学位論文要旨



No 111251
著者(漢字) 中島,はるよ
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,ハルヨ
標題(和) 牛乳アレルギー患者由来リンパ球と抗体の特性に関する研究
標題(洋) Studies on characteristics of specific lymphocytes and antibodies from milk-allergic patients
報告番号 111251
報告番号 甲11251
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1542号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 荒井,綜一
 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 飴谷,章夫
内容要旨

 アレルギー疾患は、環境抗原、食品などの非自己成分に対する特異的な、しかも、過剰な免疫応答が原因で発症する。その患者数は増加しているが、現在、有効な治療法はいまだ確立していない。正常なら起こらない過剰な免疫応答が患者においてなぜ特別に生じ、発症するのかという発症機構の根本的課題がほとんど明らかにされていないためである。牛乳アレルギーは、乳幼児に多く発症し、臨床的な所見上他のアレルギーとは異なる特徴を示すが、その発症機構の研究は、臨床レベルにとどまり、炎症反応に関わる細胞の特徴も明確でない。そこで、本研究では、牛乳アレルギーの発症に関与する細胞性および液性免疫を解明することを目的として、まず、T細胞が免疫応答において主要な役割を果たすことから、牛乳アレルギー患者より、牛乳中の主要アレルゲンの一つであるs1-カゼインに特異的なT細胞株を樹立し、その性質を明らかにした。加えて、それらのT細胞株および即時型アレルギーにおいて重要な役割を果たすIgE抗体それぞれの抗原認識における特異性を特定した。さらに、以上の知見と疾患発症との関係について検討した。

1.s1-カゼイン特異的T細胞株の樹立とその特性の検討

 千葉大学小児科アレルギー外来に来院したアレルギー患者のうち、乳製品に何らかのアレルギー反応を示し、かつ抗s1-カゼインIgE抗体価が陽性の患者4名を対象とした。まず、そのうち3名の末梢血リンパ球のs1-カゼインに対する反応性を検討した。その結果、増殖反応が認められたにも関わらず、増殖応答性が患者により異なるだけでなく、採血日によっても同じ患者の反応性が違うため、s1-カゼインに特異的なT細胞の性質が解析しにくいことが明らかになった。そこで、より詳細にs1-カゼインに反応するT細胞の性質を検討する目的で、s1-カゼイン特異的T細胞株の樹立方法を確立し、上記4名より、26株の特異的T細胞株の樹立に初めて成功した。それらの性質を明らかにする目的で、まず、T細胞のサブセット(CD4+またはCD8+)を検討した結果、T細胞株は、3つのグループに分けられた。すなわち、CD4+T細胞を優勢に含む(CD4+またはCD8+T細胞の合計に占めるCD8+T細胞の割合が0-8%)群、CD4+またはCD8+を共に含む(同、CD8+が35-60%)群、および、CD8+を優勢に含む(同、CD8+が83%以上)群である。次に、それらが産生するサイトカインを調べたところ、いずれの群においても、IL-4とIFN-の両方を産生する株、IL-4のみを産生する株、どちらも産生しない株が含まれた。以上の結果より、T細胞のアレルギー発症と関わる機能として、CD4+T細胞がIL-4を産生し抗s1-カゼインIgE抗体の産生に関与すること、IFN-を産生して牛乳アレルギーにおける細胞媒介性の遅延型アレルギーの発症に関わることが考えられた。一方、これまでのところ、他のアレルゲンや可溶性抗原に特異的なT細胞の応答では、CD8+T細胞がそれらの抗原に刺激され、誘導され、大きなポピュレーションを占める報告はほとんど認められない。さらに、マウスにおいても、s1-カゼインに対しては、CD8+T細胞が高頻度に誘導されることが示されている。これらのことから、s1-カゼインの抗原としての構造的性質が、CD8+T細胞を高頻度に誘導する要因となっている可能性が示唆される。そして患者の体内でも、s1-カゼインによる感作により、CD8+T細胞の誘導が生じており、これが牛乳アレルギーを特徴づける消化管症状などの反応を誘起している可能性が考えられる。一方、CD8+T細胞は、免疫応答の抑制に関与するともいわれているため、樹立されたCD8+T細胞の中に、抑制機能を有するものが存在し、それらは、患者の成長に伴い牛乳アレルギーが自然治癒する現象に、アレルギーを促進する側の細胞と競合する形で関与する可能性が考えられる。以上より、一般にアレルギー疾患では、CD4+T細胞が主要な役割を果たすと考えられているが、牛乳アレルギーではCD4+T細胞に加え、CD8+T細胞が関与することが示された。

2.s1-カゼイン特異的T細胞株の抗原認識部位の検討

 本研究において樹立したs1-カゼイン特異的T細胞株の抗原認識部位の検討には、s1-カゼイン合成ペプチド、およびs1-カゼインの臭化シアン(CNBr)分解ペプチドを用いた。合成ペプチドは、s1-カゼインの全アミノ酸配列を20、または19残基ずつ区切り、5残基ずつ重複するように構成された13種のペプチドである。また、CNBr分解ペプチドは、s1-カゼイン全体をほぼ60残基のフラグメント3個と、12残基のペプチドに分解したペプチドである。これらのペプチドを用いて認識部位が同定されたT細胞株は、2名の患者由来の7株であった。それらの認識部位は、s1-カゼイン上のリン酸化セリンが集中している領域とC末端を除くという点で共通していたが、それぞれ、全てs1-カゼイン上の異なった領域に存在した。その認識部位を検討したところ、一人の患者由来の5株の認識部位全てに、EとKが6残基のアミノ酸を挟んで存在するモチーフ構造が認められた。このモチーフは、s1-カゼイン上に4個存在し、この5株の認識部位はそれらを全て含んでいた。他の一人の患者由来の2株の認識部位には、EとLが7残基のアミノ酸を挟んで存在するモチーフが認められた。他のアレルギー疾患では、このように認識部位に共通のモチーフが示された例は、報告されていない。さらに、これらのT細胞株は、CD4+T細胞が優勢であり、IL-4を産生していたことから、IgEの産生に積極的な役割を果たすものと予想された。このモチーフついては、ヒトの主要組織適合性遺伝子複合体であるHLA分子との結合に重要であるか、あるいはT細胞抗原受容体との結合に重要である可能性が考えられる。すなわち、このモチーフが即時型の牛乳アレルギー発症と関係する、ある特定のHLA分子との結合に重要である可能性がある。また、T細胞との関係については、IgEの産生を誘導するT細胞に、健常児とは異なる特定のレパートリーがあり、その認識に重要である可能性が考えられる。いずれにしても、ここで認められたモチーフの共通性は、アレルギー疾患におけるs1-カゼインに対する免疫系の認識において特徴的な偏りがあることを示すものである。そしてそれらは、牛乳アレルギー患者の遺伝的背景とアレルギー発症との関連を結びつける機構の存在を示唆すると考えられた。

3.s1-カゼインIgE抗体の抗原認識部位の検討

 IgE抗体産生B細胞は、IgE抗体をレセプターとして抗原を取り込み、抗原提示細胞としてT細胞と相互作用し、その結果、IgE抗体を産生すると考えられる。一方、T細胞に関わる抗原提示および認識の機構に、牛乳アレルギーに特徴的な機構が予想されたことから、抗s1-カゼインIgE抗体の認識部位を明らかにすることも重要である。そこで、抗s1-カゼインIgE抗体陽性で、かつT細胞株の研究と同じ患者を含む9名について、抗s1-カゼインIgE抗体の認識部位を検討した。まず、抗s1-カゼインIgE抗体の認識部位をs1-カゼイン合成ペプチドを用いた酵素免疫測定法(ELISA)にて同定する系を確立した。そして、9名全員の抗s1-カゼインIgE抗体が、s1-カゼイン上のC末端に相当するペプチド181-199(P181-199)に結合することが明らかになった。次に、P181-199を固相抗原とする吸収ELISA法により、P181-199に結合したIgE抗体はs1-カゼインとも結合することが明らかになった。また、s1-カゼインを固相抗原とする吸収ELISA法により、そのIgE抗体は抗s1-カゼインIgE抗体全体のかなりの割合を占めることが示された。加えて、s1-カゼインCNBr分解ペプチドを固相抗原としたELISA法、およびミエローマ患者由来非特異的IgE抗体のs1-カゼインに対する結合実験から、P181-199について得られた結果は、IgE抗体の非特異的結合によるものでなく、特異的な認識による結果であることが示された。一方、同じ患者に対するIgG4抗体の特異性を調べたところ、IgG4抗体は、IgE抗体と同じIL-4により誘導されることがわかっているにも関わらず、抗s1-カゼインIgG4抗体の場合には、認識部位の偏りは認められなかった。以上の結果から、牛乳アレルギー患者においては、s1-カゼインのC末端を認識するB細胞は、IgE産生を促すT細胞と相互作用しやすいため、IgE抗体産生B細胞に分化すること、あるいはそのB細胞は、IgE産生が過剰に促進される性質を持つ可能性があることが示された。

まとめ

 本研究の成果は、牛乳アレルギーの特徴的な性質を免疫応答のレベルではじめて明らかにしたことにある。その特徴は、s1-カゼインの抗原としての構造上の性質に依存すると考えられた。その中で特に、IgEの過剰な産生を起こす免疫応答機構に、遺伝的素因と関わる、特定のHLAまたは特定のT細胞レパートリーが重要であること、さらに新たに、特定のB細胞レパートリーが関与する可能性を示したことは非常に重要な成果である。このような機構は、他の抗原特異的アレルギーにも同様に存在することが予想され、今後のアレルギー発症機構の解明に向け、新たな一歩を提示するものと考えられる。

審査要旨

 近年食品を原因とするアレルギーの増加は著しい。これに対応するため本研究では,特に牛乳アレルギーの発症に関与する細胞性および液性免疫を解明することを目的として,牛乳アレルギー患者より,牛乳中の主要アレルゲンの一つであるs1-カゼインに特異的なT細胞株を樹立し,その性質を明らかにし,さらにそれらのT細胞株および即時型アレルギーにおいて重要な役割を果たすIgE抗体それぞれの抗原認識における特異性を明らかにしたものである。

 第1章においてはs1-カゼイン特異的T細胞株の樹立とその特性について述べた。

 s1-カゼイン特異的T細胞株26株の樹立に成功した。それらの性質を明らかにする目的で,T細胞のサブセット(CD4+またはCD8+)を検討した結果,T細胞株は,3つのグループに分けられた。すなわち,CD4+T細胞を優勢に含む(CD4+またはCD8+T細胞の合計に占めるCD8+T細胞の割合が0-8%)群,CD4+またはCD8+を共に含む(同,CD8+が35-60%)群,および,CD8+を優勢に含む(同,CD8+が83%以上)群である。次に,それらが産生するサイトカインを調べたところ,いずれの群においても,IL-4とIFN-の両方を産生する株,IL-4のみを産生する株,どちらも産生しない株が含まれた。以上の結果より,T細胞のアレルギー発症と関わる機能として,CD4+T細胞がIL-4を産生し抗s1-カゼインIgE抗体の産生に関与すること,IFN-を産生して牛乳アレルギーにおける細胞媒介性の遅延型アレルギーの発症に関わることが推定された。

 第2章においては,s1-カゼイン特異的T細胞株の抗原認識部位について述べた。

 本研究において樹立したs1-カゼイン特異的T細胞株の抗原認識部位をs1-カゼイン合成ペプチド,およびs1-カゼインの臭化シアン(CNBr)分解ペプチドを用いて推定した。それらの認識部位は,それぞれ,全てs1-カゼイン上の異なった領域に存在した。しかし一人の患者由来の5株の認識部位全てに,EとKが6残基のアミノ酸を挟んで存在するモチーフ構造が認められた。このモチーフについては,ヒトの主要組織適合性遺伝子複合体であるHLA分子との結合に重要であるか,あるいはT細胞抗原受容体との結合に重要である可能性が考えられる。すなわち,このモチーフが即時型の牛乳アレルギー発症と関係する,ある特定のHLA分子との結合に重要である可能性が示唆された。

 第3章においては,抗s1-カゼインIgE抗体の抗原認識部位について述べた。

 IgE抗体産生B細胞は,IgE抗体をレセプターとして抗原を取り込み,抗原提示細胞としてT細胞と相互作用し,その結果,IgE抗体を産生すると考えられる。一方,T細胞に関わる抗原提示および認識に,牛乳アレルギーに特徴的な機構が予想されたことから,抗s1-カゼインIgE抗体の認識部位を明らかにすることも重要である。そこで,抗s1-カゼインIgE抗体陽性で,かつT細胞株の研究と同じ患者を含む9名について,抗s1-カゼインIgE抗体の認識部位を検討した。その結果,9名全員の抗s1-カゼインIgE抗体が,s1-カゼイン上のC末端に相当するペプチド181-199(P181-199)に結合することが明らかになった。以上の結果から,牛乳アレルギー患者においては,s1-カゼインのC末端を認識するB細胞は,IgE抗体産生を促すT細胞と相互作用しやすいため,IgE抗体産生B細胞に分化すること,あるいはそのB細胞は,IgE抗体産生が過剰に促進される性質を持つ可能性があることが示された。

 以上,本論文はこれまで不明な点の多かった牛乳アレルギーの発症機構について,その発症に関わる細胞・抗体の特有の性質について明らかにしたもので,学術上応用上貢献するところは少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(農学)として価値あるものと認めた。

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