学位論文要旨



No 111176
著者(漢字) 藤澤,龍太郎
著者(英字)
著者(カナ) フジサワ,リュウタロウ
標題(和) 酸化物半導体による防食
標題(洋)
報告番号 111176
報告番号 甲11176
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3420号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻川,茂男
 東京大学 教授 増子,昇
 東京大学 教授 七尾,進
 東京大学 教授 藤嶋,昭
 東京大学 助教授 柴田,浩司
 東京大学 助教授 篠原,正
内容要旨

 金属酸化物は、電極材料、金属の防食膜として工業電気化学の様々な分野に応用されている。防食という観点からこれらの酸化物薄膜を考えた場合、従来はその絶縁性と化学的安定性を利用し下地の金属を防食しようとする試みがなされてきた。酸化物半導体薄膜と金属を組み合わせた材料の中に、ITO(Indium Tin Oxide)1)と、銀(以下、Ag)薄膜とを組み合わせたものがある。この複合体においては組み合わされたAgが腐食する可能性がある。複合体中のAgは8〜20nmと非常に薄いことから、この腐食の影響は大きい。そこで海塩を含む水膜中での腐食を想定した各濃度のNaCl水溶液中においてAgとITO膜のガルバニック対を作り短絡電流を測定し、その腐食速度を決定している因子を探った。膜厚120nmのITO膜とAg板とを組み合わせた時の結果をFig.1に示す。3および25%NaCl水溶液中では短絡電流は液中をAg→ITOの向きに流れ、アノードとなるAgの腐食速度はNaClの濃度が高いほど、光照射下ほど大きい。溶存酸素についても、それを含む水溶液中の方がAgの腐食は促進されることが分かった。ただし、0.3%NaCl水溶液中では光照射下で逆にITO膜がアノードとして働き、Agの腐食を抑制する場合があった。そこで、この様な、防食効果をもたらすITO膜の条件を探った。今、Agの腐食電位であるEcorr(Ag)はNaCl水溶液の濃度が低くなるに連れて貴化することが分かっている。ITO膜に微少なアノード電流が流れている時の電位がAgの腐食電位より卑であればAgをカソード防食することができる。そこで、試験片に微小アノード定電流10nA/cm2を流しその電位が安定する値、E10(ITO)、を測定することにより、Ecorr(Ag)>E10(ITO)となるようなITO膜の条件を探った。10%SnO2を含むITO膜の厚さと熱処理条件を変えてE10(ITO)を測定し、結果を膜の比抵抗に対して整理したものをFig.2に示す。この結果は、比抵抗を小さくするほどE10(ITO)を卑化しうることを示すが、図示の測定範囲では0.3%NaCl水溶液中のAgの腐食電位約0mV vs.SCEと同程度にとどまり、それを下回るのに十分ではない。すなわち、Agをカソード訪食するに十分卑な電位は得られなかった。このカソード防食効果自体はITO膜がn型半導体特性に由来するが、光照射により生成した正孔によるアノード電流密度が電極電位0mV vs.SCE付近で小さいため、光による電位の卑方向への変化が十分おきない。これはITOのキャリア濃度が1020〜1021cm-3と高いため、空間電荷層の厚さが薄く4)、光によって生成した電子・正孔対が再結合しやすいためと考えられる。

Fig.1 ITOとAgのガルバニック対におけるNaCl濃度と光照射の影響Fig.2 E10(ITO)に及ぼす比抵抗の影響

 そこでITOと同じn型半導体であり、フラットバンド電位がITO膜より低く、さらに化学的安定性にも優れるTiO2をITO膜に加えることによりAgの防食を試みた。TiO2/ITO膜の分極曲線と25%NaCl水溶液中でのAgの分極曲線のカソード枝をFig.3に示す。TiO2/ITO膜の光照射下のアノード分極曲線枝は電極電位にほぼ依存しない光飽和電流を示し、これとAgのカソード枝が交わっていることから、25%までのNaCl濃度範囲においてTiO2/ITO膜は光照射下、Agをカソード防食しうることが予想される。また光照射下、TiO2/ITO膜の腐食電位は約200mVほど卑方向に変化している。この光照射下の自然電位(光電位)が卑であればあるほど防食効果は大きい。そこで、試片に熱処理を施し、熱処理温度の光電位に及ぼす影響を調べた。結果をFig.4に示す。l0分という熱処理時間では300℃以上の温度で温度が電位に及ぼす影響は小さくなり、それぞれ-400mV vs.SCE以下の卑な電位を示している。光電位は吸収される光が十分であればフラットバンド電位にほぼ等しいはずである。従って、高温側では光電位がフラットバンド電位に近づいていると考えられる。また、250℃において熱処理時間を変化させた場合には、1時間の熱処理により400℃以上の熱処理とほぼ等しい光電位が得られた。この250℃、1時間熱処理したTiO2/ITO膜をAgと短絡して0.3、3および25%NaCl水溶液中に浸漬し、光照射下で短絡電流を測定した結果をFig.5に示す。この時の溶液露出部の面積比は1:1とする。TiO2/ITO膜にアノード電流が流れており、25%の高濃度側でもAgがカソード防食されていることが分かる。光照射下でのTiO2のアノード反応は水の酸化でありTiO2自身を劣化させないので5)、この時のAgに対する防食効果は非犠牲的であるといえる。また、この防食効果はカソード防食であるので、TiO2膜/ITO膜/Ag構造の材料においてAgの被覆部に欠陥が存在しても腐食促進に働くことはない。

図表Fig.3 TiO2(30nm)とAgの分極曲線 / Fig.4 熱処理温度の光電位におよぼす影響Fig.5TiO2/ITO膜とAgの短絡電流と電位

 このTiO2を用いた防食法をステンレス鋼にも応用することを考え、スパッタ法によりSUS304鋼上に1〜100nmの膜厚のTiO2を被覆した。以下、これを被覆鋼と呼ぶ。この被覆鋼の分極曲線と裸鋼の分極曲線を併せたものをFig.6に示す。裸鋼の分極曲線カソード枝と被覆鋼の光照射下アノード枝が交わっていることから、光照射下においては裸鋼、すなわち下地金属がカソード防食されると予想される。実際、裸鋼と被覆鋼とのガルバニック対において、光照射下では膜厚が3mm以上であれば被覆鋼がアノード、裸鋼がカソードとなることが確認された。被覆鋼の光電位は、Fig.7に示すように膜厚100nmまでの範囲においてTiO2膜が厚くなるほど卑化し、カソード防食効果が高い。膜厚100nmの被覆鋼について光電位とNaCl水溶液の濃度との関係を示したのが、Fig.8である。光電位はNaCl濃度によらず一定であった。図中にはステンレス鋼で最も問題となっているすき間腐食の再不動態化電位も併せて記した。このすき間再不動態化電位より卑な電位域ではすきま腐食は起こらないことから、この光電位ではNaCl濃度が約2%以下の範囲ですきま腐食を防止できることが分かる。ただし、TiO2のフラットバンド電位は600mV vs.SCE程であるので、この電位まで卑化できればすき間腐食は完全に防ぐことが可能となる。また被覆欠陥の影響を調べる目的で、面積比を変えた裸鋼と被覆鋼とのガルバニック対の自然電位を光照射下で測定した。この結果をFig.9に示す。どの膜厚においても面積比が0.1以下では自然電位は被覆鋼の光電位を維持している。したがって、被覆欠陥が存在してもその面積率が約10%(正確には0.1/1.1=約9.1%)以下であれば、欠陥のカソード防食への影響は小さいとみなせる。

Fig.6 TiO2被覆鋼と裸304鋼の分極曲線図表Fig.7 被覆鋼の光電位におよぼすTiO2の膜厚の影響 / Fig.8 光電位とすき間腐食再不動態化電位におよぼすNaCl濃度の影響Fig.9 光防食效果におよぼす被覆欠陥の影響

 そこで、容易に0.1mの膜厚が得られるゾル-ゲル法によるTiO2膜を用いての防食効果を調べた。ゾル-ゲル法によるTiO2膜の作製方法は作花らの方法によった7)。膜の焼成温度の影響を調べるため、1回および4回コーティングのものについて、100℃〜400℃の範囲で焼成を行った。光照射2時間後の自然電位と焼成温度との関係をFig.10に示す。250℃での熱処理において電位が最も卑化している。300℃以上の温度域で電位が貴化しているが、同様の傾向がスパッタ被覆鋼の製膜後の熱処理にも見られる。原因としては基板からの鉄の拡散が考えられる。以下、焼成温度を250℃で行った。次に、塗り回数と自然電位との関係を調べた結果、被覆鋼の自然電位は、4回塗りの時最も卑な-480mVとなり、以後、塗り回数を増やすとわずかながら貴方向に変化し、単に膜厚を厚くすることだけでは防食効果は上がらないことが分かった。最適条件とされる4回塗り、焼成温度250℃で作製した被覆鋼の光照射下での分極曲線測定結果とスパッタ法による被覆鋼(100nm)のそれとの比較を裸鋼の分極曲線とともにFig.11に示す。オンセット電位はほぼ等しいが、ゾル-ゲル法の光アノード電流密度枝はスパッタ法のものに比べ、電流密度で100分の1にとどまり、このため裸鋼のカソード枝と交わっている電位がゾル-ゲル法によるものの方が約150mVほど貴である。これはゾル-ゲル法による被覆鋼の熱処理温度が250℃と低いため、膜中に有機成分が残留しており7)、結晶化が十分行われていないため(後述)であると考えられる。実環境を模して太陽光による被覆鋼の自然電位の変化を調べた(Fig.12)。一度光照射によって電位が下がった後は、光の照射・非照射による電位の振幅が小さくなる現象があることが分かった。スパッタリング法で作製した試料についても同様な実験を行ったが、ゾル-ゲル法による被覆鋼のほうが、光の照射終了後の電位の貴化が小さく、日没後の最貴化電位もスパッタ法試片の50mV vs.SCEに比して-250mV vs.SCEと低く保たれていることが分かった。

図表Fig.10 光電位におよぼす熱処理温度の影響 / Fig.11 被覆鋼(ゾル-ゲル法およびスパッタ法)と裸鋼の分極曲線

 これらTiO2膜の防食効果に及ばす半導体的な特性をITO膜にゾル-ゲル法によりTiO2を被覆した試片で調べた。この光電位および0mV vs.SCEにおける光電流と熱処理温度との関係をFig.13に示す。ゾル溶液を同じ熱処理条件をほどこした粉末にしX線回折した結果も併記した。結晶化が始まる300℃から400℃にかけて光電位・光電流ともにおおきく変化している。つまり、高温側でTiO2膜を結晶化させることによりより大きな防食効果が期待できる。また、波長の光電位に及ぼす影響を300nmの時の光電位を基準にこれとの電位差で表したのがFig.14である。熱処理温度が上昇するにつれ電位を卑方向に変化させるのに有効な波長が長波長側に広がり、電位降下度も大きくなっていることが分かる。

図表Fig.12 太陽光光照射下のゾル-ゲル法による被覆鋼の自然電位 / Fig.13 光電位・光電流におよぼす熱処理温度の影響 / Fig.14 光波長の遮いによる光電位降下度におよぼす熱処理温度の影響文献1)大本修:表面技術、29、333(1978)2)藤嶋昭、本多健一、菊池真一:工業化学雑誌、72,108(1969)3)原田浩信、原納猛:Reports.Res.Lab.Asahi Glass Co.,Ltd.,40[1](1990)4)平野克比古、小城育正、庭田孝司、浅見雄作、高木亮一郎:電気化学、59,965(1991)5)会川義寛:材料と環境、41,111(1992)6)岡山伸、上杉康治、辻川茂男:防食技術、36,157(1987)7)T.Yoko,K.Kamiya,S.Sakka:Yogyo-Kyokai-Shi,95150-155(1987)8)M.A.Butler,D.S.Ginley and M.Eibschtz:J.Electrochem.Soc.,127,2307(1980)
審査要旨

 二酸化チタンTiO2はn型半導体であり、水環境中で光照射をうけると水を酸化して酸素を発生する。この現象は本多・藤嶋効果として知られており、その時TiO2自身の劣化は認められていない。本論文は、このような特性を持つTiO2を金属に被覆することにより、その耐食性を向上させる研究をまとめたものであり、全七章からなる。

 第一章は緒論で、本防食法が、従来の防食法と比較してまず第一にカソード防食としての特長を備え被覆に不可避な欠陥を許容することを示し、第二に半導体の電気化学的性質を述べた上で、半導体の光腐食反応にふれ、被覆したTiO2の光照射下のアノード反応が劣化を伴わないことを示し、この意味において、TiO2を用いたカソード防食法が従来の最も一般的カソード防食法であった鉄に対する亜鉛のそれとは異なる、非犠牲的防食法であるという特長をもつということを述べている。

 第二章では、特殊な合わせガラスに採用されている銀とITO(Indium Tin Oxide)との組み合わせにおける銀の腐食挙動を調べた。ITOは塩化物イオンCl-の共存下に一般には銀の腐食を加速し、その速度は光照射・溶存酸素の量に比例するが、低濃度Cl-域では逆に銀を防食することがあることを見い出した。この稀な現象はn型半導体としてのITOが光照射により自然浸漬電位が卑方向へ変化するという特性によるものであるが、ITOにおけるIn/Snの組成・膜厚・電気抵抗を変化させた範囲内ではITOのみでは、銀の防食に必要な十分に卑な電位が得られず、従って銀と組み合わせた場合安定して銀を防食しうるような特性を見い出すことはできなかった。

 第三章では、第二章でのITOの防食作用をより安定的に発揮すると考えられるフラットバンド電位がITOより卑なTiO2を選び、これをスパッタリング法によりITO上に被覆することによって、Ag/ITO系において全Cl-濃度域で銀を防食しうることを示した。また、ITiO/ITO2に高温での熱処理を施すとさらに銀の防食効果に有効であることも示した。

 第四章では、銀とほぼ等しい腐食電位を持つ304ステンレス鋼上へスパッタリング法によりTiO2を被覆し、その防食効果を調べた。TiO2は厚さ3nm以上で防食効果を示し、100nmの厚さで数%濃度のNaCl水溶液中でのすきま腐食を防止しうること、面積率10%以下の被覆欠陥の影響を無視しうることを実験的に明らかにした。また、被覆の膜厚・光の相対強度の防食効果にあたえる影響を調べ、膜厚は100nmまでの範囲において厚いほど、光の強度も強いほど防食効果が大きいことを明らかにした。ただし本系のように下地がステンレス鋼の場合には、300℃以上での熱処理が防食効果を損なうことを述べ、鋼/TiO2界面での厚さ方向の元素分布を調べている。

 第五章では、防食効果上望ましいより厚い被覆が可能なゾル-ゲル法によるTiO2膜を同じく304鋼上へ適用した結果の調査である。最適条件を選ぶことによりステンレス鋼においてもっとも厳しいとされる対すきま腐食に対しても十分な防食効果が得られることのほか、光照射の停止後も防食上有効な卑な電位が例えば10時間弱保たれるという興味ある現象を見い出すとともに、暗条件下において光照射時と同等の電極電位に保つという操作によりこの現象が再現されることを明らかにした。これらの事実は、本法の適用が現に光照射を受けている時にのみ限られるという制約をこえる可能性を示したものとして、本法の工学的適用をはかる上での意義が大きい。

 第六章では、第三章から第五章で調べたTiO2を用いた金属の防食におけるTiO2の半導体的特性と防食効果との関係を調べた。ITO基板上へ両法で被覆したTiO2に各種の熱処理を施し、これらの光電気化学的挙動を調べた。すなわち、光照射下の自然電位・光電流密度に与えるTiO2の結晶性・光波長および光強度の影響を調べ、今後の各種金属への適用に必要な基礎的知見を示している。

 第七章は、総括である。

 以上のように、本論文は酸化物半導体としてのTiO2の特性に基づいた新しい防食法を提案したもので、金属表面工学へ今後大きく寄与することが期待される。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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