高分子は放射線照射により化学変化が引き起こされ、実用上重要な機械特性等の変化をもたらす。この放射線劣化は酸素により増幅され、特に低線量率ではその酸化効果は著しく、耐放射線性の材料の開発が必要となる。耐放射線性材料の開発に際しては、その劣化を最小に抑えるため、保護効果を利用することが多い。保護効果とは芳香族分子を用いて高分子の放射線劣化を抑制することで、保護効果には材料分子の一部に芳香族を結合させる内部保護効果と単に材料に芳香族分子を混ぜる外部保護効果の二つがある。 高分子の放射線劣化を検討する場合、劣化生成物の同定定量が困難であること、高分子のモルホロジー、添加剤、酸化物の混入などの多くの要因により実験結果が影響を受け、生じた化学変化を詳細に検討することが困難となる場合も多い。本研究の目的は、高分子材料中の保護効果の機構を解明するために、分析の比較的容易で均一な液体アルカンをポリマーのモデルとして、芳香族、水素化芳香族、飽和炭化水素を添加物とし、生成物分析の手法により保護効果を系統的に評価した。実験は最も単純な真空照射により液体アルカンの分解を評価し、保護効果を調べるため、添加物の有無を比較することを行った。さらに、酸素の存在する実用条件を想定して、酸素存在下の照射実験に拡張した。ここでは酸素分子の取り込みと生成物収量の物質収支に留意して検討を行った。こうしてモデル系で得られたの保護効果の評価の適用性、妥当性を検討するため、実際の高分子系としてポリプロピレンを選択し添加物効果をモデル系と比較した。さらに、ラジカル反応で進むと考えられている高温熱劣化をモデル系で行い、放射線分解と熱分解の比較、および添加物効果の比較から放射線反応の特異性と添加物効果の解明を行った。 液体のn-ヘキサデカン(C16H34)、スクアラン(C30H62)を高分子モデルとして、ナフタレン(N)、フェナントレン(P)、テトラリン(T)、オクタヒドロフェナントレン(OP)とデカリン(D)を添加物として用いた。添加濃度は200mMと設定した。ポリプロピレンを用いた実験では添加濃度は0.5,1.0wt%とし、市販の酸化防止剤であるブチレイティドトルエン(BHT)、イルガノックス-1010(I-1010)やプロピルフルオランセン(Antirad)等も使用した。酸素は照射前、300-600 Torrの圧力で封入している。照射はCo-60ガンマ線を用い、室温で0.7-10kGy/hの線量率で行った。熱分解は窒素ガス下350℃で72時間行った。生成物の分析は生成ガス圧力測定、ガスクロマトグラフィー、液体クロマトグラフィー、ゲルパーミエーションクロマトグラフィー、質量分析を中心に行い、NMR分析も使用している。カルボン酸、カルボニル基、ハイドロパーオキシド収量は滴定等の化学分析で行った。 (1)添加物の有無によるアルカンの放射線分解:照射により揮発性のガスと試料液体中に残る二種類の生成物がもたらされる。ガス生成物の95%以上は水素で、液体中の残留生成物として、分子鎖の切れた切断生成物と、もとのアルカン分子の結合した架橋生成物が主に生成する。これらの収量と線量の関係から生成のG値を決定し、切断生成物の分布は開裂を起こす部位のC-Cの結合エネルギーを反映していること、オリゴマー生成時に二重結合が導入され、濃縮されることなどを見い出した。分子構造中の枝わかれの効果や切断分布の違いをヘキサデカンとスクアランで比較も行った。 芳香族、水素化芳香族の添加物が導入されると、いわゆる保護効果が現われ、水素発生の減少と溶媒の分解量減少、即ち、切断生成物、オリゴマー生成減少が観測され、その効果は芳香族性の強いものほど効果的である。同時に添加物が選択的に消費されることも見い出された。一方、デカリン添加では全く効果はない。詳細な解析により、効果のある系では、オリゴマー成分に添加物分子が取り込まれ、全体として二重結合が減少する。これは水素発生の減少が二重結合の減少に対応し、物質収支を満足している。この結果を添加物のイオン化ポテンシャル、励起状態のエネルギー、さらに最近のアルカンの放射線分解機構を参考に、添加物物質へのエネルギー及び電荷移動で説明した。 (2)酸素中のアルカンの放射線分解と添加物効果:酸素下での照射においても水素が主要な発生ガスである。酸素の取り込み量は酸化の指標になり、その照射条件依存性を検討したが、依存性は大きくないが、後で述べるように固体試料の場合と大きく異なる。酸素消費のG値は5-6であり、ガス成分としてのCO,CO2,H2O発生は酸素消費量の高々10%しか占めず、大部分は液相中に取り込まれる。液相中の含酸素生成物の分析を行った結果、大部分はカルボン酸で、アルコール、ケトン、ハイドロパーオキシドの生成は少ないことがわかった。これらの生成比率は光酸化、熱酸化と異なっている。本結果をこれまで報告された高分子材料の放射線照射時の酸素取り込みG値と比較検討すると、結晶化度の高い試料ほど酸素の消費G値は大きく、結晶相で連鎖で酸化反応が進むこと、非晶領域では連鎖反応は進まず、液体アルカンの結果は高分子中非晶相での放射線酸化を反映することが見い出された。 さて、この系に添加物が存在すると水素の発生が減少し、それにともなって酸素の消費が減少した。真空中照射同様に、放射線分解が添加物によるエネルギー及び電荷移動作用により分解が抑制、ラジカルの生成も減少すると考えられる。しかし、水素化芳香族系分子の添加では水素発生の減少にもかかわらず、酸素の消費は無添加系よりも大きく、詳細に分析した結果、この系では酸の生成は減少するものの、添加物由来のケトンが生成するために酸素消費の総量は増大し、水素化芳香族系分子特有のラジカル捕捉挙動と考えられた。これらの結果は赤外測定、NMR測定からも支持された。 (3)ポリプロピレンの放射線照射の添加物効果:以上行ってきた液体アルカン中の反応が実際の高分子への適応性につき、ポリプロピレンを例に保護効果の検討を行った。真空中照射の水素発生の添加物依存性は添加分子中のベンゼン環数と良い相関を示すことから、この効果はモデル系と同じようにエネルギー及び電荷移動機構で説明でき、液体モデル系の結果が高分子系を良く反映できることを確認できた。水素発生の抑制に対応して機械特性の劣化も軽減される。一方、酸素中での照射では連鎖反応により酸素消費のG値は70以上にも及び、生成酸化物分布の顕微赤外分析により試料厚さが拡散による酸素の供給に大きく影響することを確認した。さらに、酸化反応が十分起こると水素も一部発生し、真空中で見られた添加物による水素発生抑制効果は消失する。この点は、液相のモデル系と全く異なる点である。酸素存在系の機械特性の劣化は著しいものの、添加物により劣化は抑制されるが、酸化防止剤の効果が大きいことがわかった。 (4)放射線劣化と熱劣化への添加物効果:水素化芳香族化合物は水素供与特性を持つことが知られ、ラジカル反応として知られる熱劣化にどのように効果を及ぼすかを放射線照射のシステムと全く同じ系を用いて、熱と放射線反応の特徴を明確にするとともに添加物の挙動を比較した。350℃72時間の熱処理によりヘキサデカン、スクアラン、各々10,30%程度分解するが、水素化芳香族添加時のみ効果が現われ、溶媒劣化が抑制され、水素化芳香族分子からの水素原子供与によるものであることが示された。熱分解機構の定式化を行い、水素化芳香族分子はラジカルの開裂と生成ラジカルによる水素引き抜きによるラジカル再生成で形成される連鎖反応においてラジカルへの水素供与を介して劣化抑制を行っていることを示した。この機構が放射線照射の反応の説明には有効でないことは実験結果から明らかで、温度条件は異なるものの、同じラジカル反応でありながら添加物効果が異なることの説明を試みたが、十分な解明は今後の課題である。 以上の検討から液体アルカンの放射線分解における保護効果は酸素の有無にかかわらず溶媒から芳香族環を含む添加物分子へのエネルギー及び電荷移動として説明でき、結果として添加物が消費されることがわかった。これは高分子の真空中照射をよく説明できる。酸素がある場合、液体アルカン中では連鎖的酸化反応は起きず、これが高分子の非晶質に対応し、結晶相での連鎖反応のモデルにはならないことが明らかになった。さらに、保護効果は放射線照射による分解過程では効果的であるのに比し、生成ラジカルが酸素と反応する酸化過程については添加物の種類によって効果が異なることが明らかとなり、放射線過程と酸化過程を分離して評価できることを示した。 |