戸幅も妥当な値となることを示した。次に放物線ポテンシャル量子井戸に適用して同様の結果を得ており、シュタルクシフトの粒子実効質量への無依存性を説明できる解析表現も導いている。更に質量依存性井戸幅量子井戸の重い正孔、軽い正孔それぞれの実効的井戸幅を計算し、これらに着目すれば偏光無依存光変調器の設計手順が簡略化されることを明らかにした。 第6章は結論であって、上記の諸結果を総括するものである。 以上のように本論文は、半導体量子井戸を用いた導波路型光変調器の偏光無依存化について理論的実験的に研究して、放物線ポテンシャル量子井戸の実際上の問題点を克服するのに有効な質量依存性井戸幅量子井戸構造を提案、開発して良好な特性の素子を試作し、さらにこれらの変形ポテンシャル量子井戸の解析、設計に有用な近似計算法を提案するなど、電子工学上貢献するところが多大である。 よって著者は東京大学大学院工学系研究科電子工学専攻における博士の学位論文審査に合格したものと認める。 |