学位論文要旨



No 111196
著者(漢字) 鈴木,健
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,タケシ
標題(和) 可燃性液体を浸潤させた可燃性固体の燃え拡がり
標題(洋)
報告番号 111196
報告番号 甲11196
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3440号
研究科 工学系研究科
専攻 化学システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平野,敏右
 東京大学 教授 田村,昌三
 東京大学 教授 河野,通方
 東京大学 助教授 石塚,悟
 東京大学 助教授 鶴田,俊
内容要旨

 建築物、内装品、衣類、家具などの材料に、可燃性固体が使用されている。したがって、可燃性固体の燃え拡がり挙動を知ることは防災上重要であり、これまでに、可燃性固体の燃え拡がりに関する多くの研究が行われてきた。それらの研究においては、種々の因子が燃え拡がりに及ぼす影響について検討されてきた。

 可燃性固体の燃え拡がりは、加熱された可燃性固体の気化によって発生した可燃性気体が気相中で発熱反応をおこし、前方の未分解の可燃性固体が加熱され気化することにより進行するので、可燃性固体の気化特性は重要な因子であることは明らかである。しかし、この重要な因子である可燃性固体の気化特性の影響に関しては、系統的な研究がなされておらず、不明な点が多い。

 可燃性固体の気化特性を系統的に変化させるために、多孔性の可燃性固体に可燃性液体を浸潤させ、それを試料として用いた。燃え拡がり時における、試料に伝わる熱量が同じなら、浸潤させた可燃性液体の沸点が低いほど、試料の表面より可燃性気体が発生しやすいはずである。このような考え方のもとに、可燃性固体として代表的なセルロース系材料であるろ紙を、可燃性液体として物性の比較的よくわかっているノルマルパラフィンを採用した。

 これまでの研究により周囲の気流が燃え拡がりに大きな影響を与えることが明らかにされているので、本研究は気流の影響にも配慮しておこなった。すなわち、自然対流場で主に鉛直下方への、および、鉛直上方への強制気流中で鉛直下方への、可燃性液体を浸潤させたろ紙の燃え拡がりについて詳細に調べ、気化特性の燃え拡がり挙動への影響について検討した。

 自然対流場での実験に用いた装置を図1(a)に示す。ろ紙(縦14cm、横4cm)の左右両端を4枚のアルミニウム板で挾み、試料の両端のアルミニウム板に挟んだ部分を除く縦14cm、横3cmの部分を縦方向に燃え拡がる現象について調べた。燃え拡がる方向による現象の違いを調べる目的で、ろ紙の表面が水平面に対して成す角度を自由に変えることができるようにしたが、本研究では主として、安定な燃え拡がりが観察できる鉛直下方への燃え拡がり(=90’)について調べた。燃え拡がりの様子を観察すると共に、熱電対(Pt-Pt/13%Rh、線径0.05mm)により表面の温度を測定し、現象を解析した。

 強制気流中での実験に用いた装置を図1(b)〉に示す。風洞のノズル出口にとりつけた燃焼室(断面 10cm×10cm、高さ22cm)に、縦23cm、横10.5cmの可燃性液体を浸潤させたろ紙を、表面が流れの方向と平行になるように燃焼室内に取り付け、電気加熱したニクロム線のコイルを用いてろ紙の上端に一様に着火し、下方への燃え拡がりについて調べた。燃焼室の紙の面と平行な壁に取り付けた観察用の耐熱ガラスを通して、燃え拡がりの様子を8mmビデオカメラに、安定した燃え拡がりが観察されるろ紙の上端から5cmから11cmまでの範囲について記録し、解析した。また燃え拡がり中のろ紙の表面の温度変化は、熱電対(Pt-Pt/13%Rh、線径0.05mm)を用いて測定し、解析に役立てた。

図1 実験装置

 7種類の異なった厚さ、0.17mm、0.20mm、0.22mm、 0.23mm、 0.26mm、0.40 mm、 0.68 mmのろ紙に、表1で示した9種類の可燃性液体を浸潤させ、試料とした。

表1 可燃性液体の性質

 燃え拡がりの様子は可燃性液体の種類、初期温度によって変化した。ヘプタンを浸潤させたろ紙、および、オクタンを浸潤させたろ紙(ただし初期温度が30℃以上の場合)では、着火前に表面上に可燃性混合気ができ、火炎がその中を1m/s以上の速さで移動した。

 オクタンを浸潤させたろ紙(ただし初期温度が30℃以下の場合)、および、それより沸点の高い可燃性液体を浸潤させたろ紙では、火炎がゆっくりと表面に沿って拡がった。この場合を詳細に調べた。図2に代表としてウンデカンを浸潤させたろ紙の燃え拡がりの様子を示す。火炎の先端は青色であり、その上方に明るい黄色の火炎が続く。火炎の先端の背後でろ紙は乾燥し、それに続いて、熱分解をおこし黒く変色する。火炎、乾燥領域、熱分解領域の各先端は一定の距離を保ったまま一定の速度で移動する。この場合の表面の温度変化を図3に示す。火炎の先端より前方から温度は、上昇を開始し、火炎の先端の通過後一時ほぼ一定温度になる。乾燥領域の先端近くで再び温度上昇を始め、熱分解領域の先端において再び一定温度になる。ろ紙が燃え尽きて熱電対の接点が気相にはいると、さらに温度が上昇し始める。

図2 燃え拡がりの様子ウンデカン、d=0.23mm =1g/cm3=90°

 単位面積のろ紙に浸潤している可燃性液体の質量と燃え拡がり速度との関係を図4に示す。浸潤量を変化させても燃え拡がり速度はほとんど変化しないことがわかる。そこで、燃え拡がり速度に及ぼす各因子の影響を調べるためにおこなった以下の実験は、最も多く浸潤させた試料を用いて行った。この場合、ろ紙の密度は厚さに関わらず、約1g/cm3であった。

図表図3 表面の温度Tの火炎の先端からの距離xによる変化ウンデカン、d=0.23mm、 =1g/cm3=90° / 図4 単位面積当たりの可燃性液体の浸潤量wと燃え拡がり速度Vの関係ウンデカン、d=0.22mm,=90°

 ろ紙の厚さdと燃え拡がり速度Vの関係を図5に示す。ろ紙の厚さが増すほど燃え拡がり速度は小さくなることがわかる。ここに示した結果が、

 

 という関係で表されるとすると、沸点が高い可燃性液体(ウンデカン、ドデカン、トリデカン)を浸潤させた場合、m=1である。沸点が低い可燃性液体(オクタン、ノナン、デカン)を浸潤させた場合で、ろ紙が薄いとき(d<0.26mm)にはm=1であるが、ろ紙が厚いとき(d>0.26mm)にはm<1となる。

 可燃性液体の沸点と燃え拡がり速度の関係を図6に示す。沸点が低いほど燃え拡がり速度は大きくなることがわかる。ここで、Tは液体の沸点と初期温度の差である。この結果を

 

 という関係で近似できるとすると、沸点が高い可燃性液体(ウンデカン、ドデカン、トリデカン、テトラデカン)を浸潤させた場合にはn=2.2、沸点が低い可燃性液体(オクタン、ノナン、デカン)を浸潤させた場合にはn=3となる。

図表図5 燃え拡がり速度Vのろ紙の厚さdによる変化=1g/cm3=90° / 図6 燃え拡がり速度の可燃性液体の沸点による変化T;可燃性液体の沸点Tbと初期温度Tiの差d=0.22mm、=90°

 燃焼室内の空気の主流の速度によって、燃え拡がりの様子と燃え拡がり速度が変化した。図7にはそれらの関係について調べた結果を示す。主流の速度が1.3m/s以下の場合、火炎は、ろ紙の表面に沿って拡がるが、1.3m/s以上になると、火炎は、ろ紙の上端より上に浮き上がるが、なおゆっくり下方に進む。主流の速度が1.3 m/s以下の場合、燃え拡がり速度は空気の主流の速度の増加とともに減少した。主流の速度が1.3m/sから1.6m/sの範囲では、主流の速度が増加しても燃え拡がり速度はほとんど変わらない。さらに1.6 m/s以上では、ろ紙の上端より11cmまで燃え拡がらないうちに完全に消炎する。主流の速度が0.9 m/s以下では、ろ紙の厚さもしくは浸潤させた可燃性液体の沸点が低くなると、燃え拡がり速度が増加するが、0.9m/sから1.6m/sの範囲では、燃え拡がり速度は、ろ紙の厚さと浸潤させた可燃性液体の沸点に依存しない。

図7燃え拡がり速度Vの空気の主流の速度uによる変化

 以上の要点をまとめると、以下の通りである。

 1)可燃性液体を浸潤させない場合と同様、ろ紙が厚いほど、燃え拡がり速度は小さくなるが、可燃性液体を浸潤させるとその依存性は変わる。液体の沸点が低い場合、燃え拡がり速度のろ紙の厚さへの依存性は、厚さが増すにつれて小さくなる。

 2)浸潤させた可燃性液体の沸点が低いほど、燃え拡がり速度は大きくなるが、液体の沸点が低い方が、燃え拡がり速度の液体の沸点への依存性が大きい。

 3)空気の主流の速度が小さい領域では、燃え拡がり速度は液体の沸点が低いほど大きいが、空気の主流の速度が大きい領域では、燃え拡がり速度は液体の沸点に依存しなくなる。

審査要旨

 本論文は、「可燃性液体を浸潤させた可燃性固体の燃え拡がり」と題し、セルロースよりなるろ紙にパラフィン系炭化水素を浸潤させた試料を用い、その表面に沿って下方に燃え拡がる現象を調べ、試料の気化特性と燃え拡がり機構の関係を明らかにしようと試みた結果についてまとめたもので、6章からなっている。

 第1章は、「序論」で、燃え拡がり現象について概観し、本論文の位置づけを行っている。

 これまでに行われてきた燃え拡がりに関する研究を広い範囲にわたって調査、整理し、燃え拡がり現象には未だ解明されていない部分が数多く残っていることを指摘している。本研究の目的は、それらの未解明な部分のうち、試料の気化特性が燃え拡がり現象に及ぼす影響について、解明することにある。

 第2章は、「実験装置及び実験方法」であり、本研児を進めるにあたって用いた、燃焼装置、計測楓器、試料、および実験方法について述べている。

 この種の研究で通常行われる、自然対流場ならびに強制対流場での下方燃え拡がり実験のために、自然対流場用には、燃え拡がりの方向を自由に変えられるようような回転式装置を、強制対流場用には、風洞出口にとりつけた燃焼室を用いた。計測は、ビデオカメラ、スチルカメラなどの映像記録装置および細い素線の熱電対を用いた温度記録装置により行い、結果を解析している。可燃性液体を浸潤させたろ紙を試料として用いたことは、本研究の独創的な点の一つであるが、可燃性液体としては、気化特性の異なるパラフィン系の9種類、ろ紙としては、厚さの異なる6種類のものを用いている。

 第3章は、「自然対流場における燃え拡がり」であり、自然対流場における燃え拡がり実験の結果について述べている。

 燃え拡がりの様子は、浸潤させた可燃性液体の性質に強く依存する。引火点が室温より低いヘプタンを浸潤させた場合には、点火により、試料周辺に形成されたヘプタン蒸気と空気の予混合気の中を火炎が1m/s以上の速度で伝播する。これに対して、オクタンより分子量の大きい可燃性液体を浸潤させた場合には、火炎の速度は、1mm/sから10mm/s程度であり、通常の家屋などの火災で見られる下方燃え拡がり速度に近く、火災の基礎実験として、解明の対象とするに適した範囲にある。

 試料の気化特性を示すのには、明確でありかつ初期条件の変動の影響の少ない量が適切であるが、そのような量として(=(Tl-Tv)/(Tv-Tl);Tlは火炎温度、Tvは可燃性液体の沸点、Tlは試料の初期温度)を用いると、燃え拡がり速度をの関数として表すことができる。すなわち燃え拡がり速度はの-2乗に比例する関係にある。また、試料の厚さの影響及び燃え拡がる方向の影響を調べたが、沸点の高い可燃性液体を浸潤させた場合の燃え拡がり現象が可燃性液体を浸潤させない場合の延長線上にあるのに対し、浸潤させた液体の沸点が低くなるにつれて、これまで観察したことのないような燃え拡がり挙動を示す。

 第4章は、「強制対流場における燃え拡がり」であり、下方燃え拡がりに及ぼす試料表面に沿って上方に流れる空気流の影響を調べた結果について述べている。

 主流空気の速度0.9m/sを境として、燃え拡がり特性が変化する。主流空気の速度が0.9m/s以下の範囲では、燃え拡がり速度は、主流空気の速度の増大あるいは浸潤させた可燃性気体の沸点の上昇とともに減少する。この場合、火炎の大きさ、乾燥領域や熱分解領域の幅などは、条件によって異なるが、火炎先端付近の状況は、本質的に自然対流場における燃え拡がりの場合と類似しているといえる。しかし、主流空気の速度が0.9m/s以上になると、火炎の大きさ、乾燥領域の幅、あるいは熱分解領域の幅が小さくなり、燃え拡がり速度は、浸潤させた可燃性液体の沸点あるいは試料の厚さに依存しなくなる。さらに主流空気の速度が1.3m/s以上になると、火炎が付着する位置が、熱分解領域の下流、いわゆる伴流の部分となる。このような状況は、自然対流場では見られず、この場合には、燃え拡がり速度は著しく小さい。また、主流の適度が1.6m/sになると、消炎する。

 第5章は、「燃え拡がり機構」で、第3章及び第4章で述べた結果に基づいて、可燃性固体の表面に沿っての燃え拡がり機構を論じている。

 燃え拡がり現象は、熱及び物質の移動を伴う現象であり、その点に着目することによって効果的に解明を進めることができる。本研究によって、新しく観測されたほとんどの現象は、熱及び物質の移動に主点をおいた考察によって、説明できる。さらに、表面温度の変化をとりあげ、熱及び物質の移動の理論によりこれを予測すると、その結果は測定値とよく一致する。

 第6章は、「総括」で、本研究で得られた結果をまとめ、その実用への適用の可能性について述べている。

 以上要するに、本研究は、火災現象を膵明するために必要な燃焼の基礎知識である、可燃性固体の表面に沿っての燃え拡がり現象のうち、未解明のまま残されていた、燃え拡がり現象に及ぼす可燃性固体の気化特性の影響について、新しい知見を加えることを試みたものであり、得られた結果は、化学安全工学ならびに燃焼学に貢献するところ大である。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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