審査要旨 | | C4植物は,クランツ構造と呼ばれる,維管束鞘細胞が発達した葉構造を持ち,維管束鞘細胞と葉肉細胞間で,炭素代謝機能を分業させることで効率の良い炭酸固定を行い,高い光合成速度を維持している。C4植物の光合成特性をC3植物に導入するのが困難なのは,C4植物の葉では,上記のような形態と代謝機能の関連性が極めて密であり,これらの一方が欠けてもC4光合成が機能できないためと考えられる。近年,カヤツリグサ科ハリイ属のEleocharis viviparaという植物が,陸上ではC4植物的な形態と光合成代謝をとり,水中ではC3植物的となることが報告された。本論文は,この植物を用い,形態と代謝機能の発現の相互関係に注目して,C4光合成の発現機構を探ろうとしたものである。 得られた結果の概要は次のとうりである。 1.E.viviparaは,葉が退化しているため稈が光合成器官となっている。稈基部の分裂組織で形成された細胞の伸長過程で,陸生型では葉肉細胞と維管束鞘細胞の両方が肥大化していくのに対し,水生型では維管束鞘細胞の肥大化がほとんど起こっていなかった。 2.陸生型植物を,空気を通気した水中に沈め,植物体が水生型へと変換していく過程の形態的及び生化学的変化を調べた。沈水前にすでに形成されていたと考えられる稈組織では陸生型の内部形態を示し,沈水後に形成された稈組織では水生型に類似した形態を示していた。 沈水後7週間を経過すると,すでに形態的には水生型に変化していたが,PEPCの活性は陸生型植物と水生型植物の中間にあり,また,C4回路も駆動していると考えられた。しかし,沈水後15週間以上経過した植物体では,炭酸固定酵素の活性とC4回路の駆動が,水生型とほぼ同じレベルを示すようになっていた。このように,沈水処理によって陸生型植物は徐々にC3植物に変化するが,その変化が完了するには比較的長い時間を要すること,また,形態の変化と炭素代謝経路の変化とは時間的に同調していないことが明らかとなった。 3.炭酸固定酵素遺伝子の発現様式をin situハイブリダイゼーションによって観察し,クランツ構造の形成と炭酸固定酵素遺伝子の発現の組織特異性との関連を検討した。稈の形態形成初期には,陸生型植物でも水生型植物でもRubiscoの小サブユニット(rbcS)遺伝子の発現は葉肉細胞にのみ見られた。しかし陸生型植物では,維管束鞘細胞が発達するにともなって維管束鞘細胞にrbcS遺伝子が強く発現し,その後,pepc遺伝子が葉肉細胞に強く発現してきた。また,pepc遺伝子の発現は,維管束鞘細胞に近い葉肉細胞から時間的に早く起こり,pepc遺伝子の発現に関しては維管束鞘細胞の発達が重要な要因きなっていると考えられた。 4.次に,陸生型を水中に沈めた直後に伸長してくる稈においてin situハイブリダイゼーションを行い,陸生型植物から水生型植物への変化に伴う炭酸固定酵素遺伝子の発現様式を観察した。葉肉細胞のpepc遺伝子の発現量は維管束鞘細胞の大きさに応じて変化し,維管束鞘細胞が小さくなると,それにともなって低下した。しかし, rbcS遺伝子の維管束鞘細胞における強い発現は,維管束鞘細胞がかなり小さくなっても観察され,維管束鞘細胞の発達程度と平行していなかった。 5.CO2補償点は陸生型植物において1ppmと,典型的なC4植物の値を示したが,水生型植物では28ppmと,C3植物とC4植物の中間的な値を示した。また,炭酸固定効率のO2による阻害は,陸生型植物で21%,水生型植物で40%であった。このように,ガス交換特性から見ると陸生型植物はC4植物に近い中間型,水生型植物はC3植物に近い中間型であると考えられた。 6.Eleocharis属の他の種,E.baldwiniiについてもE.viviparaと同様の調査を行った。陸生型では,炭酸固定様式がほぼC4型であり,CO2補償点は1ppmと低く,炭酸固定効率のO2による阻害はほとんど認められなかった。一方,水生型では,炭酸固定様式はC3植物とC4植物の中間的な特徴を示し,CO2補償点が19ppm,炭酸固定効率のO2阻害は26%を示していた。これらのことから,E.baldwiniiにおいても,生育環境条件の変化によって光合成型の変化が起きること,しかし,E,baldwiniiにおいてはE.viviparaよりも,各生育型でC4的な特徴がより強いことが判った。 以上のように本研究は,Eleocharis属植物が,生育中の水環境に応じ,その光合成器官である稈の形態,及び光合成的炭素代謝様式を変化させることを明らかにしたものであり,学術上,応用上貢献するところが大きい。よって審査員一同は,本研究が博士(農学)の学位を授与するに値するものと認めた。 |