近年、殺菌剤に対して耐性を獲得した植物病原菌が圃場で蔓延し、薬剤の病害防除効果の低下を招いたという事例が世界各国で報告されている。こうした耐性菌問題は農作物の安定生産を脅かすだけでなく、農薬の過剰使用によって環境保全を大きく損なう可能性もあり、今日、農業をとりまく諸問題の中でも特に重大なものである。総合的病害虫管理(Integrated disease management;IDM)を進める上で、今後とも殺菌剤の利用がその主力である以上、耐性菌問題を克服し薬剤の使用量を必要最小限に抑える努力が必要である。耐性菌問題に対しより合理的な対抗策を構築するためには、耐性メカニズムの分子生物学的解析や耐性菌の発生生態に関する基礎的知見が必要とされる。このような現状に鑑み、優れた浸透性殺菌剤でこれからも持続的かつ効果的な使用が望まれるベンズイミダゾール系薬剤及び脱メチル化阻害剤(DMI剤)に対する植物病原菌の薬剤耐性に関して、以下の研究を行った。
1.カンキツ緑かび病菌のベンズイミダゾール系薬剤耐性 ベンズイミダゾール系薬剤の作用機作は、薬剤が微小管を構成するタンパク質であるチューブリンのサブユニット(-チューブリン)に結合し、その重合を阻害することにあると考えられている。また、ベンズイミダゾール耐性のメカニズムは-チューブリン遺伝子の変異に起因する-チューブリンと薬剤との親和性低下であると考えられている。そこで、実際の農業場面で問題となるカンキツ緑かび病菌のベンズイミダゾール耐性菌を供試し、-チューブリン遺伝子の変異の解析を試みた。
(1)病原菌の分離・同定と薬剤感受性 東京都内及び神奈川県内において採集した腐敗カンキツより計24株の菌株を分離し、子実体や菌そうの形態及び病原性を標準菌株と比較して、いずれもカンキツ緑がび病菌と同定した。各菌株について、ベンズイミダゾール系薬剤の一つであるベノミルに対する感受性を寒天平板希釈法で検定したところ、最小生育阻止濃度(MIC:ug/ml)の差異によって感受性菌9株(MIC:<0.19)と中等度耐性菌15株(MIC:50)に類別された。また、接種試験の結果、中等度耐性菌は通常の薬剤散布濃度では全く防除できないことが示された。
(2)-チューブリン遺伝子の全塩基配列の決定と耐性菌における点突然変異の同定 ベノミル感受性の異なるカンキツ緑かび病菌3菌株を実験に供試した。感受性菌株PD5と中等度耐性菌株LC2は(1)で腐敗果実より分離した菌株であり、高度耐性菌株DI-M13(MIC:>800)はミシガン州立大学のJones博士より分譲していただいた圃場分離株である。
-チューブリン遺伝子の全塩基配列の決定は以下の方法で行った。まず、-チューブリン遺伝子のアミノ酸105-418番目に相当する部分をPCRによって増幅した。用いた縮重プライマーは、既報の糸状菌-チューブリン遺伝子のアミノ酸配列保存領域をもとにデザインした。次いで、菌体の全DNAを制限酵素Hae IIで切断しセルフライゲーションにより環状化した後、5’側アンチセンスプライマー(アミノ酸133-139番目に対応)と3’側センスプライマ-(アミノ酸395-401番目に対応)を用いてInverse PCR(IPCR)を行った。PCR及びIPCR増幅産物の塩基配列を決定し、両塩基配列を連結することによって-チューブリン遺伝子全長を含むHae II断片(2.3kb)の塩基配列を得た。カンキツ緑がび病菌の-チューブリン遺伝子(1809bp)は、7つのイントロンを持ち447個のアミノ酸をコードすると推定された。また、ゲノミックサザン解析により本菌は単一の-チューブリン遺伝子を持つことが示唆された。
菌株間で-チューブリン遺伝子の全塩基配列を比較したところ、感受性菌株PD5と比べて、中等度耐性菌株LC2と高度耐性菌株DI一M13のそれぞれに異なる1塩基置換を見いだした。中等度耐性菌株LC2では、200番目のコドンがTTCからTACに変異しており、対応するアミノ酸はフェニルアラニンからチロシンに置換していた。一方、高度耐性菌株DI-M13では、既にKoenraadtら(1992)が報告した198番目のコドン内の1塩基置換GAG→AAG(アミノ酸ではグルタミン酸からリシンへの置換)を確認した。
(3)対立遺伝子特異的PCR(ASPCR)による-チューブリン遺伝子の点突然変異の検出 ASPCRは、鋳型DNAとプライマーのミスマッチに起因するPCR増幅効率の極端な低下を指標にして、鋳型DNAの持つ点突然変異を検出する方法である。そこで、(2)で同定した-チューブリン遺伝子の1塩基置換をASPCRによって検出することを試みた。ASPCRプライマーP200SとP200Rは、それぞれ感受性菌株PD5と中等度耐性菌株LC2の-チューブリン遺伝子に相補的で、かつその3’末端が200番目のコドンの中央の塩基(中等度耐性菌株LC2の塩基置換部位)に対応するように設定した。これらのプライマーと共通プライマーKA2を用いてASPCRを行なうことにより、中等度耐性菌株LC2と高度耐性菌株DI-M13の1塩基置換を増幅産物の有無で検出することに成功した。
ASPCR増幅パターンによって-チューブリン遺伝子の2つの点突然変異を検出することができたので、この方法をさらに多くの圃場分離株に適用することとし、日本各地で分離されたカンキツ緑かび病菌計61菌株をASPCRに供試した。その結果、21菌株が感受性菌株PD5と同じ増幅パターンを、40菌株が中等度耐性菌株LC2と同じ増幅パターンを示した。一方、高度耐性菌株DI-M13と同じ増幅パターンを示す菌株は認められなかった。そこで、各菌株についてベノミル添加培地を用いた感受性検定を行なったところ、ASPCR増輻パターンから推定された表現型と完全に一致した。
以上のことから、-チューブリン遺伝子の200番目のコドンに点突然変異(TTC→TAC)を持つベノミル中等度耐性菌が、日本国内に蔓延していることが明らかになった。非植物病原菌のベノミル耐性変異株では、200番目以外にも様々なコドンの変異が報告されているが、本菌の耐性圃場分離株では唯一の遺伝子型だけが検出された。恐らく、200番目以外のコドンの変異は菌の生存能力に悪影響を及ぼすため、そのような変異を持つ菌株は自然環境下では生存できないものと思われる。
2.カンキツ緑かび病菌及びリンゴ黒星病菌の脱メチル化阻害剤耐性 DMI剤はベンズイミダゾール系薬剤と対照的に、従来、耐性菌出現の危険性が低い殺菌剤であると考えられていたが、ここ数年海外を中心に多くの病原菌でDMI剤耐性菌の出現が報告されるに至り、我が国でも楽観視できない現状となった。そこで、これまでに我が国では耐性菌の出現が知られていない2種の植物病原菌について、圃場における耐性菌の発生生態を調査した。
(1)イマザリル耐性カンキツ緑かび病菌の検出 我が国では、カンキツ緑かび病菌の防除にイマザリルなどのDMI剤は使用されていない。そこで、日本各地より収集した本菌50菌株を用いてイマザリルに対する感受性を寒天平板希釈法で検定し、これらを本菌のイマザリルに対するベースライン感受性とみなした。感受性検定の結果、50%生育阻止濃度(EC50:ug/ml)は0.038-0.200の範囲で1峰性の頻度分布を示し、その平均値は0.139であった。また、全ての菌株のMICは0.78以下であった。次に、輸入カンキツより分離した15菌株について同様にイマザリル感受性を検定したところ、EC50>1、MIC=12.5の感受性値を示して明らかにベースラインを上回るイマザリル耐性菌を9菌株検出した。
(2)リンゴ黒星病菌のフェナリモル感受性の経年変化 長野県内のDMI剤散布歴のない圃場からリンゴ黒星病菌を50菌株分離し、DMI剤の一つであるフェナリモルに対する感受性を寒天平板希釈法で検定した。その結果、EC50は0.008-0.086の範囲で1峰性の頻度分布を示し、その平均値は0.034であった。これらを本菌のフェナリモルに対するベースライン感受性とみなし、DMI剤防除歴のある圃場から分離される菌株のフェナリモル感受性を経年的に調査した。菌株の採集は、長野県内の3圃場で1990年(DMI剤使用後3年経過)と1992年(同5年経過)の2回行った。いずれの年のフェナリモル感受性も1峰性の頻度分布を示し、ベースライン感受性と比べて耐性方向への菌密度の移行は認められなかった。なお、比較対照のため海外で分離されたフェナリモル耐性菌株を用いたが、そのEC50は1以上であった。
以上を要するに、本研究はカンキツ緑かび病菌のベンズイミダゾール系薬剤耐性が、本薬剤の作用点である-チューブリンの1アミノ酸置換によることを明らかにし、これに基づいた新たな耐性菌の遺伝子診断法を開発するとともに、我が国におけるカンキツ緑かび病菌及びリンゴ黒星病菌のDMI剤耐性菌の発生生態を調査したものであり、耐性菌問題に対して合理的な対策を講ずるための基礎となる重要な知見を得ることができた。