学位論文要旨



No 111238
著者(漢字) 篠沢,健太
著者(英字)
著者(カナ) シノザワ,ケンタ
標題(和) 沖積河川の水辺生態環境とその整備に関する研究
標題(洋)
報告番号 111238
報告番号 甲11238
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1529号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井手,久登
 東京大学 教授 中野,政詩
 東京大学 教授 秋田,重誠
 東京大学 教授 熊谷,洋一
 東京大学 助教授 武内,和彦
内容要旨

 近年、自然環境の保全・再生を目的とする河川空間整備が増えつつある。しかし、河川水辺の生態的な特徴が十分把握しないまま整備が行われ、結果として望ましい自然環境の保全・再生には結びついていないという批判も見られる。本論では、そうした問題を克服するために河川水辺の生態的な分析・評価の結果を河川空間整備に結びつけていくための方法論の提示を試みた。

1.時空間スケールにもとづく河川水辺生態環境のとらえ方

 河川水辺の生態環境を適正に保全・整備するためには、生態環境にもっとも強い影響を与えている環境条件や撹乱現象を見いだす必要がある。その際、河川空間に生じる主要な現象を時間、空間軸からなる座標上に配置し、それらの相互関係を把握することが有効な手法と考えられる。なぜなら河川空間においては、立地そのものが変動し、その頻度と影響を把握することなしには現象そのものの特性も理解できないからである。

 河川水辺において時空間スケールの対象として自然環境条件の総合的な指標である地形単位を考える。河川ではマクロからミクロの順に、流域、流路平面形状、微地形の3つの地形単位が存在する。これらの地形単位は変動しているため、時間・空間スケールの両面を反映している。また、こうした地形単位の変動には自然・人為的撹乱の両者が影響をおよぼし、とくに下位のスケールでは人為的撹乱の頻度と規模を考慮することが重要となる。

 時空間スケールの考え方に基づいて、河川水辺生態環境の主要構成要素である河辺植生とそれに影響をおよぼす主要な現象の関係を既往研究をふまえて整理したところ、以下のような知見が得られた。

 (1)マクロスケールでは流域単位で植生の特徴が把握され、河川水辺に成立しうる自然植生やその縦断方向の配列は、気候、地形、水文条件によって規定される。これらの環境条件は、自然状態では大規模な撹乱でしか変化しないため、メソ・ミクロスケールで整備を考える場合の与件になる。また河川改修による縦断勾配の変化、平均流量の低下など流域規模の人為的撹乱は、水辺生態環境整備では処理できないので本論ではこれらも与件と考えた。

 (2)メソスケールの流路平面形状は微地形単位の横断的な配列に規定され、その配列は撹乱を受けて変化する。河辺植生は、そうした微地形単位の配列と変化に影響されて成立する。そのため、河川流量の変化、河川改修、高水敷土地利用などの人間活動は、植生分布に大きな影響をおよぼしている。とくに、河川空間の固定化によって微地形単位の継続期間が長期化すると、植生分布が単純化する方向に向かい、河川水辺の植物群落の多様性を維持するうえで大きな問題となる。

 (3)ミクロスケールの微地形単位は、堆積物の粒径、土壤湿度などを反映する。この微地形単位の環境条件と撹乱の違いに応じて異なる遷移段階の植物群落が発達する。この違いは植生に影響をおよぼす自然・人為的撹乱の生起間隔、自然の回復能力と微地形単位の継続期間との関係から説明できる。

 以下、具体的な対象地において3つのスケールについて検討を行った。

2.マクロスケールからみた河川空間の地形特性

 マクロスケールでは荒川水系を対象に、流域の環境条件、都市化の程度、河川空間特性の対応関係を解析を行った。荒川水系は地形、都市化の程度の異なる流域を流れる。河川合流点で区分された232の単位流域を地形・地質・土壤の特性に基づいて10タイプに分類した結果、各流域タイプは植生の垂直分布と都市化の影響を反映した植生・土地利用特性と関連した。たとえばローム台地の流域は市街地等と、砂礫台地・扇状地性低地の流域は樹園地や河辺植生と、三角州性低地の流域は水田との結びつきが指摘された。また、流域タイプごとに流路縦断勾配が異なり、山地、扇状地(台地を含む)、低地に分けられた(順に勾配1/100,1/1,000,1/10,000)。流域内の流路平面形状は縦断勾配に応じて、たとえば先の砂礫台地や扇状地性低地の流域タイプは網状流路と、三角州性低地の流域タイプは蛇行流路と、それぞれ結びついていた。これらの流路平面形状は、流域の都市化の影響をうけて徐々に屈曲・直線流路へと変化する傾向にある。

3.メソスケールからみた河川空間の地形特性

 メソスケールでは荒川水系の入間川中流域を対象に、流路平面形状と微地形単位との関係、それらと人為的撹乱の影響の関係を調査した。入間川中流域は都市化が進行中の地域で、さまざまな河川改修の進捗程度も多様である。そこで改修程度の異なる9区間を選び現地調査と空中写真より1974年,1984年,1989年,1993年の4時点の微地形単位図を作成した。この図から縦断方向に200mごとに設置した横断面上の微地形単位を5m間隔で読みとり、区間内の微地形単位の構成比率の変化とその入れ替わりを検討した。その結果、区間全体では約20年間に岸斜面や氾濫原平坦地の構成比率が増加し、微地形単位の入れ替わり頻度も低下する傾向が見られた。また改修の進んでいない区間では1993年時点でも構成比率が変動し入れ替わりが生じていたが、改修が進むにつれ河川空間が単純化する傾向が顕著であった。そこでこの横断面上で、低水敷を構成する微地形単位数と低水敷幅との関係を詳細に把握した。1974〜1989年の3時点について低水敷微地形単位の総数と低水敷幅を調べた結果、低水敷幅が広くなるほど低水敷を構成する微地形単位数が多くなることが認められた。河川改修が進み低水敷幅が制限されるにしたがって、河川地形が単純化される傾向も確認された。1989年時点で、多数の微地形単位をもつ横断面はいずれも、低水敷幅150m以上で旧河道を含んでいた。したがって流路変動をを保全するためには、入間川中流域の場合、低水敷幅を150m以上確保することとが有効と考えられた。

4.ミクロスケールからみた微地形単位と河辺植物群落の対応関係

 ミクロスケールでは前章と同様入間川中流域を対象として、横断面微地形と植物群落との関連を把握した。1994年に、堤防ないし岸斜面から水辺にかけての横断面に流路と垂直に調査トランセクトを17本設置し、微地形測量と植物社会学的植生調査を行った。微地形は、流路岸との位置関係と地表面の起伏に基づいて10タイプに分類し、植物群落は群落構成種の被度に基づいて167箇所の方形区を9つの植物群落タイプに分類した。両者の結びつきを四分点相関係数を用いて検討した結果、各微地形単位で群落タイプとの特有な結びつきが指摘できた。たとえば、流路州はミゾソバ群落、ミゾソバ-ヤナギタデ群落などの一年生草本と、氾濫原平坦値はヨモギ群落、オギ-カナムグラ群落と結びついていた。これまで河辺植生の分布は比高など単純な指標によって把握されることが多かったが、微地形単位を用いた本論の検討では旧河道や凹凸地など複雑な立地の植生の違いも明らかとなった。

 また、微地形単位の継続期間と植物群落の遷移段階を検討するため、遷移度(沼田,1961)を用いて解析した。微地形単位ごとに1994年時点での遷移度を調べたところ、微地形単位が同じでも継続期間によって遷移度が異なっていた。微地形単位の継続時間が長くなると遷移が一定方向に進んで遷移度が高くなり、同時に撹乱の生起間隔が減少して遷移初期相の群落が消失した。こうした傾向は、河川改修が河川微地形を固定し、植物群落の単純化を招くという一般的な指摘を裏付ける。

5.時空間スケールを考慮した河川水辺生態環境整備手法

 最後に、上記の結果に基づいて水辺生態環境整備のあり方を検討した。すでに豊富な整備手法が蓄積されている欧州の先進的整備事例と比較すると、欧州では河川の地形変動を十分把握・制御したうえで水辺生態環境を保全・創出が試みられているのに対し、わが国では地形変動を考慮しないまま整備が行われていることがわかった。

 そこで前章までの検討結果に基づいて、河川水辺の特性を時空間スケールを用いて把握・整理し、地形変動に留意した沖積河川の水辺生態環境整備手法を3つのスケールについて提案した。マクロスケールでは流域の環境条件、都市化の影響、治水整備などを十分把握し、メソスケールのあるべき姿を検討することが重要となる。メソスケールでは横断面の微地形配列にしたがった生態環境整備に留意し、とくに流路変動を保全しうる必要最低幅を把握することが有効となる(入間川では低水敷幅150m以上)。ミクロスケールでは微地形単位の生起間隔が問題となる。人為によってそれが長期化している場合には、人為的に撹乱を肩代わりし植生管理や裸地造成することが有効となる。

 また本論で述べた調査手法が実際の河川水辺の特徴を十分把握できるか、また整備手法がそれぞれの地域ごとに有効な示唆を与えうるか確認するため、新たに茨城県小貝川下流域でも手法を検討した。資料等に基づいた検討の結果、小貝川の撹乱の生起間隔は入間川と大きく異なっており、その影響をうけて河辺植生も異なると考えられた。入間川では一年生草本とイネ科高茎草原が優占するのに対し、小貝川ではイネ科高茎草原と河辺樹林が優占する。この相違は時空間スケールで把握され、それぞれとりうる整備手法が異なることも示唆された。すなわち入間川では比較的短期間に地形が入れ替わり、それを人為的に肩代わりすることが群落多様性の維持に有効となる。一方小貝川では微地形単位が安定しており、群落の多様性を維持するためには継続的な植生管理が重要となる。こうした結果から、本論で提案した生態環境整備手法の有効性が認められた。

 以上を要約すると、入間川中流域を対象とした分析・評価の結果、植物群落に代表される沖積河川の水辺生態環境は時空間スケールを用いて地形変動と人為的撹乱の両面から説明することができた。またその結果に基づいて時間・空間両面からの制御のあり方を通じて、それぞれの河川水辺に適した整備手法を提案することができた。

審査要旨

 本論文は,河川水辺の生態的な環境特性の分析・評価を通して河川空間整備をはかるための方法論を提示しようとするものである。

 まず河川水辺の生態的な環境を保全・整備するうえで,その環境にもっとも強い影響を与える環境条件や攪乱現象を見いだすことが有効となる。とくに河川空間では地形そのものが変動し,その上に生じる現象について十分理解するうえで,地形変動が生じる頻度とその影響がおよぶ範囲の両面を検討しなければならないため,時空間スケールの議論が有効となる。本論文ではそれをマクロ,メソ,ミクロの3つのスケールで検討した。

 マクロスケールでは,領域の環境条件,都市化の程度と,河川空間の特性との対応関係を検討した。対象として荒川水系を選んだ。水系には,河川合流点で区分される232の単位流域が含まれる。これらを地形・地質・土壤の特性に基づいて10タイプに分類した結果,各流域タイプはそれぞれ植生の垂直分布と都市化の程度から説明できる植生・土地利用類型と関連した。これらの流域タイプを流れる河川はそれぞれ異なる流路縦断勾配をもち,山地,扇状地(台地を含む),低地の3タイプに分類された。各流域の河川流路平面形状は縦断勾配と関連していた。これらの流路平面形状は,流域の都市化が進展するにしたがって,徐々に屈曲・直線流路へと変化する傾向が見られた。

 メソスケールでは,流路平面形状と微地形単位との関係,それに及ぼす人為的攪乱の影響を検討した。荒川水系の一支流の入間川中流域を対象に選んだ。この流域内に,改修程度の異なる9区間を選び,現地調査と空中写真判読から各区間ごとに1974年,1984年,1989年,1993年の4時点の微地形単位図を作成した。このデータから9区間の微地形単位の構成比率の変化とその入れ替わりを検討した。その結果,最近20年間に全ての区間で堤防・岸斜面や氾濫原平担地の構成比率が増加すると同時に,微地形単位の入れ替わり頻度が低下する傾向が見られた。さらに同じ横断面について,1974〜1989年の3時点における低水敷微地形単位の総数と低水敷幅の関連を検討した。この結果,低水敷幅が広い横断面ほど低水較を構成する微地形単位数が多くなり,河川改修が進んで低水敷幅が制限されるにしたがって地形が単純化される傾向が確認された。以上の点を考慮し,多数の微地形単位を維持し流路変動を確保するためには,入間川中流域の場合には低水敷幅を150m以上確保することが有効と考えられた。

 ミクロスケールでは,横断面微地形と植物群落との関連を入間川を対象にして把握した。堤防ないし岸斜面から水辺にかけての横断面に,流路と垂直に調査トランセクトを17本設置して微地形測量を行い,167箇所の方形区で植生調査を行った。植物群落は群落構成種の被度を用いて9タイプに分頻した。微地形と植生の結びつきを四分点相関関係数を用いて検討した結果,各微地形単位で特有の群落タイプとの結びつきが指摘できた。これまで河辺植生の分布は,水面からの比高など単純化された指標によって議論されることが多かったが,本論では微地形単位を用いて検討することにより,旧河道や起伏の違いなど,より複雑な立地と植物群落の関連を明らかにすることができた。

 つぎに,微地形単位の継続期間と植物群落の遷移段階の関連を調べた。植物群落の遷移段階の指標として,遷移度を用い,1994年時点で各微地形単位上に生育する植物群落の遷移度を調べた。その結果,各微地形単位で遷移度に差が見られた。河川改修によって河川微地形が固定された場合,河辺植生が単純化されることが指摘できた。

 最後に,上記の結果に基づいて水辺生態環境整備のあり方を検討した。河川水辺の生態環境特性を時空間スケールを用いて把握・整理し,時空間スケールごとに地形変動に留意した整備手法を提案した。マクロスケールでは,流域の環境条件,都市化の程度,治水整備などを十分把握し,メソスケールの河川水辺生態環境のあるべき姿を検討することが重要となる。メソスケールでは,横断面の微地形配列に留意し,整備することが重要となる。とくにこのスケールの整備では,微地形および流路変動を確保するために最低限必要な低水敷幅を把握することが重要となる。ミクロスケールでは,微地形単位の継続期間の制御が整備における主要な課題となる。河川改修など人為的な要因によって継続期間が長期化する場合には,自然攪乱を肩代わりし,裸地を造成するなどの手法が,植生管理を行う上で有効となると考えられる。またこの整備手法が一般の沖積河川水辺についても適用できるかどうかを確認するために,茨城県小貝川下流域を対象として検討を行った。この結果,本論で提案した整備手法が,異なる流域クイプの沖積河川においても適用可能であることが示唆された。

 以上,要するに本論文は,沖積河川水辺の生態環境,とくに河辺植物群落の特徴を,時空間スケールの考え方に基づいて地形変動と人為的攪乱の両面からとらえ,個々の河川水辺生態環境に適した整備手法を異なる時空間スケールごとに提案したものであり,学術上,応用上貢献するところ少なくないと判断し,審査員一同は博士(農学)の学位に値すると認めた。

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