学位論文要旨



No 111241
著者(漢字) 程,融
著者(英字)
著者(カナ) テイ,ユウ
標題(和) DNA多型連鎖地図の作成と利用に関する統計遺伝学的研究
標題(洋) Statistical genetic studies on the construction and utilization of DNA polymorphism linkage map
報告番号 111241
報告番号 甲11241
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1532号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鵜飼,保雄
 東京大学 教授 武田,元吉
 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 助教授 上村,賢治
 東京大学 助教授 長戸,康郎
内容要旨

 DNAマーカーを利用した連鎖地図作成が、多くの植物種で進められている。DNAマーカーの多型を利用して作成される詳細な連鎖地図も、それ自体では単に所番地のみを示した地図と同じで応用上の意義が少ない。DNAマーカー座と形質遺伝子座との相互関係が決定されてはじめて育種等の応用が可能となる。その場合、ひとつの問題は、形質の表現型の分離比の調査に際して、しばしば誤分類(分類ミス)が生じることが少くないことである。またDNAマーカー利用の連鎖地図では、交配親として用いる2つの品種・系統間でできるかぎり多数の多型が期待できるように、通常の交雑育種や形質連鎖地図作成のための交配の場合よりも遠縁の品種・系統を両親に選ぶことが多い。例えばイネでは、亜種間交配や栽培種x野生種間交配などが使われている。そのため分離集団で配偶子まだは接合体レベルで働く受精率や生存率を低下させる因子(致死因子)の作用が認められることが多い。致死因子が存在すると、当然染色体上でその近傍に座乗するマーカーや遺伝子座の分離比が正常の場合に比べて偏りをもつことになる。

 本研究では、DNAマーカー利用の連鎖地図作成とそれに基づいたQTL解析において今後解決すべきいくつかの理論的課題のうち、誤分類と致死因子の問題をとりあげ、それらが存在する場合に組換価やQTL解析におけるQTL座の位置や遺伝効果に与える影響を解析した。また誤分類率や致死因子の作用強度や作用様式を推定する方法を究明した。

1.組換価推定における形質の誤分類の影響及び真の組換価と誤分類率の推定1)誤分類が組換価推定に及ぼす影響

 表現型値についての分離が期待比どおりで優性対劣性個体が3:1の2群にわかれるとする。平均値間距離Dがおよそ3より大となると、分布曲線に谷が認められ2頂となる。2頂曲線の谷の最小値の点を境界として、分布を2群に分けてしまうと、誤分類個体が生じる。DNAマーカーの分離様式について、(1)共優性1:2:1(Type 1)、(2)優性3:1での相引(Type 2)、(3)優性3:1での相反(Type 3)、の3つの場合を考え、形質表現型値の分離における2群の平均値間距離を種々に変えたときの、誤分類率及び組換価推定値の偏りの程度を計算した。表現型分離にもとづいて最尤法により推定されたみかけの組換価rは、誤分類があると、真の組換価r0よりつねに大きい方向に偏ることが認められた。偏りの程度を3条件間で比べると、r0の値に関係なくType 3の場合が最も著しく、Type1とType2間では大差なかった。分離の判定に誤分類が存在すると、分離比だけは一見正常に見える場合でも、組換価の推定値は著しい偏りを示すことが判明した。

2)誤分類がある場合の真の組換価及び誤分類率の推定法

 DNAマーカー及び形質の分離データから真の組換価及び形質の誤分類率は、誤分類があると考えられる座(B)とその両側近接座(A、C)についての表現型の分離頻度から、最尤法とEMアルゴリズムを利用した繰り返し計算により、同時に求められる。また真の組換価及び誤分類率の推定値の標準誤差を情報行列の逆行列の対角線要素の平方根から求められる。

3)イネRFLPデータへの応用

 斎藤ら(1991)のインド型X日本型交配F2集団によるイネRFLP連鎖地図作成に用いたデータ中の第XI連鎖群の3遺伝子座(180-3-44)と第VI連鎖群の3遺伝子座(8-7-200)について、表現型の分離データを用いて、真の組換価と誤分類率の最尤推定値とその標準誤差を推定した。本法によれば、DNA多型連鎖地図のようにマーカー間距離が比較的小さく誤分類を含む座の両側に誤分類のおそれのない座の分離データが2つ以上得られる場合には、誤分類がある場合でも組換価の推定が可能であることが示された。このような誤分類が存在する場合の組換価の推定法は、誤分類を含む座が質的形質でも量的形質でも、またDNAマーカー座でも同様に適用可能である。

2.致死因子の存在が組換価の推定値に及ぼす影響およびDNA多型連鎖地図における致死因子のマッピング法1)マーカー座での淘汰が組換価の推定値に及ぼす影響

 2遺伝子座(A、B)の片方の座(例えばB)で遺伝子型の違いによる淘汰があるとする。致死因子の作用様式は、(1)雌雄のうち片方の配偶子、(2)雌雄両配偶子及び(3)接合体レベルでの3通りの淘汰を考えた。A、B座の表現型分離が共優性対共優性、共優性対優性、優性対優性の3種の場合について、A、B座間の組換価を淘汰がないときと同じように最尤法により推定すると、組換価の推定値がどのうような影響を受けるかを調べた。共優性対共優性の場合には、致死因子の作用様式に関係なく、組換価推定値は淘汰の影響をまったくうけないことがわかった。また、共優性対優性及び優性対優性の場合には、淘汰が接合体レベルで働く場合にのみ組換価の推定値に影響がなかった。しかし、B座の片方(雌あるいは雄)または雌雄両方の配偶子に淘汰があるときには、組換価の推定値が偏りを示すことが判明した。両配偶子に淘汰がある場合には組換価の推定値の偏りは片方の配偶子にのみ淘汰がある場合より大きい。またいずれの場合にも組換価の推定値は真の組換価より過小になる。

 なおB座の分離比の検定における2値(1個体に当り)は、生存率tの関数になり、淘汰が働き生存率tが小さくなると、分離比異常により、2値が増加する。

2)致死因子の作用様式と連鎖地図上位置の推定法

 F2のA、B2座についての表現型の期待分離比は組換価と生存率の関数で表される。最尤法とEMアルゴリズムによる繰り返し計算において、組換価及び生存率tがそれぞれ収束したとき、それらの推定値が得られる。推定値の標準誤差は誤分類の場合と同様に、情報行列の逆行列の対角線要素の平方根から求められる。また組換価と生存率の推定値を代入したときの期待頻度と観察頻度の比較の2検定から、3種類のモデル中どれが最適かが決められる。最適モデルから得られた組換価の推定値を用いて、地図関数よりマーカーA座及びB座と致死因子との間の地図距離を求め、連鎖地図上の致死因子の位置を決めることができる。

3)イネにおける致死因子座の解析

 以上の方法を斉藤ら(1991)によるイネF2集団における第III染色体の連鎖群内マーカーの分離データに応用した。組換価、生存率およびそれぞれの推定値の標準誤差を推定した。致死因子とNo.23のマーカーの間の組換価の推定値はいずれもOに非常に近かった。2検定によって3種のモデルのうち、「雌雄両配偶子に淘汰があるモデル」が最適であると判定した。生存率の推定値は雌雄平均で0.415であった。本法はDNAマーカーの分離データだけでなく、形質の分離データにも応用できると考えられる。

3.致死因子の存在がQTLの効果及び位置の推定に及ぼす影響

 QTLの連鎖群上位置と遺伝効果を推定する際に、同じ連鎖群上の近傍に致死因子の存在している場合として、致死因子の位置、作用様式、強度を異にする12種のモデルを用いて、コンピュータ・シミュレーションを行った。すなわち、致死因子の位置についてはQTLに近い場合と遠い場合の2とおり、致死因子の作用様式については片方の配偶子、両配偶子、接合体のどのレベルで働くかの3とおり、致死因子の強度については、正常遺伝子型を1としたときの致死因子をもつ配偶子または接合体の生存率の高い場合と低い場合の2とおりを想定した。

1)QTL位置の推定

 QTLの位置を50cMの点に設定した場合の、推定されたQTL位置の平均値は49.45cMから50.22cMまでの範囲にあった。平均値の標準誤差は正常なモデルで最小であった。致死因子が存在するモデルの中では、両配偶子に淘汰がある場合が大きかった。また、この場合、QTL位置の推定値の平均が設定した50cMよりつねに小さかった。

2)QTLの検出力の評価

 LOD最大値については致死因子の影響が明かで、とくにQTLと致死因子間の距離が小さい(5cM)場合では著しかった。致死因子の影響は3種の作用様式中、片配偶子淘汰の場合が最小で、両配偶子淘汰の場合が最大であった。とりあげた条件中最大の影響があった場合では、正常の場合のLOD(15.93)に対して、6.97にまで低下した。

3)QTLの遺伝効果の推定

 各モデルの相加効果の推定値の平均は正常な場合には0.981で設定値1.0に最も近かった。致死因子の存在下では、致死因子の作用様式および強度の異なるすべての場合に、正常な場合よりさらに低い推定値が得られた。QTLと致死因子の間の距離が小さいほど、また致死因子の作用強度が大きいほど、過小評価の程度も大きかった。3種の作用様式中では、とくに両配偶子淘汰の場合に低下が著しかった。優性効果の推定値の平均は正常な場合に0.538で設定値より高かった。致死因子がある場合には、相加効果と同様に、いずれの場合でも推定値の平均に低下が見られた。作用様式中では一般に両配偶子淘汰の場合が、最も低下が著しかった。

 以上、DNA多型連鎖地図の作成およびQTL解析において、誤分類および致死因子が存在する場合に、組換価およびQTLの位置と効果の推定の信頼性を高めるために、本研究結果を役立たせることができると考えられる。

審査要旨

 近年DNA多型を利用した連鎖地図作成が,多くの植物種で進められ,また従来の形質連鎖地図との統合が計られている。連鎖地図は全ゲノム選抜や遺伝子単離などの遺伝育種的利用上で重要であり,正確さと高い精度が要求される。本研究では,DNA多型連鎖地図の作成とそれに基づいた量的形質遺伝子座(QTL)の解析において今後解決すべき理論的課題のうち,形質誤分類と致死因子の問題をとりあげ,それらが連鎖地図作成における組換価推定やQTL解析にどのような影響をおよぼすかを考究した。また誤分類率や致死因子の作用強度や作用様式を推定する方法を提案した。

 1.組換価推定における形質誤分類の影響及び真の組換価と誤分類率の推定:はじめに,あるDNA多型座(A)とその近傍の量的形質に関与する単一座(B)を想定し,形質座の分類に一部ミスが含まれる場合にその誤分類がA-B間組換価の推定値に及ぼす影響を調べた。DNA多型座の分離は,共優性,優性(相引),優性(相反)の3とおりとした。表現型分離にもとづき最尤法により推定したみかけの組換価rは,誤分類があると,真の組換価roよりつねに大きい方向に偏ることが認められた。偏りの程度は,roの値に関係なく優性(相反)の場合が最も著しく,共優性と優性(相引)との間では大差なかった。誤分類があると,分離比だけは一見正常に見えても,組換価の推定値は著しい偏りを示し,とくにA-B間距離が小さいほどその影響が著しいことが判明した。つぎに理論的考察から,誤分類が存在しても,形質座とその両側に近接する2つのDNA多型座の分離データがあれば,最尤法とEMアルゴリズムを利用した方法により真の組換価と誤分類率を推定できることを示した。またこれらの推定値の標準誤差は情報行列の逆行列から求められる。この方法をイネのインド型x日本型交配F2集団のデータに適用し,真の組換価と誤分類率の推定に成功した。

 2.致死因子の存在が組換価推定に及ぼす影響及び運鎖地図における致死因子のマッピング法:はじめに2遺伝子座のうち片方の座で淘汰がある場合,座間組換価を通常の最尤法により推定した場合,組換価推定値にどのような影響があるかを検討した。致死因子の淘汰として,(1)雌雄どちらかの配偶子,(2)雌雄両配偶子,(3)接合体レベルの3様式を考えた。2座の表現型分離は,共優性対共優性,共優性対優性,優性対優性の3種の場合をとりあげた。数理的解析の結果,共優性対共優性の場合には,致死因子の3種の作用様式のいずれでも,組換価推定値は淘汰の影響を全く受けないことがわかった。また共優性対優性及び優性対優性の場合には,接合体レベルの淘汰では影響がないが,片配偶子レベルまたは両配偶子レベルでの淘汰では,推定値が過小方向に偏ることが判明した。偏りは両配偶子淘汰のほうが大きかった。つぎに2遺伝子座とそれとは別の致死因子座が同一連鎖群上に近接して存在する場合に,2座間の真の組換価を推定する方法を検討した。その結果2座の表現型の分離データから,最尤法とEMアルゴリズムを利用した繰返し計算により,組換価だけでなく致死因子座の連鎖群上位置の推定も同時に可能であることが示された。組換価の標準誤差は誤分類と同様に,情報行列の逆行列から求められた。さらに組換価と致死因子の強度の推定値をモデルに代入したときの期待頻度と実際の観察頻度との適合性を2検定することにより,致死因子の3種の作用様式のうちどれが最適かが決められることがわかった。以上の方法をイネF2集団における第III染色体のDNA多型の分離データに適用した。この場合致死因子の作用は,従来の予想と異なり雌雄両配偶子レベルで働いていると判定された。

 3.致死因子の存在がQTLの効果及び位置の推定に及ぼす影響:QTLの連鎖群上位置と遺伝効果の推定において,QTLの近傍に致死因子が存在している場合に,致死因子の位置,作用様式,強度を異にする12種のモデルを想定して,各モデル当たり1000回のコンピュータ・シミュレーションを行った。その結果,致死因子が存在する場合でも,QTL位置の推定値自体には大きな影響がないことが認められた。しかしQTL検出感度の指標となるLOD最大値には致死因子による著しい減少が見られた。またQTL座の遺伝効果については,相加効果及び優性効果ともに,設定値より低い推定値が得られた。このような致死因子の影響は,3種の作用様式中では,片配偶子レベルの淘汰の場合が最小,両配偶子淘汰の場合が最大であった。

 以上要するに,本研究によってDNA多型連鎖地図の作成と利用に関する統計遺伝学的方法について,学術上重要な知見と考察を提供した。よって審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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