学位論文要旨



No 111199
著者(漢字) 村上,裕二
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,ユウジ
標題(和) マイクロマシン技術を応用したバイオセンサーの開発
標題(洋)
報告番号 111199
報告番号 甲11199
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3443号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 軽部,征夫
 東京大学 教授 千鯛,眞信
 東京大学 教授 渡辺,公綱
 東京大学 教授 渡辺,正
 東京大学 助教授 熊谷,泉
内容要旨

 本論文は,バイオセンサーシステムの微小化を目的として,マイクロマシン技術を応用したFIA型バイオセンサーシステムの開発を行ったものであり,7章より構成される。

 生体材料の持つ分子識別機能に着目したバイオセンサーは測定が迅速,簡便であることなどの長所を持つことから,医療分析,環境分析,工業プロセス計測などに応用されている。通常,バイオセンサーでは測定試料の移送やセンサーの洗浄などを考慮してフローシステム,すなわちFIA(flow injection analysis)システムが採用される。しかし,通常のFIA装置全体は大がかりな装置となるのが一般的である。特に微量分析や装置の可搬性などを考えるとFIAシステム全体を微小化する事はきわめて意義深いと考えられる。これまでにもバイオセンサーの微小化について多くの報告があるが,これらはいずれもセンサー部分のみの微小化であり,センサーシステムの微小化は行っていない。

 一方,80年代後半から急速に注目を集め始めたマイクロマシン技術は,集積化された微小なシステムを生産性よく構築するのに適した技術である。そこでマイクロマシン技術を用いるFIA型のバイオセンサーシステムの構築を考えるに至った。

 第1章は,緒論であり,本研究を行った背景と本研究の目的および意義を述べた。

 第2章は,マイクロマシン技術により製作したV型シリコンキャピラリーを用いて中空型の酵素固定化カラムを開発し,バイオセンサーシステムに応用した結果について述べた。

 フォトリソグラフィーと異方性エッチングによりシリコン基板に幅100m,深さ70mのV字型の溝を形成させ,ガラスを接合させてV型シリコンキャピラリーを形成させた。92回折り畳みを繰り返して28.5×39mmの基板中に約2.6mの流路を製作することができた。3-aminopropyltriethoxysilane(-APTES)とグルタルアルデヒドを用いた共有結合法で溝の内面にグルコースオキシダーゼ(GOD)を固定化し,このデバイスを用いてFIA型グルコースセンサーシステムを構築した。各種濃度のグルコース溶液を導入するとそれぞれ,濃度に対して比例関係にあるピーク電流値を得た。このことから製作したデバイスが酵素固定化カラムとして機能することがわかった。

 第3章は,マイクロマシン技術によりV型シリコンキャピラリーに電極を形成させて電気化学フローセルとし,これを用いてバイオセンサーを開発し,センサーの特性について検討した。

 V型シリコンキャピラリーを製作する際,接合前のガラスに蒸着法とフォトリソグラフィーを用いて薄膜金電極を形成させた。これの試料導入穴の一部にGODを固定化した。毛細管現象によってサンプルを導入するシステムと,このデバイスを用いるFIAシステムのそれぞれについて過酸化水素とグルコースに対する応答をそれぞれ調べた。0.5%の界面活性剤を含む2lのグルコース溶液を試料導入口に滴下するとすみやかに試料がフローセル内に導入され,およそ2分後に,グルコースの濃度0.4-1mMの範囲で濃度に比例する電流値のピークが得られた。また,このデバイスをFIAシステムに応用すると,過酸化水素では0.2-50mMの範囲で0.42nA/mM,グルコースには2-115mMの範囲で0.05nA/mMの感度で直線的な応答が得られ,電気化学フローセルは機能することがわかった。

 第4章は,マイクロマシン技術により製作したマイクロ酵素固定化カラムと電気化学フローセルを一体化して,その特性について検討した。

 長さ1mの酵素固定化カラムを製作し,これと電極を一体化させた。折り畳み構造の屈曲部で起こっていたアンダーカットは,溝幅の60%補正を行うことで防ぐことができた。また,電気化学フローセルでは接合処理のあと電極の金薄膜のガラスへの付着力の低下が認められた。金薄膜の熱処理による変化をオージェ電子分光法による深さ方向の分析で調べた結果,接着層であるクロムが熱拡散し,表面に酸化物を生成しながら析出することがわかった。そこで今後通常の溶融接合よりも低温で接合できる陽極接合法をデバイスの製作に用いることにした。陽極接合はガラスと酸化膜を持たないシリコンとの接合法として知られているが,ここではシリコン基板表面を絶縁用酸化膜で覆ったものを用いることにした。このため通常条件での陽極接合はできなくなったが,酸化膜と電極用金薄膜の膜厚をすでに述べたデバイスの半分にすることによって陽極接合が可能になった。またカラムの圧力損失はポアズイユの流れと近似して求めた値とほぼ一致することがわかった。このデバイスを用いてFIAシステムを構築すると,1-25mMのグルコース濃度に対して直線的な電流値の応答を得ることができた。このようにマイクロ酵素固定化カラムと電気化学フローセルとを一体化させることができた。

 第5章は,複数の酵素反応を必要とする測定系への応用を目的として,電極一体型のGOD・ペルオキシダーゼ(POD)固定化カラムを開発し,バイオセンサーシステムに用いた結果について述べた。

 酵素反応を利用した分析システムでは2段階以上の酵素反応を必要とするものがある。これらの測定系に対応できるようにするため2段階の酵素反応を組み合わせて行えるデバイスの製作を試みた。長さ46cmのシリコンキャピラリーを持つ,電極一体型酵素固定化カラムを製作した。キャピラリーの一部に支流を設け,部分的な酵素固定化方法を可能にした。すでに述べた一体化では,電気化学フローセル部分を含めたすべての流路に対して酵素固定化処理を行ったため,電極表面が修飾試薬で覆われてしまっていたが,部分的な酵素固定化処理により電極が劣化する欠点を克服することができた。酵素反応としてグルコースオキシダーゼ系を用いた。GODにより生成した過酸化水素をペルオキシダーゼで還元し,移送液中のメディエーターであるフェロセンの誘導体を酸化する。測定ではフェロセン酸化体による還元電流のピーク値とベースラインの電流値との差を応答値とした。過酸化水素とグルコースに対して検量線を得ることができた。メディエーターなしでは応答しないことや,スクロースに応答しないことから,所定の酵素反応に基づいた応答であるといえる。これまでと異なり低電位で還元電流の測定を行うので,しばしば実試料測定の際,妨害物質となるアスコルビン酸などの影響を低く抑さえることができた。また,ほぼ同じカラムの長さを持ち,10倍以上屈曲部を持つデバイスを作製したが,応答に顕著な差が見られないことから,屈曲部は応答に重大な影響を与えないことがわかった。

 第6章は,酵素の固定化によく用いられている充填型リアクターを製作しその特性について検討した。

 充填用チャンバーと電気化学フローセルを一体化したデバイスを製作し,GODを固定化した直径約0.1mmのガラスビーズをチャンバーに充填した。このデバイスを用いてFIAシステムを構築し,リン酸緩衝液を10l/minの流速で流すと,0.5lの過酸化水素に対しては0.67nA/mM,グルコース溶液には0.31nA/mMの感度で直線的な応答が得られた。このことから製作したリアクター内でおよそ半分のグルコースが反応したと考えられた。シリコンキャピラリーを用いた中空型の酵素固定化力ラムでは酵素固定化法が室温での反応に限定されていたが,本法により酵素固定化処理段階での制約がなくなった。

 第7章は総括であり,本研究を要約し得られた研究結果をまとめた。

 フォトリソグラフィー,異方性エッチング,蒸着,陽極接合などのマイクロマシン技術を応用して酵素センサーシステムを製作することができた。V字型の溝を持つシリコン基板とガラスとの接合により得られるシリコンキャピラリーの化学修飾により酵素を固定化することが可能であった。また,電気化学フローセル,分岐構造や充填用チャンバーを容易に製作できた。製作したデバイスを用いてFIAシステムを構築すると,酵素反応生成物に由来する酸化還元電流が得られ,これはグルコース濃度に比例して増加した。

 本研究は,マイクロマシン技術を用いたセンサーシステム全体の微小化という研究の中で,特に重要なセンサー部分の微小化を行ったものであり,先駆的な研究である。将来,本研究で得られたデバイスと,周辺機器(マイクロポンプ,マイクロバッテリー)を組み合わせることによって微小なセンサーシステムを構築することが可能であり,これは医療,環境,食品計測において重要な役割を果たすと考えられる。

審査要旨

 本論文は,バイオセンサーシステムの微小化を目的として,マイクロマシン技術を応用したフロー型バイオセンサーシステムを製作し,その特性について詳細に検討したもので7章より構成されている。

 第1章は,緒論であり,本研究を行った背景と本研究の目的および意義を述べている。

 第2章では,マイクロマシン技術によりV字型の溝を形成させたシリコン基板とガラスとを接合させて微細管を製作し,フローシステムの流路として用いている。フォトリソグラフィー技術を適用して,細く長い稠密な溝のパターンをシリコン基板上に描き,さらに,単結晶シリコンのエッチング速度が結晶軸方向によって異なる性質を活かして,再現性よくV字型の溝を形成させている。このシリコン基板とガラスを均一で強固に接合させるために陽極接合法を用いており,微細管に液体を通過させるときに要求される高い耐圧性を実現させている。さらにこの微細管の内壁に酵素を共有接合させ,微細管の全体を酵素反応カラムとしている。酵素としてグルコースオキシダーゼが固定化されており,カラム内ではグルコースが特異的に反応し,過酸化水素を生成する。製作したデバイスの下流に過酸化水素を検出するための電気化学検出器を接続し、このフローシステムが,グルコース測定システムとして使えることを明らかにしている。

 第3章では,微細管として用いるガラスにあらかじめ,蒸着とフォトリソグラフィーにより帯状の金薄膜を形成させて,これを電極とする電気化学セルを製作し,その特性について検討している。電極を絶縁するためにシリコンに熱酸化膜を形成させたため,熱酸化膜が共存してもガラスと接合できる溶融接合法を適用して,高い耐圧性を実現している。セル内に試料を満たし,ステップ状の電圧を印加して一定時間経過した後の電流値を測定する方法で,過酸化水素が定量できることを示している。さらに,デバイスの試料導入口にグルコースオキシダーゼを架橋法で固定化したバイオセンサーを開発している。電極間に一定電圧を印加しておき,界面活性剤を添加した所定量の試料を試料導入口に滴下すると,グルコースの定量が行えることを明らかにしている。このデバイスを電気化学フローセルとしてフローシステムを構築すると,これをバイオセンサーとして単独で用いるときよりも広い濃度範囲で,過酸化水素やグルコースの定量が行えることを明らかにしている。

 第4章では,製作したマイクロ酵素固定化力ラムと電気化学フローセルを一体化して,その特性について検討している。ここで酵素固定化カラムの一部分が過度にエッチングされる現象が見られたが,補正パターンを用いることでこれを防いでいる。また,電気化学フローセルを製作する際にシリコン基盤とガラスを接合処理した後に金薄膜電極がガラスから剥離しやすくなることを観察している。この現象は接着層であるクロムが熱拡散し,表面に酸化物を生成しながら析出することに起因することを,オージェ電子分光法による深さ方向の分析から明らかにしている。このことから,溶融接合よりも低温で接合できる陽極接合法について検討を加え,これまでは知られていなかった,酸化膜と電極が接合面にある場合の陽極接合条件を見いだしている。また,カラムの圧力損失がポアズイユの流れと近似して求めた値とほぼ一致することを示している。

 第5章では,複数の酵素反応を利用する測定系への応用を目的として,グルコースオキシダーゼとペルオキシダーゼを個別に固定化したカラムを製作し,下流に電極を一体化させてバイオセンサーシステムを構成した結果について述べている。このデバイスでは微細管の一部に支流を設けて,一部分だけに酵素固定化処理剤を通過させることによって,部分的に酵素を固定化している。また,この方法で,電気化学フローセル部分に修飾試薬が接触しないようにして,これまで起こっていた修飾剤による電極の劣化を克服している。2種類の酵素とメディエーターの反応系を用いることにより,これまでよりも低電位で還元電流の測定を行えるようにし,体液のグルコース測定で測定の妨害物質となるアスコルビン酸などの影響を低く抑さえている。

 第6章では,酵素の固定化によく用いられている充填型リアクターを製作し,その特性について検討している。充填用チャンバーと電気化学フローセルを一体化したデバイスを製作し,グルコースオキシダーゼを固定化したガラスビーズをチャンバー内に充填している。以前に製作していた酵素固定化カラムでは固定化処理を室温で行う必要があったが,本法によりその制約をなくしている。また,酵素固定化ガラスビーズ再充填によりデバイスの再利用ができることも示している。

 第7章は総括であり,本研究を要約し得られた研究結果をまとめている。

 このように本論文は,マイクロマシン技術を用いたセンサーシステム全体の微小化という研究の中で,特に重要なセンサー部分の微小化を行ったものであり,先駆的な研究である。将来,この研究で得られたデバイスと,周辺機器を組み合わせることによって微小なセンサーシステムを構築することが可能であり,これは医療,環境分析,食品計測において極めて重要な役割を果たすと考えられる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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