審査要旨 | | 本論文は,新規酵素,ニコチアナミンアミノ基転移酵素について,精製と性質に関する研究を行ったものである。 第1章では,研究の背景と目的を明らかにしている。すなわち,イネ科植物は,それ以外の植物とは異なり,3価カチオンのキレーターであるムギネ酸類を分泌し,Fe3+をキレートしたムギネ酸類を錯体のまま吸収しており,ムギネ酸類の生合成と分泌は鉄欠乏処理で誘導される。ムギネ酸類の総分泌量には種間差があり,鉄欠乏耐性と相関があり,ムギネ酸類の生合成活性がイネ科植物の鉄欠乏耐性を支配していると考えられている。 当研究では,ムギネ酸類の生合成経路のうち初期段階を触媒するニコチアナミンアミノ基転移酵素に着目し,研究対象とした。それは,本酵素がイネ科のみが進化的に獲得した酵素と考えられ,ムギネ酸類の生合成量に及ぼす影響が大きく,この酵素をコードする遺伝子は,ムギネ酸類生合成系の根における発現や鉄欠乏ストレスによる誘導機構を分子生物学的に解析するための分子プローブとして,鉄欠乏耐性遺伝子の候補として重要であると考えたためである。 第2章では,水耕栽培したオオムギの根を主に実験材料として用い,大畑の方法によって酵素活性を測定し,以下の新事実を明らかにし,考察を加えている。 所在 6種類のイネ科植物の根に活性が認められ,双子葉植物では活性が検出されなかった。この結果は,本酵素の基質であるニコチアナミンは植物界に広く分布するのに対しムギネ酸類はイネ科のみに認められるという事実と合致している。本酵素活性はオオムギの鉄欠乏性黄化葉には活性が検出されなかったが,このことは地上部に存在するムギネ酸類は根から移行してきたものだとする従来の予想と合致している。この遺伝子の発現は根に特異的であると推定した。 性質 イネ科植物ではムギネ酸類の分泌量と同様に本酵素活性に種間差があり,ムギネ酸類の放出量と相関があった。このことは,この酵素活性の増強がムギネ酸類の生合成量の増強の必要条件であることを示している。また,調べた全てのイネ科植物で鉄欠乏処理で本酵素活性が誘導され,オオムギでは1日以上,3日以内に活性が誘導されたこと,ならびに鉄欠乏処理を解除するとオオムギでは1日以上,2日以内に当酵素活性が減少したことを示し,本酵素の遺伝子がイネ科植物の鉄欠乏に対する応答を解析するための手段として適格なことを推察した。本酵素活性に日間変動は認められず,個体のどの生育段階でも鉄欠乏による酵素活性の誘導が可能であった。酵素活性の最適pHは,8.5-9.0,最適温度は,25-35℃,K+イオンが必要,2価カチオンは阻害的,Fe2+イオンやFe3+イオンは活性を阻害せず,酵素のフィードバック阻害も認められなかった。オオムギには複数の本酵素のアインザイムが存在し,いずれも鉄欠乏で活性が誘導された。これらのアイソザイムのうち,NAAT IIと命名したものは鉄欠乏処理を行わなかった対照区でも活性が検出されたが,NAAT Iと命名したものは鉄欠乏植物にのみ活性が認められた。NAAT IとNAAT IIの分子量とニコチアナミンに対するKm値がそれぞれ(80kDa,0.4mM),(90kDa,0.9mM)であった。 精製 鉄欠乏処理による活性の誘導が顕著なNAAT Iを,ブチルトヨバール650M,ハイドロキシルアバタイト,DEAEセファセル,セファクリルS300-HRおよびエコノパックカートリッジHTPにより,鉄欠乏処理したオオムギの根1kgから精製し,鉄欠乏処理をしなかった対照区から同様の方法で精製した標品との比較から本酵素と考えられるペプチドを同定したが,極微量のためアミノ酸配列の決定には到らなかった。 第3章では,研究結果の総括な行い,当研究で,本酵素の遺伝子が当初の目論み通り鉄欠乏ストレスによる誘導機構を分子生物学的に解析するための分子プローブとして,また鉄欠乏耐性遺伝子として利用できる可能性を示した。 以上,本研究は,イネ科植物の鉄欠乏耐性機構の一端を明らかにし,将来の農業上,環境保全上に有用な基礎的知見をもたらしたもので,審査の結果,審査員一同,博士(農学)に相当するものと認定した。 |