No | 111255 | |
著者(漢字) | 樋口,恭子 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ヒグチ,キョウコ | |
標題(和) | ニコチアナミン合成酵素の研究 | |
標題(洋) | Studies on nicotianamine synthase | |
報告番号 | 111255 | |
報告番号 | 甲11255 | |
学位授与日 | 1995.03.29 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 博農第1546号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 応用生命化学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 鉄は地球上で4番目に多い元素であるが、酸化的条件では容易にFe(OH)3となり、不溶性の沈殿を形成する。このため生物にとって利用可能な水溶性の鉄は、しばしば不足する。不溶性の鉄を有効利用する適応戦略の1つに、イネ科植物のファイトシデロフォア、すなわちムギネ酸類による鉄吸収機構がある。 イネ科植物は鉄欠乏になると、根からムギネ酸類を分泌する。ムギネ酸はFe3+とキレートを形成し、ムギネ酸-Fe3+として根から再吸収される。ムギネ酸類の分泌量は植物種によって異なり、イネ科作物で経験的に知られていた鉄欠乏耐性能力と、ムギネ酸類分泌量との間には相関があることが知られている。また、ムギネ酸類分泌量の少ないソルガムを分泌量の多いオオムギと混植すると、ソルガムの鉄吸収量が増加することが知られている。これらの事実に基づき我々は、ムギネ酸類分泌量の少ない作物に対し、多量に分泌する能力を付与することで、鉄欠乏耐性品種をつくることを目指している。 ムギネ酸類分泌量の多寡は、恐らくムギネ酸類生合成系の酵素活性の強弱によるものであろう。しかしムギネ酸類の生合成については図1のような経路が明らかにされているものの、上記の推定を裏付けるような生化学的、分子生物学的知見は乏しい。S-アデノシルメチオニン(SAM)からニコチアナミンを合成する反応は、ムギネ酸類の骨格を形成する反応であるから、ムギネ酸類の分泌量を増やすためには特に重要であると思われる。そこで本研究では、S-アデノシルメチオニンからニコチアナミンを合成する反応を触媒するニコチアナミン合成酵素の性質、生理的意義を調べるとともに、精製、単離を目指した。 ムギネ酸類の分泌は鉄欠乏により誘導され、鉄投与により抑制される。これが生合成系酵素活性の誘導、抑制によるものであるかどうか調べた。オオムギを鉄欠乏にしてから1日目、3日目、5日目、7日目にムギネ酸分泌量とニコチアナミン合成酵素活性を測定した。ニコチアナミン合成酵素活性の増加とともに、ムギネ酸類分泌量も増加し、3日目には、はっきりと両者の誘導が観察された。次に鉄欠乏オオムギの水耕液に、エピヒドロキシムギネ酸-Fe3+を与えて6時間後、12時間後、24時間後、48時間後にニコチアナミン合成酵素活性を測定した。24時間後には活性の抑制が認められた。 イネ科植物種間のムギネ酸類分泌量の多寡は、一連の生合成系酵素活性の強弱によるものであると考えられる。オオムギ、コムギ、ソルガム、トウモロコシ、イネの根で、鉄欠乏時のニコチアナミン合成酵素活性と、ムギネ酸分泌量を測定した。植物個体当たりの分泌量はコムギ>オオムギ≒トウモロコシ>ソルガム>イネの順となり、ニコチアナミン合成酵素活性もほぼ同じ順序であった。 以上の結果から、ニコチアナミン合成酵素はムギネ酸類分泌量を左右する要因の1つであることが明確になった。 ムギネ酸類の分泌は根で行われるが、主たる生合成の場が根であるかどうか調べるために、鉄欠乏オオムギの根と、クロロシスを呈した葉で、ニコチアナミン合成酵素活性を測定した。クロロシスを呈した葉では、根の約1/50の比活性しかなかった。 ニコチアナミンは植物界に広く分布するが、双子葉植物ではムギネ酸は合成されない。双子葉植物ではニコチアナミンは鉄代謝関連の遺伝子の発現を制御するのではないかと言われおり、ニコチアナミンの生理的意義はイネ科植物の場合とは異なると思われる。タバコとトマトでニコチアナミン合成酵素活性を調べたところ、根と若い葉において鉄欠乏による誘導は全く見られなかった。 以上のことから、ニコチアナミン合成酵素活性は、イネ科植物の根においてムギネ酸類を合成する際に誘導されることがわかった。 ニコチアナミン合成酵素活性を強化することは、イネ科植物のムギネ酸類分泌量を増やし、鉄欠乏耐性にするための1つの方法であろう。このためにはニコチアナミン合成酵素遺伝子のクローニングが重要な課題であると考える。 ニコチアナミン合成酵素遺伝子クローニングのため、酵素タンパク質を精製、単離し、部分アミノ酸配列を決定することを目指した。鉄欠乏オオムギ根を材料として次のような精製方法を確立した。 また精製法開発の課程で、本酵素がある種のチオールプロテアーゼによって非常に分解されやすいこと、SH基が酸化されると失活すると思われること、基質SAMに対するKm値が40Mであること、SAMによる基質阻害があることがわかった。 鉄欠乏オオムギ根新鮮重500gから精製を行い、SDS-PAGEゲル上で1バンドにまで精製したが、最終的に得られたタンパク質量は0.1g以下であり、2次元電気泳動ゲル上では、なお数個のスポットが現れた。これは鉄欠乏オオムギ根から、部分アミノ酸配列決定に必要な量を単離するのは困難であることを示唆している。また現在まで、鉄欠乏オオムギ根に比べて極めて比活性が高い生物材料は見つかっていない。したがって、ニコチアナミン合成酵素遺伝子をクローニングするには、酵素タンパク質精製以外のアプローチを検討しなければならない。 トマトでニコチアナミン欠損変異株chloronervaが知られている。chloronervaのニコチアナミン合成酵素活性をトマト野生株と比較したところ、野生株では活性が検出されたが、chloronervaでは検出限界以下であった。chloronervaは劣性-遺伝子変異であることがわかっているので、chloronervaの形質を回復させる遺伝子がニコチアナミン合成酵素遺伝子である可能性がある。また精製法開発の課程で、ニコチアナミン合成酵素はスペルミジン、スペルミン合成酵素と反応機構、酵素タンパク質としての性質が似ていることがわかった。既に知られているスペルミジン合成酵素遺伝子の配列が、ニコチアナミン合成酵素遺伝子を特定するために利用できる可能性がある。 ムギネ酸類の分泌量とニコチアナミン合成酵素活性には相関があったことから、鉄欠乏耐性作物の分子育種という目的のためにニコチアナミン合成酵素遺伝子の単離が重要であることが明確になった。しかし、当初最も近道と思われた酵素タンパク質の単離および部分アミノ酸配列決定はかなり困難であることが明らかとなった。そのかわりポリアミン合成酵素との類似性や、ニコチアナミン合成活性欠損株が確認できたことから、遺伝子単離への別なアプローチの可能性が示された。 | |
審査要旨 | イネ科植物は鉄欠乏になると,Fe3+を吸収するために根からムギネ酸類を分泌する。ムギネ酸類の分泌量は植物種によって異なり,イネ科作物で経験的に知られていた鉄欠乏耐性能力と,ムギネ酸類分泌量との間には相関があることが知られている。ムギネ酸類分泌量の多寡は,恐らくムギネ酸類生合成系の酵素活性の強弱によるものであろう。しかしムギネ酸類の生合成についてはメチオニン→S-アデノシルメチオニン(SAM)→(NA)→デオキシムギネ酸という経路が明らかにされているものの,上記の推定を裏付けるような生化学的,分子生物学的知見は乏しかった。SAMからNAを合成する反応は,ムギネ酸類の骨格を形成する反応であるから,ムギネ酸類の分泌量を増やすためには特に重要であると思われる。そこで申請者らは,SAMからNAを合成する反応を触媒するNA合成酵素の性質,生理的意義を調べるとともに,精製,単離を目指した。 1)オオムギを鉄欠乏にしてから1,3,5,7日目にムギネ酸分泌量とNA合成酵素活性を測定した。NA合成酵素活性の増加とともに,ムギネ酸類分泌量も増加し,3日目には,はっきりと両者の誘導が観察された。次に鉄欠乏オオムギの水耕液に,エピヒドロキシムギネ酸-Fe3+を与えると,24時間後には活性の抑制が認められた。イネ科植物種間のムギネ酸類分泌量の多寡は,一連の生合成系酵素活性の強弱によるものであると考えられたので,オオムギ,コムギ,ソルガム,トウモロコシ,イネの根で,鉄欠乏時のNA合成酵素活性と,ムギネ酸分泌量を測定した。植物個体当たりの分泌量はコムギ>オオムギ≒トウモロコシ>ソルガム>イネの順となり,NA合成酵素活性もほぼ同じ順序であった。 2)NAは植物界に広く分布するが,双子葉植物ではムギネ酸類は合成されない。双子葉植物ではNAは鉄代謝関連の遺伝子の発現を制御するのではないかと言われおり,NAの生理的意義はイネ科植物の場合とは異なると思われる。タバコとトマトでNA合成酵素活性を調べたところ,根と若い葉において鉄欠乏による誘導は全く見られなかった。以上のことから,NA合成酵素活性は,主としてイネ科植物の根において鉄欠乏下でムギネ酸類を合成する際にのみ強く誘導されることがわかった。 3)NA合成酵素活性を強化することは,イネ科植物のムギネ酸類分泌量を増やし,鉄欠乏耐性にするための1つの方法であろう。このためにはNA合成酵素遺伝子のクローニングが重要な課題であると考えられた。 NA合成酵素遺伝子クローニングのため,酵素タンパク質を精製,単離し,部分アミノ酸配列を決定することを目指した。鉄欠乏オオムギ根を材料として次のような精製方法を確立した。 抽出→ブチルトヨパールカラムクロマトグラフィー→ヒドロキシルアパタイトカラムクロマトグラフィー→エコノパックQカラムクロマトグラフィー→エーテルトヨパールカラムクロマトグラフィー→分取SDS-PAGE また精製法開発の課程で,本酵素がある種のチオールプロテアーゼによって非常に分解されやすいこと,SH基が酸化されると失活すること,基質SAMに対するKm値が40Mであること,SAMによる基質阻害があることなどがわかった。水耕栽培によってえられた鉄欠乏オオムギ根新鮮重500gから精製を行い,SDS-PAGEゲル上で1バンドにまで精製したが,最終的に得られたタンパク質量は0.1g以下であり,2次元電気泳動ゲル上では,なお数個のスポットが現れた。したがって鉄欠乏オオムギ根から,部分アミノ酸配列決定に必要な量を単離することは非常に固難であった。 4)トマトのNA欠損変異株chloronervaのNA合成酵素活性を野生株と比較したところ,野生株では活性が検出されたが,chloronervaでは検出限界以下であった。chloronervaの形質を回復させる遺伝子がNA合成酵素遺伝子である可能性がある。また精製法開発の課程で,NA合成酵素はスペルミジン,スペルミン合成酵素と反応機構,酵素タンパク質としての性質が似ていることがわかった。既に知られているスペルミジン合成酵素遺伝子の配列が,ニコチアナミン合成酵素遺伝子を特定するために利用できる可能性が示唆された。 以上,本研究は,イネ科植物の鉄欠乏耐性機構の一端を明らかにし,将来の農業上,環境保全上に有用な基礎的知見をもたらしたもので,審査の結果,博士(農学)に相当するものと認定した。 | |
UTokyo Repositoryリンク | http://hdl.handle.net/2261/54465 |