学位論文要旨



No 111189
著者(漢字) 沈,青
著者(英字)
著者(カナ) シン,セイ
標題(和) ピコ秒過渡反射格子法を用いた薄膜や固液界面の分析
標題(洋) Analyses of Thin Films and Solid-Liquid Interfaces Using Picosecond Transient Reflecting Grating(TRG)Technique
報告番号 111189
報告番号 甲11189
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3433号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 澤田,嗣郎
 東京大学 教授 平尾,公彦
 東京大学 助教授 北森,武彦
 東京大学 助教授 橋本,和仁
 東京大学 講師 宮村,一夫
内容要旨

 近年、先端技術の発展に伴い、デバイスの小型化が進んでいる。特に、電気・磁気・光学デバイスは薄膜化、ミクロ化、集積化されることが多い。そのため、素材の持つバルク本来の性質だけではなく、薄膜や表面であることに特有な性質を考慮することが必要となってきた。この分野においては、薄膜や表面・界面の物性を定量的に評価する新しい計測手法の開発が強く望まれている。また一方で、電極/溶液界面の状態や、そこで起こる電気化学的現象をin-situに分子レベルで理解し、電気二重層などの動的な状態の詳細を追跡する目的においても、新たな固液界面分析法の出現が待たれている。これらの新しい表面・界面分析法に対する要望は、(1)高空間分解能・高時間分解能;(2)in-situ・非破壊・非接触・遠隔計測;(3)表面・界面の選択的かつ定量的な分析などである。本研究では、これらの要請を満たす可能性のある新しい分析法である過渡反射格子(TRG)法の開発を目的としている。

 光の干渉性を利用すると、試料表面(界面)に、無輻射緩和過程と熱膨脹過程により縞状の温度分布とGHz周波数の弾性表面波(界面波)を効率よく励起できる。それらを過渡反射回折格子として非接触的に検出する方法がTRG法である。この方法では、反射回折された光を時間分解測定することによって、光熱変換過程、熱拡散過程、それに表面(界面)弾性波の伝播による表面(界面)変位の動的な挙動を追跡できる。この方法はパルスポンププローブ法を用いることで光パルス幅程度(本研究では、数10ピコ秒)の高い時間分解能を持ち、従来の方法で測定不可能な速い光熱変換現象を計測できる.さらに,表面(界面)から数10nmから数mまでの領域を選択し、その光学的、熱的、弾性的な性質を同時に測定することもできる。

 本研究では、TRG法の計測原理である光熱変換効果と光音響効果とに関して基礎プロセスを厳密に解析して応用に結びつけることを主題としている。具体的には、注目を集めている試料系(金属多層超薄膜、イオン注入表面改質層、電極/溶液界面等)を対象として、膜厚・表面または界面における熱的、弾性的な物性値の定量的な計測・電極界面の弾性的な状態変化の評価に関して理論と実験の両方から検討を行っている。

 本論文の第一章では、本研究の目的と背景が述べられる。また、本法と関連する他の方法と比較を通じて、本法の特徴について説明している。

 第二章では、光熱変換と光音響過程の基礎原理を含む過渡反射格子法の原理及び実験装置について述べている。

 第三章では、過渡反射格子法が厚さ数10nmの薄膜や表面改質層の熱的、弾性的な物性の評価に有効であることを実証している。

 試料には、40nm厚のDLC(Diamond-Like-Carbon)薄膜にNイオンを注入したものと未注入のものを用いている。数10nm厚のダイヤモンドライクカーボン(DLC)薄膜は薄膜磁気ディスク保護膜等へ応用されつつある。このような超薄膜では、その熱的、弾性的物性等を知ることは重要だが、測定は困難である。そこで、金属多層膜基板上のDLC膜の物性評価への応用という具体的な目標を持ちつつ、過渡反射格子法を数10nm厚の膜の物性値を求める手法として開発することを目的として検討している。

 まず、40nm厚DLC膜の熱拡散率の推定を一例として基板上の数10nm厚の薄膜の熱拡散率の測定法を確立した。異なる干渉縞間隔でDLC膜試料を測定して、得られた過渡応答波形から熱拡散による信号の指数関数的な減衰の時定数を求める。減衰時定数t,は、干渉縞間隔∧に依存して、試料表面から熱が拡散している熱浸入深さh(h2)までの領域で表面に平行の方向への熱拡散の速さを反映している。膜/基板系で、表面から浸入深さhまでの領域での熱拡散率の平均値を実効熱拡散率Keffとすると,Keff=∧2/(42t)の関係がある。実験的に、膜/基板系の実効熱拡散率Keffの42/∧2への依存性が得られる。干渉縞間隔が小さくなるとともに基板からの影響は小さくなって、Keffは薄膜の熱拡散率に漸近する。熱が薄膜内でしか拡散しない場合には、Keffは薄膜の熱拡散率と等しい。この方法を用いて40nm厚のDLC膜の熱拡散率が0.13cm2/sと推定される。この値は、これまで報告されている数m厚のDLC膜での値と同じオーダーである。

 次に、Nイオン打ち込みDLC薄膜の硬さの評価について検討を行っている。Nイオン打ち込みDLC薄膜を測定したところ、Nイオン注入量に応じて異なる波形(ピークの位置、励起後の緩やかな減衰速度及び波の間隔)を見いだした。これはイオン照射された表面で組成、構造が変化し、表面の物理的、化学的性質が改質されたことを反映していると考えられる。特に、Nイオン注入量が高くなると、DLC膜が硬くなることを見いだした。実効ヤング率を定義することで、DLC薄膜の弾性的な性質を半定量的に評価できる。

 第四章では、過渡反射格子励起GHz超音波による多層金属薄膜の各層の弾性的な物性値の推定に関して検討を行っている。多層薄膜の表面層と基板との付着状態を調べるのに、それらの中間層(膜厚:数10nm)の弾性的性質が重要となるが、従来の方法では測定は困難である。そこで、過渡反射格子法による数10nm厚の中間層の弾性的な物性値の測定法の開発を目的として検討している。

 膜厚や材料物性の違いや膜/基板界面の付着状態の違いによってTRG波形だけではなく、表面波(Rayleigh-likeモード)の音速の分散曲線も変化する。これらの結果に基づいて多層薄膜試料の各層の弾性的物性値の推定法を確立した。この方法によって、多層薄膜試料において、表面層だけでなく、数10nm厚の中間層の横波と縦波の音速値を決定することができる。さらに、各層の厚さの測定も可能である。特に、薄膜と基板との付着状態の推定に有効だと考える。

 試料としては、ガラス基板上に蒸着したAu膜とAg膜(膜厚:数10nm〜数100nm)及びAu/Cr/石英(表面Au膜の厚さ:300nm、中間層Crの厚さ:20nm)多層膜試料を用いた。Au膜の厚さの推定に関して検討した。また、Au/Cr/石英試料におけるAu膜とCr膜の横波と縦波の音速値を推定した。これらの値は文献値とよく一致した。

 第五章では、高速光熱変換法による電極/溶液界面の解析に関する理論と応用について検討している。電極界面から数nm〜数10nm領域にある拡散電気二重層の熱的、弾性的性質は電気二重層の状態を調べるのに興味深い情報となるが、これまでには有効な方法が開発されてない。そこで、過渡反射格子法を電極界面の解析へ応用することを目的として検討している。

 先に、金/水溶液界面において過渡反射格子応答が電極電位に依存して変化する現象が報告されている。この結果はTRG波形が固液界面の熱、弾性的特性に鋭敏に応答することを示すが、具体的にどんな物性値の変化に応答したのかは不明であった。この現象を解明するためには理論的に厳密な解析が不可欠である。しかし、これまで溶液/膜/基板系(気体/膜/基板系)のTRG応答に関して、厳密に解析された例は無かった。そこで、まず、溶液/膜/基板系(気体/膜/基板系)におけるTRG応答の厳密な解析方法を確立している。

 具体的には、空気/金膜/ガラス系(水溶液/金膜/ガラス系)について金膜表面(金膜/水溶液界面)でのTRG時間応答を計算している。励起光が照射した後1ns以内の信号は主に界面から数10nm内に伝播する熱及び薄膜に垂直な方向への縦波のエコーによるもので、1ns以降の信号は主に表面波(界面波)によるものであると帰属した。これにより、理論的にTRG法によって薄膜に垂直な方向への縦波が励起できることが初めて見いだされた。これらの縦波エコーは、金/水溶液と金/基板界面の間の反射波で、その時間間隔は縦波音速値と膜厚のみによって決まる。これを利用して薄膜の厚さを測定できる。理論解析の結果は実験の結果ともよく一致する。縦波が励起されることが実験的にも初めて確認されている。これらの解析結果から、1ns以内では、電極電位変化に伴い電極界面付近の伝熱特性及び縦波の界面での反射率に違いが生じていると推定されている。また、1ns以降は,電極電位変化により固/液界画波の振幅が変化していると推定している。さらに界面での過渡反射格子応答を理論的に完全に記述することで熱の寄与と音波の寄与を分離して評価し、その電位依存から界面物性値の変化量を推定することは可能であると結論している。

 最後に、本研究が総括され、本法の計測法としての可能性及び今後の課題が述べられる。

 新たな表面・界面計測法として、過渡反射格子法は薄膜・表面(界面)の評価に特に有効であることが示されている。数10nmから数100nmまでの薄膜の熱的、弾性的な物性値及び膜厚を同時に検出できることを実証している。また、溶液/膜/基板系におけるTRG応答に関して厳密に解析している。その結果は実験結果をよく説明できることを見いだしている。さらに、理論と実験の両面からTRG法によって薄膜に縦波の反射波が励起されることを実証している。フェムト秒レーザーを用いてより高時間分解能で1ns以内の光熱変換現象の測定を行えば電極/溶液界面の動的な挙動の詳細が追跡できると期待される。

審査要旨

 近年、先端技術の発展に伴い、デバイスの小型化が進んでいる。特に、電気・磁気・光学デバイスは薄膜化、ミクロ化、集積化されている。そのため、素材の持つバルク本来の性質だけではなく、薄膜や表面であることに特有な性質を考慮することが必要となってきた。従って、薄膜や表面・界面の物性を定量的に評価する新しい計測手法の開発が強く望まれている。一方、電極/溶液界面なども積極的に利用するデバイスも強い関心がもたれる。電極/溶液界面で起こる電気化学的現象をin-situに分子レベルで理解し、電気二重層などの動的な状態の詳細を追跡する目的においても、新たな固液界面分析法の出現が待たれている。これらの新しい表面・界面分析法に対する要望は、(1)高空間分解能・高時間分解能;(2)in-situ・非破壊・非接触・遠隔計測;(3)表面・界面の選択的かつ定量的な分析などである。本研究では、これらの要請を満たす可能性のある新しい分析法である過渡反射格子(TRG)法の開発を目的としている。

 光の干渉性を利用すると、試料表面(界面)に、無輻射緩和過程と熱膨脹過程により縞状の温度分布とGHz周波数の弾性表面波(界面波)を効率よく励起できる。それらを過渡反射回折格子として非接触的に検出する方法がTRG法である。この方法では、反射回折された光を時間分解測定することによって、光熱変換過程、熱拡散過程、それに表面(界面)弾性波の伝播による表面(界面)変位の動的な挙動を追跡できる。この方法はパルスポンププローブ法を用いることで光パルス幅程度(本研究では、数10ピコ秒)の高い時間分解能を持ち、従来の方法で測定不可能な速い光熱変換現象を計測できる。さらに、表面(界面)から数10nmから数mまでの領域を選択し、その光学的、熱的、弾性的な性質を同時に測定することもできる。

 本研究では、TRG法の計測原理である光熱変換効果と光音響効果とに関して基礎プロセスを厳密に解析して応用に結びつけることを主題としている。具体的には、注目を集めている試料系(金属多層超薄膜、イオン注入表面改質層、電極/溶液界面等)を対象として、膜厚・表面または界面における熱的、弾性的な物性値の定量的な計測・電極界面の弾性的な状態変化の評価に関して理論と実験の両方から検討を行っている。

 本論文の第一章では、本研究の目的と背景が述べられる。また、本法と関連する他の方法と比較を通じて、本法の特徴について説明している。

 第二章では、光熱変換と光音響過程の基礎原理を含む過渡反射格子法の原理及び実験装置について述べている。

 第三章では、過渡反射格子法が厚さ数10nmの薄膜や表面改質層の熱的、弾性的な物性の評価に有効であることを実証している。

 試料には、40nm厚のDLC(Diamond-Like-Carbon)薄膜にNイオンを注入したものと未注入のものを用いている。数10nm厚のダイヤモンドライクカーボン(DLC)薄膜は薄膜磁気ディスク保護膜等へ応用されつつある。このような超薄膜では、その熱的、弾性的物性等を知ることは重要だが、測定は困難である。そこで、金属多層膜基板上のDLC膜の物性評価への応用という具体的な目標を持ちつつ、過渡反射格子法を数10nm厚の膜の物性値を求める手法として開発することを目的として検討している。

 第四章では、過渡反射格子励起GHz超音波による多層金属薄膜の各層の弾性的な物性値の推定に関して検討を行っている。多層薄膜の表面層と基板との付着状態を調べるのに、それらの中間層(膜厚:数10nm)の弾性的性質が重要となるが、従来の方法では測定は困難である。そこで,過渡反射格子法による数10nm厚の中間層の弾性的な物性値の測定法の開発を目的として検討している。

 第五章では、高速光熱変換法による電極/溶液界面の解析に関する理論と応用について検討している。電極界面から数nm〜数10nm領域にある拡散電気二重層の熱的、弾性的性質は電気二重層の状態を調べるのに興味深い情報となるが、これまでには有効な方法が開発されてない。そこで、過渡反射格子法を電極界面の解析へ応用することを目的として検討している。

 最後に、本研究が総括され、本法の計測法としての可能性及び今後の課題が述べられる。

 新たな表面・界面計測法として、過渡反射格子法は薄膜・表面(界面)の評価に特に有効であることが示されている。数10nmから数100nmまでの薄膜の熱的、弾性的な物性値及び膜厚を同時に検出できることを実証している。また、溶液/膜/基板系におけるTRG応答に関して厳密に解析している。その結果は実験結果をよく説明できることを見いだしている。さらに、理論と実験の両面からTRG法によって薄膜に縦波の反射波が励起されることを実証している。フェムト秒レーザーを用いてより高時間分解能で1ns以内の光熱変換現象の測定を行えば電極/溶液界面の動的な挙動の詳細が追跡できると期待される。

 本論文は、ピコ秒レーザーを用いて試料表面・界面に非接触で励起するギガヘルツ超音波や熱波の基礎解析と応用に全く新しい知見を得たもので注目に値する論文となっている。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53849