学位論文要旨



No 111244
著者(漢字) 趙,炳薫
著者(英字) CHO,Byung Hoon
著者(カナ) チョウ,ビョンフン
標題(和) 環境ストレスを受けた土壌の修復に関する研究
標題(洋) Studies on the remediation of the soils with environmental stresses
報告番号 111244
報告番号 甲11244
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1535号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,聡
 東京大学 教授 茅野,充男
 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 大森,俊雄
 東京大学 助教授 小柳,津広志
内容要旨

 近年、人間は自らの欲求を充足させるため地球の将来のことはあまり考えず環境破壊を行ってきた。その行為は生き物の根源である土壌に対して計り知れないストレスを与え続けている。そのストレスを受けた土壌がもと通りに修復されるのには何年かかるかは誰も予測できない。例えば、国際的には1991年初頭イラクの侵攻により勃発した湾岸戦争が残したクウェートの石油汚染もその一つである。また国内においては消費者の要求に沿い一年中品質のよい作物を供給するため生産者たちはやむを得ず同一作物の連作栽培を強いられ,多収穫を望む農家としては石灰質資材の施用とビニールマルチを施すことにより、生産を維持している。しかし、土壌は窒素過剰とマルチ栽培の普及に伴って、土壌養分の集積および養分のアンバランス化により作物体の環境抵抗力の弱化を招き、連作障害が起こりやすい環境になりつつある。本研究では、このような環境ストレスを受けた土壌として病害多発土壌および石油汚染土壌を用い、その特徴を解明し、健全化の方策を探る2つの実験を行った。

実験1亜硝酸態窒素の集積によるサツマイモ立枯症状の生態的防除

 サツマイモ立枯病は、従来放線菌の一種のStreptomyces ipomoeaeにより発生し、高温・乾燥・高pHの土壌環境下で助長される土壌伝染性病害であると見なされてきた。日本においては、1946年に長崎県で初めて発生し、その後石灰質資材の施用およびマルチ栽培の普及とともに各地で多発したが、その後被害はいっこうに衰えを見せず、現在に至っている。サツマイモの主産地の一つである千葉県の香取郡多古町においてもサツマイモ立枯病が発生し、大きな問題となっている。しかし、一部の圃場では立枯病のみでは説明できない症状が発生しており、その原因を究明し、生態的防除法を明らかにすることを試みた。

1)サツマイモ立枯症伏発生に影響を及ぼす土壌環境要因の解明

 現場の状況を綿密に観察してみると以下のことが明らかになった。

 1.立枯病はこの圃場の全体に広がっているのではなく、畑のごく一部しか見られなかった。

 2.この圃場の立枯病発生部分は側溝のない道路に面しており、雨水が直接道路から侵入して過湿状態となっていた。このことは、従来指摘されている立枯病発生因子の一つである乾燥条件とは異なっていた。

 そこで、この病害発生土壌の理化学性を分析した結果、亜硝酸態窒素含量は11.13mg/100g乾土であり、健全土の1.04mg/100g乾土に比らべて10倍以上多いことがわかった。これは石灰質資材など土壌改良剤の施用により、ハウス土壌においてはpHが上昇し、さらにマルチの施工により土壌表面からの水分の蒸発散が著しく抑制されるため土壌が過湿となり、酸化還元電位が下がり、より還元的な環境が土壌中に形成されたためと考えられた。そこで、Seed-Pack growth pouchを用い、S.ipomoeaeの接種により発生する症状と亜硝酸態窒素の添加により発生する生理障害との比較観察を行った。

 その結果、以下の現象が確認された。

 1.S.ipomoeae接種区においては、根の先端だけが黒変腐敗し、地上部の葉は枯れ落ちることもあった。

 2.亜硝酸態窒素添加区においては、上記の1.の症状とは逆に根元に近い部分に斑点ができた。根の先端が黒変腐敗することはなかった。

 3.上記の1.の症状は病徴的には現場の症状とは異なる点がみられた。

 次に、ふるいを通した湿潤病土を用いた試験区をビニールハウス内に設けた。サツマイモの栽培中に生じた生育障害は、立枯病原菌による症状に類似し、現場における病徴とは異なった。この理由として、土壌をふるいに通すことにより亜硝酸態窒素が硝酸態窒素に酸化されたことが推測された。

 以上の結果から、現場でみられたサツマイモ立枯症状は従来の知見で指摘されてきたS.ipomoeaeによる症状のみではなく、過剰の亜硝酸態窒素による生理障害とS.ipomoeaeによる症状の複合、または、過剰な亜硝酸態窒素のみによる生理障害の症状と推察された。

2)サツマイモ立枯症状軽減のための資材添加試験および軽減の方策

 土壌に亜硝酸態窒素が集積するのを防止するためにC/N比の高い落葉(68.0)と低い牛糞コンポスト(14.3)、硝酸系肥料の硝酸カルシウムとアンモニア系肥料の硫安を組み合わせて添加した土壌にサツマイモを栽培して、その効果を追ってみた。実験区はコントロール区と硝酸カルシウム区・硝酸カルシウム+落葉区・硝酸カルシウム+牛糞区と硫安区・硫安+落葉区・硫安+牛糞区の7つを設けた。脱窒菌と硝化菌の菌数および無機態窒素含量を経時的に測定した結果、硝酸系肥料と落葉の添加が土壌中の亜硝酸の生成を抑制し、サツマイモ立枯症状の防止にはもっとも効果があると結論づけられた。

 サツマイモ立枯病は従来病因菌による伝染性病害と考えられていたが、この研究により土壌中の亜硝酸濃度の上昇と病因菌による複合的障害であることが明らかとなった。したがって、ある程度までは栽培技術により防止することが可能であり、できるだけC/N比の高い有機質資材を添加することが望ましいと考えられる。

実験2石油汚染土壌のバイオリメディエーション

 石油系物質による土壌等の汚染を浄化・修復するため、微生物の機能を利用して、汚染物質を効率的に分解・処理する技術すなわちバイオリメディエーションに関する研究開発が欧米諸国を中心に活発に行われているが、有効性、安全性等の評価に関する知見は少ない。この実験は、石油汚染土壌の汚染程度を軽減するための基礎的検討を行い、今後のバイオリメディエーション技術開発に資することを目的とした。

1)石油汚染土壌の石油分解試験

 1991年の湾岸戦争時に汚染されたクウェート砂漠土壌を輸入し、これにバーク堆肥、ハイポネックス、イソライト、多孔質ガラス、椰子殼炭、市販石油分解菌等を10通りの組合せで混合し、大型ガラスカラムに詰め、30℃の恒温室に静置し、1日1時間の曝気と水分含量15%になるように水分を補給・調節しながら経時的に石油分解過程を追跡した。それぞれのカラムで培養47週目までの開に20〜35%程度の分解が進んた。椰子殻炭を添加したカラムは、試験期間を通じて常に高い水分含量を示し、非常に乾燥しにくい状態に保たれた。椰子殻炭に保水効果がある可能性を示し、培養開始後47週経った時点で約35%が分解され最も優れた状態にある。相対的にはバーク堆肥とイソライトを添加したカラムの分解も速いと判断された。市販石油分解菌の投入による効果はほとんどないと判断された。また、別に行った界面活性剤添加試験により、界面活性剤の添加による分解促進効果はほとんどないことも判明された。以上の結果をまとめると、石油分解の促進のための添加資材として椰子殼炭が最も優れていると考えられた。

2)分解過程における石油成分の化学分析

 分析は未分解の混合土壌(前述の分解試験で用いたもの)および培養開始後17週目に採取した3点に対して行った。培養したサンプルでは未分解のものに比べて飽和族が減少している。また、未分解のもので見られる飽和族のFDスペクトルで顕著に確認されるZ数=2の飽和炭化水素に帰属するピークが培養した試料では顕著に見られなくなっていることから飽和族のなかでも特に飽和炭化水素が減少していることが分かった。このことは、環別の分析結果からも支持された。元素分析結果より、培養した土壌のH/C比は、未分解のものと比較して減少していた。このことは、飽和性の高い化合物または結合が減少していることを示している。また、Sの分析値が未分解と比較して増加している。このことから、含S化合物の主成分が飽和族ではなく、芳香環に含まれるS化合物が多いことが推定される。さらに、培養した土壌では、未分解のものと比較して、芳香族炭素の割合および芳香族水素の割合が増加している。これは、上記で考察した飽和族の減少を支持している。NMRより求めた3試料のパラメーターでは芳香環側鎖脂肪基の長さ以外に顕著な差は認められなかった。このことは、芳香環に関しては、顕著な変化がないことを示している。芳香環側鎖脂肪基の長さの差は、平均的に飽和族化合物の減少に起因していると考えられた。

3)石油分解過程での生物毒性の検討

 2,4ベンツピレンが石油中に存在することは知られているが、これらの発ガン性の疑われる物質の存在・消長を変異原性試験で追跡した。変異原性はSalmonella typhimurium TA100株およびTA98株を用いたAmesテストの代謝活性化法により行い、10gから10,000gの濃度範囲で復帰変異コロニーの数を対照と比較して判定した。その結果、分解処理のものも未処理のものもほとんど変異原性が認められず、変異原性のある2,4ベンッピレンのようなものの濃度は極めて低いと判断された。

 次に汚染土壌中に含まれている物質の植物への影響を観察した。まず、植物種子を用い、発芽率を調べた。当初小松菜で試験した結果、供試土壌の高い塩分含量により全く発芽が見られなかったため、さらに耐塩性の高い大麦を用いて試験したが全ての試料で発芽が全く見られなかった。また、花粉管伸長試験をチャの花粉を用いて行った結果、各カラムとも伸長阻害は全く見られず、逆に石油分解物を低濃度加えることにより花粉管伸長の促進が観察された。

4)炭化水素および多環芳香族化合物分解菌の分離・同定

 環流装置(percolator)を用い、石油汚染土壌を集積培養することにより菌の分離および同定を試みた。純粋分離には、無機合成培地および土壌抽出物を添加した無機合成培地を用いた。無機合成培地を用いた分離では、炭化水素(n-ヘキサデカン、テトラメチルペンタヂカン)を添加したものでは生育が認められたが、各種の多環芳香族化合物を添加した培地では菌の生育は全く見られなかった。一方、土壌抽出物を添加した無機合成培地による分離では、多環芳香族化合物添加培地に菌の生育は認められたが、最終的に多環芳香族を分解する菌の単離はできなかった。炭化水素を分解する細菌は多数分離され、これらはNocardia,Rhodococcus属に同定された。

5)クウェート国石油汚染土壌修復の方策

 この研究では、石油汚染土壌の浄化には椰子殼炭が有効であること、石油分解処理過程の石油成分には植物毒性および変異原性がほとんど認められないことが明らかとなった。一方、多環芳香族化合物を分解する細菌が砂漠土壌にはほとんど存在しないことが判明し、このことが土壌修復の困難さの原因となっているものと考えられた。したがって、より有効な土壌修復のためには、椰子殼炭などの分解を促進する有機資材の利用と同時に砂漠土壌に適応する有効な多環芳香族化合物分解菌を分離して活用することがこれからの課題となろう。

おわりに

 環境ストレスを受けた土壌には有機物汚染、重金属汚染、病原菌汚染などさまざまなものがあり、それぞれに適切な対応をとる必要がある。このような土壌修復には土壌微生物の動態の把握が不可欠である。本研究で行った2つの実験はこのような立場から行ったものであり、土壌修復のモデルのひとつとなるものであると考えられる。

審査要旨

 近年,人間による環境へのインパクトはさまざまな形で強まっている。そのインパクトは生き物の根源である土壌に対して計り知れないストレスを与え,そのストレスを受けた土壌がもと通り修復されるのに何年かかるかは予測困難である。本研究では,このような環境ストレスを受けた土壌として石油汚染土壌および連作障害多発土壌を用い,その特徴を解明し,健全化の方策を探る2つの実験を行った。

1.土壌病害とくにサツマイモ立枯症発生圃場における発生原因とその防除対策

 サツマイモ立枯病は,従来Streptomyces ipomoeaeにより発生し,高温・乾燥・高pHの土壌環境下で助長される土壌伝染性病害であると見なされてきた。日本においては,1946年に長崎県で初めて発生し,その後被害はいつこうに衰えを見せず,現在に至っている。サツマイモの主産地の一つである千葉県の香取郡多古町においても立枯病が発生し,大きな問題となっている。しかし,一部の圃場では立枯病のみでは説明できない症状が発生しており,その原因を究明し,生態的防除法な明らかにすることを試みた。

(1)サツマイモ立枯症状発生に影響を及ぼす土壌環境要因の解明

 現場の状況観察から以下のことが明らかとなった。

 1)立枯病はこの圃場の全体に広がっているのではなく,畑のごく一部でしか見られなかった。

 2)この圃場の立枯病発生部分は側溝のない道路に面しており,雨水が直接道路から侵入して過湿状態となっていた。このことは,従来指摘されている立枯病発生因子の一つである乾燥条件とは異なり,この病害発生土壌の理化学性を分析した結果,亜硝酸態窒素含量は11.13mg/100g乾土であり,健全土の1.04mg/100g乾土に比べて10倍以上多いことが分かった。そこで,Seed-Pack growth pouchを用い,S.ipomoeaeの接種により発生する症状と亜硝酸態窒素の添加により発生する生理障害との比較観察を行った。

 その結果,以下の現象が確認された。

 1)S.ipomoeae接種区においては,根の先端だけが黒変腐敗し,地上部の葉は枯れ落ちることもあった。2)亜硝酸態窒素添加区においては,上記の1)の症状とは逆に根元に近い部分に斑点ができた。3)上記の1)の症状は病徴的には現場の症状とは異なる点がみられた。

 以上の結果から,現場でみられた立枯症状は従来の知見で指摘されてきたS.ipomoeaeによる症状のみではなく,過剰の亜硝酸態窒素による生理障害とS.ipomoeaeによる症状の複合,または,過剰な亜硝酸態窒素のみによる生理障害の症状と推察された。

(2)サツマイモ立枯症状軽減のための資材添加試験および軽減の方策

 土壌に亜硝酸態窒素が集積されるのを防止するためにC/N比の高い落葉(68.0)と低い牛糞コンポスト(14.3),硝酸カルシウムと硫安を組み合わせて添加した土壌にサツマイモを栽培して,その効果を追ってみた。その結果,硝酸系肥料と落葉の添加が土壌中の亜硝酸の生成を抑制し,サツマイモ立枯症状の防止にはもっとも効果があると結論づけられた。

2.石油で汚染された土壌のバイオリメディエーション

 石油汚染土壌の汚染程度を軽減するための基礎的検討な行い,今後のバイオリメディエーション技術開発に資することを目的として行った。

(1)石油汚染土壌の石油分解試験

 石油で汚染されたクウェート土壌にバーク堆肥,ハイボネックス,イソライト,多孔質ガラス,椰子殻炭,市販石油分解菌等を10通りの組合せで混合し,培養を行った。その結果,椰子殻炭を添加したカラムが,常に高い水分含量を示し,保水効果がある可能性を示すとともに,培養開始後43週を経った時点で約35%が分解され最も優れた状態にあった。また,相対的にはバーク堆肥とイソライトを添加したカラムの分解も速いと判断された。

 以上の結果をまとめると,石油分解の促進のための添加資材として椰子殻炭が算も優れていると考えられた。

(2)分解過程における石油成分の化学分析

 培養したサンプルでは未分解のものに比べて飽和族が減少した。元素分析結果より,培養した土壌のH/C比は,未分解のものと比較して減少していた。このことは,飽和性の高い化合物または結合が減少していることを示している。また,Sの分析値が未分解と比較して増加している。このことから,含S化合物の主成分が飽和族ではなく,芳香環に含まれるS化合物が多いことが推定された。

(3)石油分解過程での生物毒性の検討

 変異原性はSalmonella typhimurium TA100株およびTA98株を用いたAmesテストの代謝活性化法により行い,復帰変異コロニーの数を対照と比較して判定した。その結果,分解処理のものも未処理のものもほとんど変異原性が認められず,変異原性のある3,4ベンヅピレンのようなものの濃度は極めて低いと判断された。

 また,花粉管伸長試験をチャの花粉を用いて行った結果,各カラムとも伸長阻害は全く見られず,逆に石油分解物を低濃度加えることにより花粉管伸長の促進が観察された。

(4)炭化水素および多環芳香族化合物分解菌の分離・同定

 環流装置(Percolator)を用い,石油汚染土壌を集積培養することにより菌の分離および同定を試みた。その結果,飽和族炭化水素を添加したものから4株が得られ,最終的に飽和族炭化水素を分解する細菌3株を新しく分離することに成功した。これらはRhodococcus,Nocardia属と同定された。

 以上を要するに本論文は種々の形で加わる土壌へのインパクトをその状況から解析し,講ずるべき修復方法を検討したもので,学術上,応用上寄与するところが少なくない。よって,審査員一同は本論文が博士(農学)論文として価値あるものと判定した。

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