学位論文要旨



No 111193
著者(漢字) 酒井,秀樹
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,ヒデキ
標題(和) 微小領域における界面光化学現象に関する研究
標題(洋) Microscopic obeservation of photo-induced phenomena at the solid/liquid interface
報告番号 111193
報告番号 甲11193
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3437号
研究科 工学系研究科
専攻 応用化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤嶋,昭
 東京大学 教授 澤田,嗣郎
 東京大学 教授 北澤,宏一
 東京大学 教授 渡邊,正
 東京大学 助教授 橋本,和仁
内容要旨

 固体-液体(気体)界面での化学反応に伴う表面形状や物性の変化を微小領域でin situ観測することは、界面反応のプロセス・機構を解析する上で重要であり、AFM・STM、あるいは顕微ラマン・IRなどを用いた研究が近年数多く報告されている。これに対して界面反応で液体(気体)中に生成した反応生成物の微小領域での分布を調べる試みはこれまでほとんど行われていなかった。本研究では界面反応として酸化チタン(TiO2)の光触媒・光電極反応に注目し、反応で溶液中に生成する物質の局所的な分布を、"微小電極法"を用いて in situ 観察する事を試みた。また観察結果から、光界面反応における活性中間種生成機構についての考察を行った。

 微小電極を用いたアプローチとしては、

 a)界面反応生成物の局所分布を微小電極(センサー)を用いて検出する方法 b)微小電極を用いて局所的に反応を生じさせ、その周囲への影響を調べる方法の2つの方法が考えられる。本研究では最初に(a)の方法を用いて、TiO2光触媒の酸化・還元サイトにおける触媒反応の生成物を分離して検出することを試み、光触媒反応における活性中間体として重要な過酸化水素(H2O2)の生成機構について考察を行った。さらに、光励起TiO2による光細胞致死効果を、微小酸化チタン電極を用いて単一細胞レベルで観察することを試み((b)の方法に相当)、光照射により局所的に生成する活性中間体が近傍の培養ガン細胞の成長に与える影響を調べ、その結果から実際に反応に寄与している活性中間種についての検討を行った。

1.微小電極及び微小過酸化水素(H2O2センサーを用いた光触媒反応生成物の局所分析

 Pt,Pd等の金属を担持したTiO2光触媒では、担持した金属が還元サイトとしてはたらくために、TiO2上で光生成した正孔-電子対の再結合が抑制され、金属未担持のTiO2に比べて光触媒活性が向上することが知られている。しかしこれらの光触媒反応の生成物の分析は通常酸化・還元両サイトの生成物の和の形でなされており、両サイトの反応を分離して検出する試みは行われていない。本研究では径7mの微小電極、及び微小H2O2センサーを金属担持触媒のモデルとして作製したTiO2-ITO(Indium Tin Oxide)複合薄膜表面の酸化・還元両サイトにそれぞれ近接させ、各サイトでの反応生成物を独立に検出することを試みた。また得られた結果から光触媒活性を決める中間体として重要な役割をしているH2O2の生成機構についての考察を行った。

 TiO2薄膜(アナターゼ型,膜厚約200nm)の成膜はスプレーパイロリシス法にて行った。TiO2-ITO膜はITO導電性膜上の一部分にTiO2を成膜することにより作製した。微小電極としては径7mのカーボンファイバーから作製したカーボンディスク微小電極を用いた。マイクロマニピュレーターを用いて、微小電極を触媒膜の酸化・還元両サイトに近接させて紫外光照射を行い、各サイトでの反応生成物を独立に電気化学的に検出した(Fig.1)。

a)TiO2光触媒上の酸化・還元サイトの反応の分離検出

 0.1M KCl水溶液中でTiO2-ITO膜に紫外光を照射したときのTiO2(酸化)、ITO(還元)各サイトにおける光触媒反応を、溶液との界面から50mのところに近接させた微小カーボン電極(電位を0.0V vs.SCEに設定)の電流変化から観測した。Fig.2(a)に示すように、光照射時にはTiO2上ではカソード方向の電流変化が、またITO上では逆にアノード方向の電流変化が観察された。TiO2上での光電流応答は、Cl-の正孔による酸化生成物であるClO-の微小電極上での再還元に起因しており、またITO上の応答は、溶存酸素の電子による還元生成物の再酸化に起因していた。すなわち本手法を用いて酸化・還元両サイトにおける反応を独立に観測できることが示された。また、ITO全面をTiO2でコートした膜を代わりに用いたときの電流応答(Fig.2(b))は、TiO2-ITO膜を用いたときよりも一桁以上小さかったことから、ITO上に移動した電子が反応によって消費されることによって、酸化反応の効率が大きく向上していることが示された。

図表Fig.1 微小電極を用いる電気化学測定系 / Fig.2 KCl溶液中でTiO2-ITO膜の各サイトから50mの距離に近接させた微小電極の紫外光照射下での電流応答

 また本手法を用いて反応生成物の3次元分布を測定したところ、水平方向の分解能は電極と試料との距離が50mの時に約200mとなり、シミュレーションで求めた値とよい一致を示した。更に、試料一電極間距離を変化させることにより反応生成物の拡散挙動についても調べられることが分かった。

b)光触媒反応による過酸化水素(H2O2)生成機構の微小H2O2センサーを用いた解析

 溶存酸素を含む水溶液中での光触媒反応では、H2O2は光生成する正孔による水の酸化、及び光生成電子による溶存酸素の還元の両方の反応で生成し得ることが知られている。ここでは、この2つの反応経路によって生成するH2O2を微小H2O2センサーを用いて独立に検出することを試み、その生成機構について考察を行った。

 測定に用いた微小H2O2センサーは微小カーボン電極上にレドツクスハイドロゲルを介してhorseradish peroxidaseを固定することにより作製した。作製した微小センサーはFig.3に示したサイクリックボルタモグラムからわかるように、0.0V vs.SCEという穏和な電位において、H2O2に選択的な還元電流応答を示した。センサーは5×10-8Mから1×10-4Mの濃度のH2O2に対して直線的な電流応答を示し、またpH4.0-8.5の範囲のpH変化や紫外光照射によるセンサー応答の低下は観察されなかった。

 PBS(Phosphate buffered saline)中でこの微小センサーをTiO2-ITO膜の各サイト上50mのところに近接させて紫外光照射を行い、生成するH2O2濃度の時間変化を測定した。その結果、酸化・還元両サイトにおいてH2O2の生成が観測され、光照射後5分後においてはTiO2上、ITO上でのH2O2の濃度はそれぞれ2.5×10-6M,1.7×10-7Mとなった(Fig.4)。ITO上でのH2O2生成の方がより大きいことから、TiO2-ITO膜上でのH2O2生成は主に光照射により伝導体に生成する電子による溶存酸素の還元に起因していることが示唆された。TiO2上でのH2O2の酸化的生成の寄与が小さいのは、生成したH2O2が正孔やOHラジカルによって容易に酸化分解されてしまうためだと考えられた。

図表Fig.3微小H2O2センサーのサイクリックボルタモグラム / Fig.4PBS溶液中でTiO2-ITO膜の各サイトから50mの距離に近接させた微小H2O2センサーの紫外光照射下での電流応答
2.微小TiO2電極による単一ガン細胞への光細胞致死効果

 紫外光励起されたTiO2微粒子や電極が、ガン細胞の成長をin vitro(培養細胞),in vivo(動物実験)両系において顕著に抑制することが当研究室にて報告されている。光励起TiO2による細胞致死効果の機構としては、光生成する正孔による細胞内物質の直接酸化の他に、光触媒反応の中間体として生成するH2O2や・OHの関与が明らかにされている。本研究では微小TiO2電極を用いて単一の細胞を攻撃することを試み、特に細胞と電極表面の距離を変化させた時の細胞生存率の変化を観察することにより、細胞を実際に攻撃している活性中間種を明らかにすることを試みた。

 電解研磨法により作製したTiO2微小電極(円錐型,先端径約10m)の先端を、マニプレーターを用いて単一のガン細胞(ヒト膀胱癌由来のT24細胞)に接触させ、電位を一定に保った状態で3分間の紫外光の照射を行った。その結果、微小電極を正分極し、光電流が流れている場合にのみ顕著な細胞致死効果が観察された(Fig.5)。すなわち微小TiO2電極を用いて単一の細胞を選択的に攻撃できることが示された。一方微小電極を細胞表面から10m離して光照射を行った場合には1.5V vs.SCEという高いアノード電位を印加しても細胞死は全く観察されなかった。従って、光励起TiO2電極による細胞死においては、H2O2などの溶液中に安定に存在し得る中間体の細胞死への寄与は小さく、正孔あるいはOH・等の拡散距離の短い活性種の寄与が大きいことが示唆された。また、光生成する正孔由来の酸化反応のみが反応に関与するTiO2電極系でH2O2の生成が小さいという結果は、TiO2触媒上でのH2O2の生成が主に還元反応によっているという第1節で得られた結果と合致しており、これらの結果から、微小電極法が反応中間体の生成機構を解析する方法として有用であることが示された。

Fig.5(a)微小TiO2電極の光電極特性 (b)微小TiO2電極を単一のT24細胞に近接させた状態で紫外光照射を3分間行った時の細胞生存率の変化
結言

 酸化チタン-溶液界面での光化学反応で溶液中に生成する物質の局所分布を、"微小電極法"を用いてin situ観察し、界面反応の機構、特に中間体の生成機構について新たな知見を得た。

a)界面反応生成物の局所分布を微小電極(センサー)を用いて検出する方法

 2成分系光触媒の酸化・還元両サイトにおける触媒反応生成物を、各サイトに近接させた微小電極を用いて分離して計測することが可能となった。さらにこの手法を用いて、TiO2光触媒反応におけるH2O2の生成が主に溶存酸素の還元反応に起因していることを明らかにした。

b)微小電極を用いて局所的に界面反応を生じさせる方法

 微小TiO2電極を用いて局所的に光電極反応を生じさせ、それが接触、あるいは近接したガン細胞の成長に与える影響を調べることにより、OH,H2O2等の中間体の反応への関与について新たな知見が得られた。

 微小電極法は、今後電極径の小型化、電極の位置決めの精度の向上などの技術的な向上が図られれば、界面反応や生体内反応の機構の解析手段として更に有力な手法となってゆくものと思われる。

審査要旨

 本論文は、固体-液体界面反応で溶液中に生成する物質の分布を微小領域でin situ観測し、その結果から界面反応の機構についての解析を行ったものである。本論文では界面反応として酸化チタン(TiO2)の光触媒・光電極反応が取り上げられ、反応生成物の局所的な分布を電気化学的あるいは光学的手法を用いて測定する事が試みられており、測定結果から反応中間体の生成、キャリアーの電荷分離などの界面反応の機構について新たな知見が得られている。本論文は全4章から成り立っており、また第2章は3個、第3章は4個の節にそれぞれ細分されている。

 第1章は序論であり、本研究の意義と目的について述べられている。

 第2章では、金属を担持したTiO2薄膜触媒上での光触媒反応に注目して検討が行われた。金属担持TiO2触媒では担持した金属が還元サイトとして作用するために、TiO2上での酸化反応の効率が大きく向上することが知られている。しかし酸化・還元両サイトの反応を分離して検出する試みはこれまで行われていなかった。そこで本論文では両サイトにおける触媒反応生成物を膜に近接させた微小電極を用いて独立にin situ測定するという新しい試みが行われた。

 第2-1章では金属担持酸化チタン上での光触媒反応、及び微小電極の電気化学反応についての概要が述べられている。

 第2-2章ではTiO2-ITO複合触媒の酸化(TiO2)、還元(ITO)各サイトにおける光触媒反応を薄膜に近接させた先端径7mの微小カーボン微小電極を用いて分離観察することが試みられた。その結果TiO2上でのCl-イオンの酸化反応、及びITO上の溶存酸素の還元反応を独立にin situ観察することがはじめて可能となった。更に複合膜上では還元サイトに移動した電子が溶液反応により消費されることによりはじめて酸化反応の効率が向上することが、本手法を用いて直接的に明らかにされた。

 第2-3章では上で述べた微小電極法を用いて金属担持触媒の酸化・還元サイトで生成する過酸化水素(H2O2)を分離検出することが試みられた。H2O2を選択的に検出するために微小電極上に酵素peroxidaseを固定して新規な微小H2O2センサーが作製され、これを用いてTiO2-ITO膜上で光生成するH2O2濃度の局所的な測定が試みられた。その結果H2O2は主に還元サイトで溶存酸素の還元により生成していることが明らかにされた。またTiO2上でのH2O2の酸化的生成が小さいのは、生成したH2O2が正孔やOHラジカルによって容易に酸化分解されてしまうためであることが示された。

 第3章ではTiO2の光界面反応を利用したガンの光化学療法が注目され、光界面反応により誘起される細胞死のプロセスを単一細胞レベルで微小領域で観察することが試みられた。更に得られた結果から細胞死の機構についての考察が行われた。

 まず第3-1章ではTiO2を用いるガンの光化学療法の概要について述べられている。

 第3-2章では先端径約10mの微小TiO2電極を新たに作製し、これを用いて単一細胞を選択的に攻撃することが試みられた。その結果、TiO2微小電極を単一のガン細胞に接触させた状態で紫外光照射を行うことにより、単一細胞の選択的な不活性化が可能であることが示された。更に細胞と電極表面の距離を変化させた時の細胞生存率の変化の観察から、光生成する正孔やOHラジカル等の拡散距離の短い反応中間体が細胞を実際に攻撃していることが明らかとなった。

 第3-3章では、光励起TiO2微粒子による細胞死において細胞膜が破壊されていく過程をin situ観察することを目的とした検討が行われた。そのために、細胞死の過程での単一細胞内のカルシウムイオン濃度([Ca2+]i)の変化を顕微蛍光法を用いて測定することが試みられた。その結果、TiO2微粒子の存在下で紫外光照射を行うことにより、[Ca2+]iは2段階の特徴的な上昇を示すことが明らかにされた。この濃度上昇は細胞外液からのCa2+の流入により生じていることが示された。更にこの[Ca2+]i上昇は細胞の活性が失われる数分前から生じていたことから、本手法が細胞死のプロセスを事前にモニターする方法としても有用であることが結論された。

 最後に第3-4章では顕微蛍光法の空間分解能を回折限界以上に向上させるための手法としてScanning Near-field Optical Microscopy(SNOM)が取り上げられた。この手法を3-3章で示した単一細胞内のCa2+濃度測定に適用し、細胞核等の細胞器官内の[Ca2+]iを高分解能でin situ測定できる可能性が示された。

 第4章では本研究で得られた結果の総括が行われ、更に今後の展望が述べられている。

 以上述べた様に、本論文では酸化チタン-溶液界面での光化学反応で溶液中に生成する物質の局所分布を電気化学的、また光学的手法を用いてin situ観察するという新規な試みが行われた。その結果、光生成した電子-正孔対の電荷分離機構や反応中間体の生成機構など、光界向反応の機構について重要な知見が得られており、その結果は物理化学、界面化学の分野で寄与するところ大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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