学位論文要旨



No 111240
著者(漢字) 尤,宗彬
著者(英字)
著者(カナ) ユウ,ゾンビン
標題(和) イネの茎別生育相転換時期の差異に関する研究
標題(洋) Studies on Difference of Growth Phase Conversion of the Individual Tiller in a Rice Plant
報告番号 111240
報告番号 甲11240
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1531号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松崎,昭夫
 東京大学 教授 武田,元吉
 東京大学 教授 石井,龍一
 東京大学 教授 秋田,重誠
 東京大学 助教授 山岸,順子
内容要旨

 イネの生育段階を的確に診断することは,多収穫をめざしたイネの栽培管理の上で極めて重要である.幼穂分化は生殖成長を肉眼で鑑察できる最初の時期であるが,1株の中での全分げつの出穂日の調査によれば,主稈の幼穂の発育程度はその個体全体としての平均的値を示すとは限らないことが知られている.このことは,1株内の茎別幼穂分化時期に差のあるを示唆するものである.そこで,本研究では,品種の感光性及び感温性を考慮し,農林1号(早生),日本晴(中生),農林8号(晩生)を供試し,分げつ次位別の出穂日を明かにするとともに葉齢指数約85の時期における各分げつの幼穂長,幼穂発育段階,幼穂分化の時期を調べ,さらに,分げつ別の幼穂分化に影響を与える要因を探索する.

 I.同一個体における茎別の出穂特性を知るために,早・中・晩3品種を供試して主稈および分げつの出穂日を調べた.

 1.一次分げつの出穂はその分げつの出現順ではなく,出現した分げつの中で中間の節位の分げつの出穂が早く,二次分げつでは一次分げつの第2節から出現した分げつの出穂が早い傾向が認められた.分げつ節位別の出穂日から見ると,早・中・晩品種いずれも主稈第7節から出現した分げつ(「VII分げつ」と呼ぶ,以下同様)の出穂が早かった.92年にはIVないしX節からの分げつ合わせて7本の一次分げつについて調査した.この場合,VII分げつは出現した一次分げつの中で中央位置を占めたので,VII分げつを「中位分げつ」と呼ぶことにした.93,94年にも,一次分げつの中で最も早く出穂したのはVII分げつであった.一方,VII分げつとVII分げつの出穂日は各品種とも,両者の間に顕著な差は認められなかった.しかし,VII分げつ及びVIII分げつ共に,それらの上位あるいは下位の分げつと比べて出穂日に顕著な差が認められた.

 2.二次分げつ全体の出穂日は母茎の一次分げつの出穂日よりも遅く,一次分げつの節位による差は認められなかった.二次分げつの出穂日は分げつの出現順ではなく,一次分げつの第2節から出現した分げつが早く,この傾向は3品種に共通して認められた.この関係は,一次分げつの間では中位の分げつの出穂がもっとも早い傾向を示したことと類似していた.また,日本晴,農林8号の場合では,二次分げつに見られる出穂日の差が農林1号より少なかった.これらの結果,前記のような,二次分げつの出穂特性が3品種共通して認められ,しかも年度による変動は極めて少ないものであることが確認された.

 中位の分げつの出穂日が早いのは,この節位の分げつ自身がもっている生理的な特性によるものではないかと考えられた.

 II.出穂日の早晩が幼穂分化の早晩に基づいたものであることを確認するために,主稈の葉齢指数80〜90の時期における茎別の幼穂長及び幼穂の発育段階を調べた.

 1.一次分げつの出穂日の早晩は相対幼穂長の大小と深く関係していた.すなわち,出穂の早い分げつ位は相対幼穂長の大きい分げつ節位と合致し,出穂の早晩は幼穂分化の早晩を反映しているものと推定された.

 2.二次分げつの出穂の早い分げつ位も相対幼穂長の大きい分げつ節位と合致していることが3品種共通して認められた.従って,二次分げつの出穂日と相対幼穂長との間には一次分げつの場合と同様密接な関係があり,相対幼穂長の大きさが出穂日の早晩に影響しているものと考えられた.

 3.同一個体における主稈と一次分げつ,一次分げつ相互間で,幼穂分化時期が異なることが明かにされた.幼穂分化の最も進んでいた幼穂発育段階と最も遅れていた上位あるいは下位分げつの幼穂発育段階との間に見られる幼穂発育段階の差は,それらの発育段階を経過するに要する日数に換算すると,それらの出穂日の差と近い値を示した.また,相対幼穂長の大きい分げつ位で幼穂の発育程度が進んでいることが認められた.

 4.同一個体における一次分げつと二次分げつの間,二次分げつ相互間で,幼穂分化時期が異なることが明かにされた.二次分げつの中で,幼穂分化の進んでいたものと遅れていたものとの間における幼穂の発育段階の差に相当する日数も,出穂日の差と近い値を示した.

 したがって,個体内における茎別の出穂日に見られる差は,各茎の幼穂分化時期の差に基づいたものであることが確認された.

 III.イネ個体内各茎の生育相転換支配要因を検討するため,葉身剪除,短日処理,成長点周辺の冷温処理などにより,茎別の出穂日,幼穂分化時期などの変化を調べた.

 1.葉齢指数70の時期から同一個体内の偶数位分げつにのみ剪葉処理を施した.剪葉された偶数位の一次分げつおよびその二次分げつは,剪葉しない一次分げつおよびその二次分げつよりそれぞれ出穂が遅延した.しかし,止葉葉位には剪葉の影響が認められなかった.これらの結果,出穂日の早晩は分げつの止葉の葉位ではなく,止葉の分化が完了した時期に影響されているものと考えられる.二次分げつの出穂も一次分げつの場合と同様に考えられる.

 幼穂分化直前に,剪葉処理を受けた分げつの幼穂分化が遅くなり,剪葉しない分げつおよび主稈の幼穂分化は,剪葉処理による影響が少なかった.この傾向は3品種共通して認められた.剪葉処理を受けない分げつの出穂日に影響が見られなかったことから,幼穂分化には葉から供給される何らかの物質が関与しているのではないかと考えられ,そのような物質が存在するとすれば,それは分げつ間では移動しないか,または極めて移動しにくいものと推察された.

 2.短日処理により一次分げつの出穂日が三品種とも早くなったが,早生品種より晩生品種に見られた短日効果が大きかった.同じ個体内の剪葉された分げつの出穂が遅れたので,光周期花成誘導の感応器官は葉身であることが確認された.三品種とも剪葉により止葉数に変化が認められなかったが,中生品種と晩生品種の止葉数が短日処理により著しく減少したので,短日植物のイネでは,光周期誘導で生じたある物質が生育相を転換させたものと考えられた.成長点近傍の検鏡によれば,短日条件下において,剪葉処理を受けた一次分げつの幼穂分化は,同一個体で剪葉をしなかった分げつより数段階も発育が遅れていたことが明かとなった.

 3.イネの茎基部冷温処理では分げつの止葉葉数が少なくなったが,出穂日も著しく遅くなった.通常の条件下で中間節位の分げつの出穂が早い特性は茎基部が冷温条件下におかれた時,見られなくなった.

 IV.幼穂分化に関与する物質を明かにするために,植物ホルモン,安息香酸などの投与により出穂日,止葉葉数などの変化を調査した.また,短日処理を受けたイネの葉身タンパク質の変化を調べた.

 植物ホルモンなどの化学物質がイネの幼穂分化に与える影響については,いずれも出穂日の変化として認められなかった.しかし,同一個体の偶数位分げつにのみ短日処理を施した場合,短日処理を受けた分げつの出穂日が著しく早くなった.また短日処理をした分げつの葉身から抽出したタンパク質に,短日処理をしない葉からのタンパク質には存在しないバンドが検出された.

 以上を要するに,同一個体の出穂日に見られた一次分げつと主稈,一次分げつ相互間の相対的な関係は品種固有の性質として検出され,このようなパターンは栽培年次を異にしても変らないことが確認された.個体内における各茎の幼穂分化時期に差が認められ,幼穂分化の進んでいた分げつの節位は出穂日の早い分げつの節位と合致することが確認された.個体内における茎別の出穂日の差は,各茎の幼穂分化時期の差に基づいたものであることは三品種共通して認められた.花成刺激は分げつ間でほとんど移動しないことが明らかにされた.短日処理の花成誘導によると見られる物質が検出された.

審査要旨

 世界の食糧生産,とくに米の生産は長い間栽培面積の拡大によって達成されてきたが,近年は栽培適地の限界のために主として単位面積当りの収量増加によって支えられてきた。一方,近年の世界人口の増加は著しく,米生産の単位面積当り収量への依存度をより高いものにしている。こうした現状を考えるとき,単位面積当り収量を増加させることが急務であるとの認識に立ち,稲の生育なコントロールすることにより収量構成要素を増大させるためには,稲生育の発育段階を正確にあらわすことが肝要であると考えた。主稈葉数あるいは主稈葉数に基づいた葉齢指数がこの目的のために用いられているが,これは個体内各茎の斉一性に立脚している。しかし,個体内各茎の生育は必ずしも斉一ではないことが知られているので,主稈と一次分げつ,および,一次分げつ相互間の生育段階,とくに茎別の幼穂分化時期を明らかにするとともに,茎ごとに幼穂分化時期が異なる理由についても解明することを試みた。

 生物反応には多くの場合個体差があるので,多数の個体の測定値を用いる必要がある。稲個体の幼穂分化も,個体内各茎の幼穂分化の集合として扱われるが,幼穂分化の調査には多くの時間と人手を必要とする。そこで,幼穂分化時期の早晩の推定値として各茎の出穂日をとりあげ,個体内各茎の生育の斉一性を検討した。また,茎別の幼穂分化時期に差をもたらす原因について探究した結果,次の諸点が明らかにされた。

 稲個体内各茎の出穂は,同伸葉理論から期待されるように斉一ではなく,7日以上にわたることもある。その際,主稈の出穂はその個体の他の茎より早いことも遅いこともあるが,一次分げつの出穂はその出現順ではなく中間節位で早く,この傾向は供試した早中晩3品種に共通して認められた。また,二次分げつでは一次分げつの第2節から出現した分げつの出穂が第1節から出現した分げつより早いことも認められた。

 一次分げつおよび二次分げつにみられたこのような出穂日の傾向は,成長点近傍の検鏡の結果,幼穂分化の段階においてすでに認められたので,茎ごとに幼穂分化時期が異なるためであることが確認された。また,幼穂分化までに分化した葉の数は分げつ次位が増すにつれて一葉づつ増加したが,同じ分げつ次位の茎の間ではほぼ同じであった。

 茎ごとの幼穂分化時期が異なる理由を明らかにするため,特定の分げつの葉を剪除する区,特定の分げつの葉に短日処理を与える区,特定の分げつの基部に低温処理を与える区などを設けて,幼穂分化および出穂に及す影響をみたところ,短日処理は幼穂分化・出穂を促したが,葉剪除処理や茎基部低温処理は幼穂分化,出穂を遅延させた。そして,この現象は,処理を与えた茎に限定されていたことから,花成刺激は何らかの物質を介して成長点に作用すること,そのような物質があるとするならば,その物質は処理を受けた茎にとどまり他の茎には移動しにくいことなどが明らかにされた。

 一方,ホルモン様物質の直接処理には出穂反応が見られなかった。しかし,短日処理を受けた葉から抽出された蛋白質の中に,短日処理を受けていない葉の蛋白質にはないバンドが検出された。

 これらの結果,稲分げつ各茎はそれぞれ独立して幼穂分化するが,主稈の生育が個体内の各茎の中でどのような位置にあるかを確認しておくことにより,主稈の葉数あるいは葉齢指数を用いても,個体全体の生育段階をより的確に診断できることが明らかになった。

 以上のように,本研究は同一個体内の茎別の幼穂分化時期に差があることを確認し,それらの差がどのようにして生じたのかについても検討を加え,さらに,これらの差が拡大あるいは縮小する条件等についても明らかにしたものであり,学術上,応用上,貢献するところが大きい。よって審査員一同は,本研究が博士(農学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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