学位論文要旨



No 111183
著者(漢字) 原,重樹
著者(英字)
著者(カナ) ハラ,シゲキ
標題(和) ジアセチレンLB膜の重合挙動と光物性に関する研究
標題(洋)
報告番号 111183
報告番号 甲11183
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3427号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 教授 石田,洋一
 東京大学 教授 牧島,亮男
 東京大学 教授 七尾,進
 東京大学 助教授 森,実
内容要旨

 光の持つ波動的性質を積極的に活用し、超高速演算・並列処理等の新しい機能を実現するものとして光機能デバイスが脚光を浴びている。この中で非線形光学材料を利用した導波型光素子は理想的な実現形態であり、かつ電子回路にはない光固有の機能を実現してくれるものとして期待されている。

 有機材料を対象にした光デバイスの研究はまだ浅いが、分子設計の自由度をはじめ、高い非線形光学効果や高い破壊閾値など、無機材料にはない多くの長所を持っている。特に、ポリジアセチレンと呼ばれる一連の化合物は大きな3次の非線形光学効果を有していることで注目されている。ポリジアセチレンは分子内に共役する3重結合(-C≡C-C≡C-)を持つ分子の結晶に紫外線等の刺激を与えて重合させることによって得られる。

 この中で、10,12-ペンタコサジイン酸に代表されるある種のジアセチレンLB膜は光重合前後の熱処理や溶媒処理により色調の異なる青膜、赤膜、緑膜の3つの相に変化する。青膜および赤膜の共役電子系に起因する吸収ピークはそれぞれ640nm、540nmであり、ポリジアセチレン一般に見られる波長とほぼ一致しており、そのためポリジアセチレンのLB膜がはじめて作製されたときから広く研究されてきた。一方緑膜は他のポリジアセチレンが持つ吸収位置に比べ圧倒的にエネルギーの低い700nmに吸収を持つ。ポリジアセチレンは重合主鎖に共役長の長い電子系を持つことで知られるが、このことは緑膜の電子系の非局在化が一層進み、一般のポリジアセチレンよりも更に長い共役長を有していることを示唆している。

 3次の非線形光学効果は電子系の共役長と密接な関係があると考えられており、したがってこの緑膜が高い(3)を有している可能性は充分考えられ、それがどの程度なのかということに大変興味がある。また、今後の分子設計の指針を得るためにも、このように長波長側に吸収を持つ理由を知ることは極めて重要である。

 にもかかわらず、緑膜に関する研究はあまりにも少ない。電子線回折およびX線回折を用いた構造評価の結果から単に結晶化の進んだ状態であると考えられているが、それ以上の認識には至っておらず、これまでほとんど注目されていなかった。光物性に関してもNd:YAGレーザーの1064nmを基本波としたTHGから求めた(3)が他の2つの相より数倍大きいと述べられているにすぎず、定量的な評価に至っていない。

 緑膜のこの特異な吸収の原因を究明し、光物性について詳細に検討を行うためには、その重合挙動や構造についてより多くの知識が必要である。また(3)の定量的な測定も不可欠である。

 そこで、本研究では緑膜に関する多くの知見を得ることを目的として、ポリジアセチレンの重合挙動と3次の非線形光学効果を調べた。まず始めにジアセチレンの一つである10,12-ペンタコサジイン酸のLB膜を作製し、-A等温線、累積比、低角X線回折、SFMを用いてその評価を行った。次に紫外線を照射して重合させる前に熱処理を行うことにより緑膜を作製し、その際の可視スペクトルの変化の様子から、熱処理の温度、熱処理の温度、重合時の温度、照射光の偏光、熱処理前の重合がポリジアセチレンLB膜の重合、特に緑膜の形成にどのような影響を与えるのかを調べ、緑膜の形成条件やジアセチレンLB膜の重合について検討した。最後にジアセチレンLB膜が持つ3つの異なる相、青膜、赤膜、緑膜に対して3次の非線形光学効果を測定し、ジアセチレンLB膜のそれぞれの相の光物性について考察した。また、ポリジアセチレンLB膜を用いた導波型光デバイスへの応用に関しても検討した。

 試料はLB法の中でも垂直浸漬法と呼ばれる手法を用いて作製した。累積比は1±0.1と良好であり、作製されたLB膜の低角X線回折パターン図1からも2層分の厚さが5.5nmの理想的なY型膜が得られたことを確認した。

図1:10,12-ペンタコサジイン酸LB膜の低角X線回折パターン

 SFM(Scanning Force Microscope)は光てこ式原子間力顕微鏡(AFM)における2分割光検出子のかわりに4分割のものを用いることにより、試料の凹凸の他、試料-探針間に横方向に働く摩擦力も検出できるようにした装置であり、これを用いてポリジアセチレンLB膜の分子像を得た(図2)。LB膜表面にある疎水基の末端は規則的に配置しており、分子像から得られる1分子当たりの占有面積も-A等温線から得られる極限面積とほぼ一致した。また、分子間力から得られた像と摩擦力から得られた像は同一の周期を持ちながらも、その大きさの間にはこれまで観測されていたような一定の関係はなく、それぞれ独立に変化していた。このことは摩擦力から得られる情報が最表面からだけでなく、表面から少し中に入った情報も含んでいるからであると考えられる。これまで、AFMでは寸法精度がないために格子定数のわずかに異なった2つの相を判別できなかったが、原子間力と摩擦力の2つの情報を組み合わせることにより、それが可能となると期待できる。

図2:ジアセチレンLB膜の原子間力顕微鏡像(左)と摩擦力顕微鏡像(右)

 熱処理および紫外線照射に関する実験では、これまで熱では重合しないと考えられていたジアセチレンLB膜も20℃以上の室内で長期間保持することにより、わずかではあるが重合し緑膜となることを初めて指摘した。直線偏光を持つ紫外線の照射による重合では、偏光によりポリジアセチレンLB膜に面内異方性を与えることはできなかった。この結果は重合前の直鎖状のジアセチレン基の方向が、ポリマーにおけるの重合主鎖の方向とほぼ45°傾いているということを支持している。また、紫外線照射によりいったん青膜となったものはその重合の程度によらず緑膜になる素質を完全に失うことが分かった。紫外線照射の途中で熱処理を行ったものは、熱処理を行わずに連続的に重合させたものと変らなかった。そのことから、(i)緑膜になる素質を持つモノマーの形成には広い範囲での分子の再配列が必要であり、そのために、たとえ重合していないモノマーの集団があったとしてもそれが十分な大きさでない限り緑膜にはならないこと(ii)青膜の重合においては重合核の生成速度の方が成長速度よりかなり速く、したがって、重合が極めて一様に起こっていること、が予想される。さらにこの実験から、1つの基板上にこれら3つの相を自由に配置することが可能であることが分かる。すなわち、ある領域では通常の紫外線照射により青膜とし、別の領域では長時間の照射により赤膜とする。この試料を45℃で1時間加熱した後未重合部分に紫外線を照射すればその領域は緑膜となるが、すでに青膜、赤膜になっている部分は熱処理により変化することなく残る。導波型光機能素子において、光学的物性の異なる2つの状態を導波方向に周期的に配置したものはグレーティングと呼ばれるが、このようなグレーティングがジアセチレンLB膜において容易に作製できることは非線形光学効果における位相整合の実現や、多くの能動素子を作る上で極めて重要である。

 3次の非線形感受率(3)の決定は、光源として色素レーザーを用いることにより基本光2040nmに対するTHG強度を測定し、Maker fringe法に従って行なった。これまでに報告されている基本光1064nmに対してだけでなく、この波長においても青膜および緑膜の(3)はそれぞれ3×10-12esu、0.7×10-12esuであり、赤膜(10-13esu以下)よりはるかに大きいことを確認した。その上で、基本光1064nmを用いたTHGの測定では赤膜は2光子吸収による共鳴効果により他の波長領域に比べ大きい(3)を与えていたと考えられ、実際には赤膜の重合主鎖に存在する電子の共役長は極めて短い可能性がある。このような観点から、ジアセチレンLB膜の(3)の評価にはその波長依存を知ることが不可欠である。さらに緑膜の(3)では、重合のあまり進んでいないものに対しても十分大きな値を示したことから、良好な緑膜の試料を作製すればさらに大きな(3)が期待できる。

 以上のようにジアセチレンLB膜の重合に関し、重合挙動について詳細に検討し、青膜、緑膜を用いた導波型光デバイスが有効であることを明確にした。

審査要旨

 非線形光学効果を利用した光機能デバイスは電子回路では実現困難な高速処理、並列処理を可能にするものとして近年注目を集めている。ポリジアセチレン誘導体はその有力な候補材料の一つであり、3次の非線形光学定数の大きな材料を得るための努力がなされている。ポリジアセチレンは可視領域に吸収を持つが、この吸収と非線形光学効果はいずれも重合部分の電子に起因しているので、ポリジアセチレンの色と非線形光学効果は密接に関わっている。ジアセチレンの一種である10,12-トリコサジイン酸のLB(Langmuir-Blodgett)膜は重合前の熱処理の有無によって緑膜、青膜と呼ばれる2つの膜構造になることが知られている。このように色の異なる2つの安定な構造をとるポリジアセチレンは、重合部分の構造が非線形光学効果に及ぼす影響を調べるためには格好の材料である。本研究は非線形光学定数の高い材料を得るための指針を得ることを目的として、このジアセチレンLB膜の巨視的および微視的構造、紫外線による光重合挙動、3次の非線形光学効果について研究したものである。本論文は全6章から構成されている。

 第1章においては非線形光学効果について概観した後、ポリジアセチレンの従来の研究について紹介している。その上で本研究の位置付け及び目的について述べている。第2章では試料作製法であるLB法の原理について述べている。また、LB膜の研究の歴史、評価法についてもまとめられている。

 第3章では試料の作製及びその構造評価について述べている。熱処理や光重合がジアセチレンLB膜の構造に与える影響を低角X線回折パターンの比較によって調べている。その結果、熱処理を行っていないジアセチレンが光照射によって青膜になるときには2分子層当たりの厚さは変化しないが、緑膜を得る過程においては、熱処理を行うことにより2%増大し、続いて光重合を行うことにより1%減少すること、すなわち積層方向の構造変化を伴うことを初めて明らかにしている。

 第4章においてはジアセチレンLB膜の光重合挙動について述べている。短時間の紫外線照射により部分的に重合させたジアセチレン膜は、その後熱処理および紫外線照射を行っても全く緑膜にはならないことを示している。これは重合したジアセチレン分子が未重合のジアセチレンの再配列を阻害していることを意味し、緑膜の形成には広範囲にわたる分子の再配列が必要であるためと説明している。

 さらにステアリン酸との交互累積LB膜について調べている。重合前の熱処理はジアセチレン分子がより秩序の高い配列を実現することに寄与し、その結果吸収強度の大きいポリジアセチレンが得られた。しかし、ジアセチレンのみからなるLB膜とは異なり、熱処理を行っても緑膜にはならず青膜になることが示され、緑膜になるためには、青膜のような各層内での秩序のみならず、積層方向の秩序の形成が不可欠であること明らかにした。

 第5章ではポリジアセチレンLB膜の3次の非線形光学効果について述べている。一般に非線形感受率(3)は入射光の波長に大きく依存することが知られているが、著者は緑膜と青膜の波長依存性を初めて測定し比較している。その結果、第3高調波発生に関する(3)の最大値として青膜、緑膜それぞれ1.2、0.97×10-10esuを得ている。可視における吸収強度が大きく分子配列の秩序が高いと考えられる緑膜の方が小さな値を示したことについては、熱処理により置換基である炭化水素鎖同士の組織化が進む代わりに重合部分の構造に歪みが生じたためであると説明している。したがって、大きな非線形感受率を持つポリジアセチレンを得るためには、重合部分にできるだけ歪みを生じない置換基の選択が必要であると結論している。

 第6章は総括である。

 要するに、本研究は非線形光学材料として注目されているポリジアセチレンLB膜について光重合過程における分子配列の変化を明らかにし、3次の非線形光学定数を測定したものであり、その上で、大きな非線形光学定数を有するポリジアセチレンを作製するための指針を提示している。本論文は材料学の発展に大いに寄与しており、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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