学位論文要旨



No 111259
著者(漢字) 尹,鳳植
著者(英字)
著者(カナ) ユン,ボンシック
標題(和) 放線菌のプロモーター活性化物質に関する研究
標題(洋) Studies on microbial metabolites activating the promoter, tipA,of Streptomyces
報告番号 111259
報告番号 甲11259
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1550号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 瀬戸,治男
 東京大学 教授 森,謙治
 東京大学 教授 鈴木,昭憲
 東京大学 教授 室伏,旭
 東京大学 助教授 早川,洋一
内容要旨

 チオストレプトンは放線菌Streptomyces azureusが生産する蛋白質合成阻害活性を示すチオペプチド系抗生物質である。最近、Thompsonら1)は、Streptomyces lividansをチオストレプトン存在下で培養すると多くの蛋白質の産生が誘導されることを見出し、また、その蛋白質中の一つをコードする遺伝子をクローニングし、tipA遺伝子と命名した。さらに、チオストレプトン以外のチオペプチド系の化合物も、tipA遺伝子の転写を増大させる活性を有することを見出した。この報告はチオペプチド抗生物質の新たなる活性の発見として注目を浴びた。

 本研究はこのチオストレプトンと同様な作用を有する新しい物質を検索し、その生産菌における役割についての研究を目的としたものである。スクリーニングは次のように行った。tipAプロモーターの下流にレポータ遺伝子としてカナマイシン耐性遺伝子を連結した人工遺伝子をもつプラスミド(pAK114)で形質転換したS.lividansはカナマイシン存在下では生育できないが、チオストレプトンを添加するとカナマイシン耐性遺伝子が発現し生育可能となる。このS.lividans(pAK114)に放線菌、カビ、バクテリアの培養液及び菌体抽出物を加え、カナマイシン存在下での生育を示標に活性物質の探索を行った。その結果、新規物質として、Streptomyces sp.SF2741からpromothiocin A、B及びpromoinducin、S.rochei DT31からthiotipin、S.lidicus DD84からgeninthiocin、S.morookaensisDP94からthioactinを見出した。

 これらの化合物はチアゾール及びオキサゾールなどを含む多様な異常アミノ酸により構成されているため四級炭素が多く、通常のNMR実験によりその構造を明らかにすることはできなかった。そこで従来のNMR測定法に加えて、4結合、5結合の水素-炭素遠距離スピン結合の観測が可能な新しいNMR技法であるphase sensitive 13C-decoupled HMBC(D-HMBC)を用いて構造解析を行なった。

 

1.Promothiocin A及びB

 Promothiocin A及びBは培養菌体アセトン抽出物より酢酸エチル抽出、シリカゲル及びSephadex LH-20のカラムクロマトグラフィー、シリカゲルTLCなどを行って単離した。Promothiocin A、Bは共に白色粉末で、高分解能FAB-MASSによりAの分子式はC36H37N11O8S2、Bの分子式はC42H43N13O10S2と決定した。赤外吸収スペクトルにおいてアミド(A、Bそれぞれ1690〜1640、1550〜1500cm-1及び1695〜1645、1550〜1490 cm-1)に由来する吸収が観測され、ペプチド化合物である事が推定された。そこで、アミノ酸分析を行った結果、両者ともに1モルのアラニン、グリシン、バリンを含んでいることが判明した。

 各種NMRスペクトルの解析によりpromothiocin Bは、デヒドロアラニン(Deala)3分子、チアゾール(Thz)2分子、オキサゾール(Oxa)2分子、ピリジン(Pyr)、バリン(Val)それぞれ1分子を含むことが判明した。なお、チアゾール及びオキサゾール環の構造は既知化合物のチアゾール、オキサゾール環との化学シフト値との比較により確認した。通常のHMBC実験によりThz(1)-Pyr-Deala(1)-Deala(2)-Deala(3)の結合は明かとなったがその以外の繋がりについての情報は得られなかった。そこで、4結合、5結合の水素-炭素遠距離スピン結合の観測が可能なD-HMBCの測定を行った。Delay timeを120 msec及び500 msecに設定しD-HMBCを測定した結果、Thz(1)、(2)の5位の水素からそれぞれのカルボニル炭素に水素-炭素遠距離スピン結合が観測され、さらにOxa(1)の5位のメチル水素からOxa(1)の2位の炭素及びカルボニル炭素に、Oxa(2)の5位のメチル水素からOxa(2)の2位及びPyrの2位、3位の炭素にそれぞれの水素-炭素遠距離スピン結合が観測され図の様に繋がりが判明しpromothiocinBの全構造が明かとなった。

 Promothiocin Aは1H及び13CNMRスペクトルより、側鎖のDeala残基が1個である以外はBと同じ構造であることが判明した。

 Promothiocinの立体構造を明らかにするために、加水分解物(6N HCl、120℃、 20h)をchiral-HPLCおよびchiral-TLCにより分析した。その結果ValとAlaはL型であると決定した。しかし、2-(1-aminoethyl)thiazole-4-carboxylic acidは酸分解中にラセミ化されこの方法では立体を決定することは出来なかった。これについては現在検討中である。

2.Thiotipin

 放線菌Streptomyces rochei DT31株が生産する活性物質thiotipinの精製は次のように行った。培養液30L分の菌体をアセトンで抽出後、酢酸エチル抽出、エーテル沈殿、シリカゲルカラムクロマトグラフィー、シリカゲルTLC、高速液体クロマトグラフィーを行い、thiotipin 40mgを得た。Thiotipinは白色粉末で、高分解能FAB-MASSにより分子式をC55H50N16O17S2と決定した。赤外吸収スペクトルにおいて、アミド由来の吸収が観測されペプチド化合物である事が推定された。各種NMRスペクトルの解析によりthiotipinはデヒドロアラニン(Deala)5分子、チアゾール(Thz)2分子、オキサゾール(Oxa)3分子、ピリジン(Pyr)、スレオニン(Thr)それぞれ1分子により構成されていることが判明した。さらにfield-gradient HMBC(FG-HMBC〉実験により以下の四つの部分構造が明かとなった;I)Thr-Thz(1)-Pyr-Deala(2)、(3)、(4)、(5)、II)Oxa(1)-Thz〈2)、III)Oxa(2)、IV)Deala(1)-Oxa(3)。さらに、D-HMBCを測定した結果、Oxa(1)の5位のメチル水素からOxa(1)の2位の炭素に水素-炭素遠距離スピン結合が観測されThrとOxa(1)の結合が判明し、また、Oxa(2)の5位のメチル水素からOXa(2)の2位の炭素に水素-炭素遠距離スピン結合が観測されThz(2)とOxa(2)の結合が明かとなった。また、Pyzの4位の水素からOxa(3)の4位の炭素に遠距離スピン結合が観測され、PyrとOxa(3)の結合が明らかになった。さらに、Oxa(2)のメチル水素とDeala(1)のアミド水素との間にNOEが観測され、thiotipinの全構造を図のように決定した。Thiotipinの立体構造を検討したところOxa(1)、Oxa(2)に存在するpropenyl側鎖はZ型で、ThrはL型であると決定した。

3.Geninthiocin

 Streptomyces lidicus DD84株が生産する活性物質geninthiocinの精製は次のように行った。培養菌体アセトン抽出物より、酢酸エチル抽出、Sephadex LH-20、シリカゲルカラムクロマトグラフィー、高速液体クロマトグラフィーなどにより白色粉末のgeninthiocinを得た。分子式は高分解能FAB-MASSによりC50H49N15O15Sと決定した。本化合物も赤外吸収スペクトルよりペプチド化合物である事が示唆された。各種NMRスペクトルの解析によりgeninthiocinはデヒドロアラニン(Deala)4分子、オキサゾール(Oxa)3分子、ピリジン(Pyr)、チアゾール(Thz)、スレオニン(Thr)、-ヒドロキシアラニン(Hyval)、それぞれ1分子により構成されていることが判明した。さらに、FG-HMBC及びD-HMBCを測定しその構造を図の様に決定した。

4.Thioxamycin及びthioactin

 放線菌Streptomyces morookaensis DP94株の培養菌体アセトン抽出物より活性物質を単離・精製した結果、thioxamycin(C52H48N16O15S4)とその類縁体thioactin(C43H40N14O11S4)を見出した。Thioxamycinは松本ら2)により単離された既知化合物であるがその構造解析方法及び化学シフト値の帰属等については知られていない。そこで、D-HMBCによりその構造を再検討し、さらに類縁体であるthioactinの構造を図に示すように決定した。

5.Promoinducin

 Promothiocin生産菌であるStreptomyces sp.SF2741株の菌体アセトン抽出物からpromothiocin以外のプロモーター活性化物質を見出し、種々のクロマトグラフィーにより単離を行いpromoinducinと命名した。白色粉末で得られたpromoinducinの分子式は高分解能FAB-MASSによりC57H54N16O18S2と決定した。各種NMRスペクトルの解析によりpromoinducinの構成単位としてデヒドロアラニン(Deala)5分子、チアゾール(Thz)2分子、オキサゾール(Oxa)3分子、ピリジン(Pyr)、スレオニン(Thr)それぞれ1分子の存在が判明した。さらにD-HMBC及びNOESYスペクトルの解析によりその構造を図のように決定した。

 TipAプロモーター活性化物質のスクリーニングによって得られた新規チオペプチド系化合物が活性を示す最低濃度を調べたところpromothiocinBが0.6ng/mlで最も強い活性を示し、geninthiocinは1.2ng/ml、promothiocin Aは20 ng/ml、thioactin、promoinducinは40ng/ml、thiotipin、thioxamycinは80 ng/mlであった。Promothiocin AとB、及びthioxamycinとthioactinはDeala側鎖以外は同一構造を有するが、その活性の強さは異なる。さらにチオペプチド系化合物ではあるが、Deala側鎖を有さないcyclothiazomycin、amythiamicin、GE2270 A等の化合物は活性そ示さないことより、Deala側鎖が活性に重要な役割を果していることが推測された。そこで、promothiocin Bをメタノリシスし、側鎖が消失したpromothiocin MO、MN(図)を得てその活性を測定した。その結果、MO、MN両者とも親化合物であるpromothiocin Bよりも約1/4,000(2.5g/ml)に活性が低下していた。このことよりDeala側鎖が活性に密接な関係があることが判明した。

 このスクリーニングにより得られた化合物は、既知化合物を含めてすべてがDeala側鎖(Micrococcinの場合はデヒドロブチリン)をもつチオペプチド系化合物であった。tipA蛋白質はチオストレプトンと結合することによりtipAプロモーターからの転写を促進することが明らかにされている3)。そこで、tipA遺伝子の保持とチオペプチド化合物の生産能との関係を検討した。チオペプチド生産菌10種及び非生産菌8種の染色体DNAを調製し、tipA遺伝子をプローブとしてサザンハイブリダイゼーションを行った。その結果、チオペプチド生産菌ではいずれの菌株においてもバンドが検出されなかったが、非生産菌においてはS.roseflavus、S.antibioticus、S.aureofasciculus及びS.citricolorでバンドが観察された。このことからtipA遺伝子はチオペプチド生産菌には存在せず、非生産菌にはかなりの頻度で存在する遺伝子であると推定されるが、その機能については不明である。

1) Murakami,T.,Holt,T.G.,Thompson,C.J.J.Bacteriol.171,1459,19892) Matsumoto,M.,Kawamura.Y.,Yasuda,Y.,Tanimoto,T.,Matsumoto,K.,Yoshida,T.J.Antibiotics 42,1465,19893) Holmes,D.J.,Caso,J,L.,Thompson,C.J.EMBOJ.12,3183,1993
審査要旨

 近年チオペプチド抗生物質であるチオストレプトンが,放線菌Streptomyces lividansで多くの蛋白質の産生を誘導することが見出された。その蛋白質の1つをコードする遺伝子がクローニングされ,tipA遺伝子と命名された。この現象は微生物の代謝産物が遺伝子の発現を制御するという新たなる活性の発見として注目をあびた。本研究はこのチオストレプトンと同様な作用を有する新しい物質を検索し,その生産菌における役割についての研究を目的としたもので,10章よりなっている。

 第1章では,スクリーニング方法の原現を述べている。tipAプロモーターの下流にカナマイシン耐性遺伝子を連結した人工遺伝子をもつプラスミドで形質転換したS.lividensは,カナマイシンを添加するとカナマイシン耐性遺伝子が発現し生育可能となる。この現象を利用して活性物質の探索を行った結果,新規物質として以下に述べる5種類の化合物を見出した。

 第2章は新規に単離された化合物プロモチオシンAおよびBに関するものである。各種NMRスペクトルの解析により,プロモチオシンBはデヒドロアラニン3分子,チアゾール2分子,オキサゾール2分子,ピリジンおよびバリンをそれぞれ1分子含むことが判明した。これらのつながりは新しいNMR技術であるD-HMBCにより解明され,またMolSkopプログラムを用いての解析によりその絶対構造も決定された。

 第3章はチオチビンに関するものである。放線菌Streptomyces roohei株が生産する活性物質を精製し,その全構造を前記と同様の手法により図のように決定した。

 第4章はゲニンチオシンに関するものである。Streptomyces lydicusが生産する活性物質を上記と同様にして精製し,図のように構造決定した。

 第5章はチオアクチンに関するものてある。放線菌Streptomyces morookaensisが生産する活性物質を上記と同様にして精製し,図のように構造決定した。

 第6章はプロモインドシンに関するものである。プロモチオシン生産菌であるStreptomyces sp.の菌体アセトン抽出物から異なるプロモーター活性化物質を単離し,上記と同様の手法によりその構造を図のように決定した。

 第7章はチオペプチドの生産とtipA遺伝子との関係について検討したものである。tipA蛋白質はチオストレプトンと結合することによりtipAプロモーターからの転写を促進する。そこで,tipA遺伝子の保持とチオペプチド化合物の生産能との関係を検討した。チオペプチド生産菌10種及び非生産菌8種の染色体DNAを調製し,tipA遺伝子をプローブとしてサザンハイブリダイゼーションを行った。その結果,チオペプチド生産菌ではいずれの菌株においてもバンドが検出されなかったが,非生産菌数種においてはバンドが観察された。このことからtipA遺子はチオペプチド生産菌には存在せず,非生産菌にはかなりの頻度で存在する遺伝子であると推定される。

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 第8章は生物活性に関するものである。単離した化合物についてtipAプロモーター活性化濃度を調べたところデヒドロアラニン側鎖が重要な役割を果していることが判明した。第9章は考察であり,第10章は実験の部である。

 以上本論文は,tipA活性を有するチオペプチド物質の探索,化学的および生物学的研究を行い,活性と構造の関係を明らかにしたものでもって,学術上,応用上寄与するところが少なくない。よって,審査員一同は,申請者に博士(農学)の学位を授与してしかるべきものと判断した。

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