学位論文要旨



No 111229
著者(漢字) 永田,良平
著者(英字)
著者(カナ) ナガタ,リョウヘイ
標題(和) 印刷技術を用いるバイオセンサーの開発
標題(洋)
報告番号 111229
報告番号 甲11229
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3473号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 輕部,征夫
 東京大学 教授 柳田,博明
 東京大学 教授 藤正,巌
 東京大学 助教授 宮山,勝
 東京大学 助教授 熊谷,泉
内容要旨

 本論文は、印刷技術を応用してバイオセンサーを製作することを目的とし、化学修飾した酵素を含むインキ組成物を種々調製し、それを印刷することによって製作されるバイオセンサーの開発に関するもので、5章より構成される。

 バイオセンサーは、生体分子の持つ特異的な分子認識能を利用して目的物質の定量を行なうものである。分子認識素子として種々の生体分子が用いられるが、最もよく用いられているのは酵素である。酵素は、生体内の様々な化学反応を、極めて特異的かつ効率的に触媒する。また、酵素は、一般的に穏和な条件で反応を進め、微量でも高い活性を有するので、これらの機能を応用し、さまざまな種類の酵素センサーが開発されている。これらは、糖尿病の血糖値のモニタリングだけでなく、食品などの品質管理、工業プロセスの計測、環境分析などの分野でも幅広く応用されている。

 すでにバイオセンサーの長所が広く認識されるに至り、産業分野だけではなく、家庭内でも利用したいという要望が高まっている。本研究では、バイオセンサーを作製する為に印刷技術を用いた。印刷技術によって、微細成形が可能であり、多成分測定用のチップを短時間のうちに大量に作製できるという利点を有している。センサーチップを印刷技術で作製する際に、分子認議素子として酵素をインキ組成物の一成分として用いた。その際、組成物中の酵素の失活が懸念されるが、これを防ぐ為に混合する他の成分の持つ物性についても検討し、迅速かつ簡易に組成物を印刷しセンサーチップを製作した。

 第1章は、緒論であり、本研究の行なわれた背景、及びその位置付けに重点を置き、本研究の意義と目的を述べた。

 第2章では、酵素をメディエーターで化学修飾して、酵素-電極間の電子伝達系の効率を改善した。この修飾酵素を含むインキ組成物を新しく調製し、印刷に供し、グルコースセンサーを製作することができた。調製した修飾酵素を用いる実験系が、グルコースセンサーの製作に応用できることを見いだした。

 酵素は、電極上での直接酸化還元反応を極めて起こしにくいことが知られている。そこで、酵素と電極の反応を仲介するメディエーターを用いることにした。メディエーターを用いてグルコース酸化酵素(GOD)の表面を化学修飾すると、GODの電極への電子移動反応の効率が向上することは1987年にA.Hellerらが報告している。本研究ではこの現象をセンサーの高感度化に応用しようと試みた。用いる酵素自身の安定性、電気化学的特性及び生化学的特性などを考慮し、グルコース酸化酵素(GOD)と、一般に用いられるメディエーターのひとつであるフェロセンカルボン酸を選んだ。フェロセン誘導体による修飾部位に着目し、新しい方法でフェロセン修飾型グルコースオキシダーゼを調製した。GODの糖鎖とフェロセンカルボン酸を結合させるためのヒドラジドの距離をパラメーターとして、4種類の修飾酵素を得た。これらを、3電極系(作用極、対極、参照極)を接続したポテンショスタットを用い、サイクリックボルタンメトリーで評価した。グルコースに対する電流応答値は、アジピン酸ヒドラジドを用いた修飾酵素の場合、最も大きく観測された。

 続いて、グルコースセンサーを印刷法で製作する為、必要となるインキ組成物を新しく調製した。すでに述べた修飾酵素を、その組成物の主要成分とした。インキ組成物は、酵素を失活させず、印刷適性、などに配慮して調製されなければならず、吟味した7種類の成分と修飾酵素を混合し、有機溶媒を含むインキ組成物を新しく調製した。厚さ120m、80メッシュ、5mm角のパターンを30有するスクリーン版にそのインキ組成物を載せ、剣先スキージ(硬度80、ポリウレタン製)を用い、金メッキした銅箔上に組成物をスクリーン印刷した。これを冷風乾燥後、印刷物(電極列)を短冊状に裁断し、グルコースセンサーを製作した。この電極の電気化学的特性を評価したが、この印刷電極は、メディエーターを新たに加えることなく、グルコースに対して十分な応答を示した。以上より、設計に従って調製した修飾酵素は、グルコースセンサーを製作する為のインキ組成物の主要成分として用いられることがわかった。

 第3章では、フェロセン修飾GODの特性をさらに詳細に検討し、その反応メカニズムを考察した。また、4成分からなる、インキ組成物を新たに調製した。その組成物を用いて、印刷された極の電気化学的特性、特に、グルコースセンサーとしての特性の検討を行ない、良好な結果を得た。

 フェロセンカルボン酸によるGODの修飾方法を工夫することにより3種類の修飾酵素を調製した。これら3種類の酵素をICP(誘導プラズマ結合発光分析装置)で分析した。ICP分析データより、各修飾酵素(fc-GOD)に共有結合したフェロセンに含まれる鉄原子の濃度が測定され、1分子のGOD当たり修飾されたフェロセンの平均分子数は20であった。約5分子のフェロセン誘導体は、GODの糖鎖に、また約15のフェロセン誘導体は、GODのアミノ酸残基のリシン残基に結合していると考えられた。また、化学修飾が酵素活性にどの程度の影響を与えるかについて調べた。修飾酵素は、未修飾酵素に比べると、80.5%の酵素活性を維持していることが分かった。

 さらに、サイクリックボルタンメトリーで3種類の酵素の電気化学的特性を評価した。以上、3種類の修飾酵素の中で、GODの糖鎖及びアミノ酸残基にフェロセンカルボン酸を導入した修飾酵素は、電気化学的に優れた特性を示した。

 続いて、修飾酵素の電子伝達メカニズムを調べた。修飾酵素溶液の電気化学特性と分光学的特性を同時に評価する為にマイクロセルを製作した。2枚の石英ガラスに挟んだプラチナメッシュの三方をエポキシ樹脂でシールし、容量が約60lのセルを作製した。このセルに修飾酵素を注入し、ラギンキャピラリーを介した参照極および対極を併設した。アタッチメントとセルを分光光度計のチャンバー内に設置し、マイクロセル内で起こる修飾酵素とグルコースの酸化還元反応のサイクリックボルタモグラムと、吸収スペクトルを同時に測定することができた。フェロセンの酸化還元状態に由来するピークの一つ(275nm)はフェロセンが酸化されると増加し、還元されると減少することが確かめられた。グルコースが共存しない系では、フェロセン修飾GODのフェロセン部分と電極の間で、直接酸化還元反応が起こった。一方、グルコースが存在し、サイクリックボルタモグラムの酸化方向に電位を掃引する条件下では、酵素反応により、グルコースが酸化される。それと同時にフェロセン修飾GODのフェロセン部分は、メディエーターとして機能し、還元体となり、電子を電極に放出すると考えられた。しかし、還元方向に電位を掃引する条件下では、酵素反応は起らず、修飾GODのフェロセン部分のみが電極より電子を受け取り、フェロセンが還元されると解釈された。

 この修飾酵素を凍結乾燥法で、粉末状にし、インキ組成物を調製した。次に、修飾酵素(粉末)、有機溶媒、親水性樹脂及び疎水性樹脂のわずか4成分からなる、新しくグルコースセンサーを印刷する為のインキ組成物を調製した。これを用いて電極を印刷し、これの電気化学的特性、特にグルコースセンサーとしての特性の検討を行ない、良好な結果を得た。

 第4章では、化学修飾した酵素溶液をそのまま用い、親水性樹脂、及びアルコールを混合したインキ組成物を調製し、微量の試料で測定のできるグルコースセンサーを開発した。

 すなわち、微量(100l)の試料溶液で測定のできる構造を有する印刷電極を設計・開発した。また、インキ組成物についても、その調製方法に改良を加え、印刷適性、電極製作の効率、操作性などにも大きな進展が見られた。電流応答値の十分な再現性も得られ、印刷電極の電気化学的性質も一通り調べることができた。

 第5章は総括であり、本研究を要約し、得られた結果をまとめた。

 本研究では、酵素を化学修飾し、酵素を揮発性有機溶媒に混ぜ、印刷用インキ組成物とし、これを用いて新しいグルコースセンサーを印刷するに至った。本研究によって解明された点も多く、バイオセンサーを大量に生産するための基礎資料を得ることができた。これはバイオセンサーを一般の家庭に普及させるのに大きく貢献するものと考えられ、その意義は極めて大きい。

審査要旨

 本論文は、印刷技術を応用してバイオセンサーを製作することを目的とし、化学修飾した酵素を含むインキ組成物を種々調製し、それを印刷して製作されるバイオセンサーに関するもので、5章より構成されている。

 第1章は、緒論であり、本研究の行なわれた背景と、本研究の意義と目的を述べている。

 第2章では、グルコースセンサーを構築するために、酵素としてグルコースオキシダーゼを用い、また酵素反応と電極反応を効率良くする為のメディエーターとしてフェロセンカルボン酸を用いている。新たに考案した化学修飾法に従いフェロセンカルボン酸で酵素を修飾し、フェロセン修飾型グルフースオキシダーゼを調製している。この修飾酵素は、酵素反応に伴う電極への電子伝達反応がより効率よく進むことが期待され、グルコースセンサーへの応用を試みている。このグルコースセンサーを印刷法で製作するために、酵素の失活防止、印刷適性などの点に配慮し、7種類の成分と既述の修飾酵素を混合し、有機溶媒を含む新しいインキ組成物を調製している。その組成物を、金メッキした銅箔上にスクリーン印刷法で塗布し、冷風乾燥後、一列に印刷された電極を一つずつ短冊状に裁断してグルコースセンサーを製作している。この印刷電極の電流値はグルコース濃度に対して相関を示すので、調製した修飾酵素が、グルコースセンサーを製作する為のインキ組成物の主要成分として採用できることを見いだしている。

 第3章では、その修飾酵素の特性をさらに詳細に検討する為に、フェロセンカルボン酸によるグルフースオキシダーゼの修飾方法を工夫し、3種類の異なる修飾酵素を調製している。これらの修飾酵素を誘導プラズマ結合発光分析装置、及びサイクリックボルタンメトリーで分析した結果、最も多くのフェロセンカルボン酸を導入した修飾酵素がグルコースセンサー用インキ組成物として最適であることを見いだしている。さらに、化学修飾法が酵素活性にどのような影響を与えるかについて調べている。修飾酵素は未修飾酵素に対して80.5%の酵素活性を維持しており、グルコースセンサーに用いるには十分な触媒能力を有していることを確かめている。また、修飾酵素溶液の電気化学的特性と分光学的特性を同時に測定するために石英製の微小セルを製作し、そのセル内部の修飾酵素の酵素反応及びその電子伝達反応のメカニズムについても詳細に考察している。

 この修飾酵素を凍結乾燥法により粉末状にし、有機溶媒、親水性樹脂及び疎水性樹脂と共に、わずか4種類の成分からなるグルコースセンサー用インキ組成物を新しく調製している。この組成物と印刷技術を用いて電極を製作し、グルコースセンサーとしての応答特性について検討を行ない、良好な結果を得ている。

 第4章では、第3章の印刷電極を製作する際に、測定に必要な試料溶液の容量が多い、またインキ組成物の調製に時間を要する、といった問題点を指摘している。これらを解決するため、微量(100l)の試料溶液で測定のできる構造を持った印刷電極を設計・製作している。第3章までは修飾酵素を凍結乾燥法により粉末状にしてインキ組成物を調製していたが、本章では透析法による精製の終った酵素溶液をそのまま用い、親水性樹脂及びアルコールと共に混合したインキ組成物を効率良く調製している。この3種類の成分で構成されるインキ組成物から製作される印刷電極は、印刷適性、電極製作の効率、測定上の操作性、電流応答値の再現性などの点で大きく改善されたことを示している。

 第5章は総括であり、本研究を要約し、得られた結果をまとめている。

 このように本論文では、印刷技術を応用してグルコースセンサーを製作するために、化学修飾酵素を新たに設計している。調製した酵素はセンサーに用いる上で良好な特性を示した。この修飾酵素を含むインキ組成物とスクリーン印刷法により効率的かつ簡便にセンサーを製作している。また、修飾酵素は高い基質認識特異性を有し、基質と反応する際にメディエーターを介して電子を電極に伝達する機能を持っているので、製作されたセンサーは単純な構造にもかかわらず良好な応答特性を持つことを見いだしている。そして、将来この印刷技術を用いてバイオセンサーを大量に生産するための有益な基礎資料を提供している。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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