これまでに行われた多くの研究によって、新製品が成功するためには、広告などのマーケティング変数だけではなくて、クチコミやデモンストレーション効果などの、いわゆる「消費者間の相互作用」が極めて重要であることが見いだされてきた。しかし、広告などに関する研究と比較して、消費者間の相互作用についての研究自体の蓄積が少ない。特に、その影響のメカニズムについての研究例はほとんどみられない。本研究の目的は、広告と対比してマーケティング研究において重要であると考えられる「クチコミ」に注目し、「消費者の意思決定におけるクチコミの影響のメカニズム」を分析することである。 ただし、本研究では、特定の製品カテゴリを取り上げるのではなく、消費全般もしくは、より抽象的なレベルで分析を進めた。そうしたのは、消費者の意思決定におけるクチコミの影響のメカニズムに関する、より一般的な法則もしくは因果関係を見い出したいためである。 I章では、まず本研究の興味の中心を明確にするために、関連研究をレビューし、得られている知見をまとめ、本研究の研究対象を定義した。 II章では、日本の市場におけるクチコミの実態を企業と消費者の両面から把握した。事例や社会調査の分析、グループ・インタビューなどによって、クチコミについて次のような実態が明かとなった。 広告を比較した場合、クチコミは接触頻度が低い割に信頼されている。クチコミの利用率は必ずしも高くはないが、広告と比べると幅広いカテゴリについてまんべんなく利用されている。特にサービスについては利用率が高い。 クチコミによる情報探索によって、一人の相手から、複数のブランドについて、客観的な情報だけではなくて、評価についての情報も伝達されている。さらに、負の評価も伝達される。また、これはある意味では当り前のことだが、クチコミは日常的に会っている者(会社や学生時代の友人など)との間で行われている。つまり、消費者は周囲の他の消費者についても、だれがどんな情報に詳しいのか、そして自分の好みに近いのは誰なのかということを認識している。このために、ある問題について情報が必要になった場合には、その問題について、より参考となる情報をもっている人に尋ねることができる。つまり、専門家のように「知識」が豊富というだけではなくて、自分と「選好」が類似している人がクチコミの相手とされている。さらに、クチコミには情報の探索という側面とあわせて、情報の発信という面がある。 III章では、先行研究のレビューおよび実態より得られた知見に基づいて、クチコミを規定する要因を抽出した。個人的な要因として「関与」と「知識」、社会的な要因として「一次集団」と「二次集団」を取り上げた。そして、クチコミによる情報探索と広告による情報探索と対比させながら、また、クチコミによる情報の発信についても考慮して仮説を設定した。これらを「クチコミの消費者行動モデル」に統合し、アンケート調査の結果(20代の男女1523サンプル)を共分散構造分析することによって、諸仮説を検証した(図表1、2)。 図表1 クチコミの規定要因図表2 クチコミの規定要因についての仮説と検証のためのパラメーター、検証の結果 クチコミによる情報探索は、関与や知織/経験の水準と正の相関がある(HP1、HP3)。広告情報の探索は、知識/経験水準とは相関がないが、クチコミ情報の探索と知識/経験との間には正の相関がある(HP3)。また、クチコミによる情報の発信は、関与、知識/経験と正の相関がある(HP2、HP4)。このことは、消費者は単に探索して得た情報を再転送するだけではなくて、知識/経験に基づいた情報をも発信していると解釈できる。また、クチコミによって得られた情報は、さらに他の消費者へと広がりやすい傾向がある(HP5)。クチコミ情報を探索する者は、広告情報を探索する者よりも、よりクチコミの影響を受けている(重視している)(HP6)。クチコミの影響を受けた者ほど、クチコミによる情報を発信している(HP7)。 また、クチコミによる情報の探索、発信ともに、個人的な要因のみならず、社会的な要因によっても規定されている(HS1、HS2)。 IV章では、「クチコミは、社会的関係(social relationship)に規定された者との間で行われる」という点に注目し、クチコミが意思決定に与える影響のメカニズムを考察した。ここでは、まず「クチコミの相手は社会構造に規定された友人などであり、信頼度の高い情報を提供してくれる者を情報源として選択することが可能である。このため、結果として得られる情報の信頼度も高くなり、意思決定に与える影響も大きくなる」との仮説を設定した。これを「情報の経済学」における情報システム・モデルのフレームと、ベイズ学習モデルを用いて記述することによって、仮説を導出した。そして、消費者を対象とした実験(ゲーミング)によって、これらの仮説を検証した(図表3)。 図表3 信頼の形成過程に関する仮説と検証結果 この結果、消費者は社会的関係に規定された相手と繰り返しつき合うことによって、情報源の信頼度についての信念を形成していること(H1)、過去の予測があたった割合の高い情報源の方が信頼度が高くなること(H2)、予測があたった割合が同等ならば、つき合いが長い情報源からの信頼度が高くなること(H4)が示された。ただし、試行の回数、これに占める予測の成功の回数が同一ならば、より近い時点において、成功回数が多い情報源ほど信頼度が高くなることが示された(H3、H3)。このため、これらの結果については、成功回数の分布が同一ならば、という条件をつけて解釈することが必要である。 以上、本研究ではまず、これまでの知見や実態を勘案してクチコミを規定する要因について統括的な分析を行った。そして広告とクチコミの本質的な違いは、クチコミの相手が社会的に規定された消費者であることに着目して、経済学的なアプローチによって情報源(クチコミの相手)についての信頼度が形成される「過程」について分析した。つまり、本研究は消費者間の相互作用をより多面的な角度から分析して現象の本質を抽出した上で、クチコミの影響のメカニズムを考察した。このようにして得られた知見は次の4点に集約できる。 (1)「消費者はクチコミによる情報探索、情報発信を通じて相互作用している。これは消費者の意思決定に対して大きな影響を与える。伝達された情報や経験は、さらに他の消費者に対しても再伝達される。」 クチコミによる情報の探索は、広告では得られない情報もしくは広告などで情報を探索し、知識/経験を蓄積した上で、それでも不足している情報を補完するために行われていると解釈できる。クチコミによって得られる情報には、製品・サービスなどの客観的な属性のみでなく、それらについての評価も含まれる。この評価は製品・サービスに対して好意的な正の評価ばかりではなくて、否定的な負の評価の場合もある。負の評価は正の評価よりも消費者の意思決定に対して大きな影響を与える。また、クチコミには情報の探索という側面と情報の発信という側面があり、クチコミからの情報探索によって得られた情報は、さらに他の消費者へと発信され、社会全体へと情報が伝達される。 (2)「クチコミは個人的な要因と社会的な要因によって規定される。」 クチコミによる情報探索、情報発信ともに、関与と知識/経験という個人的な要因のみならず、一次集団もしくは二次集団といった社会的な要因によっても規定される。関与水準や知識/経験の水準が高い場合には、クチコミによる情報探索、クチコミによる情報発信がより活発に行われる。社会的な要因については、その種類によってコミュニケーションの形態が異なる。すなわち、一次集団については情報探索、発信ともに行われるのに対して、二次集団については情報の探索は行われず、発信のみが行われる。 (3)「クチコミによる情報交換によって消費者は、情報源の信頼度についての信念を形成する。この信頼度は相手と自分の好みの一致度、つき合いの長さなどに依存する。」 クチコミの相手は友人などの社会的な関係に規定された者である。よって、日常の情報交換を通じて、相手の好み、特性などを把握できる。つまり、消費者は、客観的に「あたり/はずれ」が評価可能な選択肢のみならず、「よい製品」「よくない製品」のように評価が分かれるような場合(選択肢の評価が主観的に決定される場合)にも、周囲の消費者と繰り返し情報を交換することによって、この主観的なあたり/はずれの評価が一致する消費者を見いだしている。つまり、ここでの実験でのくじの予測の成功回数とは、「相手と自分との好み(評価もしくは選好)の一致度」と解釈することができる。つまり、クチコミの相手は、専門家などのように知識水準が高いというだけではなくて、「自分と同じ選好をもつ者」なのである。 (4)「消費者は情報源の信頼度を手がかりとして選択肢の不確実性を低下させる。」 消費者が不確実な選択肢に直面した場合、クチコミの相手(情報源)の信頼度を手がかりとして、選択肢の不確実性を低下させることができる。ただし、クチコミによる情報伝達は、単に情報を伝達し、不確実性を低下させるだけではなく、「相手と自分との好み(評価もしくは選好)の一致度」つまり、選好をも反映している。 本研究によって、クチコミによる情報探索と情報発信を規定する要因、クチコミと広告との違いが明らかになった。また、クチコミは社会的な関係に規定された者が相手であることによって、意思決定に対して大きな影響を与えているということが示された。 |