学位論文要旨



No 111221
著者(漢字) 磯山,隆
著者(英字)
著者(カナ) イソヤマ,タカシ
標題(和) 新しい原理による体内埋込型完全人工心臓の開発 : 流れ変換型拍動流れ完全人工心臓
標題(洋)
報告番号 111221
報告番号 甲11221
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3465号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤正,巌
 東京大学 教授 舘,すすむ
 東京大学 教授 中島,尚正
 東京大学 教授 松本,博志
 東京大学 助教授 満渕,邦彦
内容要旨

 治癒の見込みのない生体心臓を切除しその胸腔内に血液ポンプやアクチュエータを埋め込む体内埋込型完全人工心臓は人工心臓の終局の目標であり、米国をはじめ日本、欧州でもかねてから研究開発が進められている。臓器移植の普及の進む社会情勢の中で、提供臓器の供給不足という新たな問題を解決する上でも実用的な人工心臓の開発が望まれている。現在他施設で開発が進められているものは血液ポンプにダイアフラム型もしくはプッシャープレート型などの容積型ポンプを2個ずつ用いている。しかし、容積型ポンプを使用する限り、システム全体の小型化に限界があり体重80kg以下の患者に埋め込むのは難しいとされている。また、血液ポンプは左心・右心が交互駆動される方式で左右の流量の制御は独立でないため流量のバランスを保つことが難しく、システム内で発生する陽圧もしくは陰圧を消去するためのコンプライアンスチャンバーなどの容積補償機構が別途が必要なため、さらに小型化を困難にしている。

 そこで人工心臓システム全体の小型化とコンプライアンスチャンバーの問題などを解決するために次のような新しい原理の人工心臓を考案した。血液ポンプには容積型ポンプに比べて体積が小さい連続流ポンプを1つだけ用い、この連続流ポンプの入口と出口にそれぞれ血流の切り換え弁を設けて能動的に体循環と肺循環を切り換える機構である。入口側切り換え弁は左心房(left atrium:LA)と右心房(right atrium:RA)を切り換え、出口側切り換え弁は大動脈(aorta:Ao)と肺動脈(pulmonary artery:PA)を切り換える。時分割で体循環と肺循環を交互に行うため、結果的に生体に近い拍動流を得ることができる。この人工心臓は流れ変換型拍動流完全人工心臓(Flow Transformed Pulsatile Total Artificial Heart:FTPTAH)と命名し、図1に原理図を示す。体積の小さな連続流ポンプを用いることと同時にコンプライアンスチャンバーが不要となるため全体を小型化でき、ポンプを一方向に連続駆動するため効率が良く、生体に近い拍動流を得られ、左右の流量バランスも容易に保つことができるなど従来の人工心臓に比べて多くの利点を有する。

図1 図2-1 流れ変換型拍動流完全人工心臓の原理図

 水力学的に設計した機能モデル(図2)では模擬循環回路において平均大動脈圧100mmHg、平均肺動脈圧40mmHgの後負荷下で、大動脈と肺動脈の両方に対してそれぞれ8.3L/minの立ち上がりのよい流量波形の拍動流が得られた(図3)。米国の完全埋込型人工心臓の国家プロジェクトのプロトコールでは、ポンプ能力として平均大動脈圧110mmHg、肺動脈圧25mmHgに対して拍出量8L/min以上が要求されているが、本機能モデルはこれをほぼ満足する結果が得られている。

図表図2 流れ変換型拍動流完全人工心臓の機能モデル / 図3 模擬循環回路における流量波形と圧力波形

 本方式の人工心臓では血液ポンプが1つであるため左心系の酸素化血と右心系の非酸素化血が交互にポンプ内を通過する。その境界部分で発生する血液の混合がどの程度であるかが重要な問題であり、特に非酸素化血が体循環に送られることは極力避けるべきである。機能モデルでは平均混合率で30.6%の血液混合が発生した。そこで血液ポンプ内での血液混合を低減するために遠心ポンプのインペラーの形状を種々変更し、高速度ビデオを用いた流れの可視化により混合状態の解析を行った。その結果、インペラー上面と側面に医療用塩化ビニール(PVC)ペーストレジンで製作した軟質のベーンを装着した6本直線溝型インペラーが、インペラーを小型化したにも関わらず血液混合率を低減することができ、臨床上の混合の許容値である混合率20%とほぼ同等の20.9%を得ることができた。図4にPVCベーンを持つインペラーの設計図を示す。

図4 PVCベーンを持つインペラーの設計図(単位mm)

 血流切り換え弁は機能モデルにおいてはスプール弁を使用した。スプール弁はスラスト方向での流体内圧の圧力平衡が取りやすいことと、切り換え流路の設計が比較的容易なことが特徴である。しかし、弁シリンダー内をスプールが摺動するための間隙が構造上存在し、血液中で使用した場合に血栓の好発部位となる。抗血栓性に優れた構造とするためには摺動部や回転部を血液に接触させない設計が必要であり、図5に示す圧力平衡化ポペット弁を設計した。弁の軸がハウジングを貫通する摺動部を覆うブーツを圧力受圧部として利用し圧力平衡を取る機構とした。弁が上方に移動した位置は大動脈側を閉鎖する肺循環位置であり、弁が下方に移動した位置は肺循環側を閉鎖する体循環位置である。アクチュエーターにはソレノイドを用い弁位置を移動する期間のみ通電し、弁は移動したのちは永久磁石によりその位置を保持する。流体内圧の静的圧力平衡はスプール弁同様に取ることが可能となったが、後負荷である血圧の変動や揚力などの流体力への対策が必要であることも判明した。

図5 圧力平衡化ポペット弁の設計図(単位mm)

 以上より、流れ変換型拍動流完全人工心臓は、本システム特異の解決課題である血液混合の低減と血液適合性を持つ血流切り換え弁を開発することによって、従来とはまったく異なった新しい埋込型完全人工心臓の実現の可能性のあることが明らかになった。

審査要旨

 本研究は、将来の体内埋め込みを目指した人工心臓システムの機構についてなされたものである。生体心臓の機能を完全に代替する体内埋込型完全人工心臓は、1982年から1985年にかけて空気圧駆動のシステムを用いてClark氏やSchroeder氏に適用され最長622日の生命維持に成功している。しかし当時のシステムは駆動装置を体外に置いていたため空気チューブが皮膚を貫通しており、この貫通部位からの感染が死因のひとつの大きな原因であった。現在各国で研究開発途中にある体内埋込型完全人工心臓システムは、皮膚の貫通を避けるため、駆動装置を体内に置く電気駆動方式とトランスコイルによる経皮エネルギー伝送方式を採用している。国家プロジェクトとしての大規模な予算を背景として開発が進められている米国の三つの人工心臓システムは、現在世界で最も進んだ電気駆動方式の人工心臓システムであり、機構はそれぞれ独自であるものの血液ポンプに内容積100cc程度のサック型などの容積型ポンプを二個ずつ使用していることは共通している。しかし、容積型ポンプを基本としていることからシステム全体の小型化が困難であるという問題点を有する。

 本研究ではシステムの小型化を阻害する原因である二個の容積型ポンプの代わりに、占有容積の小さな連続流ポンプを一個のみ用い、時分割で体循環と肺循環を潅流するという新しい機構の人工心臓システムが提案された。連続流ポンプを用いることにより、他の多くのシステムがシステム内の空気容積量の変動分を補償する目的で必要とするコンプライアンスチャンバーが不要となり、かつ血液ポンプを一つしか必要としないことと合わせてシステム全体の小型化を実現できる可能性が明らかにされている。ポンプのアクチュエーターであるモーターの回転は、反転の必要がなく一方向で連続であることから、エネルギー効率にも優れたシステムとなると考えられる。生理食塩水を対象として設計・試作された機能モデルにおいては、模擬循環回路において生体に近い拍動流と日常生活を送るに十分な心拍出量を潅流できる結果を得ている。

 いっぽう、本人工心臓においては一つの血液ポンプの中を右心系の酸素化血と左心系の非酸素化血が交互に通過するため、その境界部分では血液の混合が発生するという解決課題が生じた。これに対しては、血液ポンプとして用いた遠心ポンプの流れの解析を実施し、ポンプ内での逆流・撹拌の少ないインペラー形状・構造を新たに設計することにより、血液混合率を日常生活に支障ない程度に低減できることが実験的に証明されている。また、血流を体循環と肺循環に分配する血流切り換え弁においては、小型化およびエネルギー消費の低減と血液適合性の高い構造の両立が要求された。これに対しては、静的圧力平衡を保つと同時に、弁室内部を抗血栓性の薄膜で覆う弁構造を新たに設計することで、血流切り換え弁として要求仕様を満たす基本機能が示されている。

 このように本研究では、体内埋込型完全人工心臓として従来にない新しい原理の人工心臓機構が提案され、機能モデルを設計・試作・評価することでその実現可能性が立証されている。同時に新しい原理に基づいていることに起因する本人工心臓独自の解決課題に対しても、その解決策を設計面から示している。今後研究開発を継続し、モーターなどの構成部品の小型化などを進めることで、本人工心臓は、システム全体の小型化が将来可能な点とエネルギー効率で有利な点で、先行している米国のシステムに十分対抗できるシステムとなる可能性があると考える。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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