内容要旨 | | 高等植物のミトコンドリアゲノムは、動物や菌類のものと比べてサイズが著しく大きく、複雑であることが知られている。ゲノムサイズの割に遺伝子の数は少なく、ミトコンドリアゲノムの大半は非コード領域で占められており、非コード領域には葉緑体及びミトコンドリア遺伝子由来の偽遺伝子や様々な反復配列、プロモーターなどの調節領域等が散在している。非コード領域での組み換えの頻度が高いために、ゲノムの構成や遺伝子の配置は植物間でかなり異なっている。本研究では高等植物のミトコンドリアゲノムの構造と発現について理解を深めるために、イネ(Oryza sativa cv.Nipponbare)を材料にして、特にミトコンドリアゲノムの非コード領域の特徴に着目して以下の解析を行った。 1.イネミトコンドリアゲノム中に存在する葉緑体由来の配列の同定 それぞれイネミトコンドリアDNA(mtDNA)と葉緑体DNA(ctDNA)の全領域を網羅するクローンを使って、イネミトコンドリアゲノム中のctDNAとの相同領域を全て同定した。32bpから6.8kbpの16種類のctDNA由来の配列がイネmtDNA上に散在していることが明らかになった。これらの配列はイネミトコンドリアゲノムの約6%(22 kbp)を占めており、また、ctDNAの約5分の1(19%)がミトコンドリアゲノムに転移したことが示唆された。イネmtDNAには葉緑体由来のtRNA遺伝子が9種類存在しており、コムギやジャガイモのミトコンドリア内で転写されている葉緑体由来のtRNA遺伝子が、全てイネmtDNA上にコードされていることが明らかになった。葉緑体からミトコンドリアへの転移後に、ミトコンドリアゲノム上で再編成に関わったと思われる領域が4カ所存在した。特にrps19-trnH-rp12/rp123-rbcL-atpB-atpE-trnM-trnV遺伝子群は、進化の過程でイネとトウモロコシの分岐の前にrps19-trnH-rp12-rp123が転移し、両者の分岐後にrp123-rbcL-atpB-atpE-trnM-trnVが転移し、イネミトコンドリアゲノム上でrp123の相同領域で組み換えを行ったことが示された。この結果はmtDNA上のctDNA由来の配列がイネミトコンドリアゲノムの複雑さや可塑性に寄与していることを示している。 2.イネmtDNA上の短い反復配列の解析 60bpから66bpの反復配列がイネmtDNA上の少なくとも10カ所に散在していることが明らかになった。この反復配列の二次構造を推定すると、安定なstem-and-loop構造を形成でき、palindromic repeated sequence(PRS)と命名した。リボソームタンパク質S3遺伝子(rps3)のイントロン中に存在するPRSと、ctDNA由来のアスパラギンtRNA遺伝子(trnN)の隣接領域に存在するPRSは、イネ科植物の進化の過程でOryza属植物に分岐した後に、Oryza属植物のそれぞれの領域に挿入したことが示唆された。これらの特徴はある種の下等真核生物(Saccharomyces cerevisiae,Neurospora crassa,Chlamydomonas reinhardtii)のミトコンドリアゲノム上に存在する短い散在型反復配列と似ており、特にパン酵母(S.cerevisiae)の可動性反復配列であるGC clusterと酷似していた。これらの反復配列の転移もしくは挿入にstem-and-loop構造が必要であることが示唆されている。 次にOryza属植物のmtDNA上でのPRSを介した相同組み換えの可能性を検討した。まず最初に、11種18系統のOryza属植物のPRSのコピー数をサザンハイブリダイゼーションの手法で調べた。PRSのコピー数にはあまり違いがみられなかったが、ハイブリダイゼーションのパターンにはゲノム型または種特異性が観察された。PRSを介した相同組み換えがこの特異性に寄与した可能性が考えられた。PCR、サザンハイブリダイゼーションの手法および塩基配列の決定によって、BBゲノム型の植物が他のゲノム型のOryza属植物から分岐した後に、BBゲノム型の植物のmtDNA上で2個のPRS間で相同組み換えがおこったことが示唆された。これらの証拠はOryza属植物の進化の過程でPRSが挿入と相同組み換えの両方に関与したことを示しており、PRSはイネミトコンドリアゲノムの複雑さだけでなく多様性にも寄与していることが明らかになった。 26S rRNA遺伝子(rrn26)とinitiator methionine tRNA遺伝子(trnfM)の上流に、PRSとは異なる別な76 bpの短い反復配列が存在する。in vitro capping/ RNase protection assayおよびprimer extensionを組み合わせて、この両遺伝子の転写開始点を決定したところ、それぞれの遺伝子の上流域に存在する76 bpの反復配列内の同じ配列から転写が開始されていることが明らかになった。このことは機能の全く異なるrRNA遺伝子とtRNA遺伝子のそれぞれの転写が、同じプロモーター配列から開始されていることを示している。この証拠はミトコンドリアゲノム上に多数存在する短い反復配列の、機能面からの存在意義を提供した。 3.rps3-rpl16-nad3-rps12遺伝子群の共転写 rps3-rpl16とnad3-rps12の両遺伝子群は、ほとんどの植物でミトコンドリアゲノム上のお互い離れた領域に存在し、それぞれの転写単位を形成している。ところがイネにおいてはrpl16の698 bp下流にnad3が存在しており、6 kbpの範囲内にrps3、rpl16、nad3、rps12の4遺伝子が遺伝子群を成していることが明らかになった。ノーザンハイブリダイゼーションの手法でこの遺伝子群の転写を調べたところ、4遺伝子に共通の約6.6 kbの転写物が観察された。さらにRT-PCR法でrpl16とnad3が共転写されていることが確認された。これらのことよりrps3、rpl16、nad3、rps12の4遺伝子は共転写されていることが明らかになった。次にin vitro capping/RNase protection assayおよびprimer extensionによりこの遺伝子群の転写開始点を調べた。その結果、rps3の上流とrpl16-nad3のスペーサー領域の2カ所に転写開始点が存在することが明らかになった。 4.イネミトコンドリア遺伝子の転写開始点付近に存在するコンセンサス配列の同定 イネミトコンドリアの5種類の遺伝子(orf483,rrn18,atp9,rrn26,trnfM)と1遺伝子群(rps3-rpl16-nad3-rps12)の転写開始点をin vitro capping/RNase protection assayおよびprimer extensionの手法で決定した。これらの遺伝子の転写開始点付近に保存された配列が見い出され、コムギやトウモロコシのミトコンドリア遺伝子のプロモーター配列と相同性が高いことが明らかになった。特に単子葉植物、双子葉植物間で高度に保存されているCRTA motifがイネの場合にも見い出された。このCRTA motifがミトコンドリア遺伝子の転写の開始に必須であることが示唆された。次に、イネmtDNA上に存在する転写開始点の数を推定した。イネrntDNAを3種類の制限酵素で切断し、アガロース電気泳動を行い、ナイロン膜にブロットした。キャッピングしたmtRNAをプローブにしてハイブリダイゼーションを行ったところ、13〜16個のシグナルが検出され、イネmtDNA上には少なくとも16個の転写開始点が存在することが明らかになった。 以上をまとめると、イネのミトコンドリアゲノムのかなりの部分を占める非コード領域には、葉緑体から転移してきたDNA断片や様々な反復配列が存在し、それらの配列がミトコンドリアゲノムの再編成に寄与していた。またゲノムの再編成の結果、遺伝子の構成も変化し、元々離れた領域に存在していた遺伝子が隣接し共転写されるようになり、また一方では隣接していた遺伝子群が分離するような多様性が観察された。遺伝子構成の再編成にはプロモーターの有無が重要であり、イネミトコンドリアゲノム全体のプロモーターの数を把握する必要があった。イネミトコンドリアゲノム上には少なくとも16個のプロモーターが存在することが推定された。今後、イネミトコンドリアゲノムの再編成と遺伝子発現との関係について理解を深める必要があると考えられた。 |
審査要旨 | | 高等植物のミトクンドリアゲノムは,動物や菌類のものと比べてサイズが着しく大きく,複雑である。ゲノムサイズの割に遺伝子の数は少なく,ミトコンドリアゲノムの大半は非コード領域で占められており,非コード領域には葉緑体及びミトコンドリア遺伝子由来の偽遺伝子や様々な反復配列,プロモーターなどの調節領域等が散在している。本研究では高等植物のミトコンドリアグノムの構造と発現について理解を深めるために,イネ(Oryza sativa cv.Nipponbare)を材料にして,特にミトコンドリアゲノムの非コード領域の特徴に着目して以下の解析を行った。 1.イネミトコンドリアゲノム中に存在する葉緑体由来の配列の同定 それぞれイネミトコンドリアDNA(mt DNA)と葉緑体DNA(ctDNA)の全領域を網羅するクローンを使って,イネミトコンドリアゲノム中のctDNAとの相同領域を全て同定した。32bpから6.8kbpの16種類ctDNA由来の配列がイネmtDNA上に散在していることが明らかになった。これらの配列はイネミトコンドリアゲノムの約6%(22kbp)を占めており,また,ctDNAの約5分の1がミトコンドリアゲノムに転移したことが示唆された。葉緑体からミトコンドリアへの転移後に,ミトコンドリアゲノム上で再編成に関わったと思われる領域が4カ所存在した。この結果はmtDNAのctDNA由来の配列がイネミトコンドリアゲノムの複雑さや可塑性に寄与していることを示している。 2.イネmtDNA上の短い反復配列の解析 60bpから66bpの反復配列がイネmtDNA上の少なくとも10カ所に散在していることを明らかにした。この反復配列の二次構造を推定すると,安定なstem-and-loop構造を形成でき,palindromic repeated sequence(PRS)と命名した。rps3遺伝子のイントロン中に存在するPRSと,ctDNA由来のtrnN遺伝子の隣接領域に存在するPRSは,イネ科植物の進化の過程でイネ属植物に分岐した後に,それぞれの領域に挿入したことが示唆された。 次にイネ属植物のmtDNA上でのPRSを介した相同組換えの可能性を検討した。PCR,サザンハイブリダイゼーションおよび塩基配列の決定によって,BBゲノム型の植物が他のゲノム型のイネ属植物から分岐した後に,BBゲノム型の植物のmtDNA上で2個のPRS間で相同組換えがおこったことが示唆された。これらの証拠はイネ属植物の進化の過程でPRSが捜入と相同組換えの両方に関与したことを示しており,PRSはイネミトコンドリアゲノムの複雑さだけでなく多様,性にも寄与していることが明らかになった。 3.rps3-rpl16-nad3-rps12遺伝子群の転写 rps3-rpl16とnad3-rps12の両遺伝子群は,ほとんどの植物でミトコンドリアゲノム上のお互い離れた領域に存在し,別の転写単位を形成している。しかしイネでは6kbpの範囲内にrps3,rpl16,nad3,rps12の4遺伝子が遺伝子群を成していることが明らかになった。ノーザンハイブリダイゼーションでこの転写を調べると,4遺伝子に共通の約6.6kbの転写物が観察された。さらにRT-PCR法でrpl16とnad3の共転写を確認した。これらのことよりrps3,rpl16,nad3,rps12の4遺伝子が共転写されることを明らかにした。次にin vitro capping/RNase protection assayおよびprimer extensionによりこの遺伝子群の転写開始点を調べた。その結果,rps3の上流とrpl16-nad3のスベーサー領域の2カ所に転写開始点が存在することを明らかにした。 4.イネミトコンドリア遺伝子の転写開始点付近に存在するコンセンサス配列の同定 イネミトコンドリアの5種類の遺伝子(orf483,rrn18,atp9,rrn26,trnfM)と1遺伝子群(rps3-rpl16-nad3-rps12)の転写開始点をin vitro capping/RNase protection assayおよびprimer extensionの手法で決定した。これらの遺伝子の転写開始点付近に保存された配列が見い出され,コムギやトウモロコシのミトコンドリア遺伝子のプロモーター配列と相同性が高いことが明らかになった。特に単子葉植物,双子葉植物間で高度に保存されているCRTA motifがイネの場合にも見い出された。このCRTA motifがミトコンドリア遺伝子の転写の開始に必須であることを示した。 以上を要約すると,イネのミトコンドリアゲノムには,葉緑体から転移したDNA断片や様々な反復配列が存在し,それらの配列がミトコンドリアゲノムの再編成に寄与していた。またゲノムの再編成の結果,遺伝子の構成も変化し,離れた領域に存在していた遺伝子が隣接し共転写されるようになり,発現にも多様性があることを明らかにした。 よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位を授与するに値するものと認めた。 |