学位論文要旨



No 111188
著者(漢字) 小竹,玉緒
著者(英字)
著者(カナ) オダケ,タマオ
標題(和) レーザー誘起キャピラリー振動効果を用いたキャピラリー電気泳動の高感度オンカラム検出器の研究
標題(洋) Study on a Highly Sensitive On-Column Detector for Capillary Electrophoresis Using Laser-Induced Capillary Vibration Effect
報告番号 111188
報告番号 甲11188
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3432号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 澤田,嗣郎
 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 二瓶,好正
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 助教授 北森,武彦
内容要旨

 医薬生理学、生物科学の分野をはじめ、科学技術諸分野で超微量分析技術の果たす役割はますます大きくなりつつある。特に、微小領域あるいは微小空間内の化学情報は、局所的に特異な性質、例えば点欠陥、遺伝子変異などを知る上に重要である。そのような場合には、個々の空間(例えば細胞)の性質を知ることが重要となり、全体の空間(例えば組織)から得られる代表値では意味がない。また高感度な検出法がない場合には、測定可能な量になるまで増殖や化学増幅などのスケールアップが必要となり、煩雑な操作や時間的な問題も生じる。従って、これまでの濃度としての超微量分析法に加え、体積・試料量としての超微量分析法が望まれる。

 キャピラリー電気泳動法は、内径数十mのガラスキャピラリー管中で電気泳動分離させる分離分析法であり、試料量がnl(10-9l)からサブpl(10-12l)という超微小量でよいだけではなく、従来の高速液体クロマトグラフィーやゲル電気泳動法などの分離分析法と比較して、分離能としては理論段数にして十倍以上、分離速度も一桁以上優れ、次世代の分離原理として期待されている。しかしながら、超微小量の分離成分を高感度に検出する方法がないため、現状では試料量が微小量でよいという特長を生かすことができず、高感度検出器の開発がCEの発展と展開の鍵を握っている。レーザー誘起蛍光法(LIF)は蛍光量子収率の大きい物質に対してはzmol(10-21mol)レベル、即ち数百分子の検出限界値が得られている。しかしながら、分析対象となる試料は蛍光物質に限られるので、ほとんどの場合蛍光誘導体化が必要になるが、nlレベルの化学反応は実質的に困難である。それに対し、吸光光度法はほとんどすべての物質に適用可能なので、基本的に試料の化学修飾は必要なく、現状ではCE検出法として一般に用いられている。しかしながら、通常の吸光光度法で検出できる吸光度の検出下限は10-4Abs.程度であり、キャピラリーのように光路長が数十mと小さい場合には原理的に高感度検出は望めない。

 光熱変換効果を利用した検出では、光吸収によって励起された物質が緩和過程で放出する熱量を計測する。この発生熱量は蛍光と同様励起光強度に比例するので、レーザーのような高出力光源を励起光として用いることにより、高感度検出が可能になる。我々は、レーザーをキャピラリーに断続的に照射すると、光熱変換効果の一つとしてキャピラリーが弦のように振動する効果、レーザー誘起キャピラリー振動(Capillary Vibration induced by Laser:CVL)効果を見い出した。CVL効果の振幅は化学種の量に比例するため、キャピラリー内の試料を高感度に検出する可能性をもち、光熱変換効果はほとんどの物質にあるので汎用性も期待できる。

 そこで本研究では、まず、CVLをCEの検出器とするCE/CVLシステムを作成し、CVLがCEの高感度検出に適することを実証した。しかしながら、信号の再現性および安定性が得られにくいという問題があった。また、分析対象試料の吸収帯に励起レーザーの波長を合わせることを考慮すると、様々な発振方式のレーザーに対してCVLを誘起しなければならない。そこでCVL信号の発生機構および特性を解析し、CVL検出装置を設計、試作、最適化した。さらに生体関連物質の高感度検出に応用した。CE/CVLシステムに適した分離媒体や反応分離法も開発し、アミノ酸、免疫物質、核酸をamol(10-18mol)レベルで検出した。

 本論文の構成は、1〜8章から成る。

 第1章は序論であり、本研究の背景および位置付けを述べた。

 第2章では、CVLの原理を述べた。CVL効果は光熱変換効果の一種である。光を吸収した物質は励起状態にあり、吸収したエネルギーを熱として放出して、元の基底状態に無輻射緩和する。無輻射緩和と蛍光放出過程の輻射緩和とは相補的であり、両過程の量子収率の和は1となる。従って、蛍光量子収率の高い一部の蛍光物質以外のほとんどすべての物質の場合、吸収された光エネルギーの大部分は、蛍光などの発光過程ではなく熱を放出する無輻射緩和過程を経て放出される。無輻射緩和過程を経て発生した熱は様々な物性変化、光熱変換現象を生じさせる。CVLもその一つである。キャピラリー中で発生した熱は、キャピラリーに局所的な熱膨張を生じさせ張力を減少させる。励起光を周期的に強度変調すると、一定の張力をかけたキャピラリーに張力変動が生じる。その結果キャピラリーが弦のように振動する。振動は微小振動であるため、この振動の振幅と吸光度とは比例関係にある。

 第3章ではCE/CVLシステムを試作した。検出器の感度はLIFと同等であり、アミノ酸を試料として分離検出した結果、誘導体化しないアミノ酸でもfmol(10-15mol)レベルの定量が可能であった。しかし、検出装置としての安定性や再現性に問題があることがわかった。

 第4章では、CVL信号の発生機構および特性を解析し、検出装置の最適化について述べた。CVL法は高感度な検出法であることがわかったが、信号の再現性や安定性が得られにくい欠点があった。そこで、まず第1節では、安定した信号を得るために種々の検出装置を考案し、設計・試作した。これまでの光熱変換分光法からの類推から、振動により発生する空気の疎密波(音響波)をプローブ光の偏向効果により検出する方法を考案したが、光学調整が困難であり、信号の安定性や再現性が得られにくかった。そこで圧電素子を振動の支点とし、弦振動を直接検出する方法を提案した。この方法は、プローブ光を用いないので、検出器として簡便であり、音響波を測定する検出より一桁以上高感度であった。しかしながら、圧電素子の無電効果により、イオンに対してゴーストピークが出現するなど問題があった。そこで、プローブ光をキャピラリーに照射した際に生成する回折パターンの空間変動をモニタする検出法を考案した。この方法は安定性、再現性、調整のしやすさなどから、最も良好な特性を示した。以下の実験ではこの方法を採用した。

 第2節では、CVL信号の特性を解析することにより最適検出条件を見い出し、CEの高感度検出法として再現性のある検出装置を構築した。回折パターンをモニタする検出法では、振動だけでなくキャピラリーのガラス部分で生成した温度勾配によっても信号が得られる。しかしこの温度勾配による信号はバックグラウンド信号となって高感度定量を妨げ、安定性や、再現性を悪化させていることがわかった。そこで、キャピラリー上における励起光とプローブ光の相対位置に関して最適検出条件を検討した結果、励起光によってガラスから生じる熱の拡散領域の外側にプローブ光を通過させればよいことがわかった。

 第5章では、CVLを多様な発振方式のレーザーに適応させるための検討をした。多種多様な分析対象にCE/CVLを適用させるためには、様々な波長でCVLを励起する必要がある。特に生体試料の大部分は紫外領域に吸収帯をもつので、パルス発振の紫外レーザーを導入することが予想される。従って連続発振だけでなく、パルス発振でもCVLを励起しなければならない。連続発振レーザー光を強度変調してCVLを励起する場合には、原理的にはどのような変調周波数でもCVLの励起は可能である。一方、パルス発振レーザーでCVLを励起する場合には、連続発振レーザーの場合のような強制振動は誘起できない。光パルスによる撃力で誘起される振動の周波数がキャピラリーの振動系の固有振動数に一致し、キャピラリー内から発生した熱の伝幡時間が約1msであることを考慮し、パルスの繰り返しを約1kHzに設定し、かつ固有振動数が1kHzになるようにキャピラリーの長さと張力を設定した。これにより、安定した定在波振動が得られ、CEの高感度検出法として適用できた。

 第6章では、開発したCE/CVLシステムを免疫物質の高感度検出法として適用した。免疫物質は生体内に微量に存在し、癌やアレルギーなどの疾患と深い関わりがある。特に身体的な変化や発病に先立ち、微小組織や血球細胞、微小器官における化学物質の異常としてとらえることが今後重要となる。光熱変換効果は微粒子に対して顕著に応答することから、金コロイド超微粒子を試薬に用いた検出法を開発した。免疫蛋白のキャピラリー内壁への吸着を防ぐため、抗原抗体反応をポリスチレンラテックス粒子上で行った。さらに、抗原抗体反応によって生成した免疫反応生成物と未反応物の分離をキャピラリー中で行う、簡便な方法を提案した。その結果、免疫蛋白をamolレベルまで高感度かつ簡便に検出できた。

 第7章では、DNAなどの核酸の高感度検出への応用について述べた。CEで核酸分子を分離検出する場合には、キャピラリーゲル電気泳動法(CGE)が用いられる。CVL法をCGEの検出に適用する際に問題となるのは、長時間のレーザー照射によるゲルの損傷であるが、架橋剤を含まない流動性のあるゲルを用いることにより、致命的な損傷は避けられた。このようなゲルを用いても塩基数が一ずつ異なる核酸分子を分離することができた。DNA断片を分離検出した結果、感度の点でもLIFに劣らない優れた性能を示した。

 第8章では本研究を総括し、今後の展望について述べた。

 以上のように、本論文は超微小量試料の分析法として有望であるCEの高感度かつ汎用性のある検出法として、CVLという光熱変換効果に基づく新しい検出原理を開拓した。その特性の解析により検出器としての安定性および再現性を付与することができた。実際にCEの検出器として応用し、生体関連物質をamolレベルで検出した。今後さらにすべての物質に適用可能であるという特長を生かした応用分野を拡大することにより、今まで検出不可能であった超微量成分の検出など、さらなる展開が期待できる。

審査要旨

 科学技術諸分野で超微量分析技術の果たす役割はますます大きくなりつつある。個々の空間(例えば細胞)の性質を知ることは、局所的に特異な性質、例えば点欠陥、遺伝子変異などを知る上に重要であり、全体の空間(例えば組織)から得られる代表値では意味がない。また高感度な検出法がない場合には、測定可能な量になるまでのスケールアップが必要となり、煩雑な操作や時間的な問題も生じる。これまでの濃度としての超微量分析法に加え、体積・絶対量としての超微量分析法が望まれる。キャピラリー電気泳動法(CE)は、内径数十mのガラス管中で電気泳動分離させる分離分析法であり、試料量がナノ(10-9)リットルからサプピコ(10-12)リットルという超微小量でよい。しかしながら、超微小量の分離成分を高感度に検出する方法がないため、試料量が微小量でよいという特長を生かすことができず、高感度検出器の開発がCEの発展と展開の鍵を握っている。論文提出者らは光熱変換効果の一種であるレーザー誘起キャピラリー振動(Capillary Vibration induced by Lascr:CVL)効果を見いだし、振動の振幅が化学種の量に比例することから、CVL法をキャピラリー内の試料の高感度かつ汎用的な検出法として提案した。

 本論文では、CVLをCEの検出器とするCE/CVLシステムを作成し、CVLがCEの高感度検出に適することを実証している。信号の再現性および安定性を得るため、CVL信号の発生機構および特性を解析し、CVL検出装置を設計、試作、最適化している。また、分析対象試料の吸収帯に励起レーザーの波長を合わせるため、様々な発振方式のレーザーに対してもCVLを誘起している。さらに生体関連物質の高感度検出に応用している。CE/CVLシステムに適した分離媒体や反応分離法も開発し、アット(10-18)モルレベルのアミノ酸、免疫物質、核酸の検出に応用している。

 本論文は1〜8章から成っている。第1章は序論であり、本研究の背景および位置付けを述べている。第2章では、CVLの原理を実験的に検証している。第3章ではCE/CVLシステムを試作している。アミノ酸を試料として分離検出した結果、誘導体化しないアミノ酸でもフェムト(10-15)モルレベルの定量が可能であり、従来の汎用的な検出法である吸光光度法より2〜3桁高感度であった。これはレーザー蛍光法に匹敵するが、本法は蛍光誘導体化が不要であるという大きな利点をもつ。しかし、検出装置としての安定性や再現性に問題があることがわかった。そこで第4章では、CVL信号の再現性、安定性を得るため、信号の発生機構および特性を解析し、検出装置を最適化している。第1節では、安定した信号を得るために種々の検出装置を考案し、設計・試作している。第2節では、CVL信号の特性を解析することにより最適検出条件を見い出し、CEの高感度検出法として再現性のある検出装置を構築している。第5章では、CVLを連続発振のレーザーだけでなく、パルス発振のレーザーにも適応させ、波長選択の自由度を拡大させている。特に、生体試料の大部分は紫外領域に吸収帯をもつので、パルス発振が一般的である紫外レーザーを導入することにより、蛍光などの誘導体化をせずに直接高感度に検出することを可能にしている。第6章では、開発したCE/CVLシステムを免疫物質の高感度検出法として適用している。免疫反応生成物をCEにより高分離能で來雑物から分離し、CVL法によりアットモルレベルで選択的に検出している。第7章では、CVL法をキャピラリーゲル電気泳動法(CGE)の高感度検出法として適用している。CVL法をCGEの検出に適用する際に問題となるのは、長時間のレーザー照射によるゲルの損傷であるが、架橋剤を含まない流動性のあるゲルの使用により、致命的な損傷は避けられている。本法は、従来のゲル電気泳動法より1桁高速、高感度なDNAシークエンス、遺伝子診断などへの展開が期待できる。第8章では本研究を総括し、今後の展望について述べている。

 以上のように、本論文は超微小量試料の分析法として有望であるCEの高感度かつ汎用性のある検出法として、CVLという光熱変換効果に基づく新しい検出原理を開拓している。今後さらに高感度・高速・高選択性と適用範囲の広さを生かした応用分野を拡大することにより、今まで検出不可能であった微小組織・細胞における超微量成分の分析など、さらなる展開が期待できる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格として認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53848