学位論文要旨



No 111217
著者(漢字) 矢野,新一郎
著者(英字)
著者(カナ) ヤノ,シンイチロウ
標題(和) 知識処理システムによる大規模問題解決に関する研究
標題(洋)
報告番号 111217
報告番号 甲11217
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3461号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大須賀,節雄
 東京大学 教授 中島,尚正
 東京大学 教授 田邊,徹
 東京大学 助教授 堀,浩一
 東京大学 助教授 中須賀,真一
内容要旨

 人間の直面する様々な問題の解決を電子計算機をよって自動的に行わせることを目標とする研究は、計算機が出現してからほぼ同時に開始され、ハードウェア技術の驚異的な進歩に支えられ現在なおいっそう精力的に続けられている。しかしその目標の実現は非常に困難であることが研究の進展とともに認識されてきた。この壁を克服するためには、要素研究の積み重ねだけではなく、大局的な視野を持った人工知能技術の体系化が必要とされる。このために必要不可欠な機能として、直面している問題を、取扱可能な規模に分割することを通じて、既存の知識による問題解決が可能となる形に整理していくことがあげられる。人間が現在の計算機では取扱うことのできない現実の問題を、試行錯誤を繰り返しながらも解決へとすすめることができるのは、実世界で生じる極めて複雑で見通しの悪い問題を、これまで科学技術の様々な領域で研究され、蓄積されてきた問題領域固有の問題解決手法を生かせる形に変換できるからだと考えられるためである。

 本研究の目的は、計算機支援環境における人間-機械の問題解決への役割分担を明確にし、上記に述べた問題分割の機能を包含する適切な問題解決のための枠組みを提案すること、さらにその枠組みに基づいて実行可能なシステムとして計算機上に実装することでその妥当性を検証することである。

 上記の目的を達成するために、まずこれまでの人工知能分野における問題解決研究が直面してきた問題点を現実世界の情報の無限性という観点から整理し、知識の明示的な記号表現に基づく知識処理システムにおいては人間の問題解決には不可欠な人間の身体に基づく志向性を表現することは不可能であるとの認識から、知的な問題解決システムにおける人間の役割を、個別の状況における高度に抽象的な判断を行う問題解決主体として定位すべきことを主張した。

 この認識のもとに、問題解決行動の動機となる人間の問題意識の表現方法について論じ、人間の問題意識を、その主観的な価値観に基づいた実世界の構造の属性に対する不満足ととらえ、これを属性値に対する不満足値として定量的に返す関数を計算機上の問題表現として定めることで主観的な人間の問題意織を操作可能なものとして定式化した。

 次に、問題解決過程を可能な限り計算機上で実行可能なものとするために、人間の問題解決においてなされている試行錯誤の過程を計算機上に表現する手段として、モデルを中心とした解決過程を用いた。これは、入力された問題表現の情報量が解を一意に定めるために不十分であり、解決過程において解を生成するための自由度が大きい設計型の問題に対して、必要な情報を一意に定めるために十分な情報を持つ実体構造をモデルとしてまず定め、それを評価に成功するまで変更を繰り返すことで許容される解を生成するものである。ここでのモデルとは、それまでの問題解決で用いられた情報のうち有用なものだけを凝縮した仮設であると解釈できる。

 この考え方を基本に据え、問題解決の開始時点において解決のために必要な情報を確定することが期待できない大規模複雑な実問題を解くための計算機上での実行可能モデルを提案した。この枠組では、問題解決の解候補としての対象構造のモデル化とともに、その解決過程における問題表現も人間の曖昧な問題意織の近似表現であるとの認識のもとにモデル化を行うことで、柔軟な問題解決の実現を可能にしている。

 これは人間の持つ問題意識を明確化してその解決のための問題構造を設計するレベルと、そこで定式化された問題の解となる対象構造を定めるレベルの2階層に対してモデル中心の基本的思考方法を適用することを意味している。本研究では、このレベルをそれぞれ要求レベル、対象レベルと呼び、そのレベルで生成されるモデルを要求モデル、対象モデルと呼んでいる。

 入力された問題の解決は、まず要求レベルでの要求モデルの生成、すなわち表現された要求を既存の問題解決手法で処理可能な形に構造化することで始められる。この構造化にも過去の問題解決により蓄積された知識が援用される。対象とする問題に対するこのような知識の妥当性は実際に適用しモデルを検証してみなければ正しく確認することはできない。逆に、モデル中心の問題解決過程を通じてそれらの知識の利用方法が洗練され、知識構造が定められていくことになる。

 要求モデルが一つ決まれば、そのモデル構造に対応して対象レベルにおける問題解決過程の構造が定まる。これはもとの問題を要求の構造化を通じて適切な形に分割することを意味している。対象レベルでは生成された問題において解候補となる対象モデルが構築され、問題意識に基づいて評価されることで解決が進行する。分割された問題の解は最終的に統合されることで初めの問題意識の解となり得る。

 要求モデル構造に基づいて生成された対象レベルの問題解決に失敗した場合には、要求モデルの構造を変更することで新たな問題解決過程を生成し、再び対象モデルでの問題解決を行う。最終的に満足できる解が得られるまで、このサイクルが繰り返される。すなわち、要求モデルの評価はその構造が定める個々の問題解決の成功/失敗に対応している。

 以上をまとめると、本研究によって提案した大規模問題解決の枠組においては、その問題の性質が判明していない未知なる問題に対して

 ・問題表現(要求モデル)

 ・対象問題に対する問題解決過程

 ・問題解決手法の知識

 ・解としての実世界の実体構造を表現する対象モデル

 の4つが動的に構造化することで解決がなされることになる。

 この問題解決過程の定式化を設計問題に適用した場合の処理の流れの例を図1に示す。この図において左端の問題解決器(AGENT)上に表現さた問題意識が、問題解決知識の適用によって次列の3つの副問題に分割されている。分割された副問題は再帰的に上記の問題解決過程を適用して解かれることになる。このとき、分割された副問題の干渉の解消を含む解の統合は、問題解決器が起動された時点で動的に組み込まれた領域知識によってなされる。

図1:問題分割に基づく大規模設計問題解決過程

 提案する定式化では問題分割による問題解決過程構築知識の記述様式として(1)並列分割:分割してそれぞれを並列に解く(2)順次分割:分割した問題を制約条件を継承しながら定められた順番に解く、の2つを提供し、この組合せで大規模問題解決過程全体を表現することとした。また、この2種類の分割方針の適用によって、有効な問題解決過程の詳細化を実現できることを論じた。

 ここに定式化した問題解決過程は、HIPS(Human-machine Interactive Problem Solver)と名付けられたシステムとして計算機ネットワーク上に実装された。このシステムは大規模設計問題の例として衛星打ち上げ系の設計問題に適用され、その実効性を示した。

 本研究の課題として次のような点が指摘できる。

 ・入力された問題を解決に適用可能な問題解決手法が知識ベース中に存在しない場合、人間が低レベルの解決手法記述を行わなければならないこと。

 ・問題解決知識を入力するためのエディタが存在しないため、人間が直接知識表現言語(KAUS)のシンタックスで記述しなければならないこと。

 ・成功した問題解決過程を学習して再利用するための枠組みが定式化されていないこと.

 これらは知識表現と学習に関わる問題である。ここで提案した問題解決過程は、モデル中心の考え方に基づき、解決の進行とともに獲得されていく情報をモデルに反映することで解の詳細化を行っているが、その情報はモデルという事例の形にすべて昇華されてしまっているため、最終的に成功事例としてのみ蓄積されるだけで、問題解決の過程における試行錯誤の経験を明示的に学習することはできない。この問題点に対して問題解決の履歴を以後の再利用に有効な形で蓄積する手法の検討が望まれる。

審査要旨

 工学修士矢野新一郎提出の論文は、「知識処理システムによる大規模問題解決に関する研究」と題し、7章から構成されている。

 科学技術が高度に発達を遂げるにつれて、人間が扱う問題は航空機設計・原子力プラント設計・宇宙システムの設計などにみられるように複雑かつ大規模なものとなっており、限られた期間・コストのもとで望ましい解を生成することは困難になってきている。このような状況のもとで、その解決を人工知能の分野で研究されてきた知識処理システムによっておこなうことに対する期待はますます高まっている。これまでの問題解決研究では定式化する範囲をうまく限定し、それをできるだけ単純な数学的あるいは論理的モデルで表すことによってさまざまな具体的問題に対する研究成果が蓄積されてきた。しかし、大規模問題の実用的な解決という立場からは現実に生じる極めて複雑で未定義な問題を適切に整理し、個々の問題を適正規模に分割していくことが必要であり、これに成功すればその中で問題を解決することは相対的に容易なこととなる。本研究ではそのために必要な知識処理システムの枠組みを提案し、それを計算機ネットワーク上にて分散処理が可能な実験システムとして実装している。これは実用的な大規模問題の解決のために重要である。

 第1章は序論であり、本研究の動機と目的を述べ、本研究の位置づけを明らかにしている。

 第2章では、これまでの人工知能分野における問題解決研究が直面してきた問題点を現実世界の情報の無限性という観点から整理し、知識の明示的な記号表現に基づく知識処理システムにおいては、人間の問題解決には不可欠な人間の身体に基づく志向性を表現することは不可能であるとの認識から、知的な問題解決システムにおける人間の役割を、個別の状況における高度に抽象的な判断を行う問題解決主体として定位すべきことを主張している。

 第3章では、第2章で整理した問題認識に基づき、大規模な問題を適切な人間-機械の役割分担のもとに計算機上で取扱うための定式化を行っている。まず初めに、問題解決行動の動機となる人間の問題意識の表現方法について論じている。ここでは人間の問題意識を、その主観的な価値観に基づいた実世界の構造の属性に対する不満足ととらえ、これを属性値に対する不満足値として定量的に返す関数を計算機上の問題表現として定めることで、主観的な人間の問題意識を操作可能なものとして定式化している。つぎに、人間が部分的な情報しか得られていない状況で問題解決を行う際に用いていると考えられる基本的な思考方法をモデル中心の考え方として定式化し、この基本手法を具体的な問題解決過程の生成とそこでの対象構造の生成に対して二重に適用することで、大規模問題をヘテロジニアスな副問題に分割して、取扱い可能な問題へと変換しながら解決を進める手法を提案している。問題の分割方法としては並列分割と順次分割の2種類の方針が用意され、対象問題の性質・用いられる解決手法の特性に応じて採用され、具体的な問題解決に適用される。

 第4章では、第3章で定式化された大規模問題解決過程を計算機上の実行可能なものとして実装したシステムHIPS(Human-machine Interactive Problem Solver)の詳細が述べられている。HIPSは分割・生成される副問題の階層構造に従って動的に起動される問題解決器AGENTと、問題解決過程全体の進行状況を表示するブラウザから構成され、計算機ネットワーク上にて並列実行される。問題解決器はWindow環境に基づくユーザインタフェースを備え、問題解決者の主観に基づく問題意識が任意の時点で反映されうるものとなっている。

 第5章ではそこで紹介されているシステムを具体的な大規模設計問題の例として衛星打ち上げ系の設計問題にに適用し、提案した枠組みによって実際に動的に人間の問題意識を詳細化しながら望ましい問題解決が行えることを確認している。ここでは、問題解決者の問題意識の表現としてインタフェースを通じて入力された要求と制約条件に対して、知識ベース内に蓄えられたさまざまな問題解決手法から適切と思われるものがメタ知識または問題解決者の介入によって動的に選択・適用され、解としての対象構造が生成されていく過程が示されている。この例では、問題解決開始時点で表現された問題が、解決の進行にしたがって15個の副問題に分割され、そのそれぞれがネットワークによって結合された11台の異なる計算機上で解決され、それらの解が最終的に統合されて人間の問題意識を解消しうる対象構造が生成されている。

 第6章においては、本研究で提案した問題解決の枠組みの発展の方向として、自律的な問題解決システムとしての将来性が述べられている。ここでは、人間が問題解決において行う具体的な状況における適切な判断が、本研究において提案された枠組にしたがってメタ知識として知識ベースに蓄積されていくことによって、自律的な問題解決が可能になっていくことが述べられている。

 最後に第7章では、本研究の結論と今後の課題が述べられている。

 以上を要するに本研究は、これまで実際には人間の手によって整理され、解決可能な形に定式化された後にはじめて適用が可能であった人工知能における問題解決手法と、人間が直面する実世界の複雑で大規模な問題との間に存在している溝を埋めるために欠かすことのできない問題分割の手法を定式化し、さらにそれを計算機ネットワーク上で実行可能なシステムとして実装している。これは、いままで要素技術中心になされてきた人工知能の問題解決研究を体系化し、真に実用的な方向へと進める示唆を与えるものであり、知識工学上貢献するところが大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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