学位論文要旨



No 111173
著者(漢字) 一木,隆範
著者(英字) Ichiki,Takanori
著者(カナ) イチキ,タカノリ
標題(和) 低圧ICP-CVD法によるc-BN合成
標題(洋) Synthesis of cubic boron nitride by low pressure ICP-CVD
報告番号 111173
報告番号 甲11173
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3417号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,豊信
 東京大学 教授 牧島,亮男
 東京大学 教授 佐藤,純一
 東京大学 教授 小宮山,宏
 東京大学 助教授 光田,好孝
内容要旨

 本論文は従来の材料プロセスで殆ど利用されてこなかった低圧ICP(Inductively Coupled Plasma)と呼ばれる、グロー放電の102〜103倍の高密度プラズマを利用する新規な気相合成法「低圧ICP-CVD法」の開発及び、本法による立方晶窒化ほう素(c-BN)薄膜の堆積に関する研究である。c-BNはダイヤモンドと同様、高温高圧下での安定相であるが、近年、気相からの合成が報告されるようになった。気相合成c-BN薄膜は超硬質被覆、ヒートシンク、光学被覆、更に高温半導体など多くの応用分野で、究極の材料として期待されており、この非平衡相物質の成長機構解明は基礎科学としてのみならず、工業的応用の実現に必要な膜質制御の指針を得る上でも重要なテーマと位置づけられる。以上の背景の下、本論文はプラズマ診断、多様な手法による堆積膜の解析等の実験的アプローチを中心にプロセスの設計制御に不可欠な(1)低圧ICP特性の把握、(2)c-BN生成機構の解明を目的とし、6章から構成される。以下に各章の内容を記す。

 第1章では低圧ICP、c-BN気相合成研究の歴史的経緯と現状を概説し、本論文の背景及び目的を明らかにした。

 第2章では低圧ICPのプラズマ診断について記した。プラズマを利用した薄膜作製・加工プロセスの解析・制御の研究においてはプロセシングプラズマの内部パラメータであるプラズマ密度や空間電位等に関する情報、それらに基づく外部パラメータ制御が不可欠であるが、低圧ICPの特性についてはまだ明らかにされていないことが多い。そこで、エミッシブプロープ法、発光分光法、質量分析法など種々のプラズマ診断法を用いて低圧ICPの特性の評価を行い、材料プロセス応用への指針を示した。プラズマの特性は作動圧力により大いに影響される。低圧ICPは0.1〜1Torrの圧力域ではプラズマソース内で発生し、高密度の活性種を供給源する。一方、1〜10mTorrの圧力域では、プラズマが基板上まで拡散できるようになるため、イオンアシストプロセスへの応用も可能となる。また、この場合、基板へ入射するイオンのフラックスはICPソースへの高周波入力により、一方、エネルギーは基板バイアスによりほぼ独立に制御することが可能である。従って、低圧ICP-CVD法は、高密度の活性種及び、制御性の高いイオン衝撃の利用を特徴とする薄膜堆積法と位置づけられる。更に本章において、c-BN薄膜堆積機構の検討に必要なプラズマポテンシャル、イオン種、化学種密度等のプラズマ内部パラメータの計測を行った。これらの結果は4章においてc-BN生成条件との関連から検討される。

 第3章では低圧ICP-CVD法によるc-BN合成の試みについて記した。従来のc-BN気相合成はイオン衝撃の物理的作用を利用するPVD法による報告が殆どであるが、ダイヤモンド気相合成と類似した反応環境下での化学的作用によるCVD合成の可能性を示唆する報告が数件報告されている。しかし、これらの報告は堆積物の同定が不十分であったため、化学的作用によるc-BN合成の可否は明かでない状態にあった。第2章で述べたように低圧ICPは発生圧力域によりラジカルプロセス及びイオンプロセスへの応用が可能であるため、上記の両者の作用が中心的役割を果たす薄膜堆積をそれぞれ実現できる。以上を背景に(1)ダイヤモンド合成と同様の高密度水素プラズマ環境下及び(2)Arイオン衝撃環境下でのc-BN薄膜堆積を試みた。

(1)高密度水素プラズマ環境下での堆積

 低圧ICPは水冷石英管の周りに3ターン巻いたヘリカルアンテナに13.56MHzの高周波を印加し、石英管壁からの不純物の混入の問題を防ぐために挿入した内径38mmのパイロリテイックBN管内に発生させた。原料ガスには水素5%希釈ジボラン及びアンモニアを用い、0.1Torrの圧力下でSi基板上に膜堆積を行い、c-BN合成の可能性を検討した。その結果、水素プラズマ(水素ラジカル)下では著しい化学エッチングが認められ、c-BN生成には至らず、合成は困難であると結論した。

(2)イオン衝撃下での堆積

 上記の結果に基づき、水素の存在比を極力下げた環境下で、1mTorrで発生させた低圧ICPにArを添加し、基板上へのArイオン衝撃を併用することによりc-BN膜堆積が可能となることを明らかにした。また赤外吸光分光(IRAS)、X線光電子分光(XPS)、Auger電子分光(AES)、透過電子顕微鏡観察(TEM)など様々な手法によるc-BN薄膜の組成、構造分析、特性評価を行い、同定における問題点留意点等を明らかにした。

 第4章ではイオン衝撃のc-BN生成における役割を検証するために基板バイアス及びガス圧力をパラメータとした堆積実験を行い、赤外吸光分光法、SEM観察による膜厚測定を中心とする定量的解析により堆積膜構造への影響を検討した。まずc-BN生成におけるイオン衝撃エネルギーの効果を調べるため、圧力一定(1mTorr)の条件下で、シースポテンシャルを変化させて10分間堆積したc-BN膜の10600cm-1、およびh-BNの1370cm-1での吸光度(absorbance)の計測及び、膜厚測定を行った。これらの測定データを解析した結果、c-BNの1060cm-1、及びh-BNの1370cm-1での吸収係数をそれぞれ23000cm-1及び30000cm-1一定とすると赤外吸収強度測定の結果と膜厚測定の結果がよく一致した。これらの値を用いて、膜中の各BN相の生成量等をシースポテンシャルの関数として定量的に明らかにした。基板バイアス条件は生成するBN相への影響により大きく以下の4つの領域に分類される。

 領域I:まず、シースポテンシャルVs=27〜65Vではh-BNのみが生成し、その堆積速度はバイアス増加と共に再スパッタの効果により線形的に減少した。

 領域II:Vs=68〜98Vでc-BN生成が認められ、このときh-BNの生成量は急激に減少し、この領域ではほぼ一定となる。c-BNの堆積速度はVs=80〜86Vで極大に遠し、そのときの値は13nm/minであった。5章で明らかにされるが、この領域ではh-BNが一定膜厚堆積した後に単相のc-BNが生成する。

 領域III:更にシースポテンシャルが大きくなるとc-BNの生成は抑制されるが、Vs=98Vでh-BNの堆積速度が再び増加した。

 領域IV:更にシースポテンシャルが増大すると再スパッタ効果により膜の堆積が起こらなくなった。

 以上のように100eV程度のイオンエネルギーがc-BN生成に必要とされ、堆積速度はスパッタ率のイオンエネルギー依存による変化を示した。更にガス圧力をパラメータとした実験において、圧力変化による膜成長表面へのイオンフラックスの変化に伴い、c-BN生成に必要なイオンのエネルギーが変化したことから、イオン衝撃の効果はエネルギーのみで規定されるプロセスによるものではなく、我々の結果はKesterらにより提言された運動量により規定されるプロセスがc-BN生成に関与するというモデルと半定量的に一致した。

 第5章ではc-BN生成機構を微視的に明かにするため、様々な生成段階でのc-BN薄膜の詳細な分析を行い、総合的に堆積過程の考察を行った。この目的のため、低圧ICPの反応容器内での拡散を利用して、単一基板上に膜厚を傾斜変化させたc-BN薄膜を堆積した。膜成長の進行にともなう、赤外吸収スペクトルの変化から、c-BN生成のためには、まず基板上にある臨界膜厚のアモルファスBN及び六方晶BNが堆積することが必要であることが明らかにされた。この初期層は赤外吸光度より数10nm程度と推定された。XPS分析の結果、c軸が基板に平行する六方晶BN上でのc-BN生成量と膜中の格子間Ar原子量との間に高い相関が認められた。またFT-IR分析の結果は、成長初期のc-BNの原子間の結合状態は強い圧縮応力が存在する可能性を示した。これらの結果から、c-BN生成はArイオンのビーニングに伴う腹中の高い圧縮応力に起因すると考えられる。また、c-BN生成初期の微視的表面形状の変化をAFMにより観察した結果、成長の進行に伴い、膜表面の平滑化が進む様子が観察された。

 第6章では、本論分により得られた結果を総括した。

審査要旨

 本論文は従来の材料プロセスで殆ど利用されてこなかった低圧ICP(Inductively Coupled Plasma)と呼ばれる、グロー放電の102〜103倍の高密度プラズマを利用する新規な気相合成法「低圧ICP-CVD法」の開発及び、本法による立方晶窒化ほう素(c-BN)薄膜の堆積に関する精緻な実験的研究がまとめられている。

 本論文は全6章から構成されている。

 第1章は序論であり、低圧ICP、c-BN気相合成研究の歴史的経緯と現状を概説し、本論文の背景及び目的を明らかにしている。

 第2章ではエミッシブプローブ法、発光分光法、質量分析法など種々のプラズマ診断法を用いて低圧ICPの特性評価を行い、材料プロセス応用への指針を示している。更にc-BN薄膜堆積機構の検討のために必要なCVD環境下でのプラズマポテンシャル、イオン種、化学種密度等のプラズマ内部パラメータの計測を行っている。

 第3章では低圧ICP-CVD法によるc-BN合成の試みについて詳細にまとめられている。従来のc-BN気相合成はイオン衝撃の物理的作用を利用するPVD法による報告が殆どであるが、近年ダイヤモンド気相合成と類似した反応環境下での化学的作用によるCVD合成の可能性を示唆する報告が数件報告されている。しかし、これらの報告は堆積物の同定が不十分であったため、化学的作用によるc-BN合成の可否は明かでない状態にあった。本著者は低圧ICPは発生圧力域によりラジカルプロセス及びイオンプロセスへの応用が可能であるため、上記両者の作用が中心的役割を果たす薄膜堆積に適用可能であるとし、(1)ダイヤモンド合成と同様の高密度水素プラズマ環境下及び(2)Arイオン衝撃環境下でのc-BN薄膜堆積を試みた。その結果、水素プラズマ環境下でのc-BN生成は困難であり、水素の存在比を極力下げた環境下で、低圧ICPにArを添加し、基板上へのArイオン衝撃を併用することによりc-BN膜堆積が可能となることを明らかにした。また赤外吸光分光(IRAS)、X線光電子分光(XPS)、Auger電子分光(AES)、透過電子顕微鏡観察(TEM)など様々な手法によるc-BN薄膜の組成、構造分析、特性評価を行い、同定における問題点・留意点等を議論している。

 第4章ではイオン衝撃のc-BN生成における役割を検証するために基板バイアス及びガス圧力をパラメータとした堆積実験の結果がまとめられている。従来、殆どの研究はイオン衝撃の効果を定性的に評価するにとどまっていたが、本研究では赤外吸光度及び膜厚測定を中心とする解析により堆積膜構造への影響を定量的に評価した点が高く評価される。100eV程度のイオンエネルギーがc-BN生成に必要とされ、堆積速度はスパッタ率のイオンエネルギー依存による変化を示した。更にガス圧力をパラメータとした実験において、圧力変化による膜成長表面へのイオンフラックスの変化に伴い、c-BN生成に必要なイオンのエネルギーが変化したことから、イオン衝撃の効果はエネルギーのみで規定されるプロセスによるものではなく、Kesterらにより提言されている「運動量により規定されるプロセスがc-BN生成に関与する」というモデルと半定量的に一致すると結論している。

 第5章ではc-BN生成機構を微視的に明かにするため、様々な成長段階でのc-BN薄膜の詳細な分析を行い、総合的に堆積過程の考察を行っている。この目的のため、低圧ICPの反応容器内での拡散を利用して、単一基板上に膜厚を傾斜変化させたc-BN薄膜を堆積する手法を開発した。本手法を用いて作製した試料を詳細に分析し、生成過程の検討に重要な多くの結果を得ている。特に、膜成長の進行にともなう、赤外吸収スペクトルの変化から、c-BN生成のためには、まず基板上にある臨界膜厚のアモルファスBN及び六方晶BNが堆積することが必要であることを実証した。また、XPS分析の結果、c軸が基板に平行する六方晶BN上でのc-BN生成量と膜中の格子間Ar原子量との間に高い相関があることを明示した。更にFT-IR分析の結果から、成長初期のc-BNの原子間の結合状態は強い圧縮応力が存在する可能性を示した。以上の結果を総合して、c-BN生成はArイオンのビーニングに伴う膜中の局所的な圧縮性高歪状態に起因すると提言している。

 第6章では、本論文により得られた結果を総括している。

 以上、本研究は低圧ICP-CVD法の開発、c-BN薄膜堆積技術の確立、及びc-BN生成機構の解明を進めたものであり、材料科学におけるプラズマプロセス並びに非平衡相物質合成に関する学問分野の進歩発展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54458