学位論文要旨



No 111169
著者(漢字) ソエビアント ヤンティ サバリナ
著者(英字)
著者(カナ) ソエビアント ヤンティ サバリナ
標題(和) 高分子モデルとしての液体アルカンの放射線分解-酸素の有無による保護効果
標題(洋) Radiolysis of Liquid Alkanes as Polymer Model Compounds-Protection Effect in the Absence and Presence of Oxygen
報告番号 111169
報告番号 甲11169
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3413号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石榑,顕吉
 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 堀江,一之
 東京大学 助教授 寺井,隆幸
 東京大学 助教授 伊藤,泰男
内容要旨

 高分子は放射線照射により化学変化が引き起こされ、実用上重要な機械特性等の変化をもたらす。この放射線劣化は酸素により増幅され、特に低線量率ではその酸化効果は著しく、耐放射線性の材料の開発が必要となる。耐放射線性材料の開発に際しては、その劣化を最小に抑えるため、保護効果を利用することが多い。保護効果とは芳香族分子を用いて高分子の放射線劣化を抑制することで、保護効果には材料分子の一部に芳香族を結合させる内部保護効果と単に材料に芳香族分子を混ぜる外部保護効果の二つがある。

 高分子の放射線劣化を検討する場合、劣化生成物の同定定量が困難であること、高分子のモルホロジー、添加剤、酸化物の混入などの多くの要因により実験結果が影響を受け、生じた化学変化を詳細に検討することが困難となる場合も多い。本研究の目的は、高分子材料中の保護効果の機構を解明するために、分析の比較的容易で均一な液体アルカンをポリマーのモデルとして、芳香族、水素化芳香族、飽和炭化水素を添加物とし、生成物分析の手法により保護効果を系統的に評価した。実験は最も単純な真空照射により液体アルカンの分解を評価し、保護効果を調べるため、添加物の有無を比較することを行った。さらに、酸素の存在する実用条件を想定して、酸素存在下の照射実験に拡張した。ここでは酸素分子の取り込みと生成物収量の物質収支に留意して検討を行った。こうしてモデル系で得られたの保護効果の評価の適用性、妥当性を検討するため、実際の高分子系としてポリプロピレンを選択し添加物効果をモデル系と比較した。さらに、ラジカル反応で進むと考えられている高温熱劣化をモデル系で行い、放射線分解と熱分解の比較、および添加物効果の比較から放射線反応の特異性と添加物効果の解明を行った。

 液体のn-ヘキサデカン(C16H34)、スクアラン(C30H62)を高分子モデルとして、ナフタレン(N)、フェナントレン(P)、テトラリン(T)、オクタヒドロフェナントレン(OP)とデカリン(D)を添加物として用いた。添加濃度は200mMと設定した。ポリプロピレンを用いた実験では添加濃度は0.5,1.0wt%とし、市販の酸化防止剤であるブチレイティドトルエン(BHT)、イルガノックス-1010(I-1010)やプロピルフルオランセン(Antirad)等も使用した。酸素は照射前、300-600 Torrの圧力で封入している。照射はCo-60ガンマ線を用い、室温で0.7-10kGy/hの線量率で行った。熱分解は窒素ガス下350℃で72時間行った。生成物の分析は生成ガス圧力測定、ガスクロマトグラフィー、液体クロマトグラフィー、ゲルパーミエーションクロマトグラフィー、質量分析を中心に行い、NMR分析も使用している。カルボン酸、カルボニル基、ハイドロパーオキシド収量は滴定等の化学分析で行った。

 (1)添加物の有無によるアルカンの放射線分解:照射により揮発性のガスと試料液体中に残る二種類の生成物がもたらされる。ガス生成物の95%以上は水素で、液体中の残留生成物として、分子鎖の切れた切断生成物と、もとのアルカン分子の結合した架橋生成物が主に生成する。これらの収量と線量の関係から生成のG値を決定し、切断生成物の分布は開裂を起こす部位のC-Cの結合エネルギーを反映していること、オリゴマー生成時に二重結合が導入され、濃縮されることなどを見い出した。分子構造中の枝わかれの効果や切断分布の違いをヘキサデカンとスクアランで比較も行った。

 芳香族、水素化芳香族の添加物が導入されると、いわゆる保護効果が現われ、水素発生の減少と溶媒の分解量減少、即ち、切断生成物、オリゴマー生成減少が観測され、その効果は芳香族性の強いものほど効果的である。同時に添加物が選択的に消費されることも見い出された。一方、デカリン添加では全く効果はない。詳細な解析により、効果のある系では、オリゴマー成分に添加物分子が取り込まれ、全体として二重結合が減少する。これは水素発生の減少が二重結合の減少に対応し、物質収支を満足している。この結果を添加物のイオン化ポテンシャル、励起状態のエネルギー、さらに最近のアルカンの放射線分解機構を参考に、添加物物質へのエネルギー及び電荷移動で説明した。

 (2)酸素中のアルカンの放射線分解と添加物効果:酸素下での照射においても水素が主要な発生ガスである。酸素の取り込み量は酸化の指標になり、その照射条件依存性を検討したが、依存性は大きくないが、後で述べるように固体試料の場合と大きく異なる。酸素消費のG値は5-6であり、ガス成分としてのCO,CO2,H2O発生は酸素消費量の高々10%しか占めず、大部分は液相中に取り込まれる。液相中の含酸素生成物の分析を行った結果、大部分はカルボン酸で、アルコール、ケトン、ハイドロパーオキシドの生成は少ないことがわかった。これらの生成比率は光酸化、熱酸化と異なっている。本結果をこれまで報告された高分子材料の放射線照射時の酸素取り込みG値と比較検討すると、結晶化度の高い試料ほど酸素の消費G値は大きく、結晶相で連鎖で酸化反応が進むこと、非晶領域では連鎖反応は進まず、液体アルカンの結果は高分子中非晶相での放射線酸化を反映することが見い出された。

 さて、この系に添加物が存在すると水素の発生が減少し、それにともなって酸素の消費が減少した。真空中照射同様に、放射線分解が添加物によるエネルギー及び電荷移動作用により分解が抑制、ラジカルの生成も減少すると考えられる。しかし、水素化芳香族系分子の添加では水素発生の減少にもかかわらず、酸素の消費は無添加系よりも大きく、詳細に分析した結果、この系では酸の生成は減少するものの、添加物由来のケトンが生成するために酸素消費の総量は増大し、水素化芳香族系分子特有のラジカル捕捉挙動と考えられた。これらの結果は赤外測定、NMR測定からも支持された。

 (3)ポリプロピレンの放射線照射の添加物効果:以上行ってきた液体アルカン中の反応が実際の高分子への適応性につき、ポリプロピレンを例に保護効果の検討を行った。真空中照射の水素発生の添加物依存性は添加分子中のベンゼン環数と良い相関を示すことから、この効果はモデル系と同じようにエネルギー及び電荷移動機構で説明でき、液体モデル系の結果が高分子系を良く反映できることを確認できた。水素発生の抑制に対応して機械特性の劣化も軽減される。一方、酸素中での照射では連鎖反応により酸素消費のG値は70以上にも及び、生成酸化物分布の顕微赤外分析により試料厚さが拡散による酸素の供給に大きく影響することを確認した。さらに、酸化反応が十分起こると水素も一部発生し、真空中で見られた添加物による水素発生抑制効果は消失する。この点は、液相のモデル系と全く異なる点である。酸素存在系の機械特性の劣化は著しいものの、添加物により劣化は抑制されるが、酸化防止剤の効果が大きいことがわかった。

 (4)放射線劣化と熱劣化への添加物効果:水素化芳香族化合物は水素供与特性を持つことが知られ、ラジカル反応として知られる熱劣化にどのように効果を及ぼすかを放射線照射のシステムと全く同じ系を用いて、熱と放射線反応の特徴を明確にするとともに添加物の挙動を比較した。350℃72時間の熱処理によりヘキサデカン、スクアラン、各々10,30%程度分解するが、水素化芳香族添加時のみ効果が現われ、溶媒劣化が抑制され、水素化芳香族分子からの水素原子供与によるものであることが示された。熱分解機構の定式化を行い、水素化芳香族分子はラジカルの開裂と生成ラジカルによる水素引き抜きによるラジカル再生成で形成される連鎖反応においてラジカルへの水素供与を介して劣化抑制を行っていることを示した。この機構が放射線照射の反応の説明には有効でないことは実験結果から明らかで、温度条件は異なるものの、同じラジカル反応でありながら添加物効果が異なることの説明を試みたが、十分な解明は今後の課題である。

 以上の検討から液体アルカンの放射線分解における保護効果は酸素の有無にかかわらず溶媒から芳香族環を含む添加物分子へのエネルギー及び電荷移動として説明でき、結果として添加物が消費されることがわかった。これは高分子の真空中照射をよく説明できる。酸素がある場合、液体アルカン中では連鎖的酸化反応は起きず、これが高分子の非晶質に対応し、結晶相での連鎖反応のモデルにはならないことが明らかになった。さらに、保護効果は放射線照射による分解過程では効果的であるのに比し、生成ラジカルが酸素と反応する酸化過程については添加物の種類によって効果が異なることが明らかとなり、放射線過程と酸化過程を分離して評価できることを示した。

審査要旨

 高分子材料は放射線照射により化学変化が引き起こされ、実用上重要な機械特性の変化がもたらされる。これまでに耐放射線性向上のために保護効果が広く利用されてきた。保護効果とは材料に芳香族分子が混在すると放射線劣化が抑制される現象で、広く利用されているにもかかわらず、実際に生ずる反応、機構についての理解は進んでいない。本研究では高分子材料中の保護効果機構を解明するため、高分子材料のモデルとして液体アルカンを用い、芳香族、水素化芳香族、飽和炭化水素分子を添加物として用いた実験を行っている。生成物分析を用い、真空照射から始め、添加物効果、酸素存在下での反応と、単純な系から複雑な系へ系統的に実験を進めている。最終的にモデル系で得られた知見を実際の高分子を用いた実験と対比し、また熱分解反応と比較検討して、放射線反応の特異性を評価している。

 論文は全6章から成り、第1章では上に述べた研究の背景を紹介するとともに、高分子そのものを用いる場合の解析の制約を回避して、反応を深く理解するためにモデル系を採用することの意義と研究の進め方の特徴を述べている。

 第2章ではポリエチレン及びエチレンプロピレンゴムのモデルとして各々、液体アルカンであるn-ヘキサデカンとスクアランを選択し、第一ステップとして最も単純な真空下での放射線分解実験を行い、添加物を含まない純粋系と添加物系で比較している。純粋系の放射線分解により水素ガスが主に発生すること、分子鎖が切断した生成物や溶媒分子同士の結合によるオリゴマーの生成を観測し、ガス分析、ガスクロマトグラフィー及び液体クロマトグラフィー、質量分析を駆使して各放射線分解プロセスのG値を決定している。添加物の存在により、水素ガス発生が抑制され、溶媒分子の分解も減少するとともに、選択的に添加物が消費され、生成物中に添加物分子と溶媒分子の結合した生成物を生ずることを明らかにしている。さらに、この劣化防止効果が添加物の芳香族性が強いほど顕著であることを、添加物分子のイオン化ポテンシャル、励起状態のエネルギーや、最近報告されているアルカンの分解機構を参考にして、溶媒分子から添加物分子へのエネルギー及び電荷移動機構で説明している。

 第3章では、酸素存在下での放射線照射を行った実験で得られた結果を述べ、酸素取り込み量と生成物収量を比較し解析を進めている。添加物が存在しない場合、酸素の取り込み量はG値にして5-6であり、ガス生成物は主要部分は水素でCO,CO2,H2Oの収量は10%以下となり、大部分の酸素は液相中に取り込まれること、取り込まれた酸素は大部分カルボン酸形成に使用されることを、各種化学分析によって示している。添加物が存在すると水素発生も減少し、酸素取り込み量、カルボン酸生成も対応して減少することから、芳香族分子系の添加物は放射線分解を抑制するものの、それに引き続く酸化過程への寄与は大きくなく、放射線過程と酸化過程とに分離して考えられると結論している。また、水素化芳香族分子は選択的に酸化され、酸素消費を増大させるといった、他の添加物と異なる挙動を示すことも明らかにしている。

 第4章は、モデル系を用いて得られた結果を評価するため、実際の高分子を用いて行った実験結果について述べている。高分子として、注射筒などの医用材料として用いられ、放射線滅菌の分野でその劣化がしばしば問題となるポリプロピレンを選択している。また、添加物としては市販の酸化防止剤等も新たに加え、モデル添加物との比較も行っている。真空中照射の結果ではモデル系で得られた結果と全く同じように、添加物の芳香族性が劣化抑制に対応することを明らかにしている。一方、酸素下での照射では、酸素取り込みのG値はモデルアルカン系の実験で得られた値よりも10倍以上も大きく、酸化は連鎖反応で進行すること、この系に添加物を入れると酸素の取り込みは抑制でき機械特性の劣化も減少するとの結果を述べている。酸化反応には供給される酸素の拡散が重要で、実験では試料の厚さが問題になることを赤外顕微鏡を用いた酸化物の試料厚さ方向の生成分布測定から明らかにしている。さらに、報告されている他の高分子を用いた実験結果と本モデル実験の結果を総合的に比較検討して、液体アルカンを用いたモデル実験は高分子中のアモルファス部分で生ずる反応を模擬すること、結晶表面部分では連鎖で酸化反応が進行し、モデルの結果を適用することは困難であること等の考察を進めている。

 第5章は放射線分解反応の特徴を明確にするために、モデル系の熱分解実験を行った結果を述べている。最近明らかにされてきたように、水素化芳香族分子添加物の水素原子供与性により、熱分解を抑制することを実験的に確認し、ラジカル反応をもとにした熱分解機構によって分解抑制過程を説明している。しかし、同じようにラジカル反応が重要な役割を果たす放射線反応では熱分解で見られるような顕著な効果が生じないという実験事実は、現時点で明確に説明することが困難であることから、今後の興味ある課題と位置付けている。

 第6章は結論で、本研究で得られた成果をまとめている。

 以上、要すれば、本論文は高分子材料の耐放射線性付与の手法としての保護効果を液体アルカンのモデル系で系統的に検討し、機構の解明、酸化過程との関連など、保護効果についての基礎的な解明を進め、応用分野へ重要な知見も見い出しており、システム量子工学、特に、放射線利用分野への寄与は大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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