学位論文要旨



No 111252
著者(漢字) 永田,宏次
著者(英字)
著者(カナ) ナガタ,コウジ
標題(和) カイコのインスリン族ペプチド、ボンビキシン-IIの立体構造と受容体認識部位
標題(洋) Three-dimensional structure and receptorrecognition site of bombyxin-II,an insulinrelated peptide of the silkmoth Bombyxmori
報告番号 111252
報告番号 甲11252
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1543号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,昭憲
 東京大学 教授 森,謙治
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京都臨床医学総合研究所 部長 稲垣,冬彦
 東京大学 助教授 片岡,宏誌
内容要旨

 ボンビキシンは、エリカイコの変態を誘起する活性を指標に単離された、カイコの脳ペプチドであり、インスリンとの間に40%のアミノ酸配列相同性がある(図1)。しかしボンビキシンとインスリンとの間には互いに交差活性がない。これまで脊椎動物のインスリン族ペプチドについては、インスリン、インスリン様増殖因子-Iおよび-II、リラキシンの立体構造が決定されているが、無脊椎動物のインスリン族ペプチドの立体構造は報告例がない。本研究では、インスリン族ペプチドの作用の特異性と立体構造の関係を明らかにし、分子進化に関する知見を得るため、ボンビキシンの主要分子種、ボンビキシン-IIの立体構造を核磁気共鳴(NMR)法により決定するとともに、構造活性相関からボンビキシン-IIの受容体認識部位を特定し、得られた立体構造と受容体認識部位をインスリンやリラキシンのものと比較した。

図1.ボンビキシン-II、ヒトインスリン、ヒトリラキシン2のアミノ酸配列1.ボンビキシン-IIの立体構造の決定

 ボンビキシン-II90mgを合成し、その立体構造をNMR法により解析した。ボンビキシン-IIは中性の水や緩衝液に対する溶解性が低く、立体構造解析を行うに充分な質のNMRスペクトルを得るのが困難であった。しかし、水(70%)/酢酸(30%)(pH2.0)の溶媒条件下、4mMボンビキシン-II溶液が1か月以上安定であり、かつ、質の高いNMRスペクトルを与えたことから、この条件で2次元プロトンNMRスペクトル(DQF-COSY、TOCSY、NOESY)を測定した。pH6.8とpH2.0とでボンビキシン-IIの円二色性スペクトル(200-250nm)がほぼ一致したこと、および、pH2.0で酢酸濃度を0,10,20,30%と変化させても1次元プロトンNMRに顕著な変化が見られなかったことから、この溶媒条件のもとでもボンビキシン-IIの本来の立体構造は保たれていると見なした。なお、ヒトインスリンの場合も、水(80%)/酢酸(20%)(pH1.9)の溶媒条件下でNMRを測定し、結晶中のT-stateとよく似た構造が得られている。Wuthrichの連鎖帰属法によりボンビキシン-IIの観測されたプロトンNMRシグナルをすべて帰属した。NMR実験から得られた535個のプロトン間距離制限および二面角制限(22個、’6個)をもとに制限分子動力学計算を行い、ボンビキシン-IIの立体構造を決定した。構造にばらつきの見られたB鎖N末端領域(pGluB(-2)-HisB4)および他のペプチド鎖末端(GlyA1,CysA20,GlyB23-AspB25)を除いて、構造の収束の度合を示すroot-mean-square deviationは、主鎖3原子(N,C",C’)において0.58Å水素原子以外の全原子において1.03Åであり、精密な立体構造を決定できた(図2)。ボンビキシン-IIは脊椎動物のインスリン族ペプチドと同様のコア構造を有していたが、インスリンの生物活性発現に重要なB鎖C末端領域のターンおよびストランドが無く、かわりに、リラキシン同様、B鎖中央部のヘリックスがC末端近くまで続いていた。

図2.ボンビキシン-IIとヒトインスリン、ヒトリラキシン2の立体構造の比較
2.ボンビキシン-IIの受容体認識部位の特定

 ボンビキシンとインスリンとは40%のアミノ酸配列相同性を有するにもかかわらず互いに交差活性を有さない。このことは、各々に特有な配列が各々の受容体認識に必要であることを示している。ボンビキシン-IIの受容体認識領域を絞り込むために、ボンビキシン-IIとヒトインスリンとのキメラ分子を合成し、そのボンビキシン活性を調べた。その結果、(1)ボンビキシン-IIとヒトインスリンとの受容体認識特異性決定因子は各々のB鎖内に存在すること、(2)B鎖N末端領域(pGluB(-2)-ThrB5)とB鎖C末端領域(TrpB20-AspB25)とをインスリン型に変えても、B鎖中央領域(TyrB6-LeuB18)がボンビキシン型であれば、ボンビキシン活性が完全に保持されること、が明らかになった。こうして、ボンビキシン-II B鎖内のボンビキシン受容体認識部位を中央領域(TyrB6-LeuB18)に絞り込むことができた。次に、TyrB6-LeuB18の各アミノ酸残基側鎖の受容体認識における重要性を評価するために、各残基をAlaに置換した一連のボンビキシン-II類縁体(もともとAlaである場合には、インスリン型の残基に置換)を合成し、そのボンビキシン活性を調べた。その結果、(1)ArgB9,HisB10,ArgB13,ThrB14の各残基をAlaに置換してもボンビキシン-IIと同等の活性が保持された、(2)TyrB6,LeuB11,LeuB15,AspB17,LeuB18の各残基をAlaに置換した場合、および、AlaB12をValに、AlaB16をTyrに置換した場合には活性が低下した。これより、B鎖中央領域のTyrB6,LeuB11,AlaB12,LeuB15,AlaB16,AspB17,LeuB18がボンビキシン-IIの受容体結合に直接あるいは間接的に寄与していることが示された。他の実験から、A鎖N末端(GlyA1,ValA3)、A鎖C末端(CysA20-CysB19間のジスルフィド結合)もボンビキシン-IIの受容体結合に関与していることが示されている。

 以上のようにボンビキシン-IIの受容体認識に寄与していると特定された残基をボンビキシン-II分子上に配置した(図3)。GlyA1,ValA3,LeuB11,AlaB12,LeuB15,AlaB16およびCysA20-CysB19は、ボンビキシン-IIとヒトインスリンとの間で保存されているIleA2,TyrA19とともに、ボンビキシン-II分子表面に疎水性パッチを形成しており、このパッチ(の一部)が受容体認識部位の1つであることが示された(受容体認識部位I)。一方、TyrB6,AspB17,LeuB18はValA13,LeuA16,LeuA17の疎水性残基とともに受容体認識部位Iとは異なった分子表面にパッチを形成しており、このパッチ(の一部)もまた受容体認識部位の1つであることが示された(受容体認識部位II)。受容体認識部位IとIIとは、ボンビキシン-IIの受容体認識に寄与しないArgB9,ArgB13によって分離されている。特に、受容体認識部位I内のAlaB12,AlaB16および受容体認識部位II内のTyrB6,AspB17は、側鎖が完全に(TyrB6の場合は大部分)露出しており、インスリン型のValB12,TyrB16,LeuB6,LeuB17に個々に置換することによりボンビキシン活性が低下することから、ボンビキシン受容体の特異的認識に直接寄与していることが明らかになった。

図3.ボンビキシン-IIの受容体認識部位

 今回特定したボンビキシン-IIの受容体認識部位はヒトインスリンの受容体認識部位によく対応するが、B鎖C末端領域の役割は両者で異なる。ボンビキシン-IIの受容体認識にB鎖C末端領域(AlaB22-AspB25)は不要だが、ヒトインスリンの受容体認識にB鎖C末端領域(特にPheB24-PheB25)はきわめて重要である。このB鎖C末端領域の機能の違いは二次構造の違いに反映されており、ボンビキシン-IIのB鎖C末端領域が受容体認識部位Iの外側に位置するのに対し、ヒトインスリンのB鎖C末端領域PheB24-PheB25は受容体認識部位Iの中央近くに位置している。すなわち、ヒトインスリンは構造的にも機能的にもB鎖C末端領域を積極的に受容体認識に取り込んでいるという点でボンビキシン-IIと対照的である。ボンビキシン-IIとヒトリラキシン2とはともにArgB9,ArgB13を有しているが(ボンビキシン-IIの受容体認識部位I,IIの間に位置する)、この2つのArg残基側鎖がリラキシンの受容体認識において重要であるのに対し、ボンビキシン-IIの受容体認識には寄与しない。

 以上のように、無脊椎動物由来のインスリン族ペプチド、ボンビキシン-IIと、脊椎動物由来のインスリンやリラキシンとは共通のコア構造を有しており、ほぼ同一の面を受容体認識に用いていながら、それぞれ独自の認識部位を発達させていることが示された。

審査要旨

 昆虫脳神経ペプチドの1種ボンビキシンは,無脊椎動物から単離・構造決定された最初のインスリン族ペプチドであり,エリカイコの除脳休眠蛹に対して強い前胸腺刺激活性を有している。本論文は,このボンビキシンの核磁気共鳴法による立体構造解析と,主として前胸腺刺激活性を指標としての構造と活性との関係を論じたもので,本文4章,序論の部(第1章),考察の部(第6章)および実験の部(第7章)よりなっている。

 第1章においては,ボンビキシンに関する研究の背景と本研究の目的を論じている。

 第2章では,ボンビキシンの立体構造解析について論じている。化学合成したボンビキシン(bombyxin-II)の立体構造を核磁気共鳴法により決定し,脊椎動物のインスリン族ペプチド(insulinおよびrelaxin)のそれと比較した。ボンビキシンは,3つの-ヘリックス領域を含みインスリン等のインスリン族ペプチドと同様のコア構造を有していた。しかし,ボンビキシンには,インスリンの活性発現に重要とされるB鎖C末端領域のターンおよび-ストランドが無く,かわりにB鎖中央部分のヘリックスがC末端付近までつづいており,B鎖のC末端部分の特徴はrelaxinのそれに似ていることを明らかにした。

 第3章では,ボンビキシン,インスリンおよびそれらのハイブリッド分子について,それぞれボンビキシン活性,インスリン活性を測定し構造と活性との関係を考察した。ボンビキシンとインスリンは類似した構造を有するにもかかわらず,両者の間に交差活性は認められない。両者のA鎖とB鎖とを交互に架橋してハイブリッド分子を化学合成し,それらの活性をしらべた結果から,両分子の活性の特異性が主としてB鎖にあることを明らかにした。さらにそれらの分子について核磁気共鳴法により立体構造を決定したところ,ボンビキシンA鎖とインスリンB鎖からなるハイブリッド分子,ボンスリンはインスリン様の立体構造を保持していたのに対し,インスリンA鎖とボンビキシンB鎖からなるインビキシンはインスリン様立体構造が破壊されていることが示唆された。

 第4章では,3章に引き続いて構造と活性との関係について検討した結果について論じている。ボンビキシン(bombyxin-II)のB鎖内のどの部分がボンビキシン活性発現に重要であるかという点を明らかにするために,B鎖の一部分をボンビキシンとインスリンとで入れ換えたキメラ分子を合成し,それらのボンビキシン活性を調べた。その結果,ボンビキシンB鎖の中央部分(B6-B18)が,活性発現に特に重要であることが示唆された。

 第5章では,ボンビキシンの活性と構造との関係をさらに詳細に検討すると共に,インスリン分子に対する既報の知見と比較することにより,ボンビキシンの受容体認識部位の推定を試みている。すなわち,ボンビキシン活性の発現に特に重要である事が示唆されたB鎖中央部(B6-B18)の個々のアミノ酸残基をアラニンに置換した1連のボンビキシン類緑体を化学合成し,それらのボンビキシン活性を測定した。その結果,TyrB6(B鎖6残基目のチロシン),LeuB11,AlaB12,ThrB14,LeuB15,AlaB16,AspB17,およびLeuB18の重要性を示唆するとともに,それら立体構造上の位置関係がインスリンの受容体識別部位のそれに対応することを見い出した。

 以上,審査員一同は,本論文が昆虫のインスリン族ペプチド,ボンビキシンの立体構造およびその活性発現に重要な構造部分を明らかにするなど学術上貴重な内容を含み,博士(農学)論文として充分価値あるものと認めた次第である。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53852