学位論文要旨



No 111250
著者(漢字) 立花,誠
著者(英字)
著者(カナ) タチバナ,マコト
標題(和) 光合成細菌のDMSO呼吸における電子伝達系に関する研究
標題(洋) Studies on DMSO respiratory electron transport system of a photosynthetic bacterium
報告番号 111250
報告番号 甲11250
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1541号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 大森,俊雄
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 大久保,明
内容要旨

 近年、dimetyl sulfoxide(DMSO)やその還元産物であるdimethyl sulfide(DMS)が自然界、特に海洋圏に広く分布している物質であることが分かってきている。これらの物質は植物や細菌による生物化学的変換、あるいは光エネルギーなどによる物理化学的変換にによって1つの有機硫黄サイクルを形成している。特に大気中のDMSは雲核を形成することにより地球の温暖化に関与するとともに、酸化されて硫酸になり、酸性雨の原因になるなど環境問題を論じる上でも見逃せない物質である。

 DMSOの還元によるDMSの生成は多くの細菌や動物で確認されているが、脱窒光合成細菌であるRhodobacter sphaeroides f.sp.denitrificansも、この変換をDMSO呼吸で行うことが知られている。本菌をDMSO添加培地で培養するとDMSO呼吸系の末端酵素であるDMSO reductaseが誘導合成され、ペリプラズム空間に蓄積する。本酵素は水溶性で分子量約82kDa(SDS-PAGEによる)のモノマーな酵素であり、1分子中に1原子のモリブデンをモリブデンコファクターとして含有するが、この末端酵素に至る電子の流れに関しては未だ不明な点が多い。本研究では、脱窒光合成細菌の嫌気呼吸の1つであるDMSO呼吸の意義を明らかにするため、その電子伝達系路の解明を目的として生化学的、分析化学的手法を用いて研究を行った。

I.DMSO reductaseの遺伝子解析

 R.sphaeroidesのDMSO呼吸系の末端酵素であるDMSO reductaseの遺伝子解析を行った。生成酵素のエドマン分解で得られた内部アミノ酸配列NIEKYGMYDDに相当するオリゴヌクレオチドをクローニングのプローブとして使用し、DMSO reductaseの遺伝子を含むpstI-salI断片(3.3kbp)のDNAフラグメントを解析した。

 R.sphaeroidesのDMSO reductaseをコードする遺伝子(Rs dmsA)は2466bpからなり、DMSO reductaseはシグナル配列を含めて822残基のアミノ酸によって構成されていた。N末のシグナルペプチドは42残基からなり、matureな酵素には存在しないことがタンパク側からのアミノ酸シークエンシングと遺伝子側からの解析にによって確認された。E.coliのtrimethylamine N-oxide(TMAO)reductase(Ec torA)、biotin sulfoxide reductase(Ec bisC)、DMSO reductaseのcatalytic subunit(Ec dmsA)とのホモロジーは各々48、44、29%であった。現在までに報告されているモリブデン酵素のうち、nitrogenase以外の酵素はモリブデンコファクターを含有しており、原核生物のモリブデンコファクター含有酵素間には高度に保存された6ヶ所の配列部位が存在する。R.sphaeroidesのDMSO reductaseにもそれが存在することが遺伝子解析の結果示された。Rs dmsAのすぐ上流にもORFの存在が確認され、Rs dmsBと命名した。その産物であるRs dmsBはE.coliの未知のタンパク質tor Dとホモロジーが高かった。Rs dmsBの終止コドンとRs dmsAの開始コドンは互いに重なっており、dmsオペロンを形成していることが予想された。

II.DMSO reductaseの誘導条件

 Rs dmsAの遺伝子解析から、R.sphaeroidesのDMSO reductaseはE.coliのTMAO reductase型の誘導形態、あるいは呼吸形態をとっている可能性が示唆された。そこで培養条件を光、通気、嫌気呼吸の電子受容体(DMSO、TMAO)の有無の3点に絞り、DMSO reductaseの誘導を調べた。

 E.coli torAの誘導には、TMAOの存在と嫌気条件が強く要求され、E.coli dmsAの誘導には嫌気条件のみが必要なのに対し、R.sphaeroidesのDMSO reductaseの誘導合成はこれらのどちらとも違った形態を示した。即ちDMSOの存在は強く要求されるが、嫌気条件や光は必ずしも必要でないことが分かった。TMAOによってもDMSO reductaseが誘導されたが、DMSOによるものに比べかなり低かった。

 好気的暗条件下でもDMSO添加培地(26mM DMSO)で培養するとDMSO reductaseは誘導されたが、実際に培養後のDMSOとDMSの測定を行ったところ、97%のDMSOが還元されずに残存していた。この結果により、好気的条件下では酵素の誘導は起きても電子は酸素呼吸の方向に流れている可能性が示された。

III.DMSO呼吸電子伝達系を解明するためのアッセイ系の開発

 DMSO呼吸の電子伝達系を調べるためには基質、生成物の直接検出によるアッセイ系の開発が望まれた。キャピラリー電気泳動法(CE)は、近年開発と応用がめざましい発展を遂げている分析装置である。CEによる分析は、試料導入量が数nlと極微量である、理論段数が数10万といった高分離能をもつ、操作法が簡単である、などの特徴があり、酵素のアッセイに応用するには好都合と考えられた。

 CEの分離モードの1つであるミセル導電クロマトグラフィー(MEKC)法でDMSOとDMSの分離定量を試みたところ、試料注入量6nlでDMSO、DMS共に濃度で約100M、絶対量で約50pgまで検出可能だった。本法をDMSO reductase活性測定に適用した結果、benzylviologenを用いた従来の間接的な活性測定法と遜色ない結果が得られた。DMSO呼吸の電子伝達系を解明するためのMEKC法によるアッセイ系を確立した。

IV.MEKC法によるDMSO reductaseの電子供与体の検索

 MEKC法によるアッセイ系を用いて、既知のタンパク質(R.sphaeroides cyt.c2、horse heart cyt.c、yeast cyt.b2、spinach ferredoxin)とコファクター(NADH、NADPH、FAD、FMN)を電子供与体のモデルとしてDMSO reductaseによるDMSO dependent oxidation活性を調べた。その結果、R.sphaeroidesのDMSO reductaseにはdihydro:FMN-DMSO oxidoreductase活性があることが確認された。また、R.sphaeroidesのcyt.c2はDMSO reductaseの電子供与体とならなかった。このことから、DMSO呼吸の電子伝達経路にはcyt.bcl complexが含まれていないことが推察された。

V.DMSO reductaseの電子供与体の精製

 MEKC法によるアッセイ系を使用し、R.sphaeroidesのDMSO reductase電子供与体の精製を試みた。French pressで細胞を破砕し、超遠心によって膜タンパク画分と水溶性タンパク画分に分けてDMSO reductaseによるDMSO dependent oxidation活性を調べた結果、電子供与体の活性は水溶性画分に多くみられ、さらに菌体のペリプラズム空間に存在することを確認した。

 嫌気的明条件下DMSO添加培地で培養した菌体からFrench pressによる細胞破砕液、もしくは菌体を等張液中でEDTA-lysozyme処理して得られた水溶性画分(ペリプラズム画分)を用いて、硫酸アンモニウム分画、疎水結合クロマトグラフ、ゲル濾過を経て最終的に電子供与体をSDS-PAGEでシングルバンドになるまで精製した。

VI.DMSO reductase電子供与体の性質

 得られたタンパク質はSDS-PAGEで50kDaの分子量を示し、ICP発光分析によりFeを含有していることが確認された。Na2S2O4を還元剤とし、DMSO reductaseによるDMSO dependent oxidation活性を調べた結果、同濃度のbenzyl viologenのおよそ3割であった。可視部の吸収波長には、cytochrome型のピークがみられず、Fe-Sクラスターを有するferredoxin typeのタンパクである可能性が示唆された。

 電子供与体を精製する際に、等張液中で菌をEDTA-lysozyme処理すると、Fe含量が極端に少なく、DMSO reductaseに対する電子供与活性も低い供与体が得られた。このことから電子供与体中のFeは電子伝達に直接関与しており、EDTAによってキレートされやすい形で存在することが考えられた。

 R.sphaeroidesのDMSO reductaseは微量なプロテアーゼによってnickが入り、活性が3倍ほど上昇する特徴を持つ。その部位はプロテアーゼに対して非常に敏感で、かつ活性と相関の強い部位であることがすでに本研究室で明らかにされている。DMSO reductaseと電子供与体をタンパク量比1:1で共存させてプロテアーゼ処理すると共存下では切断が起こらなくなる現象が観察された。この事実は、電子供与体がDMSO reductaseの活性と相関の高い部位に結合している可能性を示唆した。

 これまでの事実から、脱窒光合成細菌のDMSO呼吸の電子伝達系は、硝酸呼吸や酸素呼吸といった既知の呼吸とは異なった形態をとっており、cyt.bc1 complexやcyt.c2といったタンパクとは別の電子伝達体が機能していることが示唆された。

審査要旨

 本論文は光合成細菌のdimethyl sulfoxide(DMSO)呼吸の電子伝達系をDMSO reductaseの遺伝子解析とタンパクの再構成実験により明らかにしたもので、8章よりなる。DMSOの還元によるdimethyl sulfide(DMS)の生成は多くの生物で確認されており、これらの物質は環境科学の分野でも注目されつつある。脱窒光合成細菌Rhodobacter sphaeroides f.sp.denitrificansも、DMSO呼吸でこの変換を行う。本研究では、生物のエネルギー変換機構の基礎的知見を得るため、脱窒光合成細菌のDMSO呼吸の電子伝達経路の解明を目的として生化学的、分析化学的手法を用いて研究を行った。

 序論で研究の背景と意義を概説した後、第2章ではDMSO呼吸系の末端酵素であるDMSO reductaseの遺伝子解析を行った。R.sphaeroidesのDMSO reductaseをコードする遺伝子(dmsA)は2466bpでその産物DmsAは822個のアミノ酸からなり、E.coliのtrimethylamine N-oxide(TMAO)reductase(TorA)と48%の高いホモロジーを示した。dmsAのすぐ上流にもORFが存在し、dmsBと命名した。その産物であるDmsBはE.coliの未知のタンパク質TorDとホモロジーが高かった。dmsBの終止コドンとdmsAの開始コドンは互いに重なっており、dmsオペロンを形成していることが予想された。

 第3章ではDMSO reductaseの誘導条件の検討を行った。E.coli TorAの誘導には、TMAOの存在と嫌気条件が強く要求され、E.coli DmsAの誘導には嫌気条件のみが必要なのに対し、R.sphaeroidesのDMSO reductaseの誘導合成はDMSOの存在は強く要求されるが、嫌気条件や光は必ずしも必要でないことが分かった。また、好気的条件下では酵素の誘導は起きても電子は酸素呼吸の方向に流れている可能性が示された。

 第4章ではDMSO呼吸電子伝達系を解明するためのアッセイ系の開発を行った。キャピラリー電気泳動(CE)の分離モードの1つであるミセル導電クロマトグラフィー(MEKC)法によるアッセイ系の開発を試みたところ、benzyl viologenを用いた従来の間接的な活性測定法と遜色ない結果が得られた。酵素反応の生成物であるDMSの直接定量による新たなアッセイ系を確立した。

 第5章では既知物質によるDMSO reductaseの電子供与体の検索を行った。既知のタンパク質(R.sphaeroides cyt.c2、horse heart cyt.c、yeast cyt.b2、spinach ferredoxin)とコファクター(NADH、NADPH、FAD、FMN)を電子供与体のモデルとしてDMSO reductaseによるDMSO dependent oxidation活性を調べた。その結果、R.sphaeroidesのDMSO reductaseにはFMNH2-DMSO oxidoreductase活性があることが確認された。また、DMSO呼吸の電子伝達経路にはcyt.bc1 complexが含まれていないことが推察された。

 第6章ではDMSO reductaseの電子供与体の精製を行った。MEKC法によるアッセイ系を使用し、R.sphaeroidesのDMSO reductase電子供与体の精製を試みた。嫌気的明条件下DMSO添加培地で培養した菌体からfrench pressによる細胞破砕液、もしくは菌体を等張液中でEDTA-lysozyme処理して得られた水溶性画分(ペリプラズム画分)を用いて、硫酸アンモニウム分画、疎水結合クロマトグラフ、ゲル濾過を経て最終的に電子供与体をSDS-PAGEで52kDaのシングルバンドになるまで精製した。

 第7章ではDMSO reductase電子供与体の性質を明らかにした。電子供与体は非ヘム鉄タンパク質で、鉄はEDTAによってキレートされやすい形で存在することが考えられた。

 DMSO reductaseと電子供与体をタンパク量比1:1で共存させてプロテアーゼ処理すると共存下ではDMSO reductaseの切断が起こらなくなる現象が観察された。この事実は、電子供与体がDMSO reductaseの活性と相関の高い部位に結合している可能性を示唆した。

 本研究においては、脱窒光合成細菌の新規のDMSO呼吸の電子伝達系について考察を加え、硝酸呼吸や酸素呼吸といった既知の呼吸と比較検討した。DMSO呼吸系には後者にみられるcyt.bc1 complexやcyt.c2といった構成成分は含まれず、別の電子伝達体が機能していることが示された。

 以上、審査員一同は、本論文が光合成細菌の新しい呼吸系であるDMSO呼吸に関わる電子伝達タンパク質の発見とその基本的な構造と機能を解明するなど学術上貴重な内容を含み、博士(農学)論文として充分価値あるものと認めた次第である。

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