本論文は、水-有機溶媒系における糖類の酵素的生産に関するもので、オリゴ糖の新しい生産方法や、その将来的な応用への手がかりを見いだすことを目的として行われた研究で、7章より構成される。 酵素は、その複雑な立体構造を巧みに利用して触媒活性を示す。この活性を示す高次構造は、酵素分子のまわりの水分子によって維持されていると考えられるので、酵素反応は水溶液中でのみ起こると考えられていた。しかし、酵素は微量の水を含有する有機溶媒中においても、比較的安定に反応を進めることがわかってきた。そこで、本研究では、様々な糖類と加水分解酵素を用いて、疎水性もしくは親水性有機溶媒系中で反応を行わせ、オリゴ糖の新しい生産方法を見い出し、その生成物の将来の応用への手がかりを見い出すことを目的とした。 第1章は、緒論であり、本研究の行われた背景と本研究の目的および意義を述べた。 第2章は、天然多糖類の酵素加水分解反応を水-ドデカン二相系で行い、その反応効率や生成物を従来の水溶液系のものと比較することにより、疎水性有機溶媒系における多糖類の酵素加水分解反応の特徴を述べた。 水および疎水性有機溶媒からなる二相系において、各種の多糖類を酵素加水分解させ、反応生成物を高速液体クロマトグラフィー(HPLC)で分析した。多糖類として、寒天、キチン、キシランおよび澱粉を、有機溶媒としてドデカンを用いた。その結果、寒天、キチンおよび澱粉では、反応系中の含水率が約5〜10vol%の範囲で加水分解率が最大となり、ベル型の加水分解曲線が得られた。キシランの加水分解も5vol%の水を含むドデカン中で反応が促進された。さらに、澱粉の加水分解を10vol%の水を含むドデカン中で行い生成物を分析した結果、マルトペンタオース(G5)が特異的に生成することがわかった。これは水溶液中ではみられない現象であった。また、キチンの加水分解では10vol%の水を含むドデカン系で、90℃で加熱前処理をすると、分解率が水のみの系の約4倍まで向上することがわかった。しかし、水のみの系では熱処理による効果が全く見られなかった。以上のことから、水-疎水性有機溶媒系における多糖類の酵素加水分解において、所定の含水率のとき加水分解率が特異的に向上することが明らかとなった。 第3章は、第2章で用いた基質のうちで、多くの研究がなされている澱粉に着目し、疎水性有機溶媒系における酵素の安定性、および基質構造の変化を調べるとともに、反応系への界面活性剤の添加、および酵素固定化による活性の安定化について検討した。 水-疎水性有機溶媒系において、多糖類の加水分解率が水のみの系よりも向上する理由として、(1)酵素活性の増加、(2)基質結晶構造の変化、が考えられる。そこで、水-疎水性有機溶媒系における酵素活性を調べるために、-アミラーゼを用いて活性の変化を測定した。その結果、10vol%の水を含むドデカン中では、酵素の活性半減期は約3時間で、20時間後には完全に失活し、非常に不安定であることがわかった。一方、酵素を含まない水10vol%のドデカン中に澱粉を添加して一定時間撹拌後、基質の結晶構造を走査電子顕微鏡で観察した。その結果、10vol%の水を含むドデカン中では澱粉粒子は微細化し、表面積が顕著に増大しているのに対し、水のみの系では膨潤し部分的に微細化されていた。このことから10vol%の水を含むドデカン中で酵素反応を行うと、澱粉粒の結晶構造が変化し、その表面積が増大するので、酵素作用を容易に受けることが示唆された。次に、反応系に界面活性剤を添加して、ドデカン中での酵素の安定化について検討した。その結果、AOT(bis(2-ethylhexyl)sodium sulfosuccinate)と、Tween60(polyoxyethylene(20)sorbitan monopalmitate)が酵素の安定化に有効であることがわかった。さらに、酵素の固定化による安定化についても検討した。アルギン酸カルシウムゲルビーズとキトサンビーズに、それぞれ酵素を包括および物理的吸着で固定化させた結果、どちらの固定化法においても酵素の安定化が可能であった。 第4章は、マルトースを基質として、有機溶媒系でサイクロデキストリン合成酵素(CGTase)によるサイクロデキストリン(CD)の新しい合成法を述べた。 CGTaseは、CDの合成ばかりでなく、その高い糖転移能を利用し新規なヘテロオリゴ糖の合成研究にも利用されている。しかし、これらの研究は直鎖オリゴ糖の合成に限られており、低分子糖からのCD合成は行われていない。低分子糖からCDを合成できれば、ヘテロCDの分子設計が可能になると考えられる。そこで、将来的なヘテロCD合成のモデル実験として、マルトースを基質に、有機溶媒系でCDの酵素合成を試みた。 まず、20wt%のマルトース水溶液にCGTaseを作用させ、反応生成物をHPLCで分析したところ、各種マルトオリゴ糖のピークが得られた。この溶液にグルコアミラーゼを添加して直鎖オリゴ糖を加水分解させると、最終生成物はグルコースのみになったことから、水溶液系ではCDが生成されないことがわかった。次に、反応系に疎水性有機溶媒のシクロヘキサンを約44vol%になるように添加して、同様の実験を行ったところ、反応の進行とともに沈殿物が生成した。シクロヘキサンはCD環内に包接されるとが知られており、この沈殿物はその包接化合物であると考えられた。そこで、この沈殿物を分析すると、グルコアミラーゼにより分解されないピークがクロマトグラム上に現れ、このピークの保持時間が-CDの標準物質と一致したことから、-CDが合成されたことを確認した。しかも、澱粉からの合成では通常-,-および-CDがそれぞれ一定比率で生成されるが、本方法では-CDが特異的に合成されることが明らかとなった。さらに、シクロヘキサン以外の各種有機溶媒系におけるCDの合成を試みた結果、ヘキサン、ドデカンなど直鎮炭化水素以外の溶媒系でも-CDの合成が可能であることが明らかとなった。 第5章は、基質として澱粉およびプルランを用い、それぞれエタノールなどの親水性有機溶媒系で酵素加水分解反応を行うことにより、従来の水のみの系では生成が困難であった高重合度オリゴ糖の効率的な生産方法について述べた。 一般に市販されているオリゴ糖は、重合度2〜5程度の低分子オリゴ糖が中心である。本章では、多糖類の酵素加水分解反応に、エタノールなどの親水性有機溶媒系を用い、反応の平衡状態を制御することにより、高重合度オリゴ糖を効率的に生産する検討を行った。 まず、澱粉と遊離の-アミラーゼを用いて、反応系のエタノール濃度の生成物への影響について検討したところ、オリゴ糖への変換率はエタノール濃度の増加によって急速に減少した。これはエタノールによる酵素の失活が原因と考えられた。そこで、キトサンビーズに酵素を固定して同様の検討を行った。その結果、エタノール濃度の増加とともに変換率も向上し、50vol%エタノール系では4糖以上のオリゴ糖が著しく増加した。エタノール濃度をさらに上げると、生成物は次第に沈殿した。さらに、80vol%エタノール系の場合、水のみの系ではほとんど得られない重合度6以上のオリゴ糖が、高比率で生成することがわかった。 次に、プルラナーゼによるプルランの加水分解を試みた。これまで、プルランを用いた研究は多数あるが、プルランオリゴ糖(POS)に関する報告は極めて少ない。本章では、主としてエタノール系における高重合度POSの効率的な生産を試みた。水溶液系でプルランにプルラナーゼを作用させると大部分がマルトトリオース(G3)となった。一方、30vol%エタノール系で反応させると、G3を1単位とした高重合度POSか多種類生成した。エタノール濃度の影響を調べた結果、40vol%エタノールのときにオリゴ糖変換率が最大で約80%になることがわかった。この反応液をHPLCで分析した結果、グルコースの重合度で6〜54までの高重合度POSが得られた。 以上の結果から、エタノールなどの親水性有機溶媒系において多糖類の酵素加水分解反応を行わせると、従来の水溶液系では生成が困難な高重合度オリゴ糖を効率的に生産させることが可能である。 第6章は、第5章で生産された高重合度プルランオリゴ糖の用途開発をするための基礎的検討として、これの様々な微生物による資化性について述べた。 使用した菌は、ブドウ球菌、枯草菌、大腸菌、乳酸菌、酵母菌および、口腔内細菌である。炭素源がプルラン、POS、グルコースおよび無添加の各培養液に植菌後、濁度測定法で増殖曲線を作成した。その結果、プルランおよびPOSは、ともに微生物にとって難資化性で、特にPOSは単球菌と大腸菌には資化され難く、乳酸菌には資化され易いという特性を持つことが明らかとなった。 第7章は総括であり、本研究を要約し得られた研究結果をまとめた。 本研究では、水-有機溶媒系における糖類の酵素生産、酵素反応の特性およびオリゴ糖の新しい生産方法や、それらの将来的な応用への手がかりを見いだすことができた。本研究で得られた新しい知見は、水-有機溶媒系における糖類の酵素生産に関する新規の基礎資料を提供するものであり、今後この分野における研究の発展に極めて貢献するものと期待される。 |