学位論文要旨



No 111184
著者(漢字) 堀,彰
著者(英字)
著者(カナ) ホリ,アキラ
標題(和) 正20面体ボロン系固体の電子構造と光物性に関する研究
標題(洋)
報告番号 111184
報告番号 甲11184
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3428号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 木村,薫
 東京大学 教授 井野,博満
 東京大学 教授 牧島,亮男
 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 教授 七尾,進
内容要旨

 正20面体ボロン系固体はB12正20面体クラスターを構造の基本とする半導体である。図1に示した単体のボロン((a)菱面体晶と(b)菱面体晶)はIII族で唯一の元素半導体であり,1個のB原子の周囲に同じB12クラスター中の5個と隣接するB12クラスター中の1個の計6個のB原子が配位した6配位の構造をしている。また,3中心結合という特異な結合を持つ唯一の系でもある。

図1 (a)菱面体晶ボロン,(b)菱面体晶ボロンの結晶構造。

 他の元素半導体が,sp3混成軌道により結合するIV族のSi,Ge,Sn,C(diamond),sp2混成軌道に近いとされるC60,ほぼp3であるV族のP(黒燐),p2によるVI族のSe,Teのように比較的単純な結合をしているのと比較して,ボロンの場合ははるかに複雑な結合をしている。従って,ボロンは元素半導体を含む半導体全体を統一的に理解するためには不可欠の物質であるといえる。また,上で述べた元素半導体の殆どのものや,GaAsに代表される化合物半導体は,原子が結合してネットワークを組んだネットワーク半導体と言えるのに対し,サッカーボールクラスターC60が分子間力で結合したC60クラスター半導体がある。正20面体ボロン系固体はB12クラスターが共有結合により結合しており,これらの2種類の半導体の両者の性質を兼ね備えた半導体と考えられ,この点からも興味深い。さらに正20面体ボロン系固体は一般に融点が2000℃を超える高融点物質であり,高温半導体材料としての可能性も考えられる。現在までに実用化されている半導体材料は,殆どが前述のsp3結合を持つものであり,ボロン系固体の研究は,新しい半導体材料を開発するための基礎的データを提供するという意味でも重要である。

 本研究では,このような特徴的な構造や結合を持つ正20面体ボロン系固体の,光物性において見られる特徴を明らかにし,さらにB12正20面体クラスターとの関連を明らかにすることを目的とした。

 そこで,まず正20面体ボロン系固体を構成するB12クラスターの電子構造を,非経験的分子軌道法により計算した。またB12に対して双極子行列要素の計算をし,孤立したB12の光学的性質を調べた。実験としては,アモルファスボロン(a-B)と結晶の菱面体晶ボロン(-B)の光学吸収端スペクトルや-B,B4C,YB66の反射スペクトル及び-Bのフォトルミネッセンス(PL)スペクトルの測定を行った。

 B12正20面体クラスターの分子軌道計算は,非経験的分子軌道法のプログラム(GSCF3)を用いて,孤立したB12クラスターのダングリングボンドをHで塞ぎ,結晶中の状態に近づけたB12H12クラスターについて行った。ボロン系結晶中のB12正20面体クラスターは歪んでいるが,その原因の一つとして孤立したB12クラスターにおけるJahn-Teller効果が考えられる。図2は歪んでいない中性のB12と,菱面体晶の対称性D3dの歪を持つB12の正20面体内の分子軌道のエネルギー準位を示している。

図2 B12正20面体クラスターのクラスター内分子軌道とJahn-Teller効果。

 中性のB12では最高被占有分子軌道(HOMO)は4重に縮退しているが,電子は6個しか詰まっておらず,B12が歪んで縮退が解けることによりエネルギー的に安定になる。これがB12におけるJahn-Teller効果である。光吸収及び光誘起吸収の実験結果を基に作成された-Bのギャップ内の電子構造のモデルを図3に示す。その特徴は伝導帯の下に複数の電子捕獲準位が存在することと,価電子帯の約0.2eV上に高密度の準位が存在することである。後者は,Jahn-Teller効果によってB12が歪み,価電子帯の一部(図2の空の軌道)が遊離して生じた内因性のアクセブター準位として理解できる。

図3 光吸収及び光誘起吸収により決定された-Bのギャップ内の電子構造のモデル。

 正20面体対称性Ihの最大部分群の,菱面体晶D3d,立方晶Th,五方晶D5dの各対称性を持つ歪みをB12に与えて,分子軌道計算により全エネルギーを評価し,安定性を調べた。その結果は表1に示すように,実際に存在する結晶中のB12に見られる,D3dおよびThの対称性を持つ歪みの場合は安定であり,歪みを表すパラメーターの符号が,エネルギーを最小にするものと実際の結晶中のもので一致するのに対し,実際に存在しないD5dの対称性の歪みは不安定になった。

表1 計算で最も安定となるB12の歪みと実際の結晶中のB12の歪み

 光吸収や発光などの光学的遷移の双極子遷移確率Wは,双極子行列要素Mijの絶対値の2乗と結合状態密度Jcvの積として,近似的に次式のように表される。

 

 異方性等の光学的遷移の性質は双極子行列要素によって決定される。そこで結晶に含まれるB12クラスターに対して双極子行列要素を計算した。-Bにはvertexとedge-centerの2種類のB12クラスターが含まれ,価電子帯のトップ(36の軌道)及び内因性アクセプター準位(37の軌道)から伝導帯(38-41の軌道)への遷移の内,許容であるものは図4の矢印で結ばれた準位間の遷移である。(x,y),zは,z軸を六方晶のc軸に一致するようにとったときの異方性を表す。これによると,ギャップ付近の遷移に関しては,vertexのB12がz軸の異方性があるのに対し,edge-centerのB12ではz軸と垂直方向の異方性があり,両者の異方性が逆になっている。従って,2種類のB12を含むボロンの単結晶では光吸収スペクトルの異方性が小さく,vertexのB12のだけからなる-Bの場合に,z軸方向に吸収の異方性があることが予想される。これらは実験結果と良い一致を示した。

図4 双極子行列要素の計算により求められた菱面体晶ボロン中の(a)vertex,(b)edge-centerのB12クラスターの分子軌道間の許容遷移とその異方性(z軸は六方晶のc軸に一致させている)。

 a-B,a-B4C,a-B13P2のボロン系アモルファスと5Nの単結晶ボロンの光学吸収端スペクトルを190-2600nmの波長範囲で測定した。

 一般に典型的なアモルファス半導体では,吸収係数は次式のn=2で良く合うことが知られている。

 

 この式は,状態密度が放物線的であること及び,kの選択則が破れていることという2つの仮定に基づいて成立する。ボロン系アモルファスの場合にはn=3で良く合っている(図5(b))。その起源としては上の2つの仮定の少なくとも一つが破綻していることが考えられる。前者に対しては(i)状態密度が線形であること,後者に対しては(ii)kの選択則が破れていないことが考えられる。kの選択則が成立する結晶の場合にn=3となるのは間接禁制遷移の場合であり,温度依存性を測定することにより(ii)の可能性を検討した。結晶の間接禁制遷移の場合には(2)式の係数Aは温度依存性を示し,近似的に次式のように表される。

 

 はフォノンのエネルギーである。-Bの光学吸収端スペクトルを3成分に分解し,a-Bのギャップと関連していると考えられ,a-Bの場合と同じくn=3となる内因性アクセプター準位から伝導帯への遷移について,係数A(T)を80Kの値で規格化したA(T)/A(80K)の温度依存性をアモルファスと比較した(図6)。点線は(3)式のとして傍に記したエネルギーの値を代入したときの理論曲線である。ボロン系のアモルファスと結晶の-Bでは係数Aの温度依存性が明らかに異なることから,n=3の起源として(ii)の可能性は否定され,(i)の状態密度の線形性であると結論した。

図表図5 ボロン系アモルファス薄膜(a-B,a-B4C,a-B13P2)および参照用のa-As2S3の光吸収スペクトルを(2)式で(a)n=2,(b)n=3として直線フィッティングしたもの。 / 図6 (2)式の係数Aを80Kの値で規格化したもの及び(3)式に図に記した各フォノンのエネルギーを代入して得られる理論曲線の温度依存性。

 -B,B4C,YB66の反射スペクトルを測定したところ,図7に示すように4-5eVに共通のブロードなピークが観測された。反射スペクトルに関しては,正四面体配位の構造を共通して持ち,結晶構造が本質的に同じである,SiやGaAs等では反射スペクトルの形状が類似しており,それらのピークはバンド構造のVan Hove特異点であることが計算で明らかになっている。一方,C60半導体の反射スペクトルに見られるピークはC60クラスターの分子軌道間の遷移として同定される。-B,B4C,YB66は,B12クラスターを持つ以外は,結晶構造が異なることから,このピークはB12クラスターの電子構造に起因するもであると考えられる。

図7 -B,B4C,YB66及び参照用のSiの反射スペクトル。

 単結晶-Bの4.2KでのPLスペクトルの励起エネルギー依存性およびPL強度の温度依存性を図8および図9に示す。1.14eV付近をピークとし,アモルファス半導体のような幅の広いスペクトルが観測された。このエネルギーは最も浅い電子捕獲準位から内因性アクセプター準位への遷移に対応している。また,励起光のエネルギーが大きくなるにしたがって,発光強度が下がっており,これも一般のアモルファス半導体と同じである。

図8 液体He温度で測定した単結晶-BのPLスペクトルの励起エネルギー依存性。図9 単結晶-BのPLスペクトルの温度依存性(式(4)に従ってフィッティングして得られる曲線を一緒に示した)。

 PL強度は輻射及び無輻射過程の競合で決まるが,後者を熱活性型として図9のデータを次式に従って解析し,活性化エネルギーEを求めた(図10)。

 

 ここで,IE,ILは励起光強度,発光強度を,iは発光寿命,vは無輻射遷移に関与するフォノンの振動数をそれぞれ表す(図10に従って求められたパラメーターを再び(4)式に代入して得られた曲線を図9に示してある)。E=0.12eVの過程は,図3の最も浅い電子捕獲準位から伝導帯への電子の熱離脱過程と考えらる。ピークのエネルギーの1.14eVや活性化エネルギーの0.12eVの値は図3と良く一致している。

図10 図9に示したデータを式(4)に従って解析したアレニウスブロット。

 本研究では,正20面体ボロン系固体が共通してB12クラスターで構成されていることから,その電子構造,さらには光物性にB12の性質が反映されるだろうという視点に立ち,B12クラスターの電子構造を分子軌道法で計算し,種々の正20面体ボロン系固体の光物性の測定を行った。B12がJahn-Teller効果で歪むことにより生じた内因性アクセプターバンドが関与した吸収及び発光スペクトルや,B12クラスターの電子構造に起因する反射スペクトルが観測され,正20面体クラスターB12の特異な構造が光物性に反映されることの一端が明らかにされた。これらの知見は,今後,ボロン系において半導体材料を開発するための基礎的データを提供するものである。

審査要旨

 ボロンは、他の元素半導体と異なり、3中心結合や正20面体クラスターという複雑で特異な結合と構造を持っている。正20面体ボロン系固体は、このクラスターを基本構造としており、半導体物質群の中で特異な位置を占めている。ところが、この物質群の電子構造や半導体物性に関する基礎的な理解のレベルは、大変低いのが現状である。本研究は、半導体物質を統一的に理解し、新しい半導体材料の可能性を探るために、ボロン系固体の理解のレベルを引き上げることを目的としている。そのために、計算手法として分子軌道法を、実験手法として、光吸収、反射、フォトルミネッセンスの3つを使っている。論文は、8章より構成されている。

 第1章は序論で、本研究の目的、研究の方法および論文の構成について述べている。ボロンの結合が、他の元素半導体のようなsとpの単純な混成軌道で記述できないことを述べ、また、正20面体クラスターが3次元的にネットワークを形成していることから、"クラスター半導体"と"ネットワーク半導体"の両者の性質を兼ね備えたものとして位置づけている。そして、正20面体ボロン系固体の光学的性質の特徴を明らかにし、正20面体クラスターとの関連を明らかにしようとしている。研究の方法として、バンド・ギャップ近傍の電子状態についての情報を得るために光吸収を、バンド内部について反射を、ギャップ内についてフォトルミネッセンスを測定し、これと対応して、正20面体クラスターの電子状態と双極子遷移確率を計算するために分子軌道法を用いたとしている。

 第2章では、正20面体ボロン系固体に関する従来の研究について概観している。

 第3章では、分子軌道法による正20面体クラスターの電子構造と、双極子行列要素の計算結果について述べている。クラスターから外へ向かうボンドを水素原子で終端した、ボロンの中性の正20面体クラスターが、結合軌道に電子が2個足りないことから、ヤーン・テラー効果によって歪んでエネルギーが下がることを確認した。計算で安定になる歪み方と実際の結晶中のそれを比較している。また、歪みに伴い最高エネルギーの結合軌道の縮退が解け、空の軌道がギャップ内にアクセプター準位を形成することを確認した。さらに、ギャップ付近を形成すると考えられる準位間の電気双極子遷移確率を計算し、菱面体晶には正20面体が一種類であるのに、菱面体晶には向きが異なる二種類があることから、前者では吸収端に大きな異方性があるのに対し、後者ではそれが小さいという実験事実を説明している。

 第4章では、本研究に用いた試料の作製方法とキャラクタリゼイションについて述べている。アモルファス薄膜の電子ビーム蒸着法と、B4C単結晶の赤外線加熱炉によるフローティング・ゾーン法、およびEPMAとESCAによる試料の組成分析とX線回折による構造解析について詳述している。他から提供を受けた、菱面体晶とYB66の単結晶についても簡単に述べている。

 第5章では、菱面体晶とボロン系アモルファス薄膜の光学吸収端スペクトルを測定し、両者の違いと電子構造の関連について述べている。菱面体晶の吸収端スペクトルが、深い準位、内因性アクセプター・バンド、価電子帯からの3つの成分に分けられることを確認し、2番目の成分が、第3章の計算結果と一致して、スペクトルとその温度依存性も含めて、間接禁制遷移になっていることを示した。一方、アモルファス薄膜の吸収スペクトルが、典型的なアモルファス半導体と異なり、結晶の間接禁制遷移と同じになっている原因について調べている。この場合には、菱面体晶と異なり、温度依存性がほとんど無いことから、間接遷移ではなく、状態密度が結晶の放物線からずれて線形になっているためと結論している。この状況は、多元系の複雑な構造を持つアモルファス半導体に類似しており、その理由か正20面体クラスターの存在であると考察している。

 第6章では、菱面体晶、B4C、YB66の反射スペクトルを測定し、これらに共通して見られるブロードなピークを、唯一共通の構造である正20面体クラスターに起因したものであると結論している。さらに、Kramers-Kronig変換により求めた光学定数について議論している。

 第7章では、ボロン系結晶としては初めて、菱面体晶のフォトルミネッセンス・スペクトルの測定に成功し、ギャップ内準位との関連等について述べている。スペクトルのピーク・エネルギーと、強度の熱減衰から得られる無輻射再結合過程の熱活性化エネルギーの値から、主になる輻射再結合過程は、最高エネルギーの電子捕獲準位から内因性アクセプター・バンドへの遷移であると結論している。無輻射再結合過程を律速しているのは、この電子捕獲準位から伝導帯への熱離脱であると結論している。また、スペクトルがブロードであることや、励起エネルギーと共に強度が急速に減少することが、アモルファス半導体と類似していることを指摘している。

 第8章は、総括である。

 以上要するに、この研究は、正20面体ボロン系固体の電子構造の特徴が、内因性アクセプター・バンドを中心とした、正20面体クラスターに起因したものであること、これらが光物性に重要な役割を演じていることを明らかにした。また、光物性に、結晶でありながらアモルファス半導体に類似した特徴と、それとは異なる特徴の、両者があることを明らかにした。この特異な半導体群の電子構造と光物性を、その構造単位である正20面体クラスターと関係づけて理解することに成功しており、材料学の発展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54461