学位論文要旨



No 111163
著者(漢字) 草ケ谷,和幸
著者(英字)
著者(カナ) クサガヤ,カズユキ
標題(和) 酸化物高温超伝導体の放射線照射効果
標題(洋)
報告番号 111163
報告番号 甲11163
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3407号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,知
 東京大学 教授 山脇,道夫
 東京大学 助教授 寺井,隆幸
 東京大学 助教授 関村,直人
 東京大学 助教授 岸尾,光二
内容要旨

 本研究は、放射線照射を超伝導体の特性改質の手法として用いることを念頭に置いて、さまざまな種類の放射線照射による酸化物高温超伝導体の物性や構造の変化について調べたものである。放射線の種類や照射量、エネルギーなどの照射条件の違いによって、主として臨界温度Tや臨界電流密度Jcの超伝導特性の変化がどのように異なるかをBi系単結晶試料およびY系薄膜試料の2種類を用いて系統的に検討した。さらに、このような物性変化を引き起こす構造変化につて、損傷計算手法を用いて考察を行った。以下に、各章の内容を簡単に述べる。

 第1章では本研究の背景と目的について述べた。酸化物高温超伝導体は、液体窒素温度以上の比較的高い臨界温度をもつため、電力や強磁場応用などの分野で従来材料に替わりうる有望な材料である。しかし、応用上最も重要な物性である臨界電流密度Jcが高温・高磁場条件下で低いことが実用化の際の問題点となっている。臨界電流密度Jcを制限する要因は結晶粒界の弱結合と磁束のピニング特性であるが、放射線照射は磁束のピニングセンターを導入しピニング特性を高めることでJcを増大させることが知られている。本研究の目的は、放射線の種類、照射量の違いによる磁束ピニング特性あるいは臨界電流密度Jcに対する効果の違いを明らかにすることである。また、放射線環境下で超伝導体を使用する場合に重要となる、重照射時の超伝導特性の劣化や構造変化の挙動の照射条件による違いについても検討した。

 第2章では、本研究で行った実験方法について説明した。照射条件の違いを明らかにする目的から、充分に特性のそろった試料としてBi系単結晶試料(Bi2Sr2CaCu2;BSCCO)およびY系薄膜試料(YBa2Cu3;YBCO)の2種類を用いた。Bi系単結晶試料に対しては、28MeV電子線、原子炉中性子および120MeVO7+イオンの3種について、Y系薄膜試料に対しては、28MeV電子線、原子炉中性子および0.5MeV-2.5MeVH+,He+,O+,Ar+またはNi2+イオンを用い、各々さまざまな照射量(フルエンス)にて照射を行った。照射による臨界温度Tcの変化は、直流四端子法による電気抵抗測定あるいは超伝導量子干渉装置SQUIDを用いて測定した。臨界電流密度Jcは、Bi系単結晶試料については、振動試料型磁力計(VSM)を用いて4.2、20、40、60Kの各温度にて試料の磁気ヒステリシスを測定しBeanモデルを適用して磁化臨界電流密度JcMは算出した。YBCO薄膜については、Tc直下から70Kまでの温度範囲で電流電圧特性を測定し輸送臨界電流密度JcTを決定した。また、エックス線回折(XRD)によりc軸格子定数をや結晶性の変化について評価した。さらに、Bi系単結晶試料については、透過型電子顕微鏡(TEM)による観察も行った。照射による構造変化の程度を評価するために、はじき出し損傷密度(dpa)をTRIMコードを用いたモンテカルロ計算およびKinchin-Peaseモデルを用いた初等的損傷計算の2通りの方法を用いて行った。

 第3章では、Bi系単結晶試料に対する放射線照射効果について実験結果および考察をまとめた。中性子照射に関して、臨界温度Tcおよびc軸格子定数、磁化臨界電流密度JcMのフルエンス依存性が得られた。1018n/cm2程度以上のフルエンスで、照射量の増大に伴うTcの低下、c軸の伸長、結晶性の低下が観測された。測定した全ての温度・磁場範囲において、JcMは1018cm-2以下のフルエンス範囲で照射前に比べ増大したが、3×1018cm-2では照射前に比べて減少した。臨界電流密度JcMの増大は中性子照射損傷がその温度、磁場、フルエンスの条件において既存のピニングセンターよりも有効であることを示している。JcMを最大とするフルエンス(最適フルエンスと呼ぶ)は、温度、磁場条件によって若干異なるが、約2×1017cm-2であることが明らかになった。40K、60KにおけるJcMの向上率は1桁程度以上であり、4.2Kの場合(数10%)に比べはるかに大きく、中性子照射損傷は40K、60Kの比較的高温でピニングセンターとして有効であることが示された。電子線照射、120MeV酸素イオン照射に関しても同様にJcMの向上が観測された。電子線照射については、JcMのフルエンス依存性が得られ、最適フルエンスは約2×1018cm-2であることが分かった。なお、中性子、電子線照射の最適フルエンスにおけるはじき出し損傷密度は6×10-4程度でほぼ一致した。

 中性子照射(2×1017n/cm2)、電子線照射(2×1018e/cm2)、120MeV酸素イオン照射(3×1014O/cm2)照射後のJcMの磁場依存性を、文献における5.8GeV鉛イオン照射(1×1011Pb/cm2)の結果と比較した。印加磁場の掃引速度など測定条件の若干の違いという問題点があるが、鉛イオン照射後のJcMは他の3者に比べて、絶対値が大きく、かつ磁場依存性が著しく異なること、60Kにおいて電子線照射後のJcMが中性子や酸素イオンのそれと比べて小さいことが明らかになった。

 透過型電子顕微鏡によって損傷領域が観測されなかったことからも推測して、中性子、酸素イオン、電子線照射により形成される損傷は照射粒子と試料原子との核的相互作用によって生じるカスケード損傷や点欠陥であると考えられる。これら3種の照射に対して、5.8GeV鉛イオンのような高エネルギー重イオン照射による損傷は、電子的相互作用により形成される円柱状のアモルファス領域であることが報告されている。このような照射損傷の形状の大きな違いが照射種によるJcMの磁場依存性の差異に表れていると考えられる。

 第4章では、Y系薄膜試料に対する放射線照射効果に関する実験結果及び考察についてまとめた。すべての照射に共通し、照射種に依存するあるフルエンス値以下では、Tcやc軸格子定数、結晶性に有意な変化は見られなかったが、そのフルエンス値(「臨界フルエンス」)を越えると照射量の増大に伴って、Tcの低下やc軸格子定数の増大、結晶性の低下が観測された。Tcや結晶構造に変化の生じ始める臨界フルエンスの値は、超伝導体の耐放射線性の指標として有用である。0.1%のc軸の伸びで定義した臨界フルエンスは、イオン照射について、臨界フルエンス(t)c(cm-2)の値は、H+:1017、He+:1016、O+:1014、Ar+:1013、Ni2+:1013であり、イオン質量数A(amu)に対して、(t)c〜1017A-2.5の依存性をもつことが明らかになった。また、O+イオン照射に関して、0.5MeVと2.5MeVの間にエネルギー依存性は有意には見られなかった。

 輸送臨界電流密度JcTはH+イオン照射を除く各照射に関して、臨界温度の変化の見られない低いフルエンスの領域で、数%〜30%程度向上した。JcTを最大とするフルエンス値(最適フルエンス)はおおよそ、e:1017、n:1015、He+:3×1013、O+:3×1011、Ar+:1010、Ni2+:3×109cm-2程度であり、それぞれの照射種の臨界フルエンス値よりも2〜3桁程度小さい値であることがわかった。Bi系単結晶試料と異なり、Tcや結晶構造の変化の現れない低いフルエンスからJcが低下し始めることは、結晶粒内に比べて結晶粒界が照射による損傷を受けやすく、Y系薄膜試料のJcTが結晶粒界の弱結合によって阻害されていることを示す。

 損傷計算の結果、各照射の臨界フルエンスと最適フルエンスに対応するはじき出し損傷密度は、それぞれ10-2、10-5〜10-4程度であることがわかった。また、カスケード損傷の分布密度とサイズの考察から、臨界フルエンスはカスケード損傷が重なり始めるフルエンスであることが示唆された。

 第5章では、本研究の結論を述べた。Bi系単結晶試料およびY系薄膜試料について、種々の照射によって生じる超伝導特性(特に臨界電流密度)や結晶構造の変化を測定し、照射種や照射量の違いによる効果の違いについて検討した。さらに、損傷計算手法を用いて物性の変化を構造の変化と関連づけて議論した。

審査要旨

 酸化物高温超伝導体は液体窒素温度以上の比較的高い臨界温度をもつため、従来材料に替わりうる有望な材料であるが、臨界電流密度Jcが高温・高磁場条件下で低いことが実用化の際の問題点となっている。臨界電流密度Jcを制限する要因は結晶粒界の弱結合と磁束のピンニング特性であるが、放射線照射により磁束のピンニングセンターを導入することでJcを増大できることが知られている。しかしながら、その効果を定量的に検討した例や、照射欠陥の構造と関連づけて検討した例はこれまでにほとんどない。本論文は、放射線照射を超伝導体の特性改質の手法として用いることを念頭に置いて、さまざまな種類の放射線照射による酸化物高温超伝導体の物性と構造の変化について詳細に測定を行い、両者の関係を系統的かつ総合的に検討したものであり、全体で5つの章から構成されている。

 第1章は序論であり、本研究の背景と目的について述べている。酸化物高温超伝導体に対する放射線照射研究の現状をレビューし、照射効果を定量的に明かにするためには、様々な種類の放射線と良質の試料を用いた系統的・総合的な研究が必要であると強調している。

 第2章では、本研究で用いた実験方法について述べている。試料としてBi系単結晶試料(Bi2Sr2CaCu2)およびY系薄膜試料(YBa2Cu3)の2種類を用いたこと、照射種として28MeV電子線、原子炉中性子、各種高エネルギーイオンを使用したことについて詳述している。また、超伝導特性や結晶構造の測定手法について述べるとともに、照射損傷の計算に用いた手法についても紹介している。

 第3章では、Bi系単結晶試料に対する放射線照射効果についての実験結果をまとめ、考察を行っている。中性子照射と電子線照射に関して、臨界温度Tc、c軸格子定数、磁化測定から求めた臨界電流密度JcMのフルエンス依存性を調べ、高フルエンス領域では照射によるTcの低下・c軸の伸長・結晶性の低下が起こるが、低フルエンス領域ではJcMの増加が起こることを確認している。臨界電流密度JcMの増大は、照射損傷が既存のピンニングセンターよりも有効であることを示唆しているが、この傾向は40Kや60Kなどの高温で特に著しく、照射欠陥の導入が、特に高温・高磁場下における臨界電流密度向上のための1つの有力な手法になりうると結論している。

 また、中性子、電子線、120MeV酸素イオン照射後のJcMの磁場依存性を、他の研究者の5.8GeV鉛イオン照射の結果と比較したところ、鉛イオン照射後のJcMは他の3者に比べて、絶対値が大きく、かつ磁場依存性が著しく異なること、60Kにおいて電子線照射後のJcMが中性子や酸素イオン照射後のそれと比べて小さいことを述べている。そして、透過型電子顕微鏡による組織観察の結果や損傷形成メカニズムについての考察結果をもとに、照射損傷領域の形状やサイズの違いがこれらの物性変化の違いの原因であると結論している。

 第4章では、Y系薄膜試料に対する放射線照射効果に関する実験結果と考察についてまとめている。実験を行ったすべての照射に共通して、照射種に依存するあるしきいフルエンス値が存在し、そのフルエンス以下ではTcやc軸格子定数、結晶性に有意な変化は見られなかったが、そのフルエンス値を越えると、Bi系単結晶試料の場合と同様に、照射量の増大に伴ってTcの低下・c軸格子定数の増大・結晶性の低下が観測された。このしきいフルエンス値は超伝導体の耐放射線性の指標として有用であるが、その値を照射イオンの質量数の関数として整理している。

 輸送臨界電流密度JcTはしきいフルエンス以下の低いフルエンスの領域で上昇したが、JcTを最大にするフルエンス値(最適フルエンス)はそれぞれの照射種のしきいフルエンス値よりも2〜3桁程度小さい値であった。これらの結果は、Bi系単結晶試料の場合と異なり、Tcや結晶構造の変化の現れない低いフルエンスからJcが低下し始めることを示しており、このことから、結晶粒内部に比べて結晶粒界が照射による損傷を受けやすく、Y系薄膜試料のJcTが結晶粒界の弱結合によって制限されていると考察している。さらに、損傷計算結果をもとにしたカスケード損傷の分布密度とサイズについての考察から、しきいフルエンスはカスケード損傷が重なり始めるフルエンスであることを示唆している。

 第5章は結論であり、本研究の成果を述べるとともに、今後の研究課題を指摘している。

 以上を要約すると、本研究は、様々な種類の放射線を用いた実験と計算コードを用いた解析によって酸化物高温超伝導体の放射線照射効果を総合的に検討し、そのメカニズムについての新たな知見を導き、放射線照射を用いた高温超伝導体の特性改質手法の開発に有益な情報を提供しており、システム量子工学、とくにエネルギー量子材料工学に寄与するところが少なくない。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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