学位論文要旨



No 111197
著者(漢字) 吉澤,聡子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシザワ,サトコ
標題(和) 異常に安定なDNAミニヘアピン類の構造と機能
標題(洋) Structure and function of extraordinarily stable DNA mini-hairpins
報告番号 111197
報告番号 甲11197
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3441号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 古崎,新太郎
 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 小宮山,真
 東京大学 講師 上田,卓也
内容要旨

 細胞内のDNAの多くの領域は、標準的なワトソンークリックの右巻二重らせん構造をとっているが、これとは大きく異なるいくつかの特殊な構造が機能的に重要な領域に見つかってきている。そのようなDNAの特殊構造の1つとして著者の所属する研究室では、GCGAAAGCやGCGAAGC配列の一本鎖のDNA断片が両末端の2つのGC塩基対のみで異常に安定なヘアピン構造(ミニヘアピン)を形成することを見つけている。一本鎖DNA上に相補的な配列が存在すると、その部分が塩基対を形成することにより折れ曲がりが生じヘアピン構造となる。ヘアピン構造は、細胞中の種々のRNA、一本鎖DNAをゲノムにもつウイルスなどのDNAや二本鎖DNAの十字型構造などに存在する。

 本研究では、ヘアピン構造の中でも際立って高い熱安定性を有しているミニヘアピン構造の細胞内での機能を知るために、その構造と性質を調べた。

d(GCGAAGC)ミニヘアピンのNMRによる立体構造の解析

 d(GCGAAGC)断片が形成するミニヘアピン構造は今までに知られているヘアピン構造の中で、最も鎖長が短く、熱安定性が最も高い。そこで、この高い熱安定性の原因を知るために、この断片の高次構造をNMRによって解析した。NOESY、DQF-COSY,HOHAHAスペクトルから、すべての非易動性のプロトンのシグナルの帰属ができた。さらに、31P-1HCOSYスペクトルからリン酸を含むバックボーンのコンホメーションの解析を行った。NOESYスペクトルの交差ピークから、4番目のAと5番目のAの間で折れ曲がっていることがわかった。NMRから得られた70のプロトン間の距離情報と37の角度情報に2つのGC塩基対の制限を加えて、シミュレイテッドアニーリング法により高次構造を決定した。

 この断片は、G1C2G3A4とA5G6C7の二本のB型DNA鎖からなり、A4とA5の間の3つの結合のまわりのねじれ角だけが通常のB型DNAの構造とは異なり、この部分で折れ曲がりが生じていた(図1)。それぞれの鎖内の全ての隣り合った塩基がスタックし、2つのGC塩基対に加えてループ内の3番目のGと5番目のAが非フトソンークリック型の塩基対を形成した、非常にコンパクトな構造をとっていた。このGA塩基対の形成は、5番目のAを7-デアザアデノシンに置換した断片のヘアピン構造の安定性が低下することからも確認することができた。

図1 d(GCGAAGC)ミニヘアピンの立体構造

 今までに構造が決定されたヘアピンのうちいくつかの安定なヘアピンでは、ループ内の塩基対がヘアピン構造の安定化に寄与していることが報告されているが、これらのヘアピン構造のループ内のいくつかの塩基は、隣接する塩基とスタックせずにループの外側に飛び出している。これらのヘアピン構造よりもさらに安定なミニヘアピン構造は、ループ内の塩基対に加えて、塩基間のスクッキング相互作用によってさらにその構造が安定化されていることがわかった。

熱安定性の高いトリヌクレオチドループヘアピンの検索とその構造

 GAA配列の3残基のループをもつd(GCGAAGC)断片以外に、どの様な配列のDNA断片が、3残基のループをもつ安定なミニヘアピン構造を形成し得るかを明らかにするために、d(GCGAAGC)のループ部分の3残基のそれぞれをA、G、C、Tに変えた64(=43)本のDNA断片を合成し、これらの断片のヘアピン構造の形成能とそれらの構造の安定性を調べた。このとき、多数のDNA断片の中からミニヘアピン構造を形成するものを簡便にみつけるために以下の2つのミニヘアピン構造の性質を利用した.(1)異常に高い熱安定性を有するミニヘアピンは、7M尿素を含むポリアクリルアミドゲル電気泳動においても、コンパクトな構造を保持するため、泳動度が異常に大きい。(2)d(GCNNNGC)断片の中で、ミニヘアピン構造を形成するものは、末端が二本鎖になるために、一本鎖DNAに特異的な3’-exoヌクレアーゼ活性をもつT4DNAポリメラーゼによっては加水分解されない。このようにして調べた結果、ループ部分がGAA、GGA、GCA、GTA、即ち、GNA配列の断片だけが、飛び抜けて泳動度が大きく、かつ、T4DNAポリメラーゼに対する抵抗性も高いことがわかった(図2)。これらのミニヘアピン構造の融解温度(Tm)は、どれも70℃以上と非常に高い値を示した。

図2、d(GCNNGC)断片の電気泳動の泳動度とT4DNAポリメラーゼに対する抵抗性

 さらに、GGA、GCA、GTAループからなるミニヘアピンの構造をNMRで解析した。NOESYスペクトルの交差ピークから4番目と5番目の残基の間で折れ曲がっていることがわかり、また特徴的なプロトンの化学シフトがGAAループヘアピンとほぼ等しいことから、これら3つのミニヘアピン構造もd(GCGAAGC)と同様の立体構造であることがわかった.

 これらのd(GCGNAGC)ヘアピンについて、波長260nmのUVの吸光度の温度変化から、二状態モデルを用いて、ヘアピン形成のH、S、G(37C)を求めた.さらに、これらの値からBreslauerらによって算出されているステム部分(GC-GC)のパラメーターを差し引いて、ループ部分のH、S、G(37C)を求めた。これまで安定なヘアピンでも、そのループ部分のG(37C)は+1kcal/mol程度であり正の値になることから、ループ部分はヘアピンの形成には寄与していないとされていた。しかし、GNAループでは、そのG1(37C)が+0.3kcal/mol以下と非常に小さく、特にGAAループではG(37C)が負になることから、ミニヘアピンのループ部分はヘアピン形成に積極的な役割をもっている可能性があることがわかった。これは、GAA配列の断片それだけで何らかの構造を形成する可能性をも示唆している。そこで、GAAの3残基だけの断片を合成し、ゲル電気泳動での移動度を調べたところ、GAA断片はコントロールに用いたAGA.AAG断片と比較して泳動度が大きくなることが分かった。したがって、GAA断片それ自体が何らかの構造をとっている可能性があり、この配列がループに存在すると積極的にミニヘアピン構造を形成するものと考えられる。

ミニヘアピン構造の核酸分解酵素に対する抵抗性

 d(GCGAAGC)断片は、塩基間のスクッキング相互作用によって強く安定化されているが、これは、核酸分解酵素による加水分解に対しても高い抵抗性を示す可能性がある。そこで、種々の核酸分解酵素に対するミニヘアピン構造の安定性を電気泳動、あるいは、溶液の吸光度の濃色効累を測定することにより調べた。その結果、ミニヘアピンは、核酸分解酵素を混在している大腸菌の細胞抽出液あるいはヒトの血清の溶液中で加水分解されにくいことがわかった。さらに、d(GCGAAGC)断片と、他のいくつかの7-10残基からなる短鎖長DNA断片についてヌクレアーゼによる加水分解速度を調べると、やはりd(GCGAAGC)配列を含む断片がこれらの核酸分解酵素に対する抵抗性が高く、調べた断片の中では、ステムを1塩基対長くしたd(CGCGAAGCG)断片の抵抗性が最も高かった。

ミニヘアピンを含むDNA断片を用いた効率のよい細胞外蛋白質合成系の開発

 医薬品としてのアンチセンス核酸や細胞外蛋白質合成系に加えるmRNAなどを核酸分解酵素によって分解されにくくして、細胞内あるいは試験管内でこれらの核酸を安定に存在させる研究が現在盛んに行われている。これらの研究の多くは非天然型のヌクレオチドをそれらの核酸に組み込むことによって、核酸分解酵素に対する抵抗性を高めている。しかし、この方法は医薬品としての副作用の問題や天然型のmRNAに適用する際には、多くの困難を伴う。そこで、著者は核酸断片の末端にミニヘアピン構造を形成する配列を結合し核酸分解酵素に対する抵抗性を高める方法を考案した。著者は、細胞外蛋白質合成系に用いるmRNAの3’末端にそれと相補的な配列をもった短鎖長のDNA断片をハイブリダイズさせると、mRNAの核酸分解酵素に対する抵抗性を高めることができることを発見した。さらに、この短鎖長のDNA断片の末端にミニヘアピン構造を形成するDNA配列を結合すると、このDNA断片自体の安定性が高まり、安定化の効果が増すことを見つけている。そこで、この方法を用いてジヒドロ葉酸還元酵素(DHFR)のmRNAの核酸分解酵素に対する抵抗性を高め、DHFR蛋白質の合成を行った。まず、DHFRのmRNA(601残基)の3’末端側の16残基と相補的な配列にd(CGCGAAGCG)配列を結合したDNA断片(アダプターDNA)とDHFRmRNAを混ぜ、65℃に加熱後、氷上で冷却することによりアダプターDNAをmRNAにハイブリダイズさせた。このmRNAを大腸薗由来の細胞外蛋白質合成系に加え、mRNAの安定性をゲル電気泳動で調べると、コントロールと比較して、mRNAが系内で分解されにくくなることを確認した。さらに、この方法でDHFR蛋白質の合成を行うとその翻訳効率を2倍に高めることが出来た(図3)。

図3 アダプターDNAによる蛋白質の合成効率の上昇
審査要旨

 ヘアピン構造は、核酸の同一鎖上の相補的な領域が塩基対を作ることによって形成される。ヘアピン構造は種々のRNA分子や一本鎖状のDNAに広く見られる核酸の基本的な二次構造である。当研究室では、d(GCGAAAGC)やd(GCGAAGC)配列のDNA断片が異常に熱安定性の高いヘアピン構造を形成することを発見している。これらは、通常のヘアピン構造に比べて鎖長が短いことからミニヘアピンとよばれている。これらのミニヘアピン配列は天然のDNAやRNA中の機能的に重要な領域にもしばしば見出される。本論文は、DNAのミニヘアピンの異常に高い熱安定性に着目し、その構造と性質および生物工学への応用について検討した結果を述べたものである。

 第一章では、異常に安定なミニヘアピン構造を形成するDNA断片のうち最も鎖長の短いd(GCGAAGC)の形成するミニヘアピンの立体構造をNMRによって解析した結果を示している。NOESY.DQF-COSY、および、HOHAHAスペクトルによって全ての非易動性プロトンのシグナルを帰属し、これらのスペクトルと31P-1HCOSYスペクトルから得られた70のプロトン間の距離情報と37の角度情報、および末端の2つのG-C塩基対を制限として、シミュレイテッドアニーリング法によって高次構造を決定した。この断片は、4番目のAと5番目のAの間で折れ曲がり、G1C2G3A4とA5G6C7の2本のB型DNA様のヘリックスから成り、これら2本のヘリックス間には末端の2つのG一C塩基対に加えて、3番目のGと5番目のAの間で非ワトソン-クリック型の塩基対が形成していた。これまでに調べられてきたいくつかの安定なヘアピン中でも、ループ内の非ワトソン-クリック型塩基対がヘアピン構造の安定化に寄与していることが報告されている。d(GCGAAGC〉ミニヘアピンは、それらのヘアピンに比べてさらに高い安定性を示すが、これは、このミニヘアピンの立体構造中では、全ての隣り合う塩基がスタッキングしており、これによって構造がさらに安定化していることを明らかにした。

 第二章では、d(GCGAAGC)断片以外に、どのような配列のDNA断片が、3残基のループをもつ安定なミニヘアピン構造を形成し得るかを調べている。この目的のためにd(GCGAAGC)のループ部分の3残基のそれぞれをA、T、C、または、Gに変えた64本のDNA断片を合成し、これらの断片のヘアピン構造の形成能とそれらの構造の安定性を調べた。まず、ヘアピン構造の形成を、変性剤を含むポリアクリルアミドゲル上での電気泳動度の泳動度と一本鎖DNAの3’末端を特異的に加水分解する3’一エキソヌクレアーゼに対する抵抗性によって簡便に調べる方法を開発した。この結果、ループ部分がGAA.GGA、GCA、GTA、即ち、GNA配列の断片だけが、飛び抜けて泳動度が大きく、かつ、3’-エキソヌクレアーゼに対する高い抵抗性を示し、これらのミニヘアピン構造の融解温度(Tm)は、どれも70℃以上と安定性が高いヘアピン構造を形成することを明らかにした。さらに、GGA、GCA、GTAループをもつミニヘアピンの立体構造をNMRで解析し、これらのミニヘアピンがd(GCGAAGC)ミニヘアピンと同様の立体構造を形成していることを示した。これまでに安定なヘアピン構造を形成する配列はいくつか知られているが、これらはいずれも偶然に見っかったものであり、網羅的な検索はこれが初めてであり、本研究の結果は、核酸の二次構造予測にも重要な知見を与えると考えられる。

 第三章では、4残基のループをもつ安定なミニヘアピンの配列を調べた。

 d(GCNNNNGC)配列のDNA断片の混合物中、安定なミニヘアピンを形成するものを電気泳動の泳動度によって選別し、それらの配列を調べた結果、GNNNA配列のループをもつ断片が安定なミニヘアピンを形成することを示した。

 第四章では、これらの非常に強くスタッキングしたミニヘアピン構造の核酸分解酵素に対する抵抗性を調べている。ミニヘアピンはヘアピン構造を形成しないDNA断片やピリミジン塩基をループにもつヘアピンに比べて、核酸分解酵素によって加水分解されにくく、特にGAAループのミニヘアピンは非常に高い抵抗性を示すことを明らかにした。

 第五章では、ミニヘアピンを一本鎖状のDNA断片の末端に導入することにより、このDNA断片の核酸分解酵素に対する抵抗性を高められることを示している。この応用として、このようにして安定化したDNA断片を、細胞外蛋白質合成系の鋳型として用いるmRNAの3’末増にハイブリダイズさせて、このmRNAを核酸分解酵素によって分解されにくくする方法を開発した。この方法を用いてジヒドロ葉酸還元酵素(DHFR)蛋白質の合成を行うとその合成量を2倍に高めることができることを示した。

 以上、要するに、本論文は異常に安定なDNAミニヘアピンの構造、物性とその応用について詳細に検討したものであり、核酸化学にたいへん有用な知見を提供するだけでなく、工学上も貢献するところが大である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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