学位論文要旨



No 111237
著者(漢字) 内野,彰
著者(英字)
著者(カナ) ウチノ,アキラ
標題(和) 環境条件の変化に伴い発現するEleocharis属植物のC4型光合成について
標題(洋) On the C4 Photosynthesis Expressed with Change of Environmental Conditions in Eleocharis spp.
報告番号 111237
報告番号 甲11237
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1528号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,龍一
 東京大学 教授 崎山,亮三
 東京大学 教授 秋田,重誠
 東京大学 教授 渡辺,昭
 東京大学 教授 内宮,博文
内容要旨

 C4植物は、現在の大気条件のような低CO2濃度下でも、効率よく炭酸固定を行うことができるため、C3植物よりも高い光合成速度を示す。イネ、コムギなどの主要な作物はC3植物であることから、C4植物の高い光合成能力をC3植物に導入することによって、作物生産量を増大させようとする試みが、従来よりなされてきた。しかし、交雑によるC4植物の完全な形質導入の成功例は、現在のところまだ報告されていない。C4植物の光合成器官は、クランツ構造と呼ばれる、維管束鞘細胞が発達した葉構造を持ち、維管束鞘細胞と葉肉細胞による炭素代謝機能の分業を行うことで効率の良い炭酸固定を行っている。C4植物の光合成特性をC3植物に導入するのが困難なのは、C4植物の光合成器官では上記のような形態と代謝機能の関連性が極めて密であり、これらの一方が欠けてもC4光合成が機能できないためと考えられる。したがって、現時点で我々がなすべきことの一つは、形態と代謝機能の発現の相互関係に注目しながら、C4光合成の発現機構を探ることであろう。

 カヤツリグサ科ハリイ属のEleocharis viviparaは水陸両生植物であり、形態と、生化学的な光合成特性とが、陸上ではC4植物的、水中ではC3植物的になることが判明しており、C4型光合成の形態と機能の発現機構を探るのには非常に適した植物である。そこで本論文では、Eleocharis属植物を材料として、そのC4型光合成の発現に関する研究を行った。

1.陸生型及び水生型植物における光合成器官の形態

 E.viviparaは、葉が退化しているため桿が光合成器官となっている。形態的に完成した稈の内部形態を調べてみると、陸生型植物の稈では、維管束鞘細胞が発達した、C4植物に特有なクランツ構造を示すのに対し、水生型植物の稈はそうした構造を示さない。そこで、こうした陸生型植物と水生型植物の内部形態が、各々の条件下でどのように形成されてくるのかを調べた。E.viviparaでは稈先端部に数本の分枝が分化する(これを分枝稈と呼ぶことにする)。この分技稈について稈の形成過程を見たところ、陸生型植物においても水生型植物においても、稈先端部の分枝稈原基に、まず介在分裂組織が分化し、この分裂組織で形成された細胞が伸長肥大することによって新しい分枝稈が形成されていた。こうした細胞の伸長過程で、陸生型では葉肉細胞と維管束鞘細胞の両方が肥大化していくのに対し、水生型では維管束鞘細胞の肥大化がほとんど起こっていなかった。

2.陸生型から水生型植物への変換過程における形態的、生化学的特徴の変化

 陸生型植物を、通常の空気を通気した水中に沈め、植物体が水生型へと変換していく過程における形態的及び生化学的変化を時間を追って追跡し、両者の発現における時間的同調性を調べた。まず、沈水直後に新しく発生した稈の形態を7週間後に観察したところ、沈水前にすでに形成されていたと考えられる稈上部組織では陸生型の内部形態を示し、沈水後に形成された基部組織では水生型に類似した形態を示すというように、同一の稈の中でも形成時期によって異なる形態を示していた。この新しく発生した稈の先端に着生した分枝稈は、水生型の形態を示していた。

 沈水後7週間を経過し、すでに形態的には水生型に変化していた分枝稈について、炭酸固定酵素の活性と炭酸固定初期産物の代謝とを調べたところ、リブロース1,5-ビスホスフェートカルボキシラーゼ(Rubisco)の活性は陸生型植物と同じ程度であり、ホスホエノールピルビン酸カルポキシラーゼ(PEPC)の活性は陸生型植物と水生型植物の中間であった。また、炭酸固定初期産物として固定されたC4ジカルボン酸が代謝的に減少していたことから、C4回路の駆動が残っていると考えられた。しかし、沈水後15週間以上経過した植物体では、炭酸固定酵素の活性とC4回路の駆動が、水生型とほぼ同じレベルを示すようになっていた。このように、沈水処理によって陸生型植物は徐々にC3植物に変化するが、その変化が完了するには比較的長い時間を要すること、また、形態の変化と炭素代謝経路の変化とは時間的に同調していないことが明らかとなった。

 次に、CO2濃度が形態と生化学的特徴に及ぼす影響を調べるために、沈水処理によって水生型植物を誘導する際の水に、高い濃度(1%)のCO2を含む空気を通気し、形態と生化学的特徴の変化を調べた。その結果、PEPCの活性は、15週間以上経過すると、通常の空気を通気した場合より低くなり、炭酸固定初期産物に占めるC4ジカルボン酸の割合も減少していた。しかし、形態やその他の生化学的特性に関してはCO2濃度による影響は見られなかった。

3.炭酸固定酵素遺伝子の発現様式

 以上のように、E.viviparaは環境を変化させると異なる形態と生化学的特徴を示す。そこで、炭酸固定酵素遺伝子の発現様式をin situハイブリダイゼーションによって観察し、クランツ構造の形成と炭酸固定酵素遺伝子の組織特異的発現との関連性を検討した。Rubiscoの小サブユニットの遺伝子(rbcS遺伝子)とPEPCの遺伝子(pepc遺伝子)のcDNAをクローニングし、それをプローブとしてin situハイイブリダイゼーションを行った。陸生型植物の成熟した稈では、rbcS遺伝子は維管束鞘細胞に比較的強く発現し、同時にpepc遺伝子は葉肉細胞に特異的に強く発現していた。水生型植物の成熟した稈では、葉肉細胞と維管束鞘細胞の間でrbcS遺伝子の発現量に違いは見られず、またpepc遺伝子の発現は非常に少なく、これら遺伝子の組織特異的な発現は見られなくなっていた。

 次に、稈の形態形成過程における炭酸固定酵素遺伝子の発現様式を観察した。稈の形態形成初期には、陸生型植物でも水生型植物でもrbcS遺伝子の発現は葉肉細胞にのみ見られた。しかし陸生型植物では、維管束鞘細胞が発達するにともなって維管束鞘細胞にrbcS遺伝子が強く発現し、その後、pepc遺伝子が葉肉細胞に強く発現してきた。また、pepc遺伝子の発現は、維管束鞘細胞に近い葉肉細胞から時間的に早く起こっていた。このように、pepc遺伝子の発現が維管束鞘細胞からの距離に影響されることは、維管束鞘細胞の発達程度がpepc遺伝子の発現に影響を及ぼしていることを示唆しており、pepc遺伝子の発現に関しては維管束鞘細胞の発達が重要な要因となっていると考えられた。

 次に、陸生型を水中に沈めた直後に伸長してくる稈においてin situハイブリダイゼーションを行い、陸生型植物から水生型植物への変化に伴う炭酸固定酵素遺伝子の発現様式を観察した。葉肉細胞のpepc遺伝子の発現量は維管束鞘細胞の大きさに応じて変化し、維管束鞘細胞が小さくなると、それにともなって低下した。しかし、rbcS遺伝子の維管束鞘細胞における強い発現は、維管束鞘細胞がかなり小さくなっても観察され、維管束鞘細胞の発達程度と平行していなかった。

4.陸生型及び水生型植物におけるガス交換特性

 E.viviparaの陸生型及び水生型植物における形態的、生化学的な特徴が、CO2補償点や炭酸固定効率などのガス交換特性にどう反映されているかを調べることは、作物学的にも非常に興味ある問題である。まず、CO2補償点は陸生型植物において1ppmと、典型的なC4植物の値を示したが、水生型植物では28ppmと、C3植物とC4物の中間的な値を示した。また、炭酸固定効率のO2による阻害は、陸生型植物で21%、水生型植物で40%であった。このように、ガス交換特性から見ると陸生型植物はC4植物に近い中間型、水生型植物はC3植物に近い中間型であると考えられた。

5.他のEleocharis属植物、Eleocharis baldwiniiの光合成特性

 Eleocharis属には、E.vivipara以外にも水陸両生植物がいくつかある。そこで、従来より光合成的特性の変換をおこす可能性が示唆されていたE.baldwiniiの陸生型及び水生型植物の光合成特性を調査した。陸生型では、炭酸固定様式がほぼC4型であり、CO2補償点は1ppmと低く、炭酸固定効率のO2による阻害はほとんど認められなかった。一方、水生型では、炭酸固定様式はC3植物とC4植物の中間的な特徴を示し、CO2補償点が19ppm、炭酸固定効率のO2阻害は26%を示していた。これらのことから、E.baldwiniiにおいても、生育環境条件の変化によって光合成型の変化が起きること、しかし、E.baldwiniiにおいてはE.viviparaよりも、各生育型でC4的な特徴がより強いことが判った。

 以上、本研究により、Eleocharis属植物は、生育中の環境条件に応じ、その光合成器官である稈の形態、及び光合成的炭素代謝様式を変化させることが明らかとなった。この研究を基礎として、今後、C4光合成型のC3植物への導入、そして作物の光合成能力の改善、さらには作物生産の向上へつながる研究を展開していきたい。

審査要旨

 C4植物は,クランツ構造と呼ばれる,維管束鞘細胞が発達した葉構造を持ち,維管束鞘細胞と葉肉細胞間で,炭素代謝機能を分業させることで効率の良い炭酸固定を行い,高い光合成速度を維持している。C4植物の光合成特性をC3植物に導入するのが困難なのは,C4植物の葉では,上記のような形態と代謝機能の関連性が極めて密であり,これらの一方が欠けてもC4光合成が機能できないためと考えられる。近年,カヤツリグサ科ハリイ属のEleocharis viviparaという植物が,陸上ではC4植物的な形態と光合成代謝をとり,水中ではC3植物的となることが報告された。本論文は,この植物を用い,形態と代謝機能の発現の相互関係に注目して,C4光合成の発現機構を探ろうとしたものである。

 得られた結果の概要は次のとうりである。

 1.E.viviparaは,葉が退化しているため稈が光合成器官となっている。稈基部の分裂組織で形成された細胞の伸長過程で,陸生型では葉肉細胞と維管束鞘細胞の両方が肥大化していくのに対し,水生型では維管束鞘細胞の肥大化がほとんど起こっていなかった。

 2.陸生型植物を,空気を通気した水中に沈め,植物体が水生型へと変換していく過程の形態的及び生化学的変化を調べた。沈水前にすでに形成されていたと考えられる稈組織では陸生型の内部形態を示し,沈水後に形成された稈組織では水生型に類似した形態を示していた。

 沈水後7週間を経過すると,すでに形態的には水生型に変化していたが,PEPCの活性は陸生型植物と水生型植物の中間にあり,また,C4回路も駆動していると考えられた。しかし,沈水後15週間以上経過した植物体では,炭酸固定酵素の活性とC4回路の駆動が,水生型とほぼ同じレベルを示すようになっていた。このように,沈水処理によって陸生型植物は徐々にC3植物に変化するが,その変化が完了するには比較的長い時間を要すること,また,形態の変化と炭素代謝経路の変化とは時間的に同調していないことが明らかとなった。

 3.炭酸固定酵素遺伝子の発現様式をin situハイブリダイゼーションによって観察し,クランツ構造の形成と炭酸固定酵素遺伝子の発現の組織特異性との関連を検討した。稈の形態形成初期には,陸生型植物でも水生型植物でもRubiscoの小サブユニット(rbcS)遺伝子の発現は葉肉細胞にのみ見られた。しかし陸生型植物では,維管束鞘細胞が発達するにともなって維管束鞘細胞にrbcS遺伝子が強く発現し,その後,pepc遺伝子が葉肉細胞に強く発現してきた。また,pepc遺伝子の発現は,維管束鞘細胞に近い葉肉細胞から時間的に早く起こり,pepc遺伝子の発現に関しては維管束鞘細胞の発達が重要な要因きなっていると考えられた。

 4.次に,陸生型を水中に沈めた直後に伸長してくる稈においてin situハイブリダイゼーションを行い,陸生型植物から水生型植物への変化に伴う炭酸固定酵素遺伝子の発現様式を観察した。葉肉細胞のpepc遺伝子の発現量は維管束鞘細胞の大きさに応じて変化し,維管束鞘細胞が小さくなると,それにともなって低下した。しかし, rbcS遺伝子の維管束鞘細胞における強い発現は,維管束鞘細胞がかなり小さくなっても観察され,維管束鞘細胞の発達程度と平行していなかった。

 5.CO2補償点は陸生型植物において1ppmと,典型的なC4植物の値を示したが,水生型植物では28ppmと,C3植物とC4植物の中間的な値を示した。また,炭酸固定効率のO2による阻害は,陸生型植物で21%,水生型植物で40%であった。このように,ガス交換特性から見ると陸生型植物はC4植物に近い中間型,水生型植物はC3植物に近い中間型であると考えられた。

 6.Eleocharis属の他の種,E.baldwiniiについてもE.viviparaと同様の調査を行った。陸生型では,炭酸固定様式がほぼC4型であり,CO2補償点は1ppmと低く,炭酸固定効率のO2による阻害はほとんど認められなかった。一方,水生型では,炭酸固定様式はC3植物とC4植物の中間的な特徴を示し,CO2補償点が19ppm,炭酸固定効率のO2阻害は26%を示していた。これらのことから,E.baldwiniiにおいても,生育環境条件の変化によって光合成型の変化が起きること,しかし,E,baldwiniiにおいてはE.viviparaよりも,各生育型でC4的な特徴がより強いことが判った。

 以上のように本研究は,Eleocharis属植物が,生育中の水環境に応じ,その光合成器官である稈の形態,及び光合成的炭素代謝様式を変化させることを明らかにしたものであり,学術上,応用上貢献するところが大きい。よって審査員一同は,本研究が博士(農学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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