No | 111212 | |
著者(漢字) | 南任,真史 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ナントウ,マサシ | |
標題(和) | 極低温走査型トンネル顕微鏡を用いた高温超伝導体の表面観察とスペクトロスコピー | |
標題(洋) | Cryogenic Scanning Tunneling Microscopy and Spectroscopy on High Temperature Superconductors | |
報告番号 | 111212 | |
報告番号 | 甲11212 | |
学位授与日 | 1995.03.29 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(工学) | |
学位記番号 | 博工第3456号 | |
研究科 | 工学系研究科 | |
専攻 | 超伝導工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | トンネル電子分光は非常に高いエネルギー分解能で固体の状態密度を観測することが可能で、超伝導体の電子状態を探る最も強力な手段の一つとなってきた。高温超伝導体に対してもその発見当初から多くのグループによってトンネル電子分光の実験がなされてきたが、初期の段階では再現性のあるデータが得られなかった。超伝導ギャップの値は大きくばらつき、マルチピークやゼロパイアスコンダクタンスピークなどを示す複雑なトンネルスペクトルが観測されるなど、結果はまちまちであった。更に多くの実験がなされた結果、この物質に起こりやすいチャージング効果やマイクロショートサキットの形成など非本質的な現象が明らかになり、トンネルのデータはある程度の収束を見せるようになったがそれでも以下のような問題点が残っている。1)超伝導ギャップがブロードな構造を示す傾向がある。2)かなり高いギャップ内コンダクタンスが観測されることが多い。3)リニアなバックグラウンドを示すスペクトルが多く見られる。4)超伝導ギャップのピークの両側にディップ構造がよく観察される。こうした問題点はこれまで、RVBやマージナルフェルミ液体、d波の超伝導機構など新しい理論によって説明されてきた。 酸化物超伝導体はCuO2層を含む数種類の層が積み重なった構造をしており、超伝導はCuO2層が担い他の層はホールの供給や電荷の中性を保つなどの役割をしているものと考えられている。この系のc軸方向のコヒーレンス長が数Åと極端に短いことを考慮すると、超伝導オーダーパラメータが結晶内でこの方向に実空間変化している可能性がある。実際そのようなモデル計算もいくつかなされており、intrinsic pinningなどこのことを間接的に示す現象も観察されている。しかし、これまで用いられてきたマクロなトンネル接合ではマクロな接合面積に渡って積分された情報しか得られない為、こうした現象を直接観察することは出来ない。STMは物質表面の構造を原子スケールでとらえることが出来る高分解能の顕微鏡としての能力の他に、トンネル電子分光の手段としての使い方がある。STMではトンネルする領域が非常に狭く原子スケールである為、得られるトンネルスペクトルは局所的な状態密度を反映したものとなる。更にトンネル電子分光とSTMを同時に行なうSTSにより、局所状態密度の実空間変化を直接とらえることが可能である。本研究ではこのようなミクロなプローブを用いて酸化物超伝導体のトンネル電子分光を行ない、マクロな方法では得られない情報を得ることを目的とした。4.2Kにおいて安定に動作し原子分解能を伴うSTSが可能な低温STM装置を自作し、これを用いてフローティングゾーン法で作製されたBi2Sr2CaCu2Oy単結晶及びレーザーアブレーション法で蒸着されたYBa2Cu3Oy薄膜の低温STM/STS観察を行った。 Bi2Sr2CaCu2Oy単結晶の劈開面をSTM観察すると、ある確率で、原子像が観察される時と観察されない時の二通りの場合があった。原子像は、約5倍の変調構造を伴った正方格子で、その格子定数などからBiO層に対応するものと考えられる。この原子像が観察される場合に4.2KでSTSを行なうと、Tc以下の低温にも関わらずスペクトルは超伝導特性を示さず、数百meVのバンドギャップを持つ半導体的な形状を持つスペクトルが測定位置に依存せず等しく観測された。色々な雰囲気中でアニールすることにより酸素量を変化させた試料について測定してその違いを観てやると、酸素量が多くなるにつれてバンドギャップが狭くなりより金属的になることが分かった。またSTMの探針を試料表面に非常に近付けると、バンドギャップ内に有限の状態密度が生じその中に超伝導ギャップが開いたスペクトルが観測された。また、試料を真空中にしばらく放置してから測定するとバンドギャップが大きく広がり、やはりその中にわずかに残った状態密度に超伝導ギャップの開いたスペクトルが得られた。一方原子像が得られない場合にトンネルスペクトルを測定すると、定性的にはBCS関数に近い典型的な超伝導ギャップ構造を示すスペクトルが観測された。この場合高いエネルギー分解能で測定すると、はっきりとギャップのボトムが見えギャップ内のコンダクタンス値が非常に低いスペクトルが得られた。しかしギャップエネルギーはBCSから予想される値より大きく、またBCS関数には無いピークの外側のディップ構造が観察された。このギャップ構造は温度の上昇に伴い消失していったが、Tc直上の温度では状態密度の落ち込みが残っているのが観察された。酸素量を変化させてTcの異なる試料について測定すると、エネルギーギャップの変化はほぼTcの大きさの変化と同様の傾向を示した。またSTM探針と試料の間の距離を小さくしていくと、ピークが増大しバックグラウンドの形状がV字形から逆V字形へと変化したが、基本的には超伝導特性を示す金属的なスペクトルが観測された。 これらの結果は、基本的には以下のように解釈が可能である。BiO層は半導体的な電子構造をしており、そのバンドギャップは酸素量の増加に伴い狭くなる。一方、CuO2層は金属的な電子構造を有し、超伝導を担っている。原子像が得られる場合は表面をBiO層が覆っており、探針が表面から離れている時には表面BiO層にのみトンネルが起こる。しかし、探針が表面に非常に接近した場合には表面BiO層に状態の無いバンドギャップのエネルギー領域では、その下のCuO2層へトンネルする確率が生じるようになる。原子像が得られない場合はCuO2層の上に比較的バンドギャップの広い半導体的な層が覆っていて、バイアス電圧がバンドギャップのエッジより低い場合には表面層に状態が無いため探針が表面層に非常に接近する。この為表面原子と探針の先端原子の間に相互作用が生じてしまうことや、表面半導体層のバンドギャップがCuO2層本来の真空に対する仕事関数より低いためにトンネル電流の減衰特性が急峻でなくなってしまうことなどが原因となって原子像観察を困難にしていると考えられる。 YBa2Cu3Oy薄膜については(001)配向膜と(110)配向膜の二種類について測定を行った。(001)配向膜上では、a軸またはb軸方向の格子定数とほぼ等しい間隔の表面原子配列が観測され、4.2KでのSTS観察ではBi2Sr2CaCu2Oy単結晶の場合と同様測定位置によらず半導体的なトンネルスペクトルが観測された。また、探針を試料表面に近付けていった時のトンネルスペクトルの変化もBi2Sr2CaCu2Oy単結晶と同様の傾向を示したが、YBa2Cu3Oy(001)配向膜では殆どの場合、探針が試料表面に非常に近くにある時に観測される超伝導ギャップを示すトンネルスペクトルがギャップ内に高いコンダクタンス値を示した。また幾つかの試料では、ギャップ内のコンダクタンスが1%以下と非常に低い値を示しギャップのボトムがはっきりしているトンネルスペクトルが観測された。一方(110)配向膜上では層断面のCu原子の斜方格子配列が観察され、低いバイアス電圧ではCuO2層がCuO一次元鎖層に比べてより強調されることがわかった。また酸素原子の量の変化によると考えられるブロードなうねりが観察されたが、STSの結果からこのうねりの山の領域では超伝導、谷の領域では半導体的な性質を持っていることがわかった。また(110)配向膜上で観測される超伝導ギャップを示すスペクトルは、高いギャップ内コンダクタンス値を示した。 これらの結果はBi2Sr2CaCu2Oy単結晶の測定結果との類推などから以下のように解釈出来る。YBa2Cu3Oy系ではCuO2層には超伝導ギャップが完全に開き、CuO一次元鎖層が常伝導金属または弱い超伝導の性質を持っており、全ての層のエッジが並んでいる(110)面上で測定したスペクトルはこの両方からの寄与を受ける。一方(001)配向膜では通常は半導体的な性質を有する層が最表面に、その下に超伝導ギャップの開いたCuO2があり、その間に常伝導金属に近い性質を持つ層が存在する。この常伝導金属層からの寄与のためスペクトルは高いギャップ内準位を示す。また成長条件によっては最表面にくる層の順番が異なることがあり、最表面に半導体的な性質を有する層が、そのすぐ下にCuO2層がくることがある。この場合にはギャップ内コンダクタンスは低くなると考えられる。 これらの結果は、少なくとも表面付近では層によって電子状態が変化していることを強く示唆するものである。このことを考慮にいれれば、これまでマクロなトンネル接合で観察された前述の1)〜4)の問題点も説明が可能である。トンネルから得られる情報はあくまでも表面付近のものであり、バルク全体でこのようなことが起こっているかどうかはトンネルの実験からは分からない。しかし、もしバルク全体でも同様なことが起こっているならば、酸化物超伝導体に対してマクロなプローブを用いて測定されたデータをこれまで等方的で均質な超伝導体について行われたのと同じ方法でそのまま解析して議論することは危険であり、電子状態の実空間変化を考慮に入れた解析方法を確立する必要があると考えられる。 | |
審査要旨 | 高温酸化物超伝導体の物性を測定し、その結果を詳細に比較検討することは、高温超伝導機構の解明といった基礎学問的興味だけではなく、より実用化に適した新しい物質を探索していく指針を得る上でも非常に重要である。本研究の目的は、走査型トンネル顕微鏡(STM)を用いた新たなトンネル分光法を提案・開発するとともに、それを用いて高温超伝導体を特徴づける層状の電子構造を明らかにしようとしている。 トンネル電子分光は低エネルギー励起スペクトルを直接観測することができるため、超伝導体の電子状態を探る上で最も強力な手段の一つである。しかし、酸化物超伝導体の場合、層状の結晶構造に由来して超伝導の性質が各原子層間で空間的に変化していると考えられるため、これまで用いられてきたマクロなトンネル接合では各層に渡って積分された情報しか得られない。こうした観点から、本研究では原子イメージを観察すると同時にトンネル電子分光を行なう手法として原子位置指定トンネル電子分光(AST)法を提案し、4.2Kにおいて安定に動作し原子分解能を伴う低温AST装置を自作している。また、同法を用いてフローティングゾーン法で作製されたBi2Sr2CaCu2Oy単結晶及びレーザーアブレーション法で蒸着されたYBa2Cu3Oy薄膜の低温観察を行っている。 4.2Kにおいて原子分解能が得られた表面上でトンネルスペクトロスコピーを行い、さらにその温度依存性、酸素量依存性、トンネル障壁の厚みに対する依存性などを、系統的に観察したのは本研究が初めてである。原子像を得ることで、トンネルスペクトルが得られた表面の状態を評価すると同時に、STMが理想的な状態で使用されたことを確認している。探針の位置などの測定条件に対するトンネルスペクトルの依存性は、酸化物超伝導体表面における電子状態の変化と関連づけて説明されている。さらに、Bi2Sr2CaCu2Oy単結晶及びYBa2Cu3Oy薄膜の双方について得られたトンネルスペクトルデータから、超伝導オーダーパラメータに関してs波的な対称性を主張している。 論文は8章から構成されている。 まず第1章では、本研究の導入部として酸化物超伝導体に対するトンネル電子分光の現状と問題点について言及し、この物質をSTMを用いて観察する意義について述べ、本研究の目的が提示されている。また、後の各章の構成が簡単に記されている。 続く第2章では、トンネル現象、超伝導体への準粒子トンネルの理論、STMに関する一般論やその分解能に関する理論など、以下の研究結果の議論に必要な基礎知識が与えられている。 第3章において、本研究で自作した極低温測定用AST装置の詳細を説明しているとともに、観察に用いたBi2Sr2CaCu2Oy単結晶及びYBa2Cu3Oy薄膜の作製法、アニール処理条件、特性の評価などについて述べられている。 第4章では、主にBi2Sr2CaCu2Oy単結晶の劈開面についての観察結果が報告されている。低温での原子像観察、トンネル電子分光、さらにAST観察の結果から、表面BiO層は臨界温度以下の低温においても半導体的な電子構造を有し、一方CuO2層がこの系の超伝導を担っていると結論づけている。トンネルスペクトルの様々な変化はBiO層の電子状態が酸素量に依存すること、トンネルスペクトルはBiO、CuO2の両層からの寄与を受けており、その割合が表面の層の配置とSTMの探針の垂直方向の位置に依存すると考えると理解されると説明している。また、高いエネルギー分解能ではスペクトルが有限の超伝導ギャップ構造を示すことから、この系の超伝導オーダーパラメータがs波的な対称性を持つと主張している。 さらに第5章では、YBa2Cu3Oyの(001)配向膜と(110)配向膜について表面トポロジー及び電子状態を観察した結果について比較対照している。マクロなスケールで観察される特徴的な構造からはYBa2Cu3Oy薄膜の成長メカニズムについて考察を行っている。また、(110)面の原子像からCuO一次元鎖層が金属的な電子構造を有していることを明らかにしている。更にこのCuO一次元鎖層が常伝導状態または弱い超伝導状態にあると仮定することにより、この系のスペクトルデータに対し前章と同様の取り扱いを適用できると議論している。Bi2Sr2CaCu2Oyと同様この系についてもs波的なスペクトルデータが示されている。 酸化物超伝導体に対するトンネル電子分光の結果を混乱させる原因となった非本質的な効果について、実際に観測されたデータをもとに第6章でまとめられている。 第7章では、もう一度全てのトンネルスペクトルデータについて、酸化物超伝導体の各層ごとの電子構造を仮定して、系統的な説明が試みられている。 最後に第8章で全体にわたっての結論が述べられている。 以上を要約すると、本研究では4.2Kにおいて安定に動作する極低温AST装置を開発し、これを用いて酸化物超伝導体のBi2Sr2CaCu2Oy単結晶及びYBa2Cu3Oy薄膜の観察を臨界温度以下の低温で行っている。その結果、酸化物超伝導体のトンネルスペクトルを、温度、酸素量、トンネル障壁の厚み、各原子層の電子状態(超伝導性)の違いなどに対する依存性として系統的に体型化している。このように、本研究は酸化物超伝導体の電子物性研究をミクロな立場から展開し、その評価法としてのASTの有用性を実証するとともに、層状の電子構造を理解することが高温超伝導機構解明に不可欠であることを示したものである。以上のように、本研究は高温超伝導の物性研究に多大な貢献をした。よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 | |
UTokyo Repositoryリンク | http://hdl.handle.net/2261/53851 |