学位論文要旨



No 111257
著者(漢字) 祝,嘉鴻
著者(英字)
著者(カナ) ツー,チャホン
標題(和) 天然高分子電解質複合ゲルの調製とその機能特性
標題(洋) Preparation of Polyion Complex Gels from Natural Polyelectrolytes and lts Characteristics
報告番号 111257
報告番号 甲11257
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1548号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,厚三
 東京大学 教授 荒井,綜一
 東京大学 教授 児玉,徹
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 助教授 宮脇,長人
内容要旨

 酸性高分子と塩基性高分子の水溶液を混合すると、両官能基間の静電的相互作用によって、いわゆる高分子電解質複合体(ポリイオンコンプレクス、以下、PICと呼ぶ)が形成される。PICは、使用する高分子電解質の種類や混合比、イオン強度や温度などの調製条件などによって、通常、沈澱もしくはコンプレクスコアセルベートとして得られることが知られている。PICは透水性や親水性に富むため、限外ろ過膜・逆浸透膜などの膜技術への利用が行われており、PICのpH応答型膨潤性を利用したドラッグデリバリーシステムへの応用も期待されている。また、PICは正・負電荷、親水・疎水性などのミクロ不均一性を有する為、生体組織適合性に優れており、医用材料、生体組織固定化用担体などの分野への応用が試みられてきた。更に、生体が関与する反応の多くがPIC形成反応を契機として起こることから、PICに関する研究は、それらの反応の基礎的解明の上でも寄与することが期待される。しかるに、従来のPICの研究においては、現象論的側面や応用面が先行しているため、PICの特異な物性・挙動を理解し、利用するための基礎的研究は立ち遅れている。また、応用面においては、検討されてきたPICは凝集体様のものが多く、成形性の点で問題があった。

 本研究では、まず、塩基性天然高分子と酸性天然高分子とを用いて、容易に成形可能な高分子電解質複合ゲル(以下、PICゲル)の調製、およびその内部構造解析を行った。また、得られたPICゲルに関して、基礎・応用両面において重要であるpH応答型膨潤特性に着目し、平衡膨潤挙動の測定および膨潤速度の解析を行った。更に、PICゲルの応用の1つとして、フマラーゼ生産菌Corynebacterium glutamicum(IAM 12433)をPICゲルへ固定化し、フマラーゼ活性の測定を行った。結果を以下に要約する。

第一章天然高分子を用いた高分子複合ゲルの調製と希酸または希アルカリ水溶液中における性状変化

 塩基性高分子であるキトサンと、酸性高分子であるキサンタンまたは-カラギーナンを混合して成形可能なPICゲルの調製を試みた。キサンタンとキトサン、または-カラギーナンとキトサンは、単に混合すると凝集体を形成したが、混合時にNaClなどの塩を共存させることにより成形可能なPICゲルが得られることが見いだされた。得られたPICゲルを、5℃で、純水、酢酸水溶液(pH2.9)または水酸化ナトリウム水溶液(pH11)に浸漬して、性状の変化を観察した。その結果、キサンタン-キトサンゲル、-カラギーナン-キトサンゲルともにアルカリ性水溶液中においてのみ膨潤性を示した。また、これらのPICゲルの浸漬実験において、ゲルの形状は2週間以上変化せず、溶出糖も検出できなかったことにより、希酸および希アルカリ水溶液におけるPICゲルの溶解性が低いことが確認できた。次に、PICゲルとの比較を行うために、非電解質多糖類のカードランないし僅かに硫酸基を含む寒天をキトサンと混合して複合ゲルを調製し、純水、pH2.9の酢酸およびpH11の水酸化ナトリウム水溶液における性状変化を観測した。その結果、カードランとキトサン、あるいは寒天とキトサンは塩添加の有無にかかわらず複合ゲルを形成したが、これらの複合ゲルはアルカリ水溶液において膨潤せず、アルカリ水溶液における膨潤には一定量以上の酸性官能基の存在が必要であることが示唆された。

第二章天然高分子電解質複合ゲルのpHに依存する平衡膨潤挙動1,2)

 PICゲルの平衡膨潤度のpH依存性の測定を行った。酸性高分子と塩基性高分子を各々2%ずつ含むゲルを円柱状に成形して、窒素雰囲気下で種々の濃度のHClおよびNaOH水溶液中に浸漬し、浸漬前後のゲルの体積比を測定した。キサンタン-キトサンゲルは、pH10〜12の範囲で透明で膨潤性を示し、膨潤度はpH10において最大に達した。酸性側では、pH2以下において膨潤性を示したが、pH1の近傍では膨潤の過程でのゲルの溶解性が観察された。また、キサンタン-キトサンゲルはpH2〜9の範囲では膨潤性を示さなかった。-カラギーナン-キトサンゲルは、アルカリ領域においてのみ膨潤性を示した。その最大平衡膨潤度はキサンタン-キトサンゲルの場合より低いものの、膨潤するpH範囲はキサンタン-キトサンゲルの場合と同様であった。このようなPICゲルの膨潤は、pH変化に伴いゲル内部の官能基の解離状態が変化した結果として生じる高分子間の静電気的反発力が関与していると考えられる。次に、PICゲルの膨潤特性に及ぼす外液のイオン強度の影響について、浸漬液中にNaClを添加して膨潤実験を行った結果、塩を添加した場合は、塩添加をしない場合より平衡膨潤度が概ね低下し、最大平衡膨潤度を示すpHは10から8にシフトした。更に、キサンタン-キトサンゲルに関して、ゲルの組成を変化させて、同様の方法により平衡膨潤度の測定を行った。その結果、複合ゲルの膨潤性を示すpH範囲は酸性高分子対塩基性高分子の組成比が高くなるにつれて広くなったが、最大平衡膨潤度を示すpHは殆ど変化しなかった。

第三章天然高分子電解質複合ゲルの内部構造および低分子イオンの移動特性

 本章では、PICゲルの利用や膨潤挙動の解析を行う際に重要となるPICゲルの内部構造および低分子イオンの移動特性に関して、キサンタン-キトサンゲルを用いて検討を行った。まず、probe法によるゲル細孔径分布の測定を行った結果、ゲルが最大膨潤度を示すpH10においては平均細孔径は150nm、ほとんど膨潤しないpH7および12においては平均細孔径は70〜80nmであった。この結果より、キサンタン-キトサンゲルの平均細孔径は、アガロースなどの多糖類ゲルの値に近いこと、およびゲルの巨視的な膨潤に伴ってゲル内の細孔径ないしは高分子の架橋点間距離も増加していることが確認できた。次に、ゲルが透明なpH10以上の領域で、動的光散乱法による構造解析を行った。算出された高分子網目の協同拡散係数Dcoopは、いずれのpHにおいても10-9cm2/s程度であった。得られたDcoopの値よりEinstein-Stokesの式を用いて相関距離を算出した結果、109〜436nmであり、probeによる細孔径の測定値にオーダー的に一致した。この結果より、動的光散乱法によって得られた協同拡散係数Dcoopの値は、ゲルの架橋点のゆらぎを反映している値であることが示唆された。次に、低分子イオンのゲル内への移動特性を検討するために、定常法によるNa+のゲル内における拡散係数、および平衡膨潤時におけるゲル内外のナトリウムイオン分配係数(ゲル内ナトリウムイオン濃度/ゲル外液ナトリウムイオン濃度)の測定を行った。その結果、金属イオンのゲル内での拡散係数は10-6cm2/s程度であり、多糖類ゲルに関する拡散係数の報告値に近い値であった。平衡膨潤時でのゲル内外Na+の分配係数を測定した結果、塩無添加の場合、pH7では分配係数が極めて大であり、ゲル外部pHが上昇するとともに分配係数が単調に減少し、1に近づく傾向がみられた。一方、NaClを添加した場合も分配係数はpHの上昇とともに単調に減少し1に近づく傾向が見られたが、その値は同一のpHにおいては塩無添加の場合よりも低かった。この結果より、第二章で測定した平衡膨潤度が外液への塩添加により減少したことは、ゲル内外の浸透圧差の低下の反映であることが定性的に示された。

第四章天然高分子電解質複合ゲルの膨潤挙動に関する速度解析

 ゲルの膨潤の速度過程を定量的に理解することは、基礎・応用の両面において重要である。電荷を持たないゲルに関しては、膨潤実験から求められる見かけの拡散係数と動的光散乱法より得られるゲル網目の協同拡散係数とが一致することより、膨潤速度はゲル網目の拡散速度に支配されると言われている。しかし、本研究のPICゲルのように、高分子の荷電状態および低分子イオンの移動が膨潤に関与するゲルの膨潤速度解析はほとんど行われてない。本章では、キサンタン-キトサンゲルに関して、高分子網目の協同拡散に基づくモデル、および低分子イオンのゲル内分子拡散に基づくモデルの2通りにより、外部pH変化に伴う膨潤速度の解析を行った。最初に、高分子網目の協同拡散に基づくモデルにより、ゲル周辺のpHを11から10に変化した場合の球状ゲルの膨潤速度解析を行った。ゲル直径の経時変化の実測値を高分子網目の拡散理論式にあてはめて見かけの膨潤の拡散係数Dfitを算出したところ、ゲルの初期粒径にかかわらずDfitはほぼ一定であり、PICゲルの膨潤速度は、形式上はDfitにより記述可能なことが確認された。但し、Dfitのオーダーは10-5cm2/sであり、第三章において動的光散乱法によって求められた協同拡散係数Dcoopよりも約4桁大きかった。このことは、PICゲルの膨潤速度は、高分子網目の拡散に支配されないことを示している。次に、低分子イオンの分子拡散に基づくモデルを構築し、それを用いてpHを11から10に変化した場合のゲルの膨潤速度の解析を行った。ゲルの膨潤度の実測値をモデルにあてはめて算出した拡散係数は、初期粒径によらず約10-6cm2/sであり、実験誤差の範囲内において第三章で求めたゲル内におけるNa+の拡散係数と一致した。このことから、高pH側におけるゲルの膨潤過程は低分子イオンの拡散速度に支配されることが明らかになった。周辺のpHを7から10に変化した場合についてもゲルの膨潤速度解析を試みた。しかし、高分子網目の協同拡散に基づくモデル、および低分子イオンのゲル内分子拡散に基づくモデルいずれによっても膨潤速度の記述が困難であり、特に初期粒径の大きいもの程、計算値と実測値とのずれが大きかった。このことは、キトサンのpKの報告値が約6.4であることから考えて、低pH側での膨潤過程においては、pH変化に伴うゲル内の荷電状態の変化が膨潤速度に影響を与えていることを示唆している。一方、pH10以上の領域では高分子の荷電状態が変化しないため、膨潤速度がゲル内の低分子イオンの拡散速度に支配されていると推測される。

第五章天然高分子電解質複合ゲルによる酵素生産菌体の固定化

 本章では、キサンタン-キトサンゲルによって、フマラーゼ生産菌体C.glutamicumの固定化を行い、得られた固定化菌体のフマラーゼ活性を測定した。フマラーゼ活性のpH依存性を測定した結果、pH4から9の範囲において、固定化菌体のフマラーゼ活性は未固定の菌体より高い傾向が見られ、最適pHにおいては活性比が約10倍となった。但し、酵素反応の最適pHは未固定化の場合に7であったのに対し、固定化菌体の場合には8となった。これは、第三章における低分子イオンの分配係数の測定結果から定性的に推測されるように、ゲル内におけるプロトン濃度がゲル外液より高いため見かけ上、最適pHが高pH側にシフトしたためと考えられる。次に、フマラーゼ活性の温度依存性を測定した結果、20〜90℃の範囲にわたって、固定化菌体のフマラーゼ活性は未固定化菌体より活性が高く、最適温度での活性は約10倍であった。

 以上、酸性高分子と塩基性高分子を塩の共存下で混合することによってPICゲルの調製ができることを見出した。また、調製したPICゲルの平衡膨潤度の測定および膨潤速度の解析を行った。膨潤速度解析の際に低分子イオンの拡散に基づくモデルを新たに構築して用いたが、このモデルはおそらく他のイオン性ゲルに対する速度の解析にも適用可能であり、ゲルの膨潤機構の理解に寄与することが期待される。更に、.glutamicumの固定化実験の結果は、本研究で得られたPICゲルが他の菌体の固定化担体として有用である可能性を示している。

 1)T.Sakiyama et al.,J.Appl.Polym.Sci.,50,2021(1993).

 2)C.-H.Chu et al.,Biosci.Biotech.Biochem.in press.

審査要旨

 酸性高分子と塩基性高分子の水溶液を混合することによって得られる高分子電解質複合体(ポリイオンコンプレクス,以下,PICと呼ぶ)は,透水性・親水性,生体組織適合性を有するため,膜技術,医用材料,生体組織固定化用担体など,様々な分野への利用が行われている。また,PICのpH応答型膨潤性を利用したドラッグデリパリーシステムへの応用も期待されている。しかし,PICの特異な物性・挙動を理解し,利用するための基礎的研究は立ち遅れている。また,応用面においては,通常得られるPICは凝集体様のものが多く,成形性の点で問題があった。本研究では,まず,塩基性天然高分子と酸性天然高分子とを用いて,成形が容易なPICグルを調製し,その機能特性の測定・評価を行った。

 第一章においては,塩基性高分子であるキトサンと,酸性高分子であるキサンタンまたは-カラギーナンを混合する際に,NaClなどの塩を共存させることにより成形可能なPICゲルが得られることが見い出された。得られたPICグルは,希酸,希アルカリ溶液中で2週間以上溶解せず,安定であった。

 第二章においては,PICゲルの平衡膨潤度のpH依存性の測定を行った。キサンタン-キトサングル(以下,X-Cゲル)は,pH10〜12の範囲で膨潤し,膨潤度はpH10において最大に達した。酸性側では,pH2以下において膨潤したが,pH1の近傍では膨潤の過程でのゲルの溶解が観察された。-カラギーナン-キトサンゲルは,アルカリ領域において,X-Cゲルの場合と同様のpH範囲で膨潤した。次に,PICゲルの浸漬液中にNaClを添加して膨潤実験を行った結果,塩を添加した場合は,塩添加をしない場合より平衡膨潤度が低下した。

 第三章においては,PICゲルの内部構造および低分子イオンの移動特性に関して,X-Cゲルを用いて検討を行った。まず,probe法による測定の結果,X-Cゲルの平均細孔径は多糖類ゲルの報告値に近いこと,およびゲルの巨視的な膨潤に伴ってゲル内の細孔径も増加していることが確認できた。次に,動的光散乱法による構造解析を行い,高分子網目の協同拡散係数Dcoop,相関距離を算出した。Dcoopは10-5cm2/sオーダーであった。はprobe法による細孔径の測定値にオーダー的に一致し,得られたDcoopがゲルの架橋点のゆらぎを反映している値であることが示唆された。次に,Na+のゲル内における拡散係数,および平衡膨潤時におけるゲル内外のNa+分配係数の測定を行った。その結果,Na+のゲル内での拡散係数は10-5cm2/s程度であった。Na+の分配係数の値は,同一のpHにおいてはNaClを添加し大場合の方が,塩無添加の場合よりも低かった。

 第四章においては,X-Cゲルに関して,高分子網目の協同拡散に基づく膨潤モデル,および新たに構築した低分子イオンのゲル内分子拡散に基づく膨潤モデルの2通りにより,外部pH変化に伴う膨潤速度の解析を行った。最初に,ゲル周辺のpHを11から10に変化した場合の球状ゲルの膨潤速度解析を行った。その結果,見かけの膨潤の拡散係数Dfitのオーダーは10-5cm2/sであり,第三章において求められた協同拡散係数Dcoopよりも約4桁大きかった。このことは,PICゲルの膨潤速度は,高分子網目の拡散に支配されないことを示している。一方,低分子イオンの拡散に基づくモデルに,ゲルの膨潤速度の実測値をあてはめて算出した拡散係数は,約10-5cm2/sであり,第三章で求めたゲル内におけるNa+の拡散係数とほぼ一致した。このことから,高pH側におけるゲルの膨潤過程は低分子イオンの拡散速度に支配されることが明らかになった。次に,周辺のpHを7から10に変化した場合についてもゲルの膨潤速度解析を試みたが,上述のいずれのモデルによっても膨潤速度の記述が困難であった。このことは,低pH側での膨潤過程においては,pH変化に伴うゲル内の荷電状態の変化が膨潤速度に影響を与えているためと考えられた。

 第五章においては,本章では,X-Cゲルによって,フマラーゼ生産菌体Corynsbactorium glutamicum(IAM 12433)の固定化を行い,得られた固定化菌体のフマラーゼ活性を測定した。その結果,固定化菌体のフマラーゼ活性は未固定の菌体より高い傾向が見られ,最適pH,最適温度においては活性比が約10倍となった。また,固定化菌体をカラムにつめて連続反応を行った所,10日以上,反応開始初期の90%以上のフマラーゼ活性を維持し続けた。

 以上,本研究は,天然高分子からのPICゲルの調製法を確立し,その機能特性を様々な観点から明らかにしたものであり,学術上,応用上,貢献する所が少なくない。よって,審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク